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反ソルフェジオ周波数戦略とホモ・スピリラスの誕生

反ソルフェジオ周波数戦略とホモ・スピリラスの誕生

近代世界においては、偽装はより巧妙で、きわめて誘惑的です。たとえば、ネガティブなエネルギーは人を陶酔状態に陥らせたうえで、中毒性の精神に穴をあけ、快楽で魅了します。なかでも最も巧妙なのは、現代音楽に付随する搬送波を利用する手口です。

ナイーブな批評家は、ネガティブ性はリリック(歌詞)に表せられると思ってますが、ネガティブなメッセージはそこにはありません。前書で述べたように、ヘビーメタルのような音楽をホワイトノイズ(白色雑音)のヘッドフォンでふさいで聞こえないようにしても、キネシオロジーテストで被験者は瞬時に弱い反応を示します。

被験者は200以下に測定され、そのレベルにしばらくの間とどまります。とらわれた犠牲者の精神は、同調現象でよく知られるように、その場に支配的なエネルギーに従属してしまいます。同調した精神はむき出しにされ、脆弱になり、簡単に破壊的な活動やグループ、そして暴力や俗悪さを崇拝するような下位文化全体の影響を受けます。ネガティブ性は放送波を通して、若者向けの娯楽番組を支配します。若者は最もナイーブで、簡単に快楽やきらびやかさに魅了されてしまうのです。

霊的な真理を脅威とするこうしたエネルギーの目的は、堕落させることで真理を打ち負かすことにあります。今日、低次アストラル界のフォースが地上に侵入する最も顕著な方法はメディアーテレビ、映画、とりわけビデオゲームーを介してのものであり、暴力や誘惑、そして衝撃的な印象を与えるための霊的なシンボルの意図的な侮辱という形で、悪があからさまに、魅力的に演出されています。あう

過去においては、献身者はそうした罠を退け、厳格に偉大な教師や覚醒した聖者の規律にしたがい、道を踏み外して魅惑的な落とし穴にはまらないようにしました。この安全策に加えて、献身者は、”神聖な仲間とともにいて”、悪を避け、それと闘わないように奨励させましたー闘いに引き込むことも、ネガティブなエネルギー系統の好む戦略です(これは、最近の若者の間で流行の、アストラル界のエンティティの階層について描かれたビデオゲームでも見ることができます)。

偉大なアバターが存命中の時代は、マスメディアが普及していなかったので、グループに忠実でいれば安全でした。しかし、現在は、マスメディアが幅広く浸透しています。一方、人類のエネルギーレベルがますます霊的な真理に向かって進化しているので、霊的な価値観は、今では統合的な企業文化の中にも取り入れられています。

ヒト科の系統を表したさまざまな系統樹は、発展しながら枝分かれしていく様子をラテン語表記で興味深く示していますが、それは人類学的基準における形態と機能を基盤にしています。近年発生したホモ・サピエンスは、直立歩行するだけでなく。理性と抽象的な思考を使うことが可能でした。そして、その意識レベルから、今度は自我を中心とする動物的本能が優勢だった状態を超えて、自己中心的な利己主義を親交や愛情、他者に対する気配りへと発展する能力が生まれました。そしてそれは愛のみならず、無条件の愛、慈悲へと発展しました。こうして、人類に対する低次アストラル界の支配は、意識が進化し、霊的な気づきが芽生えたことでその座を奪われてしまいました。

このように進化した高度な霊的意識状態は、自我を基盤にしていた祖先よりもはるかにパワフルであり、実際に自我の立ち位置のより低いレベルを識別し、無効にし、吸収するという、必要不可欠なパワーを与えられました。そして、内面の「自己」の輝きによって自我は溶解し、<わたし>の感覚がそれに取って代わりました。

人類の中に立ち現れた、究極の「真実」、「存在」と「創造」の源、基底としての神の認識は、さらに進化した新人類「ホモ・スピリラス」の発祥を告げています。

「ホモ・スピリラス」という言葉は、目覚めた人類を表し、彼らが物質性から霊性へ、有形から無形へ、線形から非線形へと飛躍的な進化を遂げたことを意味しています。目覚めた人類は、生命の進化という、一見すると階層化した、常に複雑な表現を持った系統樹の核心をなしているのが意識そのものであることを知っています。つまり生命は、比較的無意識の線形性から完全に意識的な非線形性に変容し、「創造」は「非顕在」が「顕在」に現れいく姿であることを明かすのです。古くから「覚醒」と呼ばれている状態に達することは、意識の潜在的可能性を進化の過程で完成させることを意味しています。

唯一の「神聖の、絶対的、至高の真実」があり、この「真実」こそがあらゆる可能性、次元、領域、宇宙を超越する、生命と存在の源です。覚醒とは単に、生まれ待った真理が自らの存在の核心であり、「自己」として立ち現れる神が輝きとなってその実現を可能にするということを、完全かつ意識的に認識することです。「神の無限のパワー」は、「無限のコンテクスト」のパワーが顕在化したものです。「非顕在」は、「無限のコンテクスト」さえも超越しています。

「神の栄光」は、「存在の源」として、そして「無限の<わたし>」である「自己」の主観的な気づきが知覚する「真実」として、輝きを放つのです。

いと高きところにいまします神に栄光あれ!

ディヴィッド・R・ホーキンズ著 <わたし>真実と主観性 より抜粋

この記述の前半部分はこちらで・・

ハリーポッターの仕掛けとネガティブなアトラクター

ソルフェジオ周波数のジョン・レノンの曲と二人のデヴィッド

覚醒した精神科医の歴史的概要①

ホーキンズ博士について

意識のマップについて

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