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妖怪遺伝子”何で私ばっかり!”の対処法と問題の外在化の効用

妖怪遺伝子”何で私ばっかり!”の対処法と問題の外在化の効用

心理学や精神世界の知識が山ほどあっても、必ずしも幸福感を得られるとは限りませんが、

新しいタイプの心理カウンセラー、大嶋信頼氏の知識はたくさんの臨床経験から「わかってきた」知恵、すなわち叡智のようでして、

この本の「遺伝子をスイッチオフ」にするテクニックを使ったら、

暴れん坊なニャンコが一瞬で静かになったそうです!
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<面白い!>

2017年6月25日

リスペクトのテクニックは、動物にも効果絶大です。
飼い主の脳の電気発作に反応して家中走り回りまわって大騒ぎになるニャンコに使ったら、見事なまでに一瞬で静かになって寝てしまうんです。

それと、爪切りが怖くてなかなか切らせてくれないワンコも、わりと大人しく切らせてくれるようになって驚きました。

もっと色々実験してみたい、めっちゃ便利です。

Amazonレビューより

大嶋氏はこの本の「あとがき」で、「もし、この本を専門家が読んだら『外在化』のテクニックと暗示効果だと指摘されるでしょう・・・」と述べてますが、

外在化とは、「そんなことをしてしまうあなたが悪い!」と相手を責めるよりも、

「あなたの特徴的な遺伝子の遺伝子のスイッチが入ってしまっているから」と、問題の原因を外へ向けることです。

例えば、今、子ども達に大人気の「妖怪ウォッチ」は、

専門家的には「問題の外在化」をうながすストーリー展開だそうです。

<ぜんぶ妖怪のせい? 正しく使おう「妖怪ウォッチ教育法」>

(「問題の外在化」の) 簡単な例としては、節分の豆まきでの一幕があるでしょう。

例えば、学校の先生が、「みなさんの心の中にはどのような鬼がありますか?」と子どもたちに尋ねます。

 すると、子どもたちは、1人でさまざまなことを考えるでしょう。そのあとに先生はきっと「それでは、みなさんの心の鬼を退治しましょう」と言って、先生自ら鬼に扮し、子どもたちから豆を投げつけられます。子どもたちが心の中に抱いていた鬼は、先生という姿になって外在化し、豆を投げつけることで解決していくのです。

 このように、問題の外在化の考え方は妖怪ウォッチの考え方とかなり近いのです。・・・

 妖怪のせいにすることのメリットは責任の所在を明らかにしないことです。私たちは、しばしば、問題が起こったときにその責任は誰にあるのかということばかりに注目してしまう傾向があります。このとき、「人VS. 人」という対立構図になり、結局問題の解決には至らないということに陥りがちです。その結果、問題解決はしていないが、「誰かに」とりあえず謝ってもらうしかなくなるということになってしまいます。

 責任の所在は曖昧なままに、とりあえず謝罪というのは根本的な解決策ではありません。かといって「妖怪のせい」にすることも根本的な解決策であるのかというと、それは断言することはできません。しかしながら、人間関係の維持という点では、後者のほうが問題解決には得策なのかもしれません。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1501/06/news044_2.html

「何でも妖怪のせいでは根本的な解決にならないのでは・・」という指摘であり、

タダ飲むだけで効く、バッチフラワーなんかも一種の「外在化」になるのかもしれませんが、

バッチフラワーを撰ぶプロセスで、マイナス感情への認識(気づき)が生まれ,

そういった使い方をすれば学習効果も抜群ですので、

大嶋氏のテクニックも、バッチフラワーと同じく、解決策に焦点をあてた、実用的で建設的なツールだと思います。

で、ニャンコに速攻で効いた「リスペクトのテクニック」が効く理由は、コチラに詳しく書きましたが、

”尊敬”のナイ世界だと、自分を不幸にする「特徴的な遺伝子がスイッチオン」のままだというのはナンか納得で、

現代人のメンタルが満たされないのは、

「特徴的な遺伝子のスイッチをオフにする”尊敬”に値するような「師」が絶滅危惧種になってしまったからなのかもしれません。

で、解決策として、誰でもイイから、

むしろ気になる困ったちゃんとか、職場のダメ上司とか、イヤな亭主に向かって、

心の中だけで、

「○○さん、すげ〜」と唱えるだけで、不思議と事態が好転していくテクニックで、

実は、私たちは知らず知らずにこのテクを使っているのだと思います。

例えば、ウチのプードル蘭ちゃんのトイレ訓練は完璧でしたが、
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コツは、幼犬の時に、ちゃんと出来た際に思いっきり、
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「蘭ちゃん、すっごい〜」と大げさに拍手して褒めまくってました!

逆にハズした時は、知らん顔して・・・無視、無視。

そうするとホント「すっごい〜」イイ子に育ちますので、基本的に「子ども」は褒めて育てた方がイイと感じましたが、

今思うと、「蘭ちゃん、すっごい〜」と言う度に、飼い主の特徴的な遺伝子をオフにしてもらっていたわけで、感謝、感謝です。

さて、ペットはずっと子どものままでOKですが、
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我が子を「立派に育てなくては」と考え過ぎるちゃうと問題が起きてきます。

<考える必要がない世界>

強迫性障害(完璧主義)の遺伝子のスイッチがオンになっているから、子どもの姿が歪んで見えてしまい「将来、子どもがだらしない生活を送り、果てはホームレスになってしまう」という不安を生み出す。靴を揃えてないだけで「この子が崩壊しちゃう!」という不安に苛まれて「何やってんのよ!」と怒鳴りつけてしまう。

子どもを批判して怒鳴りつければつけるほど、強迫性障害の遺伝子はオンになったままになるから、次から次へと子どものダメなところが目につくようになる。強迫性障害の症状は「私の育て方が悪かったからこうなった!」と後悔と罪悪感の幻想を見せるので、ますます「私がこの子を何とかしなければ!」と強迫的に子どもを躾ようとする。

すると、怒られてばかりの子どもの特徴的な遺伝子のスイッチもオンになってしまい、子どもにチックの症状が出てしまう。自分と同じような症状に苦しんでいる子どもを見て「だから、子どもを産みたくなかった!」と思ってしまう自分がいる。そんな風に思われている子どもの顔が悲しげに見えてしまう。

特徴的な遺伝子のスイッチがオンになって強迫性障害の症状が出ると、このような状態に陥って、そこから抜け出すことができなくなる。

そんな女性に対してある治療者は「あなた自身がお母さんから適切に愛されなかったからこのような状態になったのでしょう」と言う。また、ある治療者は「子どもを愛することができない発達障害の問題を抱えているからこうなっているんでしょう」と判断する。

特徴的な遺伝子のスイッチがオンになっているから、その女性の本当の姿が見えてこない。だから、その人の防壁の状態だけを見て、人は判断してしまう。

そこで「マイクって、すげ〜」で特徴的な遺伝子のスイッチをオフにしちゃえば、その女性の本来の美しい姿が浮かび上がってくる。母親から大事にされなかった愛着障害なんて関係ない。子どもを愛することができないなんて、ありゃしない。

ただ特徴的な遺伝子のスイッチがオンになって、壁ができていて、本当の自分の姿がわからなかっただけ。オフにして防壁を越えたときに、「けっこういいじゃん!」と自分自身のことも子どものことも思えてくるから不思議である。

