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アリーナ・ザギトワ選手に学ぶ「パワーとフォースの違い」とオリンピックの意識スケール

アリーナ・ザギトワ選手に学ぶ「パワーとフォースの違い」とオリンピックの意識スケール

女子フィギュアスケートはロシアの15歳、アリーナ・ザギトワ選手が圧倒的な強さで金メダルでしたが、

このしなやかな強さは間違いなく、
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「フォース」ではなく、「パワー」でしょう!

<パワーとフォースの違い>

私たちが研究していくにつれて、パワーが「意味」から生じているということがわかってきました。また、パワーは「動機」や「原理」とも関係しています。

パワーは生命そのものを常に支えてくれます。そのパワーを、人間の気高さという性質として見ることが出来ます。「気高さ」とは、フォースにおいて私たちが「俗っぽい」と呼ぶものと相反するものです。

パワーは私たちを高揚させ、立派にも気高くもしてくれるものです。フォースは、常に正当化されなければなりませんが、パワーは正当化される必要はまったくありません。フォースは、部分的なものに関係してますが、パワーは全体に関係しています。

フォースの本質を分析すれば、それがなぜいつもパワーに負けるのかという理由は明確です。それは「反発力」という物理学の基本法則にしたがっているからです。つまりフォースは、対立するフォースを自動的に創ってしまうのです。したがって、自ら制限をつくってしまいます。

フォースとはひとつの動きであり、対立する中で「ここ」から「あちら」へと移動します。少なくともそう試みるのです。それとは異なり、パワーはじっとしています。動かないフィールドのようなものです。例えば、重力そのものは何に対しても動きませんが、それが持つパワーは物質すべてとそのフィールド内で動かすことができます。しかし、重力のフィールドそのものは動きません。

フォースは、常に何かに対立する行動をとりますが、パワーは何に対してもまったく敵対的な行動はとりません。

フォースは不完全なものであり、絶えずエネルギーが与えられなければなりません。パワーは全体であり、また完璧なものです。外部から何も必要としないし、まったく要求もしません。ニーズがまったくないということです。

フォースには、ものすごい食欲があるので、絶えず消費してしまいます。パワーはそれとは対照的で、エネルギーを与えながら前進させ、供給し、動かし、サポートします。

パワーは、命とエネルギーを与えてくれます。そして、フォースはこれらを奪い去るのです。パワーは「慈愛」とつながっていて、自分自身がポジティブな意識になっていることに気づかせてくれます。フォースは判断や批判とつながっていて、自分自身がみじめに感じられるだけです。

フォースは、常に対立するフォースを必要とするので、融合どころか勝ち組と負け組の二つに分極することは避けられません。絶えず敵と顔を合わせていなければならないので、常に守勢にまわることになります。しかし防御的な姿勢は、経済活動においても、政治活動においても、あるいは国際情勢であっても、コストがかかることは避けられないのです。

パワーの源を探っていくと、それは「意味」とつながることがわかります。また「意味」は、生命の大切さとつながっていることもわかります。

フォースは具体的かつ論理的なので、議論好きでもあります。フォースは「実証」することと、他からのサポートを必要とします。

しかしパワーの源は、議論する必要はなく、証明する対象にはなりません。自明なので論争する必要はないのです。健康が病氣より大事であり、名誉は不名誉より望ましく、信頼と信用は、疑いや皮肉より望ましく、破壊より創造が望ましでしょう。これらはすべておわずと知れたことで、証明する対象とはなりません。結局、パワーの根源について言えることは、唯一、「あるがまま」存在することといえるでしょう。

こちらの書からの抜粋ですが、

重力を味方にするパワーの力で、ピョンピョン飛んでましたネ〜
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著者のホーキンズ博士は、ノーベル賞科学者と共著する精神科医でしたが、

覚醒した後は一時期隠遁し、カンバックした方です。
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その後、わたしはそれまでの生活と、それにまつわるすべてのものを後にして、小さな町で隠居生活を送る必要がありました。それからの7年間は、瞑想と研究についやしました。

