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7次元から見た「病」の本体と分離するためのOSHOの観照

7次元から見た「病」の本体と分離するためのOSHOの観照

現代社会は「病」というものを忌み嫌いますが、7次元からの視野で見ると、

「病」には目的があり、目的を果たすと死する運命にあります。

<「病」の生と死>

人間と同じように、「病」は生まれ、生き、死んでゆきます。病にもまた、一連の課題があり、どんなに時間がかかろうともその課題を果たしてから生命を終えます。すべての課題を終えるまで、病は細胞意識の中に生き続けるのです。

人体とは、様々な楽器が集まり一つの音楽を奏でる、オーケストラのようなものです。オーケストラで演奏するとき、その中に一つでも音を外す楽器があれば、全体の音が耳障りな不協和音になってしまいます。

美しいメロディを奏でるには、調子外れの演奏をしている楽器を見つけなくてはなりません。人間の体もオーケストラと同じです。体の中の美しいハーモニーを持続させるには、体の各部位が皆、積極的に参加して細胞意識による一つの交響曲を演奏する必要があります。そして、そのためには細胞意識自体が、宇宙全体のエネルギーと調和しなくてはなりません。

病がその務めを終え、体に完全な調和がもたらされるまでずっと、病の本体は、人間と同じように、様々なことに怯えながら過ごしています。病も人間と同じように死を恐れます。なぜなら、病には使命があり、その使命を果たす機会を何よりも必要としているからです。

病は自分のエネルギーを悪いものだとは少しも思っていません。むしろ、病は自分のことを肉体が奏でる交響曲の中の少し難しいパートだ、くらいにしか考えていないのです。あなた方も病のことをそのように捉えると、病というパートがあなた方の旅の中に存在している理由を理解し、どうすれば病を光に戻すことができるかが分るようになります。そして、その結果は必ず驚くほど素晴らしいものになるはずです。

癌に侵された人を例にとって考えましょう。この場合、腫瘍はそれ自身の生命力を持っていると理解することができます。そして腫瘍を生み出した根本原因が分れば、迅速に治療することが出来ます。

ですから、これから先どうなるのだろうか、と最悪の結果を心配するよりも、まず、腫瘍が生じた理由を理解しなければなりません。もし、患者がその理由を理解すれば、腫瘍はもう存在する必要がなくなるのです。また、そのとき、その腫瘍は現在の人生の課題の一部なのか、あるいはまだ解決できていない過去の人生の課題なのかを明らかにすれば、同時にいくつもの人生の課題を処理することができます。

あなた方はしばしば、癒しの旅の途中で現状に満足し、その旅があなた方にもたらしてくれるはずのすべての課題を発見しようという意欲を失ってしまいます。すると、あなた方に無視された一連の課題による悪循環が生まれます。

この「悪循環」は物事を繰り返させるエネルギーであり、あなた方が避けて通ろうとした状況や、完全に処理しきれなかった状況を見つけ出し、それらを集めます。そして、あなた方がすべての課題を完全に経験するまで、何度も繰り返し同じ状況を生み出すのです。

人間の目から見ると、地球上で起こる個々の出来事は宇宙全体とは無関係にように思われるかもしれません。また、一人ひとりの人間にとって、宇宙全体の変化を司る創造主は遠く離れた存在であるように思われるかもしれません。

実際、「人間は皆、たった一人で混沌とした人生の中に放り込まれる、そして、その人生の中では次から次へと果てしなく課題が続くのだ」と思っておられる人も少なくないでしょう。しかし、友よ、それらはすべて、とんでもない誤解です。生きとし生けるあらゆるものの「本質」は、同時にいくつものレベルで存在しているのです。

故ペルーの先生は、「病氣になったことを感謝できれば、病氣は治るように出来ているんだよ・・」と言ってましたが、

病さんが、「人間と同じように、様々なことに怯えながら、死を恐れてる」ならば、落ち着かせてあげるのが何よりで、

若干21歳で悟りを得て、60年目でこの世を去った「和尚」さんは、その方法として、

osho

バグワン・シュリ・ラジニーシ(Bhagwan Shree Rajneesh、和尚/オショウ;Osho)、1931年12月11日 – 1990年1月19日)は、インドの宗教家、神秘思想家、20世紀の覚者。 21歳の時、ジャバルプールのバンヴァータル庭園にあるモールシュリの木の下で光明(悟り)を得る。

wikipedia

「観照」するということを、推奨しています。

観照し始めてごらん。通りを歩くとき、観照者になるのだ。身体が歩いているのを見守ってみなさい。もっと内なる核心から、ただ見守り、観照し、観察する。突如として、あなたは自由の感覚を手にするだろう。突如として。身体は歩いているが、あなたは歩いていないのを見るだろう。

身体には健康なときもあれば、病氣のこともある。見守ってごらん。ただ見守っていれば、突如として、あなたはまったく違った存在の質を感じ取るだろう。あなたは身体ではない。身体はもちろん病むが、あなたは病んでいない。身体が健康でも、それはあなたとは何の関係もない。

あなたは観照者、丘の上の見張りだ・・はるか超えている。もちろん身体につながれてはいるが、身体に同一化してはいない。身体に根づいてはいるが、つねに超えている、超越している。

最初の瞑想は、あなたを身体から分離させる。そして少しずつ、身体の観察がもっと鋭くなったら、今度は絶えずマインドの中で続いている思考を観察し始めてごらん。けれども、最初は身体を見守ることだ。それは粗雑で、より楽に観察することができるし、大した気づきは必要ないからだ。ひとたびあなたの調子が合ったら、マインドを見守り始めなさい。

何であれ、見守ることのできるものは、あなたから分離する。何であれ観照できるものは、あなたではない。あなたは観照している意識だ。

あなたが観照者となるとき、身体とマインドもまたずっと遠くにとどまる。突如として、あなたはそこに在るー身体もなく、マインドもなく・・純粋意識、ただ純粋なるもの、無垢なるもの、鏡として。

この無垢さの中で、初めてあなたは本来の自分を知る。この純粋さの中で、初めて存在が生となる。初めてあなたは在る。その前には、あなたはただ眠って、夢を見ていた。今やあなたは在る。

そしてあなたが在るとき、死は存在しない。

そうなれば、あなたは自分の死をも観照するだろう、と分る。生を観照できるようになった人は、死を観照できるようになったのだ。というのも、死は生の終わりではないからだ。それはまさに絶頂、まさに頂点なのだ。・・・

7次元存在のキラエルさんによると、
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「病」とは結局のところ、この物質世界特有の現象です。

あなた方は喉の炎症のように軽い病を患うこともあれば、癌のように命にかかわる重病を患うこともあります。あなた方が人生で学ぶべき課題は多種多様であり、その課題の重要度に応じて病の重さも変わってくるのです。しかし、どれほど重い病でも、治せない病はありません。

あなた方は今、病を十分に経験しておかなければなりません。そのことをよく覚えておいてください。なぜなら、四次元では難病や重病を含む課題を学ぶことはできないからです。

現在、多くの人がこの人生で癌やエイズなどの重い病と闘っているのはそのためです。四次元には、第一段階以外どこにもそのような病が存在しません。しかも、どの病も症状が非常に軽いので、あなた方がその経験から学べることはごくわずかです。

あちらの世界に逝くと、「皆、仏様・・」だと言われますが、「病」とは、ココで学べきことを十分に学ぶための有り難いツールなのかもしれませんネ。


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