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覚醒した精神科医が語る霊的情報と実践

覚醒した精神科医が語る霊的情報と実践

Q:ここに提供された情報は、すべて知る必要があるのでしょうか?

A:ある基準においてそうだと言えます。すべて必要ですし、これ以上かもしれません。また矛盾するようですが、本質的要素ばかりにこだわるのでしたら、何も必要ないとも言えます。この情報は、伝統的な霊的探求者のためのものです。彼らはどんな時代においても、まず真理への直観を得て、それから真理を求め、獲得した情報を実践に移したのです

また、突如覚醒する道もあります。それは、瞬間的にその状態に至こともあれば、何らかの瞑想や霊的修養の結果として、あるいは覚醒した師の臨在に触れるだけでそうなることもあります。

意識の跳躍は、きわめて深いレベルで自らを神に明け渡すことで起ります。社会では、”落ちるところまで落ちた人”がそうなるケースを目撃することがあります。頑固さ/プライドを明け渡すことで、そのような変容が起ります。皮肉なことに、地獄の底のすぐ傍に、天国があるのです。

霊的な人々は、このような情報を聞くだけでも意識のレベルが飛躍します。講義が始まる前と後に聴衆の意識レベルを測定すると、講義の後では平均10〜40ポイントの飛躍が見らます。また個人では、少ない人で4ポイントから最高で100ポイントまでとさまざまです。グループの中では、”カルマの成熟度”によって、大きな違いが出てきます。(中略)

また、求道者が知り得ない要素として、大きな影響力を持つのがカルマです。ですから、自分の成長を他者と比較することはできませんし、あの著名な師、ラマナ・マハラシに訪れたような突如とした意識の変革を期待することはできません。十代の頃、普通の少年だった彼はある日突然倒れてしまい、自分が死んでしまうのではないかと思いました。すると突然、ワンネスの状態に入り、彼はそれから二年もの間、話しをすることができませんでした。キネシオロジーテストでこの逸話を調査してみれば、彼が過去に何度も霊的な探求を重ねていたことが明らかになり、今生で突如悟ったのは、その献身の成果であったことがわかるでしょう。

Q:では、わたしたちは何も知る必要がないと言えるのではないでしょうか?

A:核心に忠実であろうとするならば、答えは「いいえ」です。ここにある情報は、思考や信条をより楽に消滅させてくれるからです。本当は、対立するものは実体のない立ち位置の産物に過ぎないということを知るだけでいいのですが、これを真に理解してもらうためには、説明を補う必要があります。

一度理解すれば、後は捨てても構いません。それは、瞑想することで、「自己」が気づきの源、基底であると知ることと同じことです。

またその人の意識の向上を促すために必要な情報は、その人の意識レベルによります。200、300、500台にいる人々は、たいてい少しの情報ですぐに理解します。彼らは明かされた真理に対して、深い確信を持っているので、すぐに本質をつかみ取ることができます。

逆に、400台にいる知的な探求者は、通常よりも細かな説明を必要とします。400台の人がそれ以上に進むことが難しいのは、知性や合理性、論理ばかりが非常に発達していて、それらにひどく固執しているからです。

以前に述べたように、500台の意識レベルにいる人々は全体の4%しかいません。このレベルに至ってはじめて、形を現実とする世界を超越して、レベル500(「愛」)以上が示す非線形的な現実に踏み入ることができます。そのレベルでは、「愛」が世の中や自分自身に対するあり方となり、神に接触する方法となります。

Q:”熟練した”霊的探求者とはどのような人のことでしょうか?

A:熟練者は、”あちら”も”こちら”もないことを知っているので、起ってくることすべてに責任を取ります。また、起ってくる出来事はすべて、かつて自分自身の”内”にあると思って抱えていたものが現れているにすぎないということを認識し始めます。ですから、投影の傾向がなくなります。”罪のない犠牲者”という立ち位置は、そのすべての見せかけの”純粋さ”とともにはがれ落ちていきます。

不幸は、過去に自分が否定し、無意識の中に押し込めてしまったことの結果です。ですから、自分の内をよく見つめて不幸の種を発見し、それを明るみに出すことで、改善することができます。

信条は、あなたの体験が決定します。ですから、外的な”原因”は存在しません。自分自身の無意識の投影を見つめることで、そこから得ている密かな報酬を発見することができます。無意識に流し続けているプログラムを発見するためには、あなたのうんざりするほどの苦悩や嘆きを書き出し、それをまったく反対のものに置き換えるだけでよいのです。

「わたしは人から嫌われる」は、自らの内なる憎しみに由来します。「誰もわたしを気にかけてくれない」には、あなたが自分の幸せや利益ばかりを追求し、人のことは考えない自己陶酔者だからです。「わたしは十分に愛されていない」には、あなたが十分に愛していないからです。「わたしは不当に扱われる」のは、あなたに思いやりが欠けているからです。「わたしは人から嫉妬される」のは、あなたの内なる嫉妬心を反映しているにすぎません。

このようにわたしたちは、自分の書いた世界のシナリオに責任を持つことで、不幸の種を見つけだし、修正することができます。人を愛することで、わたしたちは世の中に愛されていることを実感できます。見返りを求めずに尽くすことで、援助の手が得られます。何かを獲得するために行動することをやめたときに、人生は思いもよらない寛大さを見せてくれます。

このような知覚の変革を遂げたとき、献身的な探求者の前には、日常的な奇跡が起こり始めます。意図せずとも自然に調和に満たされ、喜ばしい偶然や幸運が訪れます。そして最終的には悟りが起りますが、それは意識の中枢からあなたに戻ってきた波なのです。

ディヴィッド・R・ホーキンズ著 <わたし>真実と主観性 より抜粋

覚醒した精神科医の歴史的概要①

ホーキンズ博士について

意識のマップについて

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