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アカシャの秘密による「避けられない出来事とレスポンス」の関係

アカシャの秘密による「避けられない出来事とレスポンス」の関係

またしても「SMAP解散!?」説が浮上し、天皇陛下の生前退位やら、見通し不明な2016年後半ですが、

お盆で終戦記念日の8月15日の清里高原は、
DSC_8028どこの宿泊施設も満員御礼のようで、DSC_8035我が家のカボチャの花も満開ですが、

朝から濃い霧がかかってて、
DSC_8030先が見通せない状態です。DSC_8031

一方、先日「まさかの全焼」した清里名所ROCKは、

早急に再建する「見通し」とのことで、

昨日、141号線添いにあるROCKの前を通ったら、中に入れる状態で、
KIMG0013駐車場は相変わらず満杯状態でして、KIMG0014通り抜けがてら覗くと、KIMG0015何か屋台のようなものが出ていて、KIMG0018閉店だけども、それなりに賑わっていて、KIMG0019「駐車場をお探しですか〜」と係の人に声をかけられ、KIMG0021不測の火事すらもイベント化しちゃう「ROCK魂」にチョット感心しました。

飲食店にとって一番の繁忙期を目の前に、かなり「痛い出来事」のハズですが、

アカシック・レコードという人類の集合意識体にアクセス出来る、

神秘家のゲリー・ボーネルさんによると、
garybonel2014

「出来事」自体は、「結果を決定するパワー」を持ってなく、

その「出来事」に対して、どんな「反応」をするかによって個々の状況が変わってきます。

人間意識とのかかわりにおいて、私たちの目的に合った定義づけをすると、出来事(イベント)とは、レスポンスを引き出すとともに、気づきを獲得するパフォーマンスであり、出会いであり、対立です。

出来事の本質がポジティブであろうとネガティブであろうと、そして、自分が引き起したものであろうと、ほかの人によって引き起されたものであろうと変わりません。

この範疇で「出来事」をとらえると、明確に二つのタイプの出来事があります。

一つは転生する前に、あらかじめ本人によって意識に流れの中に設定された、避けることのできない出来事です。

もう一つのタイプは、「避けられない出来事」に対するレスポンスによって新たに設定された「変えることの可能な出来事」です。

お察しのとおり、ほとんどの人は、「避けられない出来事」を主に心配します。これらの避けられない出来事の体験は、この次元では他人を巻き込む必要はありません。それらは本質的には独立したものであり、ほかの次元に端を発している多次元的な体験もあるのです。

一つだけこれらの出来事に関して、確かなことがあります。それは出来事の目的は、真の私たち、本当の私たちの現実において、心と身体を生き生きとさせるためにあるということです。

しばしば、避けられない出来事は、私たちの意識を気づきを拡大し、今までとはまったく違ったレスポンスをとるように要求します。

次に、大きな出来事に対するレスポンスによって作られた出来事があります。これらの「小さな出来事」は、私たちの現実に何らかの性格と構造を与えている、大きないくつかの出来事の間にある時空間を満たしていきます。

マイナーなタイプな出来事は、しばしば「選択」のように私たちには映ります。ところが実際は、人生におけるメインの出来事を認識することによって形作られた、水面にできる波紋のようなレスポンスなのです。

・・・・・・・・・・

Q:ということは、重要な出来事はもう定められているということですか・

A:出来事の重要性は私たちが覚醒する瞬間に対して、どれだけ重要かどうかに意味があります。

通常、避けられない出来事というのは、私たちが進んでいく道において、目覚めさせるか、コースを修正させるために設定されています。つまり態度の再調整を意味しているのです。

これらの決まって出来事に対するレスポンスは、変えることの出来る出来事を作り出し、それらが決められた出来事の間をうめていきます。避けられない出来事に対するレスポンスが、ある結果をもたらします。

その結果が、今度はある状況を引き寄せるのです。状況は期待のレベルを決定します。期待が、悲しみや喜びのような深い感情を生み出します。

私たちを動かしていくものとしての「恐れ」と「生存欲求」を手放すと、レスポンスは拡大します。レスポンスを拡大することにより、結果と状況も拡大します。

状況が拡大すると、期待が低くなります。期待が低くなると、喜びが増大します。喜びが増大すると、より自己に目覚めていきます。

「アカシャの秘密」という初期の著作からの抜粋ですが、

人生の豊かさは、どれだけ「レスポンスを拡大する」ことが出来るか次第であり、

8月15日を終戦とするのは日本人だけだということで、

歴史認識の甘い日本人にとって、果たして本当に戦争は終わったのかと考えさせられますが、

所詮、勝った、負けたは一時の出来事であり、たとえ、仕掛けられた戦争でも、

「避けられない出来事に対するレスポンスが、ある結果をもたらします」

という観点からは、今、これからの私たちのレスポンスこそが、太平洋戦争の真価を決めていくのかもしれませんね。

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