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第6密度「ラー文書」が伝えるガンと「怒りの思考」の関係と食事を含めた対処方法

第6密度「ラー文書」が伝えるガンと「怒りの思考」の関係と食事を含めた対処方法

4月に入って春も本番となり、「道の駅南きよさと」の空には、

たくさんの「鯉のぼり」が春風に吹かれ、
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果物のメッカ、南アルプス市では花満開です。
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標高1200m以上に位置する清里にも、
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やっと春が来た・・という感じで、
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沖縄みやげのコーヒーカップでお茶しながら、
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読書するのが楽しみな、待望の新刊書を、

3月30日に八王子の自宅から注文したら、
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31日の午前中にちゃんと届きました!
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プライム会員特典は、標高1200mでも有効なようで、

今やどこに住んでいても、たいへん「便利」な時代となりましが、

こういった便利さは、誰かが思いついたアイデアが現実化したわけで、つまり、「思いが現実化する」社会にどんどんなってる顕われでもあります。

そしてこれから増々、そういったことが加速すると、

『ラー文書「一なるものの法則」第二巻』は伝えています。

「第二密度から第三密度への移行には約1350年かかった」とのことですが、

1981年の3月18日に行われたセッション40によると、

今、起きている第三密度から第四密度への移行の時期は未知数で、

そして、ガンという病氣が出現したのは、この移行と密接にかかわっています。

質問者:それでは、この惑星での第三密度から第四密度への移行にかかる時代はどれくらいでしょうか?

ラー:私はラー。この移行には、らしからぬ変則が起こるため推測が困難です。この空間/時間の連結体には、第四密度の仕事に着手している身体をまとった存在たちがいますが、惑星意識の第三密度の情勢がそのプロセスを遅らさせています。この特定の連結点における移行期間として、可能性/蓋然性のエネルギー渦はあなたがたの年の単位でおよそ100年から700年を示しています。この空間/時間に住まうあなたがた人類の不安定性ゆえに、この推測は正確なものではありません。

質問者:光子の振動周波数は、現在すでに増加しているのでしょか?

ラー:私はラー。増加しています。そしてその影響で思考の物質化が起きはじめています。たとえば怒りの思考が物質的身体の複合体の制御不能な細胞に転じ、あなたがたがガンと呼ぶものになるのもその例です。

質問者:こうした振動の増加は20年から30年くらい前から始まったように思うのですが、それは正しいですか?

ラー:私はラー。最初の兆候は、あなたがたの年の単位でいうおよそ45年前です。そして、いわゆるあなたがたの量子飛躍と呼ぶであろうものによる、振動性物質の最終的な変化に先行する40年間を通して、エネルギーはさらに強烈に振動しているのです。

質問者:それでは45年前から始まって、私たちがこの密度の変化でこれから体験すると見られる振動の増加の全貌をふまえた場合、現在の私たちはだいたいどのへんにいるのでしょうか?

ラー:私はラー。あなたがたの環境の振動的性質は真の緑色ですが、現時点ではこれにオレンジ色光線が度を超えて大量に織り込まれています。しかし、量子の性質ゆえに、境界線上の動きにおいては振動レベルごとに別々の配置がなされます。

質問者:いまや怒りの思考がガンを起こしているとおっしゃいました。それが触媒あるいはその完全な目的として作用するとして、そのメカニズムを説明していただけるでしょうか?

ラー:私はラー。第四密度は、情報が明らかになる密度の一つであるため、そこでは自己が、自己や他の自己から隠されるようなことはありません。それゆえ有害なアンバランスやゆがみがより明白で理解しやすい方法で表面化しますから、心/身体/霊複合体の乗りものは、自己を明らかにするために教えをもたらす情報資源としての役割を果たします。

ガンのような病氣は、ひとたび個人が有害な影響のメカニズムを理解すれば、それに応じるかたちで自己治癒がたいへん起こりやすいものであるといえます。

質問者:それでは、ガンは思考によってきわめて容易に癒すことができ、教育面でもよいツールになる。なぜかというと、思考で簡単に治せるし、存在者が腹を立てている他の自己を許せばすぐに消えてしまうからという見方は正しいでしょうか。

ラー:私はラー。正しい部分もあります。さらに。治癒には自分自身を許すことや、自分自身をもっと尊重してあげることが関わる部分があります。手近なところでは、食事に気を配ることもそうした姿勢のあらわれですが、じつはこれが治癒や赦しのプロセスの一部をなすことがかなりひんぱんに起きてくるのです。あなたの基本的な前提は正しいです。

質問者:食事に関してですが、身体の複合体を最大限に気づかうには一般的にどんな食べものを除外すればよいでしょうか?