バッチフラワーでは、「次から次へと子どものダメなところが目につく」強迫的な傾向がアル人に使うレメディはビーチで、

ビーチは「差別意識」や「不公平感」と関係したレメディであり、

ビーチを頻繁に必要とする人は大嶋氏の言うところの、
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「妖怪遺伝子”何で私ばっかり!”」と親和性があるのかもしれません。

<「私ばっかり!」の暴走を止める>

妖怪遺伝子”何で私ばっかり!”のスイッチが入ってしまうと、ちょっとしたきっかけで「私ばっかり損をして!」とイライラッとしてしまう。

このイライラッとするとき、脳内では電気発射が起こっていて、壊れたレコードが「私ばっかり!私ばっかり!私ばっかり!」というフレーズを繰り返すかのように過去の「私ばっかり!」エピソードが連なって言葉が出なくなって固まる。

そして、その出来事は「私ばっかり!」コレクションとなり、後から引き出されてきて「あのときも、なんで私ばっかり嫌な目にあうの!」と怒りまくる。

そんなときは「MTーTL1の還元」を7回唱えるか「○○さんって、すげ〜」を唱えることをお勧めする。心理療法では、過去の体験を引き出し、あえて電気発射を引き起して放電してもらうことで「すっきりした!」となってもらう手法がある。

また、グループ療法などに参加して、他の人の体験を聞いて共感し、脳内の電気発射を引き起させる。複数の人が同じエピソードで電気発射を起すことでお互いの電気発射が干渉し合って、お互いの電気発射の波を打ち消し合うことを目的としていたりする。

私の本では数多くのエピソードを紹介しているが、エピソードの目的は電気発射を引き起こし、特徴的な遺伝子が存在しているかを探るため。過去の不快感で脳内に「ピピピ!」ときたら「あ〜妖怪遺伝子が近くにいるかも!」となる。

そこで「MTーTL1の還元」を唱えてみて楽になったら「妖怪遺伝子”私ばっかり”とお友達になれた!」となる。妖怪遺伝子さんとお友達になれたら「「ピピピ!」が起きなくなる。

レジに並んでいて、おばさんが横入りをしてきた。

以前だったら、「ピピピ!」と脳内で稲妻が起こって、頭の中で殺戮が起きて、プルプルと震えながら「何やってんだ!」と怒鳴りつける。すると電気がおばさんにも飛び火して「何を怒鳴りつけてるのよ!警察に訴えるからね!」と逆に言われる。・・・

「MTーTL1の還元」を唱えて妖怪遺伝子とお友達になれば、それらが一切なくなる。割り込んできたおばさんがいても反応しなくなると、店員さんが「あの、ちゃんと並んで下さい」と自分の代わりに注意してくれるではないか! そして店員さんが「すみません!」と笑顔で謝ってくれる。

「お〜!、世の中ってこうなってるんだ!」と感動する。

妖怪遺伝子の電気発射で周りの世の中の仕組みまで変わってしまっていたことに気づく。何だが生きているのが楽になった気がする。

「気がついたら世界が変わっていた・・」というユルい効き方もバッチフラワーと似ていて、

バッチ博士は心身の不調を引き起す38種類のマイナス感情を特定しましたが、
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38種類の組み合わせ方で、何億通りもの「感情パターン」が織りなされますので、これだけであらゆる感情ピンチに対応可能です。

児童虐待のカウンセリングをしてる方がバッチフラワーの御相談にいらした際、

この本を読んだだけで、

「ピピピ!」の電気発射が起こり、「しばらく鬱になってました〜」と笑ってましたが、

他者のカウンセリングをする人達は常に、

自分の「ピピピ!」に敏感でないと、知らず知らずに身体がまいってしまいます。

それは、職業的なカウンセラーでなくても、社員や家族を気遣う方々には同じことであり、

汗ダラダラな極暑の中、無能な部下や、家事を手伝ってくれない夫にイライラしてしまうのは、

「妖怪遺伝子”何で私ばっかり!”」を受け継いだのかもしれず、

バッチフラワー的にはイラ感にはインパチェンス、

「後悔と罪悪感の幻想」にはパインがよく使われますが、

まずは、

・「MTーTL1の還元」×7回

・「○○さんって、すげ〜」

を試してみるのもイイかもしれませんよ〜


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  1. 問題の外在化は、対極である成功の外在化とセットにしておくと、慢心防止や暴走抑制に効果的かもですネ。(スポーツ選手や芸能人のインタビューとかでお馴染みの、みなさんのおかげさま路線)

    ところでソロパブさんでラーさんとかぶってる感じのオモシロ記事を見つけました。
    http://solopub.blog103.fc2.com/blog-entry-483.html

    先日話した「過去のバリアントのお好み選択」についても少し入ってました。

  2. <問題の外在化は、対極である成功の外在化とセット>

    トラサーでも、天使に感謝・・を推奨してましたネ。

    ソロパブさんの記事は、「独り」好きな自分には読みやすいです。

    <いろんなイメージの組み合わせでできたひとつの世界として現れ、現れるやいなや非物理界に戻る。>

    個々の共有イメージが重なりあって、とりあえず社会的な出来事(地震とかテロとか)が起きるけど、第4密度に近づけば近づくほど、自分のイメージと合致しないことは起きない・・という感じがします。

    ところで、ウィングメーカーさんは未来からの情報とのことですが、何となく寂しげな未来・・というか、人口がすごく少ないような・・・気がしたりします。

  3. いわれて見るとたしかに。。。(・・;)
    ワコールさんやトリンプメーカーさん達と4人ぐらいでやってそうですネ。

    アドレスを貼り付けると未承認になるのでコピペしておきます。(ソロパブさん)

    2014.11.23(日)

    不老不死とは、ヴァンパイアみたく、物理次元に沿って延々と生命が長つづきすることではない。
    直線的、堆積的な時空間がチャラになる。
    そういう意識のありようがあって、そういう意識へ変わるのだ。
    すると脳だとか細胞だとか身体レベルも変わり、
    感覚器官は、物理次元の周波数よりもっと高い周波数の信号を入力するようになる。
    すると、そうした精妙な信号から構成される環境全体が、自分自身の身体や心理も含めて全部、
    全面的に変わる。

    依然として同じ景色がつづいているように見えるかもしれない、が、
    身体の輪郭のホログラム感、外環境と連続している感が濃くなり、
    思考や感情や気分といった心現象が、身体の外で起きている感じがし、
    環境ごと自分だという感覚がわかるようになる。
    そうなると、意識を澄ませていれば、環境は澄んだ意識に同期して、居心地のよい状態になる。
    環境が意識の清明度を示すサインになるといってもいい。
    (意識が澄んでいるとは、心配も期待も混じらない中立なまなざしが透徹していること。)
    これは、「見える非物理存在」である第4密度のはじまりである。

    究極、見える非物理存在と、見えない非物理存在との境界は消失し、
    このときまで不老不死という概念を憶えていればそれを懐かしく思うほど時空間は変わってしまっているが、
    第4密度から第5密度への移行は、「別に何も変わってないよ?」
    というくらいあっけないものになるだろう、たぶん。

    ・・・というようなことを、ここ4回にわたって連続で、しつこく書いています。
    私のチャネリが、曖昧なラフスケッチの細部を徐々にはっきりさせていく形で描かれていったからです。
    またこのチャネリによって、目の黒いうちに『失われた時を求めて』全巻読破とか、
    やりかけて途中で保留にしてあることを完遂するとか、
    そのテの自己満足型コンプリート強迫が大幅に緩和された効果は大きいです。
    目の色は、もしかしたら変わるかもだけど、アポトーシスしようがしまいが、
    私という意識存在が無時間に在るのなら、わざわざ自分ルールで締め切りを設ける必要はないもんね。
    ここ1年くらいの間の私の定番夢として、
    「学校を休んでしまって、勉強が遅れている」シリーズというのがありました。
    無意識から半意識のところで、数々のコンプリートテーマが「なぜ俺様に手をつけぬのだ!」と
    襲いかかってくる、そういう思考の傾き具合を象徴していたのでありましょう。
    それが夢に象徴化される程度には意識化されてきていたわけで、
    ちょうどいいタイミングでチャネリ受信できたと思います。