当時は求めずともひとりでに圧倒的な至福の状態に包まれたので、わたしは「神性の臨在」とともにいながら、世の中で機能する方法を模索しなければなりませんでした。また、世界で何が起こっているのか、認識できなくなっていました。わたしは研究や執筆を続けるために、すべての霊的な実践法を中止して物質世界に集中する訓練をしなくてはなりませんでした。

で、200以上がパワー、175以下がフォースですが、

・・・・・・
<1~1000の意識のスケール>

700-1000・・・解脱(言語を絶した)
600・・・平和(至福)
540・・・喜び(静逸)
500・・・愛(崇敬)
400・・・合理性(理解)
350・・・受容(赦し)
310・・・意欲(楽観的)
250・・・中立(信頼)
200・・・勇気(肯定)

175・・・プライド(軽蔑)
150・・・怒り(憎しみ)
125・・・欲望(渇望)
100・・・怖れ(不安)
75・・・悲嘆(後悔)
50・・・無気力(失意)
30・・・罪悪感(咎める)
20・・・恥(屈辱)

( )は対応する主な感情

・・・・・・・

スポーツの世界は、この「意識の研究」が応用出来る好例とのことです。

世界でも有名なスフィ教徒のダンサーたちは、規律を守りながら動きまわることが出来ます。最もレベルの高い武道においては、ずば抜けた技を達成するには、「動機」と「原理」が究極的には重要であることを明確に示しています。武道を習得した彼らは口をそろえて、「力をむりやり使わないこと」と言います。・・彼らの唯一の感心は、本当のパワーに基づいた目標に専念して、そしてコントロールやトレーニングを通して、高次元の自分によって低次元の自分に打ち勝つことです。

このような高いパワーのアトラクターパターンに自分を合わせることは、ただ訓練の場面だけでなく、生活全般に浸透せざるをえません。したがって、修行者にその道となる原理のパワーが生まれると、その人間の生活の至るところに結果が現われ始めます。

本当に素晴らしいアストリートの証とは、いったい何でしょうか?それは、パブロ・モラレスが1992年の夏季オリンピックで金メダルを獲得した後に示したように、常に謙虚であるということです。

彼らのようなスポーツ選手は、感謝と経緯を表現しています。しかも彼らはその素晴らしい結果が、けっして個人的な努力のみでないと気づいています。つまり、最善を尽くした個人の努力によって、突破点(ブレイクスルー・ポイント)に至るのですが、しかしその時点から、自己のパワー以外のもっと偉大なパワーによって動かされるようになります。そのときよくあるのは、今まで知らなかった自分の側面を発見したり、知っていても初めて最も純粋な形でそれを体験することです。

15歳のザギトワ選手も、スゴい体験をしたのでしょうが、
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オリンピック選手でも200以下の場合があり、

オリンピックに選ばれた選手たちのごく一部に、私生活でもおおやけの場でも悲惨な結果を招いた例があります。ある有名なフィギアスケートの選手のスキャンダルには、200以下のレベルから生じている動機が明確に現われました。

利権だのなんなのと色々言われてはいますが、オリンピック自体は390(測定当時)です。

で、フォースが「対立」を煽るのに対し、

パワーは「意味とつながる」とのことで、

国連本部にも招待されたというマグネット・サービスの「クライオン」さんは、

1995年11月21日、クライオンはニューヨーク市の国連本部におけるSEATで講演をした。招きに応じてジャンとリーが国連のゲストや選り抜きのグループに、講座やトーニング、瞑想、そしてチャネリングを行った。

「新しいパワー」について、こう述べてます。

言葉に表すことと視覚化より偉大な新しいパワーはありません。

この二つが組み合わさって、ネガティブさと暗闇のほか何もないところに目的や物質を作り出します。

それがわかっていながら、どうしてじっとしていられるでしょう?

ホーキンズ博士も「新しいパワー」にかられて、言葉の世界にカンバックしたのかもしれませんが、

「言葉」と「視覚化=イメージ」から成る、

「新しいパワー」には今までにない躍進力があるとのことで、

今の若い世代は、生まれた時から意識レベルが格段に高いとの情報もあり、

「勝ち組と負け組」の対立構造を超えた、15歳のザギトワ選手の統合的・完璧な演技に拍手です!


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