ラー:私はラー。まず、ここで特に強調しておきたいのは、この情報は額面どおりではなく、身体と心と霊のための心理的なリンクとして、または、そっと背中を押すような合図として理解していただきたいということです。すでに述べたように、そこで本当に重要になるのは自己への配慮と敬意です。そうした見地から、以前に述べた、この媒体にふさわしい食事内容の基本的な情報を繰り返します。

野菜、くだもの、穀類、そして個人の代謝に必要な範囲の動物性食品です。これらは自己への配慮をあらわす物質です。さらに、この媒体が浄化を必要としなかったため特に言及していなかったのですが、有害な想念や感情複合体を自己から除去する必要がある存在者の場合は、慎重を期した断食のプログラムを実行するとよいでしょう。それによって身体の乗りものから過剰物質を除去することの副次的効果であるように、有害な想念が除去されるからです。あなたここでもまた、身体複合体ではなく心と霊のためのリンクとして使われるものに価値を見出します。自己は自己をこんなふうに自己に打ち明けるのです。

質問者:ありがとうございました。とても重要な概念だと思います。

たとえばスプーン曲げのように、思考が物質に作用する多くの現象が、ここにきて初めて大衆の注目を集めています。これは、私たちが現時点で体験している基本的な振動が真の緑色ないし第四密度であることがおもな原因なのでしょうか?

ラー:私はラー。このワーク全体でこれが最後と質問をなります。

これは正しいだけに留まりません。この概念をさらにおし進めて理解していただきたいことがあります。それは、準備ができていないまま自己に初めて直面した人たちの精神構造に、緑色光線の真の色が及ぼす影響がもとで非常に多くのいわゆる精神疾患が生じているということです。

終了する前に、短い質問でしたらお答えできます。

質問者:二つあります。今おっしゃったことですが。それではこの緑色光線の振動のせいで極度の精神的困難に直面するのは、振動的序列にしたがって現在転生している、自己への奉仕の道にある人たちでしょうか?

ラー:私はラー。そうではありません。影響を受ける可能性があるのは、むしろ現実から目をそらし、移行に備えていないにもかかわらず、その移行がもたしうる影響にどこか敏感な人たちです。

質問者:ありがとうございました。

この媒体をもっと心地よくしてあげるために、あるいは交信を向上させるために、私たちに何かできることがあれば教えてください。

ラー:私はラー。この媒体はよい状態にあります。あなたたちは誠実です。この媒体はこの補充品のおかげで、ぬくもりというゆがみの中にあり、身体複合体がより快適な状態になっています。

私はラー。友よ、私は「一なる無限の創造主」の愛、そして光にあなたがたをゆだねます。ですから、「一なる無限の創造主」のパワー、そして平和のもとで嬉々として前進してください。アドナイ。

「ゆがみ」というのは、

『「一なるものの法則」(の振動数ないし波動)でないもの。あるいは「一なるものの法則」(の振動数ないし波動)から変化、派生したもの、状態、性質、現象。

本書では第一のゆがみが「自由意志」、第二のゆがみが「愛」であると説明されている。』

とのことで、私たちは色々な「ゆがみ」を体験することで学んでいるということになります。

「ガン」もゆがみなら、「ぬくもり」もゆがみ・・・

うーん確かに、ホントに(体験を伴って)理解すれば、
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条件反射的に、「善い・悪い」をレッテル付けしちゃう頭が変わりそうな、待望の新刊書でした!
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  1. 感情は難しいですネ。ムズムズですネ。:(´・ω・`):むずむず

    サービストゥセルフもサービストゥアザーセルフも、結局どちらもセルフサービス?なので、ラーはこの分野の熟考を促してはいるけれど、重要性を差し引いての言葉どおり、自己・他者への奉仕と難しく考えるとカシオペアンのように「貴方が他者への奉仕だと思ってるのは自己への奉仕ですよ!」とかいって、聞かれてもいないのに説教的な優劣思考路線(分析ネガ)にひっかかり、感情的な副作用(ムズムズ)が出易いかと思います。

