平昌オリンピックが開催中の2月14日、北海道は大雪で、
スキー場のある上川管内幌加内町道内では3m超の積雪となり、
これは36年ぶりの「記録」更新とのことで、
2014年のソチオリンピックの際も、やはり2月14日に関東地方が「記録的大雪」となり、
羽生結弦選手が見事、金メダルを取りましたが、
オリンピックとバレンタインデーがコラボすると、どこかで記録更新が起こりやすいのでしょうか?
幸い、今年の清里高原の雪はそれほど多くなく、
これは2月12日の朝ですが、まず雪かきしてから、
前日に、南部町から運んで来た「栗の木」を降ろします。
南部町にはペルー生まれの純日本人、ラムさんの農園の手伝いに行ったのですが、
偶然にもその前日に「栗の木」を伐採した近所の方がいて、おかげさまで薪ストーブの燃料がGET出来て一石二鳥でした!
同じ山梨でも、静岡の隣、富士山に近い南部町は温暖で、もう梅が咲いており、
男性陣が「野焼き」してる間、
ブラブラ散歩していたら、
小さな小さな神社があって、
ちゃんと手入れされているようで、
こんな張り紙がしてあり、
神仏を大切にする日本人心を感じましたが、
昨年読んだ、こちらの書によると、
「二礼二拍手一礼」となったのは、つい最近のことだそうです。
籠神社、諏訪大社、熱田神社、伊雑宮の4カ所で三礼三拍手をやったんです。昔は三柱の神だった。だから、参拝というんです。「参」は「三」と同じですから、三柱を参拝する。そこへ行く道は参道、場所によってはガラガラが3つ垂れ下がっています。もともとは三礼三拍手一礼だったものを、明治新政府が国家神道にするときにほとんど二礼二拍手一礼に変えちゃったんです。僕は必ず三礼三拍手一礼を三やるということで、それを4カ所全部でやってきました。4カ所は全部物部系です。ここをやればオセロの四隅をとったみたいなものです。
日本神道のルーツには複雑な経緯があって、一筋縄ではいかないようですが、
先日、「御神渡り」を見に行った際、
立ち寄った諏訪大社では、
「二礼二拍手」で「お勤め」してましたが、
もともと「三礼三拍手一礼だった」というのはホントのことのようです。
このように神社ごとに異なる作法が見られるが、二礼二拍手一礼が定着したのは明治以降で、古来は「三礼三拍手一礼」だった。
これは、造化三神とされる天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、神皇産霊尊(かんみむすびのみこと)を拝むからという説がある。同じ神道であっても、時代や場所によって作法が異なるので覚えておきたい。
うーん、なかなか難しそうな御作法ですが、
しかしながら神社で大切なのは、神性な「場」作りであり、
そして、最近お気に入りのコチラの書によると、
シンプルであることが「最強」です。
<マスター性>
マスター性に関して、いくつかとても重要なことを話します。第一に、それは実にシンプルです。あまりにシンプルなので、最終的に理解したときは自分自身に本当にいら立ちを覚えるでしょう。まず、旅をそこまで難しくしたことで、自分に対して怒りを感じます。それから自分を笑います。
そして、自分がどのように人生のあらゆるものを創造してきたのか、そこにある美しさに気づくでしょう。しかし無意識に創造するような古いやり方にはもう戻らないぞ、とあなたは自分に言い聞かせるでしょう。あなたは意識的で、活気に溢れ、愛情に満ちた創造者になります。
それは、まったく信じられないほどシンプルです。あなたが学ぶ必要はありません。祈ったり、瞑想したりする必要はありません。祈りは使用人のためのものです。彼らはどこかの未知の神に仕えています。どこかの高位の権力に仕えています。彼らは自分の外側のあらゆるものに仕えていますが、それはそれでよいのです。それは「故郷」へ、「セルフ」へ戻る道の一つにすぎません。しかしあなたはあなた自身、知りたくもないほど数多くの人生で四つん這いになってきました。だからあなたはそこを超え、マスター性へ、「アイ・アム・ザット・アイ・アム」へ入っていきます。
それは呼吸と同じくらいシンプルです。深呼吸をしてください。呼吸は肉体の現実に生命をもたらします。・・呼吸は「意識のボディ」に、あなたが人生を選択していることを伝えます。呼吸はエネルギーを招き入れ、あなたに奉仕させます。あなたがジレンマを感じるとき、何らかのドラマに入り込んでいるとき、試練のうちにあるときは、いつでも深い呼吸に取り組んでください。
シンプルさと「呼吸」が大切とのことですが、
そういえば先日の南部町で、富士川添いを歩いていたら、
澄んだ水の中に一つだけ、
ピンクっぽい石があったので、
洗って持ち帰ったのですが、
「野焼き」作業を終えたラムさんに、
「呼吸法・キネシオロジー」でチェックしてもらったら、
「あまり息が通らない」とのことで、すぐにポイポイしました!
