日本には、あたかも昔からの「伝統」のようで、実は違っている事が時々あるようで、
例えば、節分の「恵方巻」はセブンイレブンが発祥です。
「恵方巻」という名称は1989年、コンビニエンスストアのセブン-イレブン広島市中区舟入店の野田靜眞が「大阪には節分に太巻き寿司を食べる風習がある」と聴いて仕掛けたことにより、1998年から全国へ広がり、2000年代以降に急速に広まった。それ以前に「恵方巻」と呼ばれていたという文献類は見つかっていない。
また、正月の「おせち」という呼び名は、終戦後、デパ地下から始まったそうです。
しかし、節分の「豆まき」は伝統行事であり、
これは声を出して(言霊)、意志を表明することに大きな意味があるかと思われます。
そういえば、今年2月、山梨県南部町で無農薬のお米やお茶を作っている、
ペルーラムさんの田んぼを手伝いに行った際、
男性陣が働いている間、
フラフラと散歩していたら、小さな神社があり、
そこには、こんな張り紙がしてあって、
ちょうど、本来は「三礼三拍手一礼」という話を知ったばかりだったので、
狭い日本、こんな小さな神社まで、隅々「思想統制」されてるような気がしちゃいましたが、
神様は、決して「バチは当てない」のが基本ですから、
二礼二拍手でも別に問題はないと思われますが、
やはり「二礼二拍手一礼」になった裏には、大きな「事情」があったようです。
<神への参拝は三礼三拍手一礼で>
古来より神社への参拝は
三礼三拍手一礼が正式であった二礼二拍手一礼は明治から
古事記の時代より神社への参拝では、「三礼三拍手一礼」が普通であったようです。
明治新政府になった際に「神道復古運動」が全国規模でまきおこりました。
この復古神道の流れを明治政府は利用して、あらたまった神道を強烈に印象付けるために「二礼二拍手一礼」に変更させたようです。三礼三拍手一礼は古来から
明治以前の日本では、三礼三拍手一礼が常識でした。
ただ、「出雲大社」「宇佐神宮」「熊野神社」では四拍手であり、「伊勢神宮」では八度拝八平手(はちどはいやひらて)のように例外はあります。三礼三拍手の意味は、神社に参るのを「参拝」というように、
「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」
「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」
「神皇産霊神(かみむすひのかみ)」
を拝するので、「三(参)拝」なのです。この三柱の神々は最古の神々であり、「原初三神」「造化三神」とも呼ばれ、古事記には「各々独り神」、日本初期には「各々男神」と述べられています。
日本国は、国史を通じて「三位三体」の国なのです。三神の名残り
神社の参道は「三柱の神々に至る道筋」、
おむすびが三角形なのも、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」、「神皇産霊神(かみむすひのかみ)の「むすび」由来、
女性の「三つ指」も三柱の神々を両手で示す所作、
正月に門の両脇に立てる門松は、その所作を三本の竹の束で示し、
男性の「三つ指」は、両手の人差し指と親指で三角を創り、額に当てて平伏する所作になり、
人が死ぬと三柱の神々の元に戻れるよう「天冠(てんかん)」の布を頭に巻く。この「三礼三拍手一礼」が正式な神道作法であり、第65代花山天皇の系譜である神祇伯を世襲した白川家によって興されたものです。
「伯家神道」あるいは「白川神道」と呼ばれ、皇室の神事を代々担当したとの事です。
昭和36年、白川家の断絶により「伯家神道」は途絶えてしまったが、神道の正式な所作は「伯家神道」によるものです。このことを知ってから、「三礼三拍手一礼」を自宅と事務所の神棚への参拝を行うこととさせていただいています。
キリスト教では「父・子・精霊」を「三位一体」と言ってますが、
本物だと言われている「ラー文書」では、
人間を、「身体/心/霊 複合体」と呼んでおり、
「三位一体」とは、第二密度(動植物)の「身体」と「心」に、
質問者:それでは第二密度の存在たちが第三密度にどんどん転生してきているわけですね。それほど遠くない過去に、第三密度に転生してきた第二密度の存在の例を挙げていただけませんでしょうか。
ラー:私はラー。第三密度のあいだに、第二密度を卒業してくるケースがもっとも多いのが、あなたがたがペットと呼ぶ存在たちでしょう。動物と第三密度の存在の間に絆が結ばれた場合、それがその動物の個別化をうながします。そうした影響下に置かれると、そうした個別化が、その第二密度の存在の潜在能力をぐっと引き上げることになります。
「霊」が加わり三つになって、
「潜在能力をぐっと引き上げられた」パワーを顕わしているのかもしれません。
そういえば不思議な治療士だった故ペルーの先生は、3×3の「9」がお気に入りの数字で、
息子さんの愛車が999で納車された時はビックリしましたが、
この山口県出身の不思議な治療士さんは、
晩年、「4と4の倍数が治療に役立つようだ・・」とも言い置いてましたので、
「出雲大社」「宇佐神宮」「熊野神社」では四拍手
「伊勢神宮」では八度拝八平手(はちどはいやひらて)
というのも、気になる情報です。
そして何より、「音霊」である「かしわで」を、戦後に短縮しちゃったのは如何なものかで、
<拍手(はくしゅ、かしわで)>
神道の祭祀や神社・神棚など神に拝する際に行う行為である。柏手と書かれることもあるが、誤りである。また、開手(ひらて)ともいう。
両手を合わせ、左右に開いた後に再び合わせる行為を指す。通常、手を再び合わせる際に音を出す。音を出す理由は、神への感謝や喜びを表すため、願いをかなえるために神を呼び出すため、邪気を祓うためといわれる。また、凶事や悲しみを表す行事においては音を出さない作法(後述)もあり、この場合は、音を出さないのは故人の霊を祓ってしまわないためなどと説明される。
神社で行われる参拝作法「再拝二拍手一拝(さいはい・にはくしゅ・いっぱい)」など、3回以下のものは「短拍手・短手(みじかて)」と呼ばれる。
現在のように再拝二拍手一拝にほぼ統一されるようになったのは、第二次世界大戦後の昭和23年になってからである。
「短手(みじかて)」に統一されちゃったのは何か理由があるのでしょうか?
いずれにせよ、音や色、言葉や数字には、想像以上のパワーがあるようですので、
国家もセブンイレブンも、同じような「コマーシャル」をしてるという認識は大切で、
恵方巻も、どうせ食べるなら身体にイイ素材のものを選びたいのと同じように、
地震も気になる昨今、古来からの「祈り」を大切にしたいもので、
折しも今日から6月、我が家の神棚も「三礼三拍手一礼」で、2018年後半をスタートしました!
COMMENT ON FACEBOOK