    自己に集中した方が却って他者の益になる、とゆうようなのが往々にしてあるし、情けは人の為ならずみたいな、ワンネス展開の熟考ネタぐらいな感じにラーも思っての話だったと思うので、実生活ではポジorネガの方が実用的?な気がしますネ。

    奉仕でいえば、わたしの場合もう既に起きてしまったヤーなコトに納得いかなかったりモーヤダ!とモヤモヤしたら、そういった出来事を他者への奉仕だったコトにしてしまう、というのがあります。

    例えば車を運転中に現れる理不尽ドライバーとかの無謀運転や割り込みに怒りを感じたら、自分が譲ってあげた(他車への奉仕)というコトにしたり( ̄^ ̄)/ポイントゲット!
    仕事で失敗してライバル会社に契約をとられ自分に怒りを感じたら、これも譲ってあげた(他社への奉仕)ことにしたりと( ̄^ ̄)/ゲッツ!

    厳密にはこれらは他者への奉仕とはいえないかとも思いますが、少なくともポジであり、損得でいうと損、優劣でいうと劣なので(カッコワルイ)自己の能力やお得を追求するネガ路線(カッコイイ)ではないと思うのと、人間がインプラ・インプリとかによってお決まりの条件反射反応をしてしまうコトへのクッション作用や無意識に損を避けたりお得を得たいとの必要以上の条件反応に自覚的になる効果が期待できそうな気がします。

    それと日本や日本人に役割とかがあるとすれば、それはどちらかというとカッコワルイ路線で、例えば「神国の優れた能力によるお手柄」とかではなく、もっと庶民的な路線の言わば損な役割?で、それが癌が多いのと関係してるっぽい気がするんですネ。

    • <感情は難しいですネ。ムズムズですネ。:(´・ω・`):むずむず>

      ですネ!要は抑圧しないで、流すしかないと・・こだわらナイで。

      <実生活ではポジorネガの方が実用的?>

      豊富な参考例ありがとうございます。

      <インプラ・インプリとかによってお決まりの条件反射反応をしてしまうコトへのクッション作用や無意識に損を避けたりお得を得たいとの必要以上の条件反応に自覚的になる効果が期待できそうな気がします。>

      ナルホドです・・

      <カッコワルイ路線>

      得意分野でーす!

      • ><カッコワルイ路線>

        @たぶんコレが日本人の真骨頂みたいな気がして。。。
        表面上はカッコ悪いんだけれども、見る人が見ると凄くカッコ良かったり美しかったり、みたいな、それで何だかわからない感じで問題が解決しちゃったり、誰かが救われたりなんかするマカ不思議なカッコワル良さ(天然)が日本人にはあるような。。。

        そういった状況を昔の人は「負けるが勝ち」とかいって表現したのかも。

        それとラー第二巻、ざっと読みましたが、花粉症もあって更にムズムズだし、目もカイカイロゴスで、なんかこれでまた「ラー文章は難しい」とか言われそう。。。(・・;)ワザトジャナイノ?

        • < それで何だかわからない感じで問題が解決しちゃったり、誰かが救われたりなんかするマカ不思議なカッコワル良さ(天然)が日本人にはあるような。。。>

          確かに、そーいうことって多いですよネ。短足だし。。納豆ネバネバだし・・

          <「負けるが勝ち」>

          世界情勢にける日本も、そーいう感じでいけばイイですネ!

          <ラー第二巻>

          むずむずですね〜。でもキラエル&アダマスターの前提とし、興味深い情報です。

  2. 今回のラー文は前回のとは違って、ワザと難しい言葉を使ったり、言葉足らずにしたりして、意図的に理解を難しくして誤解を生みやすいように書かれてる気がします。

    これなら勉強部屋さんの訳の方が全然ラーを感じますし、ミクシーの素人訳の方がまだマシです
    ネ。
    そもそも前回のもカットは多すぎだったですが(特にセッション8)大事な所の理解を曇らせたりはしなかったというか。。。
    具体例↓今回の本の176ページ セッション42の冒頭

    質問者:私は、”平衡化作業”(balancing)というものに関して質問の一つを有しております。(中略)

