「夏休み」がそろそろ終わるせいか、
それとも、山梨県も緊急ナンチャラの仲間入りしたせいか、
新たな宣言対象は北海道、宮城、岐阜、愛知、三重、滋賀、岡山、広島。発令済みの東京、大阪などと合わせて計21都道府県に拡大。重点措置は高知、佐賀、長崎、宮崎の4県が追加され、計12県。
感染力が強いデルタ株の勢いは衰えず、新規感染者数の急激な減少は見込めない。政府は宣言解除について、ワクチン接種状況や重症者数、病床使用率などを踏まえて判断する。引き続き、ワクチン接種の加速と医療体制強化に全力を挙げる。
8月最後の土曜日の清里高原は、青空いっぱいの晴天にもかかわらず、観光客は少なめで、
今年オープンした、近所の乗馬倶楽部の馬さん達はのんびりと草を食べ、
トンボが沢山飛んでる中、秋桜が咲いていて、
もう秋ですね〜 って感じですが、
このところ気候がおかしいせいか、真夏に秋桜が咲いたりしてます。
気候以上にへんなのが、2020年〜の「コロナ騒ぎ」で、昨日の記事について、
フェイスブック経由でこんなコメントをいただきましたが、
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●貴重な情報を発信してくださり感謝しております。周りの人達にも分かち合いたいと思いますがとても難しいです。
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ホントに「難しい」現状であることを、昨日の記事に貼った内藤氏の動画で、内藤氏が一瞬涙ぐんでるのを見て、改めて認識しました。
ちょっとアヤシイかな・・とも思った内藤氏ですが、ラムさん曰く「別にお金が欲しい方ではないですから・・」とのことで、
暗殺されない理由は、暴露した情報以上の(知られては困る)情報を持っていてるではないかと言ってましたが、ナルホドです。
弟子に好きにやらせていたら「アララ・・」になったのは、OSHOさんも同じで、
ウイグル人を奴隷のように扱っている中共CCPの源泉は、
孔子にあるのかもしれない・・と、OSHOさんのお言葉で思いました。
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孔子はー中国全体が孔子の考え方に影響されているのだがーー女性には魂がなく、肉体にしかすぎず、女性を殺すことは殺人ではないと信じている。だから、何千年もの間、中国では誰かが自分の妻を殺しても、それは犯罪ではなかった。それは、まさにあなたが自分の椅子を、自分の家具を、あるいは自分に属するものである何かを壊してしまいたいと思うようなことだった・・・。あなたがそれを所有している。あなたは彼女を殺してもかまわない。中国には、夫が妻を殺すのを防ぐ法律がなかった。そして、処罰もなった。というのは、女性は物であり、生きているものではなかったからだ。
そして、孔子は世界でもっとも賢明な者たちのひとりだと考えられている。さあ、これはどんな種類の知恵なのかね?彼は儒教の創始者だ。しかし、孔子のしてきたことはすべてのことは、人間のマインドを混乱させる以外の何ものでもなかった。すべての宗教は女性を恐れている。というのも、すべての宗教がセックスを恐れているからだ。
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日本は儒教の教え(親孝行など)を大切にしてきたことが、何も考えずに「従う」風潮を作ってしまったのかもしれず、
ちなみに「たった一つのふくれ顔、まわりのみんなを暗くする」と言う、吉丸さんが賛辞する、
老子は、孔子とは対極にある方で、今こそ、老子のお言葉を肝に銘じたいです。
そのときが来ました。すべては人災で、めまぐるしい世の中、人の心も体も空気も水も大地も病んでいます。
医学、宗教、政治、教育、経済等の方向がすべて狂っているがため、限界がきているのです。今のままではどうにもなりません。
「今のままではどうにもなりません」なので、起きちゃった「コロナ騒ぎ」とも言え、
ウチは、「なるべく逆らわず従わない」でやってますが、
「奴隷にように従っている方が(心理的に)楽なんだな〜」と、つくづく思う今日この頃で、
OSHOさんいわく、人類が奴隷になりたがる傾向と女性解放には関連があるとのことです。
