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「家政婦のミタ」に学ぶアドラー心理学の「課題の分離」

「家政婦のミタ」に学ぶアドラー心理学の「課題の分離」

2011年秋に放映された松嶋菜々子さん主演の「家政婦のミタ」は、森田芳光監督の『家族ゲーム』級の評価を受け、

最終回は40.0%を記録し、
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初回の視聴率と最終回の視聴率の差が20ポイントを超えた初のドラマとなり、ツイッターなどへの投稿が殺到したそうですが、

地デジ難民なんで、遅ればせながらYouTubeでハマって、最終回までいっきに見ちゃいました!

ロボットみたいな「家政婦のミタ」さんには決め台詞が3つあって、

本作の高視聴率を背景に職場や学校などで「承知しました」「それは業務命令でしょうか」「それはあなたが決めることです」などのドラマ上の決まり文句が流行るとともに、ロケ地の千葉市動物公園の入園者数が増加するなどの「家政婦のミタ現象」が起こった。

wikipedia

今後、家事を頼まれたらつい言ってしまいそうな、
20130902_hanzawa_04が印象的ですが、

「お父さんの不倫でお母さんが自殺」という、かなり悲惨な設定で、
img_popup_keiichi気の毒過ぎる子供たちや、ダメダメな父親に何か相談されると、

クールに「それはあなたが決めることです」と決めるのがナイスです!

こういった態度は、一見、冷たい人のようですが、

実は、他者の課題に介入することこそ「自己中心的な発想」であると、

2013年、「嫌われる勇気」のベストセラーで、
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突如、知られるようになった「アドラー心理学」では指摘してます。

アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とまで断言し、

「個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。どんな種類の悩みであれ、そこには必ず他者の影が介在しています。」

と言ってますが、

その対人関係の悩みを一気に解消する方法として「課題の分離」があります。

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと・・あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること・・によって引き起されます。

「その選択によってもたらさせる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」が誰の課題かを峻別するシンプルな方法です。

他者の課題に介入すること、他者の課題を抱え込んでしまうことは、自らの人生を重く苦しいものにしてしまいます。

もしも人生に悩み苦しんでいるとしたらーその悩みは対人関係なのですからーまずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他者の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものする第一歩です。

自分の生について、あなたにできるのは、「自分の信じる最善の道を撰ぶこと」それだけです。その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

「自分にとって最善なことは、自分が一番知っている・・・」ので、混乱している人に「答え」を与えるのではなく、自分自身に立ち戻れるように支援するのが心理セラピーやカウンセリングの基本ですが、

「課題の分離」が一番難しいのはヤハリ家族関係で、

「あなたのためだから・・・」と子供をコントロールしたがる母親には「チコリ」というバッチフラワーが適応し、

「課題の分離」が出来ない限り、「対人関係のカード」は常に他人任せになり、

「自己中な愛で自己憐憫にかられる」というチコリのマイナス状態から抜け出せませんが、

「課題の分離」は、ネグレクトや放任主義とは全く違います。

アドラー心理学は、放任主義を推奨するものではありません。

放任とは、子どもがなにをしているのか知らない。知ろうともしない、という態度です。
そうではなく、子どもがなにをしているのか知った上で、見守ること。

勉強についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも本人が勉強したいと思ったときにはいつでも援助をする用意があることを伝えておく。

けれども、子どもの課題に土足で踏み込むことはしない。頼まれもしないのに、あれこれ口出ししてはいけないのです。

たとえ我が子であっても、「親の期待を満たすために生きているのではない」ので、

距離の近い家族だからこそ、意識的に「課題を分離」していく必要があります。

アドラー心理学では、いわゆるトラウマ、「何々のせいだからこうなった」という因果律を逆転させ、

「こうなりたい・・」という目的に焦点を当てた立場を推奨します。

例えば、子供の頃に父親に殴られというトラウマのせいで、父親との関係が悪いと思い続けていても何ら解決になりません。

哲人:アドラー的な目的論の立場に立てば、因果律の解釈は完全に逆転します。つまり、わたしは「父との関係をよくしたくないために、殴られた記憶を持ち出していた」のです。

青年:先生にはお父様との関係をよくしたくない、修復させたくない、という「目的」が先にあった、と。

哲人:そうなります。わたしにとっては、父との関係を修復しないほうが都合がよかった。自分の人生がうまくいっていないのは、あの父親のせいなのだ言い訳することができた。そこには、わたしにとっての「善」があった。あるいは、封建的な父親に対する「復讐」という側面もあったでしょう。

青年:しかし、仮に因果律が逆転したところで、つまり先生の場合でいえば「殴られたから父との関係が悪いのではなく、父との関係をよくしたくないから殴られた記憶を持ち出しているのだ」と自己分析できたところで、具体的になにが変わりますか?だって、子ども時代に殴られた事実は変わらないのですよ?

哲人:これは対人関係のカード、という観点から考えるといいでしょう。原因論で「殴られたから、父との関係が悪い」と考えているかぎり、いまのわたしには手も足も出ない話になります。

しかし、「父との関係をよくしたくないから、殴られた記憶を持ち出している」と考えれば、関係修復のカードはわたしが握っていることになります。わたしが「目的」を変えてしまえば、それで済む話だからです。

青年:ほんとうに、それで済みますか?

哲人:もちろん、

青年:心の底からそう思えるものでしょうか。理屈としてはわかりますが、どうも感覚的に腑に落ちません。

哲人:そこで課題の分離です。たしかに、父とわたしの関係は複雑なものでした。実際、父は頑固な人でしたし、あの人の心がそう易々と変化するとも思えませんでした。それどころか、わたしに手を上げたことさえ忘れていた可能性も高かった。

けれども、わたしが関係修復の「決心」をするにあたって、父がどんなライフスタイルを持っているか、わたしのことをどう思っていえるか、わたしのアプローチに対してどんな態度をとっているかなど、ひとつも関係なかったのです。たとえ向うに関係修復の意思がなくても一向にかまわない。問題はわたしが決心するかどうかであって、対人関係のカードは常に「わたし」が握っていたのです。

青年:対人関係のカードは、常に「わたし」が握っている・・?

哲人:そう。多くの人は、対人関係のカードは他者が握っていると思っています。だからこそ「あの人は自分のことをどう思っているんだろう?」と気になるし、他者の希望を満たすような生き方をしてしまう。でも、課題の分離が理解できれば、すべてのカードは自分が握っていることに気がつくでしょう。これは新しい発見です。

「決心」「決意」は、本人にしか出来ないことで、だからこそミタさんは、
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「それはあなたが決めることです」と突き放します。

さて、アドラーは「トラウマ」というものがナイと言っているのではなく、

「家政婦のミタ」でも、尋常ならぬ「トラウマ」を抱えたミタさんが主人公で、

深い闇を知っているミタさんだからこそ、

「アドラー心理学」の最重要ポイントである「課題の分離」をクリアして、

阿須田家の人々を「トラウマのせいにしない」方向へ導く・・という、

実に、「アドラー心理学」的なエンディングでした!
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