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岸田秀の白人奴隷説と多神教だったハロウィンの折衷案

毎年10月31日に行われるハロウィンの起源はケルト人にあり、ケルト人が自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗する過程でケルトの収穫祭に合わせてこの日に定められたそうです。

ハロウィンとは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭りのこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカで民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。by Wikipedia

クリスマスにバレンタインデー、やたらイベントする日本人ですが、ここ数年定着しつつあるハロウィンは、キリスト教を強制された多神教のケルト民族の根幹にかかわる祭りとして残されたもので、「悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事」だったのに、形骸化しているのはアメリカも同じようです。

清里・萌黄の村では毎年この時期はハロウィンオレンジがシンボルカラー
DSC_8848オレンジは、お腹の第2チャクラの色で、元気が出る魔除けの色ですね
DSC_8851今度の土日は「私のカントリー」というイベントがあります
DSC_8839たくさんのワンニャンが集まり、
DSC_8841紅葉も見頃を迎えるでしょう

ヨーロッパも日本と同じく、元々は多神教だったのですが、4世紀末ローマ帝国がキリスト教を正式採用して以降、植民地のヨーロッパ諸国はキリスト教を押しつけられ、固有の民族宗教を捨てさせられて屈辱に喘いでいたそうです。
DSC_8815「ものぐさ精神分析」で有名な岸田秀先生は、白人種の成立は、黒人から差別されたアルピノ(白子)同士の交配がはじまりだと述べています。

故伊丹十三監督との対談では、幻想である自我の構造を実にわかりやすく語ってました・・

岸田説では、白人種は毛色が違っていたために、黒人種から差別されて、1万年ぐらい前、北の寒冷地のヨーロッパへと追われるのですが、その白人種の中にケルト人も含まれるのでしょうか?

ケルト人は、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。

ケルト人はおそらく青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文化(紀元前1200年~紀元前500年)を発展させた。

ケルト人がいつブリテン諸島に渡来したかははっきりせず、通説では鉄製武器をもつケルト戦士集団によって征服されたとされるが、遺伝子などの研究から新石器時代の先住民が大陸ケルトの文化的影響によって変質したとする説もある。いずれにしてもローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器をもつケルト部族社会が展開していた。

ブリテン諸島のアイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、コーンウォールから移住したブルターニュのブルトン人などにその民族と言語が現存している。 by Wikipedia

日本人のルーツと同じく、ヨーロッパ人種の起源も謎に満ちていますが、先日、惜しくも独立ならなかったスコットランドの人達もケルトの流れが入ってるようです。
sl_fashion_03_bigこの男子スカートは、鉄製武器で身体を覆ったとされるケルト戦士集団の流れなのでしょうか?

ケルトの宗教は自然崇拝の多神教でドルイドと呼ばれる神官が司り、ドレイド僧とは、祭祀のみでなく、政治や司法などにも関わる存在だったようです。

で、岸田説によると、今から何千年か前、アフリカに人類最初の大帝国、エジプト帝国が成立した際のエジプト人はナント黒人で、白人を奴隷にしたそうで、

この白人奴隷がモーセに率いられて逃亡して、カナンの地(今のパレスチナ)に到達し、ヤハウェを信仰するユダヤ教を創始してイスラエル王国を建設。しばらくは栄えるもののBC10世紀に南北に分裂し、結局滅亡してユダヤ民族は四散しました。

そのあとユダヤの民は、ヘレド王の支配下でローマ帝国に支配され、AD1世紀の初め頃、ローマに迎合するユダヤ支配層に対して、イエスを奉じて反抗する一群のユダヤ人が出現してキリスト教が成立します。

この頃から寄生的なユダヤ支配層が存在していたのですね・・

だから、ローマ帝国がキリスト教を採用した頃には、既にキリスト教内にはユダヤ支配層が入り込んでいたと考えられますが、そのユダヤ=キリスト教が、鉄製スカートで武装したケルト人などがいたヨーロッパ属州に次々とキリスト教を押しつけたのだけど、

押しつけられた方には納得できないものがある、で、折衷案がハロウィン

どうして折衷案かと言うと、「ハロウィン」の語源は、カトリック教会で11月1日に祝われる「諸聖人の日」の前晩の意味なんですが、

諸聖人の日は、7世紀頃までは5月13日だったのに、ケルト人が自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗する過程でケルトの収穫祭サウィン祭に合わせて、カトリック教会が諸聖人の日を11月1日に設定したそうです。

つまり、地元の風習を残すために日にちを変えたわけで、元々は、キリスト教本来の習慣ではなく古代ケルトの多神教の「悪魔除け行事」。だから、プロテスタント福音派では「ハロウィン」には否定的で祭日にもなっていません。

ただの経済効果戦略だと思っていた日本の「ハロウィン」ですが、キリスト教に駆逐されたヨーロッパ多神教の生き残り祭祀だったわけで、オレンジ色といい「魔除け」にはぴったりなイベントかも知れませんねぇ。

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