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アベグジットな実態と日本人が政治に関心がナイ理由

アベグジットな実態と日本人が政治に関心がナイ理由

英国のEU離脱を「ブレグジット」と言い、アベノミクスからの離脱を「アベグジット」と言うそうで、

こんな風に使われているようですが、

Abexit!(アベグジット=安倍は退場)
『今回ばかりは野党に1票を』

言葉の響きがイマイチなんで、「アベグジット」が流行語になるかどうかは微妙ですが、

「アベノミクス」が妄言だったのは確かなようです。
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誇大表示ばかりのアベノミクスにとって、唯一の「成果」とも言える円安・株高が、皮肉にも参院選挙前の大事な時に吐き出されようとしています。英国のEU離脱(ブレグジット)が、アベノミクスからの離脱(アベグジット)を導くことになるかもしれません。

http://www.mag2.com/p/money/16074

横浜で、小さな不動産屋と介護のNPO法人を営む義姉は、前回の選挙の際はアベノミクスに対して、「とりあえず期待するしかないよ」とか言ってましたが、

先日会ったら、介護保険料がいきなり倍以上になったという現状に、

「安部さんはやっぱりダメだね・・」と完全「アベグジット」状態で、

そういう人は多いと思うのですが、何故か予想では「与党が過半数以上」となってるのは、「長いものに巻かれる」のが好きな日本人心理を巧みに操作しているのかも知れません。

ところで、海外ではフツーじゃないけど日本だとフツーな現象として、

「政治に関心がない」のがフツー・・・ということがあります。

フランスでは「カフェで政治談義」は伝統ですし、
spot45パリで最も古いカフェ、「ル・プロコープ」

ヨーロピアンは老いも若きも、教養アルナシに関わらず、政治的な見解のナイ人はフツーじゃない・・と見なされます。

そういった日本人特有の心理を、1970年代に土居健郎氏が「甘えの構造」と名付けましたが、

<甘えの構造>

「甘え」の構造』(土居健郎)は、代表的な日本人論の一つである。

甘えとは、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという、日本人特有の感情だと定義する。この行動を親に要求する子供にたとえる。

wikipedia

要するに、まわりと意見が違うことを避けたがる雰囲気が日本にはあるわけです。

しかし戦後70年を経て、そろそろ「甘えの構造」が限界に来ていてるようで、「アドラー心理学」が突如人気になりました。

また、このところ人気急上昇のベルギー生まれの三宅洋平氏は、

八王子での選挙演説で、

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日本人が政治に関心がナイのは、「下から目線」のせいだと述べてました。

<下から目線>

下から目線とは対等または下の立場の人上からものを言うような言葉使いや態度をすることをいう『上から目線』の対になる言葉で尊敬の眼差しというニュアンスで使われる。また下から目線=下から覗きこまれると捉え、疑いの目や反抗的な目線といったニュアンスで使われることもある。
また、企業や国など、大きな組織や勢力に対し、下の立場という前提で言葉を発することを下から目線という場合もある。

「下から目線」って、なかなか的確な言い方だと大いに感心しましたが、

この「下から目線」をし続けてると、心理学的にも宇宙の法則的にも、人は決して幸福になれません。

・・・・・・・・・

『下から目線』を手放そう

上から目線の間違いじゃありません。
下から目線、です。

私たちは、意外にもこの目線を、
しょっちゅうやっているんです。

例えば、こんな場面。

TVを観ながら「国はなっとらん!」
「行政はもっと~すべきだ」

そんなセリフを聞いたり、あるいは
言ったりしたことがないでしょうか?

そのとき、私たちのスタンスは
こんな感じになっています。

国(行政)=強い者、大きい者

自分=弱い者、小さい者

国(行政)を上に見て、下の方から
上を指差して、批判をしています。

また、下から目線の人は、
自分が低いスタンスに入るので、

あらゆる人に「上から目線」で
見られている気がしてしまいます。

例えば、病院で。

「あの医者は患者をなんだと思って
るんだ!」と怒っている人。

確かにお医者さんは、
患者さんを尊重するべきです。

理不尽な扱いをされていい人
なんか、一人もいません。

仕事に私心を持ち込むことは、
いいとは言えないでしょう。

でも、医者だって人間。

イライラしているのには、
何か理由があるのかもしれません。

もしお互いが対等ならば、
「患者側も医者を尊重するべき」
と言えるのではないでしょうか?