ペルー親子の「呼吸法・キネシオロジー」はハズレたことがなく、
ちょっと選択に迷った時はお願いしてますが、
第一密度の意識存在である「石」には、稀にすごく意識レベルの高いモノのあるそうで、
第一密度:
気付きの密度。この状態で、時間を持たない意識が、物質として現実化する。地、火、水、火のエレメントや鉱物の意識が、ここに属する。
しかし時々ヤバいものもあるので、やたらと持ち帰らないのが鉄則です。
そして先のアダマスさんによると、自然をやたらとコントロールしようとしてはなりません。
すべきでないことを、いくつか注意喚起しておきます。
マスター性においては、太陽の熱を変えるようなことはしません。
地平線にある雷雨を変えようとはしません。それが自然のサイクルの一部であることを、思いやりと理解を持って知っているからです。
しかし自身に命じることで、自らのエネルギーに命じることで、あなたは熱、太陽、雨に完全に適応するのです。
ペルーの先生も、「コントロールしようとしないで手放しなさい」と言ってましたが、
マスター性を育むと、ちょうどいいタイミングの時に、ふさわしい場所にいられるようです。
いずれにせよ、どんな大雪でも春には溶け、水に還るわけで、
そんな四季のある風土で暮らしてきた日本人は、自然に神性を見いだして来たんでしょうね!
アダモステでいちばんインパクトが大きかったのは、やっぱり「わたし達には地球ではアダマスターになりたくないというコードが内蔵されてる」とかみたいな件ですネ。
今までだと、この分野は言わば「またワンネスに戻るコード」「元通りひとつに戻る合言葉」みたいな説明で、それは上向きの成長意識路線みたいな感じだったワケですが、これだとケンちゃんみたく「永遠の未完成、是 完成なり」とかいって、一応はナットクするものの、それだと楽しむとかいうよりも、な~んかこの世界は低レベルで不浄で軽視されなければならない~とかいった分析、反省、浄化路線に通じてる感が否めない(五井さんもホーキン博士もみんなそう)違和感というか矛盾というか、あったんですけど、このアダモの「この世界でマスター(完全性)になってしまうと、この世界を離れられなくなるのを知っているからこその制御」みたいな説明のし方は、拡張ならではな感じでの今までに聞いたコトがない強烈なインパクトでした。
このコトは地球の役割にも当然関係するだろうし、更にラーがN4収穫条件として、完全性に「近づく」必要がある(でも95%で5%他自己奉仕必須)とかいった話も、よりナットクな感じになってくるんですよネ。
<「わたし達には地球ではアダマスターになりたくないというコードが内蔵されてる」>
これは今日の記事で紹介したクラリオンさんも言っていて、制限の「埋め込み」があり、それを解除するツール(鍵)がカルマとのことで、何か納得でした。
<な~んかこの世界は低レベルで不浄で軽視されなければならない~とかいった分析、反省、浄化路線に通じてる感が否めない>
それは全然違いますよね。身体のナイ存在にとって、人間と一緒にヤルのが醍醐味で、
結局のところ、この世で(ある程度)ヤリたいことをして「執着」がないままに、肉体ともに存続し続けるのがアセンションなのかもと思いました。