    スピリチュアルがニューエイジと呼ばれていた時代から、
    精神世界の知識や経験を現実に活かしましょう、という呼びかけは、ずっとなされてきました。
    私は、ずうっとこれを疑問視してきました。
    「現実に活かす」とは、人が無意識に埋め込み設定している常識(集合・集団意識からくる暗黙の制約)
    を解除しないまま、そこには抵触せず、その枠内でその枠に適応させていく力をもったフレーズです。
    「現実」という音と字面に、物理体の生存を最優先事項にし、愛に指向性と占有率をもたせる(その
    結果、愛という音と字面の波動は恐ろしく下がり陳腐化します)古い古い集合意識ルールが、
    飴のごとくべったりとまとわりついているからです。
    実生活とか実人生という言いかたも同様です。
    その適応への促進力が強力に働くので、
    自己啓発系の本を読んだり、デムパなセミナーに参加したり、デムパな個人セッションを受けたり
    したあと、
    即日「ありがとう」を連発したり、転職の準備をはじめたり、ボランティア活動に参加するなど、
    自ら行動を起こしてしまうのです。
    物理世界を“いじって”変えていこうとする方向に走るのですね。
    たとえいくらか考えた末であっても、こうした行動を起こす動機は、
    自分と環境が対立した状態で、物理体枠の自分が環境への反応として生じさせる思考や感情や気分に
    由来していて、
    物理体の私という、「私」のごくごく一部から発想されたものです。
    なので、最初のうちは楽しくても、無意識ゾーンにある埋め込み常識を超えられないので、
    いずれ元のステージに戻ります。
    悩みの形が変わるだけで、悩みそのものは消失しません。
    これは、まだ第3密度の窓から第4、第5密度をのぞいている段階の発想パタンです。

    私には、もう現実に活かそうなどという魂胆はございません。諦めました。
    そのほうが精神衛生上もよろしい。

    非物理世界が物理場に反映されてくるとは、
    見えない場の動きが、現実を否応なく動かすということです。
    現実を現実たらしめている埋め込み常識も含めて、根こそぎ変わるということです。
    ただし、見えない場の動きは精妙、繊細なので、変化の幅は微小です。
    自ら行動を起こす場合のように、派手ではありません。
    わずかに変化して、わずかに変化して、またわずかに変化して、
    しかも1個1個の変化はバラバラ、直線思考で加算堆積していかないのだが、
    はっと気がついたら自分も周りの景色も一変していて、
    しかもずっと前からこうだったような気がしているという。

    たとえば、先日、こんなことがありました。
    仕事関係の資料に、これはまちがいなんじゃないか? と思える箇所があって、
    メールで伝えると説明が長くなり、何度もやりとりすることになる感じの内容だったので、
    担当者に電話したのですが、別の電話に出ているだの打ち合わせだので、なかなかつかまらない。
    ところが、折り返しの電話待ちの間に、ちょっとググっただけで、
    検索結果の1ページ目に、「キミはこれが知りたいんだろ?」と言わんばかりのヒントが出ており、
    質問がうんと絞りこめたために、
    担当者が電話してきてくださったときには、1分程度で問題が解決したのです。
    もし、すぐに電話がつながっていたら、正誤確認に1日くらい費やしていたかもしれません。
    また別の例。
    ある人に、小額のお金の振込を依頼しようとしていたとき、
    「それはx銀行じゃなくてy銀行のほうに入れてもらおう」という直感が働いた。
    それで、このときは理由が不明なままy銀を指定したのですが、
    後日、y銀から引き落とす支出が生じて、先の指定が都合がよかったことが判明しました。

    こういう、1つ1つ挙げていったら些細で地味な出来事が好循環していく。
    論理的な理由がわからなくてもサインに応えるという程度の思い切りは必要ですが、
    たいそうな勇気や、努力は要求されません。
    必要なのは前向きな行動力じゃなくて、
    いつでも応えられる、リアクションできるという受け身の機動力。
    サインが来ていないときは、ああしようか、こうしようかと思案したりせず、
    昼行灯モードくらいでちょうどいいんじゃないでしょうか。
    エスカレーターや動く歩道に乗るような感じ。
    だとしても、床からエスカレーターや動く歩道に移る最初の一歩は必要なわけですが、
    この自然な一歩が、アルクトゥルス人のモナ@アマーリエが言っていた
    「プレゼントの包みを開ける」という行為なのでしょう。
    (前に、物理場とは「プレゼントの包みを開けて、使ってみたり味わってみたりするところ」
    と言われたことがある。)

    2014.11.27(木)

    物理世界だけが全世界だと信じ込んでいる統覚意識のことを、スピリチュアル業界用語で
    エゴといいます。
    信じ込むという意識作用が働くこと自体、物理ではないし、
    物理世界だって、記憶の切断面という形で意識に映った五感反応つきの3D映像なのですが、
    この3D映像サイドをいろいろな現象が生じる原因(主体)とみて、
    思考や感情などは脳や神経という3D映像の作用から発生する結果(客体)であるというように、
    主客をぐるんと転倒させると、
    3D映像も含めた意識宇宙全体の中心点であるはずの統覚意識は、
    3D映像の一部分である身体に隔離され、この映像の外とは接続できなくなります。
    このスタンドアローンになった統覚意識のことをエゴという。

    業界の内外を問わず、ネガティブな文脈で用いられて低波動まみれになり、
    原語のラテン語の響きの美しさを微塵もとどめていないので、
    私的には好もしくない用語ですが、便宜上、やむをえずこの用語を用います。

    エゴ化した統覚意識の最優先事項は自身の生存であり、
    自身の生命はもちろん、物でもお金でも権利でも、何であれ失うことが大嫌いです。
    それは、エゴ化した「私」が宿る物理体を失いたくないから、ではありません。
    逆に、物理体に宿る「私」を失いたくないからです。
    エゴ化した「私」が自身の物理体と、その燃料供給源として定義している環境のケアに必死になるのは、
    物理体や環境が損なわれると、そこを根城にしている「私」が損なわれるからです。
    つまり、エゴ化した「私」が本当に死守したいのは、「私」という自己意識のほうなのです。
    なんと、主客を転倒させて物理世界に引きこもっておきながら、
    そんなねじれた形で非物理存在であることがのぞいてしまうとは・・・(書いていて思ったのだが、
    主客を転倒させて物理世界に引きこもる、とは、「天岩戸神話」を彷彿とさせる)。
    したがって、エゴ化した「私」は、「私」意識の見直しや再構築を迫られるセルフイメージの変化も嫌い。
    よって、過度な幸運も、不運同様に退けようとします。

