京都の大原三千院は天台宗の三門跡寺院の1つで、貴人や仏教修行者の隠棲の地だった場所ですが、
人類の目覚めに貢献するレナード・ジェイコブソン氏は2014年9月、三千院の第62世門主、堀澤祖門大僧正の座禅会の一環として、三千院に招かれ特別クラスを開催した際、
まるで「地上の天国」のような所で、ここでは実在(プレゼンス)を容易に体験出来ると言ってます。
三千院は2017年2月、鞍馬に行った際に立寄りましたが、
とても風情ある佇まいの里で、
確かに三千院は、
静かに座禅を組むのにピッタリな場所で、
雪化粧が静けさを、
一段と引き立ててましたが、
この日たまたま三千院では、
大根をふるまう「接待」をしてまして、
これがめちゃくちゃ美味しいふろふき大根で、
恥ずかしがらずに「おかわり」しておけばよかったと、
今でも時々思い出すほどのイイお味で、
ウチは修行より「食い気」って感じですが、大原は「しそ」とか、
食べ物が美味しいところのようで、
三千院の他にも寂光院とか実光院とか、
天台宗の寺院が集まってる素敵なところでした。
そういえば帰りに三千院前の団子屋さんに入ったら、
これまたメチャ美味しいみたらし団子で、
しかも量がたっぷりで、
対面にいた赤ちゃん連れの若夫婦とそのご両親は5人でシュアしてましたが、よっぽど美味しかったのか、
赤ちゃんが「もっと食べたい!」と泣いちゃって、
しかし、もう全部食べ終わってまして・・・
その泣き方があまりにもわかりやすかったので、思わず(ヘンな顔して)あやしちゃったらスグ泣き止んでくれました。
一瞬一瞬に生きている赤ちゃんは自分の欲求に正直ですが、欲求をスルーすることも一瞬で起こり、
自分自身を含め、決して誰も「批判」しませんが、大人になると誰もが多かれ少なかれ、無意識的に批判をしています。
<批判>
実在(プレゼンス)はまさにその本質によって「受け入れる」「許容する」「包み込み」です。あなたが批判することに没頭しているならば、この瞬間に存在することはできません。それは実在(プレゼンス)には批判が存在しないという、ごくシンプルな理由からです。
批判のエネルギーは、あなたを直ちに実在から連れ去り、分離の中へと連れていきます。そして、あなたが批判をし続ける限り、あなたは分離の世界に留まります。
目覚めの最も重要な鍵の一つが、批判を超えることです。しかし、どのようにして、あなたは批判から、自分自身を解放させることができるのでしょうか。
批判を拒絶するか、追い払うと、批判はあなたの内面ですくすくと育ちます。批判があなたの内面から涌き起こったらその都度、批判を持っているのは自分であることを自覚して、そのことを深く受けとめて曝け出し、打ち明けなくてはならないでしょう。そして、あなたはこのことをまったく批判しないで行うのです。
批判があなたの内面から涌き起こったらその都度、ただその批判を認めましょう。批判を嫌がらず、批判を批判しないことです。この瞬間に存在する誰かか、神に打ち明けましょう。神はあなたの内側の、静寂のまさに中心に存在します。
「神様、見ていましたか。批判が涌き起こってきました。このことを神様に打ち明けます。神様は絶対に批判することはありませんので、神様がこのためにわたしを批判することはないと、わたしは知っています」
批判のエネルギーを自分が持っているものだと自覚して、深く受けとめることが重要です。そして、そのことを打ち明けるのです。しかし、そのことを信じてはなりません。
誇張することが助けになります。極端にばかばかしいほど批判的になって、一週間過ごしてみましょう。花を批判しながら歩きましょう。花に「その黄色が気に入らない」と言うのです。木に「背が全然高くないね」と言うのです。青空に「色がまったく青くないね」と言うのです。大げさに演じましょう。楽しみましょう。そして、批判している自分自身のことを、まともに受け取らないことです。
自分自身か、他者を批判するときはいつも、その批判の意識まで運び込んで、打ち明けましょう。次第に、あなたはあなた自身の内面の、批判のエネルギーを暴露します。すると、批判のエネルギーはあなたを支配する力を失うのです。批判のエネルギーは溶け始めます。あなたがどうにかして追い払おうとしたからではなく、あなたが快活に批判のエネルギーを容認して受け入れたからです。
批判は愛と受容に直面すると降伏します。
批判を持たなければ、分離の世界にあなたを留めるものは何もありません。さあ、あなたは自由です。今ではあなたは神のようです。あなたは批判を持たないので、一体性(ワンネス)と人生の真実の家に帰還できるのです。
もし人類が耳を傾けるのであれば、これは実際に人類を解放させる手引きです。
「批判」というマイナス感情に該当するバッチフラワーはビーチですが、
不思議なことにビーチを必要とする人の多くは、過度に「寛容な態度」を取りたがり、
自分が批判してることを無意識下に抑圧する傾向が強いのですが、
これからの時代、無意識下にある「批判」を洗い出すことが何よりも大切なようです。
最近では「知らん顔の親」も多いようですが、
子どもは泣くのが仕事のひとつ。とはいえ、静かな空間で甲高い声を出されれば、「子どものやることだから」と思えなくなってはくる。しかし、意外と街中にはいないだろうか。子どもを泣かせっぱなしで知らん顔の親たちが……。
ジェイコブソン氏が言う通り、大原は「実在(プレゼンス)を容易に体験出来る」場のせいか、
この時の赤ちゃんの親御さん達はとても「実在」的で、
出る際に「ありがとうございました」と挨拶して頂き、とても気持ちのいい思い出ですが、
レストランとかで子どもが騒いでいて「ムカっ」としても、そういう自分を意識出来ていればOKで、
その「ムカっ」が無意識に沈んだ場合、「罪」となります。
<罪>
唯一の罪はあなたの無意識の罪だけです。
犯罪が起きる背景には必ず無意識に沈んだ「罪」があり、
実在(プレゼンス)から来る素直な表現は、泣こうが騒ごうが、ちっとも「罪」にならないことを知った三千院前の団子屋でした!
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