3.11の約一ヶ月前、ご自身のブログで「陸前高田」の地名にまで言及して知名度を上げた予知能力者の松原照子さんは、
震災直後、2011年秋の著作で、
あと10年間は地震の動きに気を緩められないと述べてました。
改めて申し上げておきますが、福島原子力発電所の事故は想定外なのではなく、自然界を馬鹿にしていた一部の人間の欲や権威や利権、それと自分は賢いとうねぼれていた知識人達による人災です。
阪神淡路の大地震も私は人災だと思っています。
自然を見て私達が作り出せるものが、本当にあるでしょうか?
自然の素材を創意工夫し、ある人はひらめきから発明をし、またある人は発見もする。このこと自体、本当は自然界が愛を与えてくださったことだと思っています。私たちも自然界にご恩返しとしないと、自然界からお叱りを受け、このたびのようなことになると思うのです。
そして、最新作では2020年の東京オリンピックの頃が怪しいとのことですが、
前述の2011年の著作において、こういう一文を見つけ、
近年中にまた、わが国の先生がノーベル賞をとることでしょう。
この発明は手術を大きく変えることでしょう。
見えたことが書きにくいのですが「体内で再生」?
こんなイメージがしました。
これは STAP細胞の小保方さんのことのように思われますが、
小保方さんは今やノーベル賞どころか、別人のようになってますので、
どんな予知能力者でも「ドンピシャ」と当るとわけではなく、大枠の流れをキャッチしていると見た方が良さそうです。
2016年10月15日の清里は八ヶ岳がくっきり見える、
雲一つない快晴に嬉しくなり、野花の朝露を口にしたら、よりいっそうハッピーになれました!
今年の紅葉は、やや薄ぼんやりした感はありますが、
それなりに色づきつつありますので楽しみです。
今日は1年前に20歳7ヶ月で大往生した愛猫クレちゃんの命日なんですが、
亡くなる4日前には、珍しく旦那の手をペロペロなめてご挨拶し、
「そろそろかな〜」とクレ自身が決めたような逝き方で、
10月15日、まるで旦那のお父さんの命日と合わせたかのように、静かに眠るように息を引き取りましたが、
太古のレムリア時代に覚醒し、宇宙の真実を伝えてくれる「ラムサ」によると、
「生命」とは決して途絶えることのない、永遠なる存在です。
思考そのものの全体である神は、まさに壮大な舞台だ。そして、あなたの好きな脚本を書かせてくれ、配役ごとにそれを舞台の上で演じさせてくれる。そして、幕がおり、最後の言葉が語られて、お辞儀が終わると、あなたは死ぬ。
いったいなぜだ?それは、すべての法則のつくり手であるあなたが、そうなると信じているからにほかならない!
この人生はすべてゲームなのだ。それは幻なのである。すべてがそうなのだ。だが、それを演じているあなたたちは、それがたったひとつの現実であると信じ込むようになってしまった。だが、これまでも、そしてこれから存在するたったひとつの現実とは、生命そのものである。自由で、しかも連綿と続いていく「在るもの」の本質的な部分であり、それはあなたの好きなように自分のゲームを創造させてくれるのだ。
思考によって自分を無知や病氣や死へと追いやる力が内面にあると気づくとき、さらに大きく広がる限りない思考の流れに自分を開いてやるだけで、自分にはもっと偉大なものになる力があることにもあなたは気づくだろう。
その流れがさらに大きな才能と、創造性と、永遠の生命とを持たせてくれるのである。もともと身体を創造した張本人である神とは、実はあなたの内面に宿っている力であることに気づくとき、あなたの身体はもはや老いることも、消滅することもけっしてなくなる。しかし、自分の信念に固執し、思考に限界を課してる限り、朝の太陽に輝きを与え、黄昏の空に神秘を与えた永遠を体験することは、けっしてないことだろう。
自分がこの地上界から消滅すると定めたとき、いったい何が起るのだろうか。もちろん肉体は死ぬが、あなたの目の奥で静寂の中に思考している存在はずっと生き続ける。
この地上を去るとき、もしあなたが死ぬと決めたのなら、真のあなたは、地中に埋められ、朽ち果てて灰を化するわけではない。あなたは風とともに存在し続けるのである。行き先は、この地上界であなたがいたところだ。そこであなたは、次回の冒険で何をしたいかを決めるのである。
そう、すべては冒険でしかないのだ。そしてあなたは、神としての自分の真性を再び手にするまで、何回でも、望むだけここ地上界に戻ってくることになる。その後で、今度は別の天界、別の場所でのさらに壮大な冒険に向っていくのだ。
皆は自分の想像を超えてはるかに愛されている。というもの、何をしようとあなたは生き続けていくからだ。
だったら、なぜこれまで心配してきたのだ?なぜ戦ってきたのだ?なぜ自分を病氣にしてきたのだ?なぜ哀しみに打ちひしがれてきたのだ?