    しかし、エゴ化した「私」が運営する世界は(本人には自分が運営している自覚はなく、外環境に対処して
    生き残りをはかっているつもりでいる)、
    非情にも、放っておくと右肩下がりに落ち目になり、崩壊していきます。
    それはほかならぬ「私」自身の運営方針に起因している。つまり、
    何でもかんでも失うことを怖れているので、あらゆる現象が喪失という方向からとらえられ、
    その結果、何でもかんでも失われていくのです。
    財布から200円出して牛乳を買えば、手に入った牛乳より、出て行った200円のほうを気にかける。
    しかも牛乳は数日で消費してしまうし・・・そうなると、200円払ったあげくに牛乳もなくなるのだ。
    森羅万象、こういう目線でとらえていれば、万事が下降線をたどります。
    こういう盛者必衰の世界において、「私」意識を必衰から守るにはどうすればよいか。

    エゴ化した「私」は、自分よりはるかに長つづきしそうなものに、「私」意識を投企します。
    子や孫の行く末、地域の行く末、職業の行く末、国家の、民族の、地球の未来だとか。
    子孫も地域も職業も国家も民族も地球も、物ではなく定義された概念なのですが、
    エゴ化した「私」は、これらを物の裏づけがある実体だと思っています。
    これらの概念に自分を同化させて、
    物理体はアポトーシスしても、「私」意識のほうは、なんとか足跡や余韻として留めようとするのです。

    だが、エゴ化した「私」のとり決めによれば、
    そもそも子や孫、地域、職業、国家、民族、地球等々は、「私」とは切り離されていて、
    「私」の思いどおりにはならない外環境でした。
    もともと自分と分離していて思いどおりにはならないと決めた外環境に自分を融合させ同化させて
    いこうとする。
    もともと自分で「ありえない」と決めたことを願うのですから、その願いは妄想になります。
    妄想とは、うそ偽りの想念、決して実現しない思いという意味であり、
    自分で仕掛けた矛盾によってそうなるのです。
    また、この矛盾は葛藤を生み、汲めども尽きない悩みの種となります。

    このように、エゴ化した「私」は、大なり小なり、妄想を抱かざるをえない構造をもった存在です。
    (これはウロ憶えなんですが、
    ユング派心理学の元型概念では、たしか自我は「英雄」アーキタイプであったと思います。
    ゆえに、何か大いなるものに憑いて、大義を掲げててっぺんをめざそうとする。)

    では、物理世界に引きこもるのをやめて、
    非物理世界に対してオープンになれば妄想はなくなるのかというと・・・そういうわけにはまいりません。
    いわゆる覚醒とかアセンションした状態というのは、
    しょっちゅう生じる思考や感情や気分も含め、もっと精妙で形象化できない波動から虚空に至るまで、
    形にならない側が形を造ると全身で知っていて、
    心配にも期待にも傾かない中立な意識にとどまりつつ、
    常に完了形で形になる現象を見守る姿勢になる、
    そんなふうに、転倒した主客を元に戻した状態をいいます。
    非物理世界に対してオープンになったとしても、常にそういう状態でいられるとは限りません。
    時空間の動きが自在な非物理世界は、物理世界のように継続的、固定的な場面展開はしないので、
    そのときどき、どこに意識の焦点を絞るかによって、その様相がコロコロと変わります。
    で、物理体をもった存在の場合、主客が時間差をつけてコロコロ変わるということがある。
    どういうことかというと、
    あるとき覚醒していたかと思えば、5分後にはエゴ化した「私」が復活している、
    というようなことが起こりうる。
    「悟った状態はあるが、悟った人はいない」と言われているのは、そういうことです。
    エゴ化した「私」はひとつの存在様式ですから、
    その様式をオフにすることはできても、様式そのものを抹消することはできません。

    なので、覚醒状態で受けとった情報を、
    エゴ化した「私」の状態で翻訳したり活用したりする、という事態も当然起こりうる。
    エゴ化した「私」は妄想的ですから、アウトプットされたものも当然、妄想風味になります。
    というか、エゴ化した「私」目線で視ると、非物理世界は妄想素材に満ち満ちた大海原ですから、
    100%唯物論者であったときより妄想にターボがかかるケースも珍しくありません。
    実際、私は、名作思想小説『天皇ごっこ』(見沢知廉・著/新潮文庫)に描かれた、
    右や左の壮大な使命ヴィジョンと酷似したテイストの文章に、
    デムパ系の書籍やウェブサイトなどで遭遇したことがございます。

    そんなこんなで、いったん非物理世界を知ってしまったら、
    中立なまなざしを保つこと、
    着地している次元の現象を観察すること(過去に歪んだことを考えていれば、歪んだ形で完了している
    はずだから。変だと感じたら“現実”をいじらずに見方を中立に戻す)、
    この2点がすごく大事なのでした。

    なんでこのテーマで書いたのかというと、
    先日、高次地球にいる私のツインフレームAと長いやりとりをしていて、
    「このネタって・・・『ムー』(雑誌)めいてるよなぁ」と思ったので。
    非物理存在と通信していると、ときおり、
    今の自分の生活とは何十光年もかけ離れているかに思えるオカルト情報がもたらされることがあり、
    それだって意識の底流というベースのところでは生活とつながってはいるんだが、
    そういうのは、気をつけていないとスルっと自分に心地のいいファンタジーになってしまいます。
    ひとつの目安として、
    何らかの物理的な形(音声、文字、デザイン、行為への示唆など)に翻訳されたさい、
    興奮したり高揚したり、感情的に訴えるものがあったりしたら、注意したほうがいっすね。
    物理世界の感覚を基準にすると、高次のヴァイブレーションって、とても静かですから。

    11月29日(土)

    『天皇ごっこ』は、右からは懸想、左からは憎悪という形で噴出する、
    共同幻想という名の妄想存在(だって全然「共同」じゃないもの)としての「天皇」への萌え、
    強大な権力を夢視ることの甘美さ、
    それと強大な権力に呑まれることの甘美さを、
    獄中や病棟内や闘争の現場など、さまざまな状況をとおして描いた小説です。
    これはデムパ的に読んでも凄いです。
    たとえば第4章、
    医師のカウンセリングを受けるパラノイア患者T氏の台詞、
    「僕は天皇になりましたからね(傍点つき)」
    ここ、願いは完了形で述べるべしという定石を踏まえてるし、しかも宣言文だ。
    T氏いわく
    「天皇は現世的強者であるメシアを超える霊的強者であり、
    単に政治的権力として君臨するだけでなく、
    代々大嘗祭で天照大神の直系子孫の神霊が憑依し、霊性の主宰者になる。
    天皇の本質は天皇霊の継承にこそある」のだそうで、
    自身は、
    「あたかも空海の口に日論が飛び込んだように、
    彷徨う天皇霊(ニニギノミコト)が私の口のなかに飛び込んだのです」
    という論法によって、私=天皇なのだそうだ。
    (以上、カギカッコ内は要約しています。)

    近い近い(笑)。まじで紙一重です。

    • <覚醒状態で受けとった情報を、
      エゴ化した「私」の状態で翻訳したり活用したりする、という事態も当然起こりうる。>

      チャネル自体がどの程度の「私」であるかが重要ですネ。

      以前、ペルラムさんにキネシオロジーでチェックした際にアイクさんもホーキンズ博士も基本的には400でしたが、ソロパブさんの言い回しには、全体に、理性を越えた「冴え」感じます。

  4. 前後逆になりますが、こちらもどうぞ。(・o・)ノ

    2014.11.6(木)

    胸の中央あたり(ほかのポイントでもいいけど)。
    無風で、静かな中心に注意を留めてみる。
    ここは瞑想の中心。
    時間化していません。不老不死です。

    私はここにいながら、これをして、次はあれをしてと、何やかや処理しています。
    波紋を時間化している。
    ふたつの状態に分かれているようで、じっつに奇妙です。