    私の推測では、平衡状態を有する存在とは、如何なる状況に遭遇した場合にもその感情が揺り動かされる事が無く、ポジティブな感情、もしくはネガティブな感情、そのどちらの側にも左右される事が無いと推測します。
    この様に、この平衡状態を有する存在とは、如何なる状況に於いても、”非感情的な状態”の内に留まる事が可能であり、この事が理由となって、この存在とは、上の様な感情が揺り動かされる状況内に置かれた場合にも、全一の法則と調和した状態からなる所の適切な反応らが如何なるものであるか、これを見分ける事が可能であり、また、その様な状態となる為に必要とされる反応らを明確に見極める事が可能であり…、その中で、その様な態度・状態を有する事が可能となって参ります。

    その一方で、現在、我々の惑星上に存在する所の存在達の内の殆どとは、自らが遭遇する事となる所の状況に対しては感情的にはまり込んでしまっており…、彼ら自身の有する所の独自の傾向性らに従った中で遭遇・体験される事となる所の独自の状況、そこに無意識的に捕らわれてしまっており…、更には、彼らとは、この独自の傾向性ら・バイアスらが理由となって、それら感情を乱す状況のそれぞれの中には本来、教育/学習の為の機会らが存在している事、此れを明確に認識する事が可能では無く、また、この機会らに対しては適切な反応を行う事が不可能な状態の内に置かれております。
    従って、彼らとは、その様な状況に対しては、幾度にもわたって試みと間違いを犯し、そこから生ずる所の(感情的)痛みに耐えなければならなくなり…、彼らが、その有するエネルギー中枢らを平衡化しなければならないという必要性に気付き、その事によって、それら状況に対する反応らと振る舞い方らに対して平衡化作業を行い始めるまでは、上の様な状況が続いて行く事となります。
    この様にして、一度、その存在が、そのエネルギー中枢らと上の状況らに対する反応らに対しては平衡化作業を行わなければならないという必要性、此れに表面意識上で気付いた場合には、そこで次に行われる事となる所の段階とは、感情を駆り立てる状況らに遭遇した際に、そこに適切なポジティブ的反応、もしくはネガティブ的反応を生じさせ、此れが自らの内をスムーズに流れて行く様に気を配る作業となって参り…、この反応がその存在の内部を流れて行く状態が意識的に観察される間に、そこに如何なる”感情的な色付け”が為されて此れが留められる事無く、スムーズに流れて行く様に配慮を行う事が必要とされて参ります。 この様に、私の推測としては、このポジティブ側かネガティブ側の分極化状態を帯びた所のエネルギー、此れがその存在の内部をスムーズに流れて行く状態、此れを意識的に観察する行為こそが、貴方が以前に我々に対して与えてくださった所の”平衡化作業”なのであり、またその中で、この作業によって上の状態・観察能力が増大されて行く事となるのであり…、この作業が成し遂げられた場合には、その存在の内部に平衡状態が確立される事となり、その後、この存在とは、如何なる状況に於いても、全一の法則との関係性の中で感情に左右されない状態の内に留まる事が可能となり、また、歪曲をきたす事の無い状態の内に留まる事が可能となり…、まるでテレビ映画を視聴している存在の様な、客観的視聴者の様な状況の内に置かれる事が可能となって参る、という事なのでしょうか。

    この平衡状態というものに関する私の考えとは、正しいものでしょうか?

    ラー: ラーです。 この御言及とは、我々が此れまでに議論してきた所の”平衡化”という概念を、正しくない解釈の中で他の事例に転用したものであります。
    つまりは、(以前にお伝えした所の)この訓練(S5Q2)…、最初に何らかの感情らを体験し、その後、それら感情に対する対立物ら(アンチテーゼら)を、その存在の内部に発見し・確認して行くという訓練とは、その目的として、ポジティブ的な感情らとネガティブ的な感情らの両方を、それらに左右されない状態の内に留まりつつ円滑に流れさせて行く事を指すのではなく…、寧ろ、(これら感情に左右されるという経験を行いつつ、最終的に)それら感情に左右されない状態へと至る事、此れがその目的であります。
    ただ、この状態へと至る為には、より多くの訓練がそこに必要とされて参りますが…、しかしながら、この状態こそが、いわばより自然な成り行きであります。