なにゆえに、自分に限界を課してきたのだ?なぜ昇る朝日の荘厳さを、風の自由を、そして子どもたちの笑い声を楽しまなかったのだ?
あなたは何度も何度も生きる。あなたの種は永遠不滅の存在なのだ。あなたがどんなに疑念を持とうと、自分の世界を限定しようと、どれほと心配し、絶望しようとも、あなたがけっして消せないものがある。それが、生命というものだ。
どんなに心の目が盲いた貧しい人間であろうと、必ず生命はある。それが神と呼ばれるものが表す価値観でもあるからだ。そしてそれは、あなたのことなのだ。
あなたが生きているこの人生は、夢だ。大いなる夢、言わばうわべなのだ。それは、思考が物質と戯れている姿であり、夢見人であるあなた自身が目覚めるまで、あなたの感情をその中に拘束しておくための深遠なる現実をつくり出しているのである。
自分がどれほど美しいか、あなたはついぞ知ることがなかった。自分をしっかり見たことがなかったからだ。自分が誰なのか、何者なのかを見据えたことがなかったのだ。
神がどんな姿か見たいだろうか。鏡のところに行ってみよう。そうすれば、あなたは神と向き合っているのだ!
自分が価値ある人間であることをまず知ることだ。あなたの真価を評価できる物差しなどない。あなたの美を描き出せる像もない。そして、あなたの世界に終わりもないのである。
最も偉大な説法は、山上に立ったある師によってなされたものだ。そこに立つと、その師は聴衆に向ってこう言った。
「神を見よ」それだけしか言う必要はなかった。神を見よ。なぜなら、一人ひとりが、限界も、望みも、病も、貧富も、よろこびも哀しみも、生命も、そして・・・その死も、すべて創造していたのだから。
神を見よ。それを覚えておくことだ。あなたは、すべてのものに宿るあの存在なのだから。いつの日にか、あなたも神を見ることだろう。自分に触れてみるとよい。ただそれだけでいいのだ。
松原氏が言う通り人間はもっと謙虚になって、動植物らと同じく自然の一部であり、
永遠の生命である「自分本来の姿」を想い出す必要がありそうですネ。
秋の八ヶ岳もやはり美しいですね!
先週送られて来た甲州葡萄、今年は天候事情で小粒らしいと断りがあるも、タイミングなのか今までで一番美味しく感じてどんどん進みました。置いてあるだけでもアロマのように心地よく香っていました♪
その葡萄の生い立ちを、イルカさんのblogを通じてイメージしています(*´∇`*)
いつだったかテレビで、猫苦手なお笑い芸人が借りてきた猫たちと狭い所に入れられる実験で、猫が膝に乗った頃にモニターしてるスタジオから「動いてみて」と誰かが言ったら迷わず「やです!」と言い切ったのを見て、猫が人の心を操るってこういうことか~と感心しました。
いつも興味深いお話をありがとうございます。
猫って人間みたいに個体による性格の違いがわかりやすいなと、知人の家に行く度に思います。
標高の高い所は寒いと思いますが、でも空が高くて吸い込まれそうな気持ちの良い季節ですね。写真を拝見してそう思います。
わかえさん、興味深いコメントありがとうございます。
<甲州葡萄、今年は天候事情で小粒らしいと断りがある>
地元の話では今年は日照不足で売り物になるのが少ないとのことですので、イイもの廻ってきたのは、めちゃくちゃラッキーですよ。
<猫が人の心を操るってこういうことか~と感心しました>
ホント、猫って魔力がありますよね。
うちの旦那さんは犬派だったのですが、クレ&マメ兄妹が子猫で来たとき、タバコの煙で逃げられちゃって、それで「禁煙」したんですよ!
旦那の方が「カン」がイイのか、「ドア開けろ!」とかテレパシーを送られてました。
犬は飼い主に合わせるけど、猫はヤタラと合わせないので、お互い歩み寄る関係がイイですネ。
<空が高くて吸い込まれそうな気持ちの良い季節ですね>
最近よく、健康の秘訣を聞かれるのですが、毎週、清里に来て「スッキリ」が一番の要素かも?まあ、どこにいてもイメージさえ出来れば「スッキリ」は可能なんでしょうが・・
これから本格的に寒くなりそうですが、どうぞお身体ご自愛下さいネ。
いただいた葡萄たちは厳しい環境で円熟味を増した精鋭たちだったんですね。“ありがた味”倍増です(ノ_<。)
セルフビルドのおうち本当に素敵ですね!
環境も素晴らしく、絵本の世界みたいって思ってます。
少し前に意識や感情を材料や大工さんに例えていたお話、とても参考になり合点がいきました。
なるほど自分が家を素敵にコーディネート出来ないのは手先も内面も大工が無器用だからだ(笑)
それでも素敵なおうちを見ると希望が湧きます。
積雪あり管理するのは大変かと思いますが、四季折々のお裾分け、いつもありがとうございます。