    死ぬとどうなるの? と、たまたま通信がつながっていたシリウス人のソファイアに問えば、
    「ポアント(爪先)で立っていたのが、踵が床に着く」と。
    それだけ?
    「うん、それだけ」
    それじゃ、ほとんど変わらないじゃん。
    「うん、変わらないよ」
    ひとつの部屋から、ドアを開けて別の部屋に移るようなものだという仮説があるけど、
    踵が床に着くだけってのはさらに省エネじゃん、と聴いたときは思ったけど、
    中心は不動で、時間化された波紋が撤収されるだけならば、この喩えで適切なのかも。
    そもそも、はじめから踵を床に着けていれば、不老不死なのかも。

    ところで、不老不死という四字熟語には、なぜかネガティブな響き、
    強欲で利己的で自然に逆らう感じがまとわりついてるよなぁ、なんで? と思っていたら、
    これについてもソファイアが応答してくれました。

    S「ヒト類の個体にはアポトーシス(プログラムされた細胞死)が組み込まれてるからだよ」
    みけ「アポトーシス? 個体の成長や生存のために細胞が自死するという、あれですか?
    ああ、それは、ヒト類が種を単位としてひとつの宇宙を構成する生物だから?
    種という主体を生かすために、個体が細胞のようにアポトーシスするってこと?」
    S「実態はちがうのにね。植物や動物だったら、ひとつの種=ひとりの“私”だけど、
    地球人は個々人に“私”という統覚意識があり、個々人がそれぞれひとつの宇宙を開いている。
    なのに、物理体は動物仕様のままだから、世代交代がプログラムされてるんだわ」
    みけ「世代交代なんかしてないじゃん。赤ん坊が生まれると、新しいイノチの誕生とかなんとか
    言ってるけど、みんな古いイノチじゃん。古いイノチがぐるぐるめぐってるだけだっての。
    なんでそこだけ動物仕様のままなんですか?」
    S「種の意識、集合意識が残ってるからだよ。
    それを任意に引き出して使える便利なデータファイルとしてではなく、
    準OSみたいにしてがっつり機能させてる。
    集合意識は個体より上位レベルの意識だから、通常は認識されていません。
    細胞が個体を認識することなく、無意識に、自動的に機能するように。
    だから、ヒト類にとっては死が深刻な出来事に映るわけよ。
    本当にアポトーシスだったら、個体が解体されても種には影響しないから深刻じゃない。
    けど、ヒト類は個体が統覚意識の単位なのに、アポトーシスを組み込んでるから、
    個体の死が世界の終わりくらいの重さで受けとられてしまう」
    みけ「人間は、そもそもリラ人の一グループが自分たちが物理場をもつための乗り物として
    造ったんだよね? ハイレベルな素因子情報工学の技術をもつシリウス人グループの協力を得て、
    超高速で霊長類からゼータ型仕様のヒト類まで進化させた。
    ここにリラ人が乗っかってる間は、リラ系地球星人だったんだけど、
    そのリラ人たちが第5密度に昇天して去ったあと、もとの霊長類まで戻るはずだった。
    けどプロジェクトに協力したシリウス人グループが時限解凍工作を仕掛けたために、
    ヒト類は霊長類には戻らず、ある時期を境に個々人バラバラに統覚意識をもつ地球星人になった。
    この経緯は、旧約聖書の創世記のエデン追放物語に象徴化されてますね。
    バラバラになった段階で、種の意識=集合意識のコードは切れなかったのかな」
    S「切れなかった。思いのほか、地球星人の種への回帰志向が強かったから。
    これは霊長類時代の種としてのワンネス意識への回帰志向、懐古感情といってもいい。
    ゆえに種の意識=集合意識が残り、継承され、物理体は動物仕様のままになっている。
    ただ、プロジェクトに協力したシリウス人たちにしてみれば、ここはさほど問題じゃないと思われてたの。
    ヒト類が自分たちは地球星人だと気づくまでには、5~6回転くらいの世代交代はあるかもしれない、
    だけどいったん地球星人だとわかったら、ほかのヒューマノイド(星人)と同様、あとは1人1回ずつ
    (第4密度の)物理体になって、それで完了すると予測されていたし、
    もしその時点でまだ集合意識が残ったとしても、
    種としてまとまって、集合意識ごと第5密度に移行する方向に行くなら、それもアリだな、と。
    実体(意識)は地球星人なのに物理体は動物種のヒト類という、
    この中途半端な状態のままループ(輪廻)してフリーズするという展開はまさかのまさかだった」
    みけ「ループというのは、記憶モジュール(魂)が分化して別々の物理体に発現するという現象を、
    直線時間軸に沿って説明した言い方だよね。
    これがはじまるのは、ある時期から、物理体の数が記憶モジュールの数を超えてしまったからだと
    アリョーシャ(宇宙人版の私)から聴いているんですが。
    入れ物がどんどん増えて、中身が足りなくなり、中身を分けて入れざるをえなくなったって」
    S「“神”を名乗って、ヒト類の集合意識を乗っとり、操作する存在群が現れて、
    彼らは作物を増やすようにヒト類を増やそうとしていたから、
    集合意識の生殖や受胎のサイクルに関係する部分を改変したんだよね。
    それだけじゃなく、いろいろと自分たちが操作しやすいような仕掛けを施している。
    集合意識を乗っとるというのは、
    ヒト類が、ひとつの種としてもっている“私”という統覚意識をすり替えるということです。
    われこそがあなたがたを統べる“私”であると僭称する人たちが現れて、
    ヒト類は、この人たちの意思が集合意識の意思であり、
    この人たちの指示にしたがうことが全体に貢献することだと勘ちがいしてしまった。
    両者の関係は契約にもとづいていたとはいえ、
    ヒト類にとっては、自分たちの文明が崩壊して、ほかに選択肢がないと思わされるような状況でなされた、
    情報公開なき同意だから、フェアとはいえません。
    それでも、“私たちはあなたがたのエネルギーがほしい”と申し出られて、交換条件を呑めば、
    そういうことも起きる。
    これは、非物理界へと意識を開いていく方たちに気をつけていただきたいところです。
    宇宙は倫理では動いていないからね。
    より強い意思が実現するという、ある意味、弱肉強食なんだから(笑)」
    みけ「そこは、地球ヒト類の人たちにはすごくわかりづらいところかもしれない。
    意思の弱肉強食と愛は矛盾していないってこと。
    愛って、ヒト類社会でいうねばねばした情愛じゃなくて、あの、例の周波数ゾーンのことですが」
    S「そう、愛と称されている周波数ゾーンにもとづく意思が最強なの。それだけのこと」
    みけ「昔から、ヒト類社会で言われている死って、なんかすごく大げさに盛られてる感じがしてたの。
    というのも、自分はじつはずっと死んでいて、今、起きている出来事は、すでに終わっていることが
    再生されているだけなんじゃないかっていう気がしてたので」
    S「あなたは、物理体をもつ高次存在(第4密度)から第5密度に移行するのを、一度経験してるからね」
    みけ「地球じゃない星で物理体になったときのことですか?
    必要とするエネルギーがだんだん少なくなって、あるとき、“えー、これだったら身体があっても
    なくても同じじゃん”という感覚になり、と同時に霊になってた、みたいな。
    なんつーの、ナチュラル即身成仏? けど、実感としてはよく憶えてないんですよ。
    記録には残ってるけど」
    S「記憶に残らないくらい自然だったからだよ。霊になる前から霊に囲まれて暮らしてるから、
    ビフォーとアフターで何も変わらないし。
    そうなっているからこそ、自然に移行できるんだよね。
    第3密度からいきなり第5密度には移れない。
    物理体をもっている間に、非物理界のほうに軸を移しておく必要があります」
    みけ「自分がまったく独自の意識宇宙を開いている存在だって、
    これは日常生活のなかの対人関係からだけでも推察できることだと思う。
    みんなバラバラで、誰ひとり、他人と意識を重ねられる人はいないんだから。
    地球人は太陽系地球星人であって、ヒト類じゃないよ。
    ヒト類というフィクションを信じ込み、そのバーチャル種の集合意識にわざわざ制約され、
    アポートシスまで敢行するって、なんかすごい離れ業だわ」
    S「もう、やめようと思えばいつでもやめられますよ。やめるのも自由、つづけるのも自由」