生のすべての責任を取る用意がないかぎり、いつもあなたのなかの何かが奴隷になりたがっていることになる。なぜなら、責任から自由であるのは奴隷しかいないからだ。だが、奴隷は友人にはなりえない。彼が求めているのは、友人ではなく、主人だ。そして反対の側からも同じことが言える。というのは、あなた方は奴隷を捜しているからだ。あなた方は友人を捜してはいない。そして、誰にせよ尊厳をもつ者は、友情という名で奴隷になるつもりはない。
ツァラトゥストラは、「女性の内部には、あまりに長いこと奴隷と暴君が隠されていた」と言う。責任は男性にある。ツァラトゥストラはそれに触れなかった。たぶん、彼はまだ自分を男性としてしか考えていなかったのかもしれない。彼は、男性と女性の二元性を超越していなかった。彼は、男性として女性について話した。それゆえ、彼は責任を取っていない。
そうでなければ、女性のなかにあるたくさんのよくないものに対する責任は、男性が女性をそう強いたのだ。男性は、女性をほとんど人形にーーまさにひとつの鑑賞品にしてしまった。男性は、自分女性にが要求するのと同じ尊厳を女性に払うことをしなかった。男性は、女性が精神的には奴隷であるように強いてきた。だから当然、何千年にもわたって、女性たちのなかには燃えさかる復習の炎があった。
それは、ささいなことのなかに出てくる。彼女は、夫を苦しめ、口やかましく小言を言い、たえず不満を言う。だが、私が覚えておいてもらいたいことは、その責任は男性にあるということだ。女性はずっと自由を与えられなかった。あなた方が女性を奴隷にしてしまったのだ。・・
女性に友情を結ぶ能力がないのは、女性が自由でないからだ。女性の人格は認められていない。女性の独立は尊重されていない。どうやって女性が友人でありうるかね?そして、もし女性が友情すら知りえないのだとしたら、どうして愛を知ることができる?・・
しかしまだ、女性の愛は、女性のなかのほかの何よりも洞察に満ちている。女性の論理は男性によって壊され、女性の知性は男性によって駄目にされてしまった。・・・唯一、その愛だけが・・・。何世紀もの間、女性はただ男性の性欲のための、役に立つ道具にままでいるようにあらゆる努力がなされてきたにもかかわらず、まだ、女性の愛はそこなわれていない。
だが問題は次のことだ。ゴーダマ・ブッダやツァラトゥストラのような男性にとってさえ、男であることを超越するのは、きわめてむずかしいということだ、女性は、男性の高みには属せず、何かより低いものとしてとどまっている。女性は、どこか下の暗い谷間にとどまっている。
もし、女性に対する男性の絶え間ない暴力にかかわらず、女性のなかに何か生きているとしたら、それは女性の愛だ。女性の愛は、その目のなかにある。女性の愛は、女性の全存在だ。
そして、それが女性解放への唯一の希望だ。それこそが、女性の歴史上初めて、自らの尊厳、そのユニークさ、自らの精神的な成長を達成するための唯一の希望だ。女性はいかなる意味でもどんな男にも劣っていない。
「生のすべての責任を取る用意がない」のは人間だけで、
昨晩、八王子宅の階段に潜んでいたピノちゃん、旦那さんに踏まれてしまい、
ギャー、シーっとか鳴いて、しばらく旦那さんに近づこうとしませんでしが、別に「人のせい」してるわけではなく、危険は去った・・となれば、スグ「忘れ」ちゃいますネ。
孔子ほどではないにせよ、牧師の息子だったニーチェさんは、西洋の男性優位思想から抜け出れなかったようで、「彼は責任を取っていない」と、OSHOさんは言ってますが、
先の講話は1987年3月31日、『奴隷は友人になりえない』という話題からの抜粋です。
友情は、ほとんどすべての哲学者によって、もっとも無視されてきた主題のひとつだ。おそらく私たちは、それが何を意味するのか、自分が理解しているものと思っている。それゆえ私たちは、その深さについて、その成長の可能性について、それぞれ異なる意味合いの、異なる色彩について知らぬまま来ている。
覚えておくべきもっとも大切なことは、人は独りでいることができないから友だちが要るということだ。そして、友だちが必要であるかぎり、人は大した友人になれない。というのは、その必要性が相手を対象物にしてしまうからだ。独りでいることができる者にしか、友人になることもできない。
だが、それは彼にとって必要性ではない。それは彼の喜びだ。それは彼の飢えではない。渇きではない。彼が分かち合いたいのは、溢れ出る愛だ。
