「クリぼっち」という言葉が最近出てきましたが、
20数年前、クリスマスに近所のフレンチを予約して行ったら、
たいへん「場違い」な感じがしまして・・・
クリスマスは、独身男女の独壇場みたいでしたが、
しかし、最近の若者たちは、
7割の人が、「クリぼっち」 を寂しいと思わないそうで、
クリスマス商戦に乗らない風潮も増えているようです。
とは言え、昨夜、すなわちクリスマス・イブの夜、清里高原から八王子への帰り道、
韮崎の温泉に寄って、石和の丸亀製麺でディナーしたのですが、
ナント、いつもと違ってガラガラに空いていて、
やはり、クリスマスに「丸亀」を選択する人は少ないようですネ。
大方の日本人にとっては、クリスマスはケーキを食べて、
プレゼントしたり、されたり・・の、ちょっとしたイベントで、
ちなみに子どもの頃、お母さんが夜、こっそり枕元に靴下を置いてるの目撃しましたが、
その靴下っていうのが、こういった「オシャレ」なモノではなく、
お父ーさんの靴下に、チョコボールとか菓子の詰め合わせが入ってまして・・
まあ、それはそれでウレシク頂きましたが、
3つ下の弟ともども、クリスマスにサンタさんが来る・・
な〜んて、思ったことは一度もありません。
で、真っ赤な衣装の「クリスマス」サンタさんは米国由来で、
19世紀末創業のコカコーラが宣伝にサンタさんを「採用」したから・・とのことで、
『子供之友』1914年12月号
うーん、やっぱり経済戦略か・・って感じですが、バレンタインと同じく、軽ーく楽しむのが日本流ですネ。
しかしキリスト教圏にとっては、クリスマスは「聖なるイベント」であり、
欧米社会の「クリスマス幻想」は強固だと、
フランス在住の日本女性が言ってます。
今年からクリスマスをボイコットすることにしました。数年前からうすうす気がついていたのですが、イエスの誕生を祝うというクリスマスは完全にでっち上げだということにガッテンがいったので。
でも、ここフランスの仲間たちは、いろいろわかっている割には、幼少からの洗脳がとれず、家族とのクリスマス幻想から脱皮できないのですね。
そんな友人たちの中で、一人ボイコットを実行するのは、なかなか大変ですが、それでも、ずっと騙されてきたことに怒りを表現するのは必要だと感じるのです。だって、それって欺瞞だからです。嘘は身体にとって暴力なのです。
「欺瞞」してると、身体にひびく・・というのは、
サーノ博士も言ってますネ。
で、インボー論によると、12月25日はイエス様ではなく、
ニムロドの誕生日とのことで、
ニムロドって初耳ですが、旧約聖書の登場人物で、神に逆らった「最初の人」で、
ダンテの神曲にも登場します。
<芸術作品におけるニムロド>
ダンテ・アリギエーリの『神曲』では、ニムロドは巨人の姿で登場し、地獄の第九圏において裁かれている。
彼に下された罰は、他人には理解できない無駄話を永遠にしゃべり続けながら、彼には理解できない他人の無駄話を永遠に聞き続けるというものであった。
これはもちろん、バベルの塔における言語の混乱という故事になぞらえてのことである。
「他人には理解できない無駄話を永遠にしゃべり続けながら、彼には理解できない他人の無駄話を永遠に聞き続ける」
って、まるで現代のマスメディアや政治家みたいですが、
そういった「無駄話」に誘導されて、キリストの本質的なものが隠されてきたと、
OSHOは看破してます。
あなたがいつも人に認められる必要を感じているのは、自らが自分自身を受け入れていないからだ。
だからそれに代わる代用品として、人に認めてもらいたくなる。いったん、自分自身を受け入れたら、人が自分のことを良く思おうが悪く思おうが問題ではない。
どう思うかは彼らの問題であってあなたの問題ではない。自分が自分のやり方で人生を生きていれば、それを他人がどう考えるかは、もうあなたの問題や心配ではない。
あなた方は本当に子どもの時から、自分はそのままではいけないのだ、という考えを絶えず浴びせられ、頭に叩き込まれて来た。
こう振る舞うべき、ああ振る舞うべき、そうして初めて自分は受け入れられるのだと。
だから人々が自分を受け入れてくれ、評価してくれ、尊敬してくれたら、それが自分が良い人間だということを意味すると、あなたは考えるようになる。
だが自分を受け入れていないために、このことが世界中の誰にとっても問題のすべてを創り出している。
誰もが他人の意見に依存するようになり、他人の意見に支配されている。こういう単純な事実を見て、私は他人の意見を気にするという考えを捨てた。
するとそれは、まったく名状し難いような自由を私に与えてくれた。ただ自分自身でいられるということは、非常な解放感だ。
磔にされたイエスが、すべてを「赦した」のは、
自分のすべてを「受け入れ」愛していたからです。
世界中で、クリスマスは家族団欒の象徴みたいな扱いですが、
「あなた方は本当に子どもの時から、自分はそのままではいけない」
という意識を叩き込まれたのは、家族だったりもしますので、
クリスマスを祝わなくてはいけない・・モードは、二重の「欺瞞」だったりする場合もあり、
まあ、意識的に、
やりたいからヤルのは、全然OKなんですが、
いずれにせよ、欺瞞なく「自分を受け入れ、愛する」ことが健康面で大切なのは確かで、
そして、これからは、ちょっとした「欺瞞」がどんどん大きくなる時代ですので、
「クリぼっち」、ないし「丸亀」の選択も、全然OKですネ!
私も24日に丸亀製麺の前を通ったときに、『クリスマスだからかー』って店内の閑散さを見て思いました笑!でもいつも混んでるから空いてて良いですね♪
最近はキリスト教を信じない若者も多いみたいですね。
親が教徒であっても…
クリスマスだからって誰かといなきゃいけないなんて強迫観念みたいな風潮も、ゆるーくなってきたかもですね(*^^)
そうそう、これからの時代は、「〜しなくちゃイケナイ」だと、どんどん苦しくなっちゃいそーですよね。とは言え、意識的に楽しむならOKで、個人的にはクリスマスもお正月も大好きです!