    2014.11.10(月)

    太陽系第3惑星で、ゼータ型仕様の物理体を構成して住んでいる存在たち=太陽系地球星人。
    大枠では金星人や土星人などと同じく、太陽人。
    その多くは、なぜか自分はヒト類(霊長目ヒト科の動物)だと信じ込み、
    意識は個体ごとに分離しているにもかかわらず、
    動物種としてのヒト類の生存様式で棲息している。
    地球星人なのに、信じ込めばヒト類の生存様式が採用できてしまうということ自体、
    ヒト類でなはく地球星人の証なのに、このアクロバット的反転にも気がついていない。
    のみならず、他の動植物や鉱物にはない、独特の直線等速進行する時間展開を採用して、
    直線等速ビートにしたがって右肩下がりに劣化していくという公式を織り込んだ、
    正六面体のごとき仮想世界のメンテナンスに熱中しています。
    聴こえてくる労働歌は「今日は昨日のつづきなり(成り)、今日は明日につづくなり(成り)」
    (ちがうって。今日も明日も全部昨日に属していて、昨日からいきなりx日に跳ぶんだって。)

    私は今年の11月2日の夜に、この正六面体の一面いっぱいに「革命」という文字が書かれている(笑)
    夢を視ました。正六面体の正体はデータの束、分厚い本です。

    星人、星の人。ヒューマノイド型宇宙存在。
    それは恒星の意識の周波数を組み込んだ存在です。
    惑星や衛星に降りていれば、その惑星や衛星が組み込んでいる恒星の周波数帯に着地(グラウンディング)
    しています。
    星人は、恒星の意識に通じる回路をとおして銀河系に、銀河団に、超銀河団に、さらにはそれを超える
    構造へと開かれていて、
    たった独りで900億光年を超える広がりを体現しています。
    場を自在に動かせるので、場の変化(時間)も自在に造りだすことができます。
    宇宙の全景は星人が紡ぎだす夢であって、
    夢の素材にはこと欠きません。
    したがって、エントロピーの増大が臨界値に達して衰滅する、などということはなく、
    生存ための燃料を補給するのに苦心することもない。
    衰滅しないのですから、基本的には次世代をつくることもしません。
    ただし物理体をもつ場合、降りる惑星や衛星によっては、多数の星人が一度には降りられないので、
    他の星人(多くは同じ恒星に属する存在)を降ろすための架け橋になることはあります。
    この場合、架け橋になるだけなので、配偶子は不要であり、ひとりで次の星人を誕生させます。
    物理体をもたない存在でも、素因子(エーテリックDNAなど)を組み換えて変容するために、
    求める素因子をもつ存在に触媒になってもらう方式を用いることがあります。

    要するに、平たくひらた~く言ってしまうと、
    星人=ヒューマノイド型宇宙存在は、不老不死だし、子どももつくらない。
    食い詰めることもない(最終的には恒星のエネルギーだけで生存可能になります)。

    そうして、あるとき、物理世界と非物理世界が同じ密度で重なっている感覚になり、
    「あれっ、何も変わらないじゃん?」となって、
    周りの光景全体まるごと非物理世界へ移行する。
    第5密度という、非物理世界をベースとする存在様式に変容するのです。
    在地球宇宙人、たとえばアルクトゥルス系地球星人の場合だと、
    太陽系地球がどんどんアルクトゥルス系地球化していき、
    「何ここ、アルクトゥルスと同じじゃん?」となったとき、
    いつのまにか同胞にとり巻かれて「お帰りなさい」と言われ、アルクトゥルスもしくは宇宙船に
    戻っているという図式になります。
    じつはヒト類として死ぬというのは、この移行を時間をかけて緩やかに劇的にすることなのですが、
    物理世界だけを唯一のステージとして生きていると、移行したことに気がつかないので、
    依然として物理体を志向する状態(第3密度)にとどまることになります。
    とはいえ、そういう人たちをサポートする存在たちもいるし、
    現在では覚醒待ちの人たちが滞在する快適なホテルみたいな場所もあるらしいので、
    いたずらに彷徨うはめにはならないのですが。

    一般常識的にいって、突拍子もない話ですわな。
    しかし私は、自分が何星人であれ、すごくワクワクしていますよ。
    ヒト類的な常識を、現代の神学といってもいい自然科学すら突き抜けて全部とり祓ったとき、
    どんな世界が開けてくるのか。
    それって、ヒト類的常識を前提として出てくる発想とか思想とは、もう根底からちがってくるだろう。
    そのわからないところ、想像しがたいところに、とてもワクワクしてるの。
    何か突拍子もない説に出くわしたとき、
    「そんなバカな。ありえない」と撥ねつけてしまうと、そこが自分の限界になるんだよね。

    ただ私は、自覚できるいちばん深いルーツはアルクトゥルス系のグループ意識までだから、
    銀河団とか超銀河団の世界になると、まだわからない。
    それで、シリウス人のソファイア先生に、
    「じゃ、連れてったげよか。いっしょに行く?」と訊かれて、
    「行く、いっしょに行く行く!」(←ああエレキテル連合が止まらない)と即答し、
    ケンタウルス座の方向にあるといわれている、
    天の川銀河を含む超銀河団のアトラクター(重力の中心)まで突っ込んで、
    ふほおおおお☆(@@)☆と驚愕したのはいいけんど、
    遠すぎ、また絶景すぎて3Dの視聴覚記憶には残ってないの・・・ざんねん。
    それで、アストラル旅行から戻ったあと、ネットでいくつかの銀河団の画像を鑑賞しました。
    こんなものが「私」に含まれているとは、正直まだ信じがたい。ため息

    2014.11.15(土)

    「くぉら、実感にそぐわないことを書くな。ソファイアは見逃してくれたかもしらんが、
    俺はそうはいかんぞ。知っていることを、なぜ知っていると明言しない?」
    と。シリウス人のソフィア先生に叱られてしまいました。
    先の記事「星の人」のなかで、「突拍子もない話」と記した件です。
    それはヒト類社会の一般常識として突拍子もないということであって、自分は非常識のほうが常識だと
    知っているくせに、ビクついて同調するようなこと書くな、と。
    「私とAとゾフィー(Aは高次地球にいる私のツインフレーム存在、ゾフィーはAのガイド存在)が、
    もうヒト類のマーケティングはしなくていいと伝えたでしょう」
    「だって・・・不老不死とかっていうのはちょっと、その、信じがたいというか失笑ものっていうか」
    「だってもクソもあっか!(キモいヲネエ台詞で)“こんなネタ、まともな人が見たらどう思うかしら?”
    って、そういう反応窺いがノイズになるんだよ。あんたがアウトプットするものはこっちに筒抜けなの。
    知っていると言い切れるほど本当に確信がもてていないのかどうか、胸に手を当てて訊いてみ?」
    うへえ。感電しそうなお説教を1時間くらい浴びたかな。お説教の波動が高すぎて肩凝っちゃったけど、
    マッサージ効果のあるクリスタルを足元に置いて寝たら治ったぴょん。あ、ちゃんと反省はしてるぴょん。