    つまりは、(上の様な感情らを引起こす原因となる所の)経験触媒とは、この第三密度における課題らを学び/教える(learn/teachings)という作業、これらがそこに発生する為の目的の下にその活動を行っております。
    従って、もしその存在の内部に、この触媒に対する(感情的)反応・反響の一つが今だ確認される場合には、その反応が単に僅かに観察されただけの場合であっても、その存在とは、その学習/教育行為の中で、その成長触媒を今だに活用していると考えられる事が可能であります。
    その後、この学習行為に於いて最終的に望まれる状態とは、この成長触媒が必要されない状態へと至る事であります。
    その様な状態が達成された場合、この密度とはその存在にとっては必要の無いものとなって参ります。
    しかしながら、この最終的に獲得される事となる所の状態とは、物事に対して無関心からなる状態ではなく、もしくは客観的視点からなる状態ではなく、この状態とは、寧ろ、(あらゆる側面的場面らを経験した事の結果として生ずる所の)、全ての存在物を”愛”として認識する所の、(対象との間で)精巧に調律が為された所の同情心・共感心(compassion)を有する状態の事であります。 物事に対するこの観点に至った場合には、成長触媒の作用らを以ってしても、(愛以外の)如何なる(感情的)反応がそこから引き出される事が無くなって参ります。
    従って、この存在とは、この観点に至ると、経験世界の中で発生する出来事らの間に在りながら、それらに対しては、創造主との間で”共同創造者”としての立場を有する事が可能となって参ります。
    この状態こそが、より正確な意味合いにおける”平衡状態”であります。

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    今回の本で興味深かったのは、セッション41の166ページ後半から167前半のラーの回答ですが、なんかこれも説明が足りてない可能性大なような気もしますネ。

    • 確かに、勉強部屋さんの訳の方がコレクトではありますよネ。しかしながら、一般的にはドンさんの質問のスゴさを分る人が少ないので、本にするにはあーするしかナイよーな。

      それと、ラー文はネガティブ勢力にとってやはり「知られたくない」部分をついているので、ある種の防御作用はあったかもで、本の最後に原文を参照できるサイトを紹介してましたネ。

      <セッション41の166ページ後半から167前半>

      よーするに、ハートある(緑)の人たちだからこそ、欲望なオレンジに戻って世直しとかしたくなるけど、自我(黄)が確立してないとバランスが崩れちゃう・・ってことを言ってるのだと思いますが、違うのかな?

      • >しかしながら~防御作用~

        @いや、悪意でやってるとは言ってないんですヨ。
        あれがナチュル出版さん、ハト訳さんが考える安全なのかもですけど、親が子供を全然信用してない感じで、あまりにトゥーマッチなんですネ。

        それにカットするならそもそもドンさんの言ってる質問がよくわかってないようなのからカットしてよ、みたいな。
        それと一巻にあったみたく読んでると波動が上がっちゃう様な感じが今回の二巻にはなかったのが気になったのです。

        だから具体例の所(コピペ)は本だと「感情に左右されないのが良くて左右されるのは悪い」みたいに誤解した印象に取られやすくなってるなと。

        だいたいラー文章の中でもわかりやすい部分、面白い部分で、文字通り読めば誤解の起こりようがないところばかりがカットされ、もしそれらがそのまま載っていれば難しいところも多少わかりやすくなるのに。。。とかも思ったりしたのでした。

        ただこの事は昨日から今日にかけて納得の折り合いチャネルがあって、それは要するに3次元のラー文章の本は、ラー自身が言ってたように4~5人の手に渡れば本当にいいみたいなので考えるのはやめました(それはすでに達成してるから)

        セッション41の166ページ後半から167前半については、ああいったコト(ネガ路線への対処)は自己奉仕49%以内でやるものみたいに思ってたけれど、あれを読むとそれは当たり前の対処なので極性化には影響しない、という風に読めますネ。
        けれどもそれはやっぱり条件付の一般論みたいな説明だとも思われ、そういった注意書きがカットされてるんじゃないかと勘ぐっちゃった。。。とかいった話でちた。(・・;)

        • <親が子供を全然信用してない感じで、あまりにトゥーマッチなんですネ。>

          そういえば、ラー2を清里で受け取る時、配達の人の態度が変で旦那が怒っちゃって、その直後に滑って転びまちた・・で、その時の學びは(便利さを)トゥーマッチしないことと、まだまだネガティブ(怒り)を避けたがるお花畑な自分でちた。

          <感情に左右されないのが良くて左右されるのは悪い>

          これはNGですよね・・まあ「4~5人タイプ」で誤解する人は少ないかと・・

          <勘ぐっちゃった。。。>

          ラーへの愛ですネ!

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