このところ、テレビなどの「主要メディア」の信憑性がますますダウンしてるようで、
最近、英国BBCの司会者、ジョン・ダーバル氏が、
「新聞やテレビを通して読んだり観たりするものは一切信用しないでください。そして皆さんの家族、子供たち、愛する人たちを大切にしてください。」
とブログで発信し、話題になってます。
BBCラジオの司会者のジョン・ダーバル氏は、メディアは、報道する内容について一切改めないジャーナリズムの実態に気が付きました。
ダーバル氏は彼のブログを介して以下の内容を伝えました。
私が携わってきた主要メディアには未来はないのです。近い将来、主要メディアに代わりインターネットが現在の出来事を伝える主な情報源となるでしょう。
ニュースや情報を得る手段が急速に変わりつつあります。なぜ、主要メディアには未来がないかというと、彼らは事実を正確に伝えようとしないからです。
私や多くのジャーナリストが主要メディアの実態に失望しています。そしてジャーナリスト自らが主要メディアの問題を提起しています。
ダーバル氏が彼のブログでこのようなことを伝える前に、既に主要メディアの関係者(複数)がメディアの実態を暴露していました。
主要メディアが伝える内容は全くのデタラメであり、主要メディアに携わる者たちの仕事とは、プロパガンダのための記事を書くことです。彼らは、諜報機関の要請通りに戦争を駆り立てるような嘘の記事を意図的に書いています。
「主要メディア」が、戦争のプロパガンダに利用されることは、今に始まったことではありませんが、
これからの時代、「主要メディア」がインターネットに移行しつつあるなら、
ネット情報にも、十分な注意が必要ということにもなります。
ダブルなイレブンな11月11日、3日間雨模様だった清里の空はやっと晴れて、
早朝6時半、雲海からのぞく南アルプスは、
ほんのり雪化粧で、
遅れて紅葉したカラマツは黄金色に輝き、
午前10時半、八ヶ岳はイイ感じの雲から顔を出しはじめてましたが、八ヶ岳の反対、富士山が見える東の空には・・
アララ、謎の飛行機雲が妙にたくさんで、
やはり11という数には、何か意味があるのでしょうか?
精神世界の大御所に山川紘矢・亜紀子ご夫妻という方がいらっしいますが、
まだ精神世界がマイナーだった頃、山川さん達が精神世界のグループを引き連れて、
しばらくリマのペルーの先生宅に逗留していたことがあったそうです。
で、10年ほど前ですが、この山川夫妻のメルマガで面白い情報を見つけました。
誕生日を足した数字で、今生の「目標」がわかるそうです。
5の人は「大空を自由に飛び回る鳥のように、世界中を自由にとびまわり、
人と人をつなぐコミュニケーターを目指す」ことが人生のチャレンジ目標だと
いうのです。自由と変化を追い求め、新しい情報を回りにどんどん伝えて、『世界はひと
つ』を実現するための「つなぎ役」となることが人生の方向性だというので
す。ちなみに、チャレンジナンバー1の人は「自らの人生に責任を持って、リーダ
ーシップをとること」2の人「縁の下の力持ちとなってサポーター役にまわること」
3の人「天真らんまんな子供心を失わず、人生を笑いとともに大らかに楽し
む」4の人「人としてキチンと真面目に、正しく生きること」
6の人「人生でふれあうすべての人に対して、無償の愛を配ること」
7の人「自らの経験を通して真理を求め、自分の力で物事をやりとげること」
8の人「どんな困難な状況に陥っても、決してあきらめず、物質的な成功を
手にいれること」9の人「みんなが平和に仲良く暮らせる社会を実現すること」
11の人「直観力や霊感をみがき、目に見えない世界のことを探求し、そこ
から得られた智慧や情報を現世に伝えるパイプ役となること」11という数字は例外的な特別な数字で、11はそのままにして、足して2とはしません。
やり方は簡単でスグ出来ます。
例えば、先日の「悪夢に悩む」友人の場合は、誕生日が6月9日ですので、6+9に15になり、1+5で、6になり、
6の人が持って生まれた「チャレンジ」は、
「人生でふれあうすべての人に対して、無償の愛を配ること」
ということになります。
占星術と同じく、周りの人には何気に当たってて、
「11という数字は例外的な特別な数字」で霊的なニュアンスが強いようですが、