相手に見下されている気持ちになるとき、
私たちは下から目線になっているのです。

相手が上で、自分は下、なんです。
自分から下に入ってしまっています。

その関係は、親と子に似ています。

「あなたは大人で強いんだから、
私を守ってくれるべきでしょう?」

と、言っているのですから。

確かに、親子ならそうでしょう。

でも、たとえ政治家と国民でも、
医者と患者であっても、

『一人の大人』としては対等なはずです。

いや、援助が必要な人や、
守られるべき人はもちろんいます。

行政は、国民の僕であるはずです。
それを否定するものではありません。

だけど、

この『下から目線』のエネルギーは、

あなた=やってくれる人

私=やってもらう人

という “依存” のエネルギーなのです。

このエネルギーで生きていると、
「世の中不公平だ!」
という怒りをしょっちゅう感じます。

買い物に行けば、不機嫌なレジ係に
当たって、ものすごく不快になります。

私=お客様=やってもらう人

この公式では、自分が
(大切にされるべきなのに)
大切にしてもらえなかった!
という、結果になります。

傷つき、怒りが涌いてきます。

だけど、自分とレジ係の人も、
一人の人間として対等です。

そういう目線で見てみると、

「ああ、この人は何か面白くない
ことがあったのかなぁ?」と、
相手をおもんぱかる余裕が出てきます。

そして、その人に対しても、
「まあ、人生いろいろあるよね」
なんて思えたりしたら、あなたは
自分を小さくしないで済みます。

前者は『粗末に扱われた自分』が残ります。

後者は『相手を思い遣る自分』が残ります。

さて、どちらの自分を大きく感じますか?
どちらが強く感じるでしょうか?

どちらの自分が気持ち良いでしょうか?

『下から目線』は、
『被害者目線』とも言えます。

してもらうのが当たり前、
してもらえなければ傷つき、怒る。

それは、子どものマインドです。

自分の想い通りにならないからと、
「お母さんなんか、嫌いだ!」
ってだだをこねているのと一緒です。

自分を被害者にしないことです。
弱くて小さな子どもにならないことです。

相手の態度が理不尽だと思うなら、
「もっと私を尊重してください」と、
穏やかに伝えればいいのです。

でも、そのお願いが相手に
伝わらないこともあるでしょう。

相手はそんな余裕がないからです。

だから、お客様に対しても、
患者様に対しても、国民に対しても、
やさしく出来ないんです。

だとしたら、その人に愛を送りましょう。

ただ心の中で、その人の背後にある
辛さや事情を思い遣って、
愛のエネルギーを送るんです。

「してもらう人」から、
「してあげる人」へのシフトです。

それって損なんじゃないか、って、
気がした人もいるかもしれませんね。

「なんで何もしてもらってないのに、
自分からそんなことするのよ?」って。

でも違うんですよ。

そう意識すると、
不思議なことが起こります。

店員さんがやさしくなります。
お店でやさしくされます。

会社が楽しくなります。

お医者さんも親切です。
なんだかラッキーなことが起こります。

あなたから滲み出るエネルギーが、
『怒り』から『愛』に変わったからです。

あなたが先にやさしくなったからです。

類友の法則が働いて、やさしさや
親しみが引き寄せられてきます。

これはね、

相手のため、ではありません。
実は自分自身のため、なんです。

「情けは人のためならず」なのです。
回り回って、自分に愛が還ってきます。

それが宇宙の法則です。

http://healingmuroran.blog118.fc2.com/blog-entry-1063.html

・・・・・・

結局のところ、「下から目線」は日本人特有の「甘えの構造」のあらわれのようで、

正直、自分も今まで選挙に行ったり行かなかったりでしたが、「子どものマインド」から脱却するためにも、今後は欠かさず選挙に行きまーす!


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コメント & トラックバック

  • コメント ( 2 )
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  1. 長くなるので詳しくは書けませんが超タイムリーな記事をありがとうございます!

    ところで、政治の話はやはりまだまだタブーみたいで、引いてしまう人、話をずらす人を感じますね…。

    • Mちゃんお久しぶり!

      相変わらずのシンクロ共振かな?

      <政治の話はやはりまだまだタブー>

      ですね〜。根底にあるのは「恐れ」なんで、引く人には引かしておきましょう!

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