    えっと。ヴェーダンタのマスターの格言に、
    「人が年をとって死ぬ唯一の理由は、他の人が年をとって死んでいくのを見るからだ」
    というのがあるそうです(出典:『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』ディーパック・チョプラ著)。
    これは本当です。

    他の人や動物が老衰で、あるいはほかの理由で亡くなったとき、実際には何が起きているのかというと、
    自分の周囲の世界の構成要素であったその人、その動物の生体反応がなくなり、機能停止した。
    それだけです。
    以後、過去の記憶系にあるように、物理体をもったその人やその動物が居たり動いたり発声したり
    することはない。
    誰かが亡くなったときの場面も、それ以後の場面も、
    物理場は(多くは半意識状態で)認識されるつど現在完了形で現れ、
    そのつどまったく新しい世界として現前します。亡くなる前からずっとそうでした。

    物理場で五感で感知している他者とは、人でも動植物でも鉱物でも何であれ、
    別の宇宙(他者が個体もしくは類を単位に開いている宇宙)の周波数の一片を、
    自分の宇宙固有の周波数に移調して、かつ編集、翻訳し、自分の物理場に反映させている現象です。
    「私」という統覚意識を物理体を超えて広げたとき、
    そういう在りかたで、他者とは自分自身です。

    自分も、別の宇宙(他者)に周波数のサンプル採取を許可しており、
    そこでは別の宇宙版の何某として属しています。
    ヒトとは限らないよ。動物かもしれないし、物かもしれない。
    (これについて、豹専務に「あなた、別の人の世界ではコピー用紙になってるかもしんないよ」
    と言ったら、「ええっ、ヤダ。うんこしちゃえ」って返された。コピー用紙のうんこって・・・?)

    その他者が亡くなる、または失われるとは、自分の宇宙の内にある物理場が変わるということです。
    にもかかわらず、ヒト類は、この物理場の変化に対し、
    「あのようにして自分も死ぬ。この世界からいなくなり、いなくなっても世界はつづいていくのだ」
    と、4回転ジャンプ級の解釈を施しています。
    また、誰それがいなくなってしまった、何々を失ってしまったと誤解して、嘆き悲しんだり。
    はじめから誰それ、何々は自分以外の何者でもないというのに。
    もしそれを誰それ全体、何々全体の一片として分離して見立てるのであれば、
    その存在を軸とする本来の宇宙に、その一片が還っていったとするべきでしょう(これが故郷の星に
    帰るとか、成仏するとか言われている見かたです)。

    こういう4回転ジャンプ級の解釈が可能になるのは、
    個体単位で意識が分離しているために、自分の環境で起きる偽アポトーシス(細胞の計画死に似せた死)を、
    個体が開いている一個の世界の終わりとダブらせることができるゆえです。
    種だとか集団を単位とする意識存在であれば、近くにいる物理体のアポトーシスは、
    ひとつのシステム内で起きている現象であって、一個の世界の終わりとはなりません。
    ヒトが白血球の死(これは肉眼では見られませんが)の延長に自分の死を想像したりしないように。

    私たちが見聞きしている現象は、環境に属する他者の死であって、
    それは自分の死とイコールでは結べません。
    自分という存在は、物理体が不可逆的に機能停止したからといって、いなくなりはしないのです。
    そんな甘いものではないのです。
    自分の物理体が機能停止しても、自分を含めた周囲の世界はそのままつづいていきます。
    ただし、物理場をクローズしていて、物理場には着地していないので、
    「自分の与えたものが返ってくる(=自分の与えた定義にしたがって世界が形成される)」
    という法則が、
    物理場をもっていたときに採用していた物理法則によって緩和されずダイレクトに作用しはじめる。
    それで、そのときの思考、感情、気分、気配などにしたがって、世界の景色がぐるぐると変わります。
    多くの場合、もう自分が非物理存在であること(物理場にはいないこと)には気づいておらず、
    これまでどおりの物理世界がつづいていると思って生活しているつもり、なのだが、
    時間は飛んだり遡ったりするし、ちらっと頭に浮かんだだけの場所に即移動しているし、
    何かが、どこかがヘン。しかし、なんでこんなことになっているのかがわからない。
    過去の記憶系や、自分が感情移入して(周波数を合わせて)創造した別人の記憶系を行き来している
    その感じは、眠っている間に視る夢の世界に似ています。

    この人たちには、何度となく物理場に戻る機会が、あらかじめ用意されています。
    かつてヒト類を物理場に閉じ込め、つらい経験をたくさんさせて、
    そのネガティブな念の強度で自分たちの力を確認するという、うっとうしいことをやっていた存在群が、
    1つの記憶モジュール(魂)を数多くの物理体に分けて発現させる(そのために物理体の数をどんどん
    増やす)という方策をとり、
    ヒト類は彼らをヒト類全体を統べる意識だと勘ちがいして、それに同意してしまいました。
    彼らのこしらえたループ構造は、彼らが去っても残っています。
    それで、だんだん、これは別の世界に紛れこんでしまったのかもしれないとか、
    自分は眠っていて夢を視ているのかもしれないとか、何かがおかしいと気づきはじめたころ、
    「いかん、もとに戻らなければ!(目を覚まさなければ!)」と思うと、それが合図になって、
    物理場を再開する連絡口が開き、ほぼ自動的にトコロテン式に次の物理場に送りだされていく。
    次の物理場は前回より未来とは限りません。同時代かもしれないし、平安時代かもしれない。
    人によっては、宗教などの信念体系の影響を受けて、評定や審判といったプロセスをへる場合もありますが、
    それも本当は自分で自分に課しているもので、
    評定の成績がどうであろうと、あらかじめ用意されたループのなかで行き先が決定します。
    次の物理場では、他の物理場でやっていることは全部忘れてしまうので(これは1つの記憶モジュールを
    あらかじめ分断して振り分けてあるため)、振り出しに戻って乳児からやり直し。
    ヒト類の集合意識が鉄則にしている生病老死パタンを再びスタートさせます。

    物理体 → 非物理体 → 物理体 → 非物理体・・・(延々)。
    この間、「私」という存在はまったく途切れていません。
    この、途切れていないことに気づくというのが、ループから脱出するコツなのです。

    ヒト類の暦でいうと20世紀の終わりから現在にかけて、
    惑星地球の波動が非常に高くなって、そのおかげを被ってヒト類集団の波動も多少は底上げされたので、
    ループから自由になるための助言、カウンセリング、ヒーリングなど、
    サポートが多々なされるようになっています。
    ただ、サポートを活用するには、サポート存在の呼びかけに応えられる程度には、
    非物理世界に対して肯定的である必要があります。
    上記の、物理場を閉じたあとの状態については、亡くなった友人から情報を得ました。彼女は、
    「何が起きたのかまったくわからない。衣食住には不自由していないし何も困っていないけど、
    どうしてこうなっているのか不明で、考えようとすると意識が拡散していく。ぼーっとしている」
    という状態だったのが、天使存在とアルクトゥルス存在の助けを得て、物理場を閉じたことを理解し、
    前回と同じ物理場に降りて修正するか、
    非物理世界をベースとする存在(第5密度)に移行するかの選択肢を提示されて、後者を選びました。
    サポートをきちんと活用すれば、
    前者を選択する(ループのどこかのポイントを選んで再生する)場合には、
    必要に応じて記憶モジュール全体のどの部分にもアクセスできるようにして再開できます。