ペルーの先生には、「こういうのはすべて当たるように出来ているけど、いつまでも、それに振り回されてちゃいけないよ・・」といったニュアンスのことを言われました。
この意味は多分、占星術や数秘学とは「インボー」な方々も利用している幻想トリックであり、
覚醒すると影響しなくなる・・ということだと思われ、
バッチフラワーの創始者バッチ博士も、
バッチフラワーと占星学の関係を示唆しつつも、
ドグマ的な関連付けを避けていたは、そうした理由かもしれません。
さて、ロシアの元量子物理学者の「振り子の法則」によると、
「社会の不正や闇」の正体は、構造体としての「振り子」であり、
そういった事象に感情的に大いに憤慨することは、
エネルギー的には、振り子を大きく揺らして、エネルギーを与えてしまうそうです。
このことは心理学的にも、
何かイヤなことに注意を向けると、どんどんエネルギーを費やしてしまい、ぐったり疲れてしまうことで知られてますが、
これは、ホーキンズ博士の言うところの、
200以上のパワーか、200以下のフォースに関心を向けるかの違いであり、
200以下「フォース」・・怒りや怖れに動機づけれたエネルギー(生命に反した作用する)
200以上「パワー」・・勇気や愛から来るエネルギー(生命に正作用する)
知らず知らずに、インボーゲームにエネルギーを注ぐことには注意が必要なようです。
あなたがそうあって欲しくないと思っていること、すなわち、あなたが恐れ、憎み、蔑んでいることは、あなたがどこに行こうと後を追いかけてくる。一方、避けたいようなことはたくさんあるのだが、目下の所それらはあなたをそれほど不安がらせていないというのであれば、そうしたことは起こらない。
要するに、あなたが望んでいないことを自分の中に取り込んだ途端、心は罪悪感で占められ、その感情は増幅されて、望んでないことがあなたの人生で必ず物質化されるというわけだ。
インボー論でも今だ謎な、「ケム雲」を知ったのは最近ですが、
「最近、見ないね〜」と喜んでいたので、ガッカリなゲンチアナ状態だったのですが、
ひょっとしたら、ガッカリ気分にさせることこそ「インボー」の狙いかも?
望んでないことを自分の人生から排除する唯一の方法は、あなたの思考エネルギーを乗っ取った振り子の影響から解放されることである。そして、その後も振り子の挑発には乗らず、そのゲームにも加わらないようにする。
破壊的振り子の影響下から脱するには、二つの方法がある。振り子から身をかわすか、または振り子を手なずけるか、である。
「振り子から身をかわす」とは、こういうテクニックです。
大事なのは、振り子と闘うことでも、非難することでも、いらだつことでも、怒りに我を忘れることでもない。なぜなら、これらはすべて振り子が主催するゲームにあなたが参加することを意味することになるからだ。
逆に穏やかな気持で、振り子を、仕方のないもの、避けることのできない悪、として認めてやる必要がある。そうした後で、そっと立ち去るのだ。どんな形であれ、断固たる受け入れ拒否を表明すると、あなたは振り子にエネルギーを渡してしまうことになるからだ。
つまり、振り子と縁を切るためには「受け入れなければならない」のですが、
「受け入れる」というのは、イヤなモノは自分の中に入れずに、
「生存する権利を認めた上で無関心な態度でそばを通り過ぎる」ことです。
望まないことから解放されようとして、多くの人がまったく正反対の結果をもたらす行動をしている。
縁を切るためには、受け入れられなければならない。ここで、「受け入れる」とは、自分の中に取り入れるということではなく、生存する権利を認めた上で無関心な態度でそばを通り過ぎるということである。
受け入れて向こうへ行かせる、すなわち、自分をやり過ごしてもらい、さようならと手を振ることである。反対に、受け入れてとどめるということは、自分の中に取り入れた後、親しくなる、または抵抗するということである。
エネルギー的には、振り子の家来になるのも、断固抵抗するのも、同じ結果になるので、
まずい餌には見向きもしないネコちゃんのように、
「無関心な態度でそばを通り過ぎる」のがイイようですので、
今後、フォースな飛行機雲を見かけてた際は、
「さようなら〜」と手を振って、やり過ごすことにしましょう!
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