人間とは、ちょっとしたことで幸福感が高まったりしますが、
最近知った「ベビーマグちゃん」のおかげで、
洗濯する度に、「いいもの知ったな〜」とウレシクなり、
「洗剤ではない」マグちゃんでは、ダウンも洗えるとのことで、
洗えない・・とされる「オイルドジャケット」に洗ってみたら、
汚れや砂埃をブラシでよく払い落とし、水を含ませたスポンジなどで軽く表面を拭き取って下さい。
clairen
ちゃんと、洗えました!
マグちゃんは洗剤じゃないので、水の弱洗いで皮脂の臭いもなくなりスッキリです。
「オイルド」加工は、英国上流階級のお気に入りとのことで、
これは、米国LLビーンのモノですが、購入して数年来、
はじめて洗濯した次第で、
「なんで洗えない生地なんか使うんでしょうね〜」
と、つぶやいたら、旦那さんが、
「あいつらは、まだ戦闘状態なんだよ・・」
と、ポツリ。
うーん、確かに外人さんは傘をささないので、
濡れてOKな衣服を好むのでしょうか?
傘をさすと片手がふさがり、
荷物があれば両手がふさがりますので、
そんな無防備で歩けるのは、日本人の暢気さを象徴してるのかもしれません。
世界中で繰り広げられてるキナ臭い状況を思うと、
皆が傘を差しているのは日本の状況はありがたいのかもしれませんが、
フロイト派の岸田秀氏は、
そんな日本人は、ペリー来航以来、精神分裂(統合失調)状態だと言い、
そして戦争の勝敗より、「精神的価値」が消えることが問題だと指摘します。
勝った負けたは一時のことで、
日本人の強さ・精神性を崩そう・・作戦は、今も継続中という自覚が必要です。
さて、明治30年、10月10日生まれの河野十全氏は、
群馬県中之条町生まれ、
17歳で上京し、書生しながら夜学で學び、人一番働き、実業家で成功し、
お国に、飛行機を献上するほどの財力の持ち主でしたが、
戦後は精神世界に転向しました。
そして、戦争という嵐の前には、宗教も哲学も、倫理、道徳も、無力だ、ということを実感しました。
人間の愚かさと哀れさをしみじみと知り、真理に対する強い憧憬が生まれると共に、 神仏のありか、永遠絶対の真理を探求することを決意したのです。
まだ40代の後半でしたが、それまでの実業界から手を引いて、精神世界に身を投じました。
そして1998年、100歳を全うし永眠したとのことですが、
そのシンプルなお言葉は、体験者ならではの深みがあります。
「月刊人間2018年8月号・自然生活法」より
「よく考えろ」などと、人間は、あまりにも考え過ぎる傾向があるようです。
思い過ぎ、考え過ぎて、物事を難しく、複雑に膨らませて、かえって悪い結果を招くことが、往々にしてあります。
簡単、単純が一番いいのです。
もっと単純にしていれば、必要なことだけに気がつくようになりますから、生活が簡単になります。
患いや悩みがなくなります。
自然の中に自己があると、自然に自己が乗って生きることができます。
そうなると、自己の思うことが、不思議と成就するようになります。
不思議が当然となってゆくのです。・・
この自然作用の利用、自然に乗る、ということが大切です。
ついている人、やること為すことがみな、とんとん拍子にゆく人、などというのは、自然に乗っている人のことです。
「引き寄せ」テキストをいくら読んでも、
自然さがナイと、幸福にはなれないようで、
幸福とは、不快なことがない状態ではなく、
それを上回る「楽しさ」があればイイと言います。
「気の幸福論」より
人間が生きるにあたって、その最も大きな推進力となるものは、「楽しさ」である。
楽しさがあり、また、事実、楽しいからこそ、日常のはんざつな生活もいっこうに気にならない。
たとえ、不快な出来事があっても、それを超えるはるかに大きな楽しさをもっていれば、 よほどのことでないかぎり、大して気にもならず、たちまち忘れ去ってしまう。
この楽しさは、幸福につながるものである。
…現在、幸福である。
…現在は、まだ必ずしも幸福といえないが、将来は幸福になれることを確信している。
…将来においても確信はないが、しかし、いつかは幸福になれることを希望し、期待している。
このように、人により異なるにしても、「幸福」というものがあればこそ、私たちが生きるための力を得ることができる。
幸福につながる楽しさがあれば、私たちの生活は特にそのための努力をしなくても、ひとりでに推進される。
これが人間の生命を保持するための大きなエネルギーとなっている。
不快なことばかりに注目して幸福感からズレちゃうと、
どんどんエネルギー不足になって病氣になるわけですが、
ズレちゃうのは「心」だと、十全氏は看破します。
「人間読本・人間を知る」より
一番、誤りを犯しているのは、心というものを作ったことです。
人間は、誰も心を持っているけれども、人間の作った心は、社会的なものであって、人間を誤あやまらしめ、人間をよくするものではないのです。
せめて、心というならば、精神という形で、意識を正常なものとしておかねばならないのです。
人間の意識というものには、自我性の意識、貪欲な意識、我がまま勝手な意識というような、心的意識が多いものです。
これに警戒しないと、自分で自分を悪くし、弱くし、損をし、不幸にしてしまうのです。
それは、人間心と称する、社会性の意識のことですから、その自我性の意識、私が私がという、自分本位の我がまま意識を、警戒せねばならないのです。
「心が大切・・」だとよく言われますが、
「心」には、人間の作った偽の「心」があり、
マインド・コントロールされてる「心」は、ほんとうの「心」ではありません。
「心が折れちゃう・・」みたいな状態の時、バッチフラワーが活躍しますが、
バッチフラワーは、幻想の「心」から引き戻してくれるツールで、
ゲンチアナは、ちょっとしたことで落ち込んでる時に使いますが、
考え過ぎな傾向があるのがゲンチアナタイプの特徴で、
しょっちゅうゲンチアナ状態になる人は、
「心というならば、精神という形で、意識を正常なものとしておかねばならないのです」
を、心がけた方がイイようです。
それにしても「心の戦争」ほど辛いものはなく、
かくいう自分も23年前、30代半ばにして戦争状態に突入したことがあり、
はじめての愛犬だったゴールデンリトリバーを、製薬会社上がりの獣医さんに任せたら、
本にもなってる事態となり、
4歳前で早逝しちゃった愛犬のためにと、いくら戦っても、心が折れた状態は回復しないことを身をもって実感しました。
その頃はまだバッチフラワーを知らなかったので、かなり落ち込みましたが、
「赦せない・・」という体験を、とことんしたからこそ、
「赦す・・」という経験も出来たわけで、
医療に関する目が開いたのも、「不快な出来事」のおかげです。
そういえば愛犬が亡くなった夜、旦那さんと庭に出たら、
何かキラキラ輝くものが花びらにあって、
まるで妖精のように光っていましたが、もしかしたら、それは愛犬からの、
「大丈夫、ボクは全然OKですよ〜」の、合図だったのかもしれませんネ!
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