    さて、もし物理体でいる間に、「私」という統覚意識を非物理世界まで広げていれば、どうなるでしょうか。
    物理体の私と、私の周りの環境は、そこを含む非物理世界の私の反映であり、
    見えない私のほうがはるかに深く広大で、そちらがメインなのだと知っている。
    これは、第3密度と第5密度の中間の第4密度と呼ばれる状態です。
    非物理世界の私の意図が、物理場に反映されるまでの速度がゼロになると、
    物理場は自動的に非物理世界に回収されて、第5密度に移行します。
    第5密度は、
    物理体 → 非物理体 → 物理体 → 非物理体・・・の非物理体のとき(いわゆる中間生)と
    似ていますが、
    ①ベースに着地している感覚がある、
    ②浮遊する感情体や思念体に引きずられない、
    ③自身を含む環境全体を自覚的に創造できる、
    という点において、中間生のときとは全然ちがいます。
    また、③の環境全体が自分であるという感覚は、第4密度のときより濃厚になります。

    この第4密度から第5密度以後のゾーンが不老不死の内実です。
    自分という存在が消失しないという点では、ループしていようが何密度であろうが、
    本質的に不老不死であることには変わりありませんが。

    2014.11.19(水)

    前回の記事(11月15日「あの世がこの世である話」)で、矢印を使って図示した部分を
    下記のように訂正します。

    × 物理体 → 非物理体 → 物理体 → 非物理体・・・(延々)

    ○ 物理体∈非物理体 → 非物理体 → 物理体∈非物理体 → 非物理体・・・(延々)

    下の図だと、「私」という存在が一度として途切れていないことが、よりわかりやすいかと存じます。
    そう、ずっと途切れていないのは、非物理存在としての「私」です。

    でもって、物理体と非物理体は完全に別々のパーツに分かれているのではなく、
    物理体は非物理体が濃縮して現れる場として、非物理体に含まれています。
    でもって、非物理体には直線時間という概念がありませんから(物理体から視ると時間が延びたり
    縮んだり遡ったり跳んだり、自在に動く場です)、
    本当は矢印で示したような流れもなくて、
    無時間の広大無辺な場で、ときどき物理場となる場がライトのように点いたり消えたりしている、
    そんな感じのイメージが適切かもしれません。

    ヒト類がループ構造に閉じ込められているとは、
    必ずどこか1箇所のライトが点灯していて、それがだんだん暗くなっていき、長くても数十年程度で
    切れる、するとほどなくして別の箇所のライトが点灯する、
    そんな配線があらかじめ仕掛けてあるということです。
    ライトが点いていようがいまいが、「私」という存在が途切れていないことに気づくと、
    ライトが点いていようがいまいが、ライトの点滅に一喜一憂しなくなります。
    だから、ループから出られるのです。

    何人たりとも、独立した存在の自由意志を束縛することはできない。
    だから、地球星人を操作した存在群は、
    「あんたたちは独立した存在じゃなくて、ヒト類という集合体なんだよ。そして私(たち)が
    その集合体のハイアーセルフです」という洗脳を施したうえで、
    「あんたたちは世代交代のためにアポトーシス(計画的な細胞死)する」と暗示をかけた。
    こうすると、本来は独立した存在(意識が個体ごとに分離した存在)であるヒト類は、
    アポトーシスを自分全体の終末と読みちがえて、物理体の維持に必死になるので、
    物理場を閉じたあとも「まずい、身体がないと自分が消えてしまう!」という、
    怖れにもとづく、物理体へのネガティブな志向性を刻印できるわけ。
    つまり強制はできないので、上手に誘導して、自らループに嵌るように仕向けたのです。
    自ら嵌ってるんだから、誰の許可もいらず、自ら出られるんですね。

    それには、物理場を開いていようが閉じていようが、
    「私」は在るのだということ、
    「私」という統覚意識には時空間的なはじめも終わりもないことを知る必要があります。
    「私」は銀河や星や雲や地面や事物ではなく、それらが生じるフィールドであって、
    1つのフィールド、1つのまなざしが、さまざまな密度の夢を視ていると。

    それには、物理体∈非物理体でいるときのほうが適しています。
    なぜなら、何も知らないまま100%非物理体に移行すると、
    何も知らないまま時空間がランダムに変化してしまい、その収拾に右往左往するので一杯一杯、
    たちまち物理体への郷愁に絡めとられてしまうからです。
    時空間がランダムに変化するのは、
    「自分の与えたものが返ってくる(自分の与えた定義で世界が造られる)」法則が
    タイムラグなしに作用するためですが、
    その法則も知らないし、作用していることにも気がついていないので、調整できないのです。

    物理体∈非物理体でいるときに、非物理体のほうが「私」の本体だと知るというのは、
    透視や霊視や予知ができるようになるとかいった類の、サイキックな能力の開発のことではありません。
    結果的にそういったことがあればあったでいいんだけど、そういう不思議系のことは副産物。
    それは非物理体の「私」に起きる現象に注意を払う、
    常に生起しては消えていく思考、感情、気分といった心現象を、自覚して扱うということです。
    言い換えると、それらに乗っとられることなく(自分と同一化せず)、眺めて流していくということ。
    必ずしも「イラっとする」とか「ウッキッキ」とか言語化されなくてもいいです。
    私の場合、最近では折れ線グラフの傾きみたいな感じで把握されています。
    はじめのうちは、それらの心現象のほとんどが環境に対する反応であり、
    常に完了形である物理世界を、もう完了しているにもかかわらずなんとか変えたいというあがき
    (それは、もう放送してしまったドラマの筋書きやら台詞やらを変えたいというのと似ている)
    からくるので、
    過去データを検索してみたり、権威者の言動を引用したりと、うるさくてキリがないように思えるけど、
    そのうち、心現象と心現象の合間に静けさが広がっているのがわかります。
    この静けさがフィールドである「私」、非物理体まで広がる「私」です。

    そのときどきの、最適な行動を示唆するサインは、このフィールドから降りてきます。
    物理場とは本来、このサインに応えてリアクションし、
    その結果の味わい深さとかハッとした感などを感じることで非物理界にフィードバックする、
    ただそれだけのシンプルな場です。
    試行錯誤したり、刻苦勉励したりして“いじる”ところではないのです。

    本当は個々独立した存在であるヒト類は、
    本当は一片たりとも物理体そのものではありません。
    エネルギー状(形になる潜在力をもつ)の記憶の断面を物理場として見ているだけです。
    物理体∈非物理体でいるときも、「私」は、事物ではなく、思考や感情や気分の側に属しています。
    思考や感情や気分は、それほど精妙な波動ではないけれど、
    それでも見えないサイドに属しています。
    見えないサイドのとば口といってもいいかもしれない。
    サイキックであろうがなかろうが、誰しも頻々とアクセスしているゾーンであり、
    ここを自覚して扱えるようになれば、誰でも本体の「私」を知ることができます。

    物理場にいるヒューマノイドって、“見える”非物理存在なんだよね。

    • <物理場とは本来、このサインに応えてリアクションし、
      その結果の味わい深さとかハッとした感などを感じることで非物理界にフィードバックする、
      ただそれだけのシンプルな場です。>

      やはり「感じる」が重要なんですネ。

      Y姉さんの話だと、物理場で理解出来なかったことはあの世に行ったらなお分からないそうですので、今のうちに知っ得ですネ。ありがとうです。

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