そのような友情が存在するとき、それは友情と呼ばれるべきではない。なぜなら、それがまったく新しい次元に入ったからだ。私はそれを「友愛」と呼ぶ。それは関係を超えた。なぜならあらゆる関係は、何らかの意味における束縛だからだ。それは、自分を奴隷にし、他者を奴隷にし、他者を隷属させる。友愛は、どんな条件もなく、どんな期待もなく、何の見返り、感謝さえ望まない、ただ分かち合うことの喜びだ。
友愛は、もっとも純粋な愛だ。
「神は死んだ」のニーチェさんが、1889年イタリアで、鞭打たれる馬を抱きしめ発狂したのは、
傍目には発狂でも、幼子のように感情を解き放ち、第3ステージへ移行したのかもしれず、
ニーチェさんの「超人への道」3段階は、なかなか的を得てます。
第1ステージ ラクダ(重い荷物を背負って修行)
第2ステージ 獅子 (既存の価値観を超え独立)
第3ステージ 幼子 (無邪気・無条件の肯定)
「ニーチェは人種差別主義者ではなかった」けど、獅子的なイメージが利用されがちで、
天才肌のニーチェさんが、真から求めていたのは「友愛」だと思われ、それが得られていたら発狂しないですんだかも・・と残念ですが、ニーチェさんのウィークポイントは「女性」だったようで、女性が恐かったみたいです。
その責任は、またしても男性にある。男性と女性は、その対等性と独自性が当然のこととされて初めて、落ち着いていられるようになる。そのとき、友情が花開くことができる。そのとき、夜と予期せぬ攻撃は消えることになる。
女性は、男性によってほとんど気違いにされてきた。すべての宗教が男が作り、すべての政府を男が作り、すべての仕事を男が作り、すべての社会を男が作り、すべての教育制度を男が作っているような社会のなかで、なおかつ生き延びてきたのは、奇跡だ。女性は生き残ってきたのか?それは奇跡だ。
私が理解する限り、この奇跡が可能だったのは、女性の愛ゆえだ。男性が女性を虐待してきたにもかかわらず、女性はそれでも男性を愛してきた。隷属させられ、鎖につながれてきたにもかかわらず、女性は、母親、姉妹、最愛の人、娘のままでいた。
女性の人格に対するこれほどひどい攻撃に抗して、女性が生き残ってきたのは、ひとえに、存在が男性を必要とする以上に女性を必要としているからだ。存在が女性を保護したのは、女性がそこからすべての生命が流れ出る母であるためだ。生がなお歌うことができ、踊ることができ、世界になおいくらかの美があり、いくらかの優美さが残っているのは女性の愛によるものだ。
女性たちは、世界の人口の半分を構成している。もし、彼女たちが解放され、基本的な生得の権利を与えられるなら、世界は途方もない変容を遂げて行くだろうーー世界はそれを、この上もなく必要としている。
女性は、子ども以外の何かに貢献するのも妨げられてきた。女性は、非常に多くにものに貢献することができる。しかも、その質はまったく異なっている。そこには、より多くの美しさが、より多くの生気が、より多くの愛が、より多くの豊潤さがあるだろう。
コンタクターの坂本廣志氏によると、イラン顔宇宙人が与えた「カバラ」汚染が女性蔑視のルーツとのことですが、
それはともかく、自らの女性性に対する「気づき」がないと、無意識に押し込めたソレに常に苦しむ・・という典型がニーチェさんですネ。
「気づき」のチャンスは、日常生活の中で常にアリ、
ウチの、八王子〜清里往復のリアル生活は、十数年来、相変わらずで、
先週は、一つだけ咲いていたハナトラノオが、
どんどん咲き出し・・
このハナトラノオは、お隣さんから移植したもので、
先週、久しぶりに会ったお隣さんから、
「自由に入って、持って行ってイイわよ〜」と言っていただいたので、
ユーパトリウムと、
小菊も移植しようかな〜
そういえば、Mちゃんから頂いた「花の種」、7月11日はこんな状態で、
どんな「花」なのかな〜 と楽しみしていたら、
先週あたりから、やっと咲き始めました!
何の花なのか・・わかりませんが、キレイな色ですネ!
愛娘さんは今年から「ピアノ」を始めたとのことで、親が強制したのではなく自分からヤリたい・・と言い出し、
そしてラムさんの所には、誰も使ってない電子ピアノがありまして・・譲り受けたそうです。
Mちゃんは、2006〜8年にやっていた「レジリオンス」の皆勤賞さんで、
年齢差もあり、ベタベタせず、自然な流れでのお付き合いがイイ感じです。
さて、令和記念のオフ会のノリで始めた「リアル酵素カフェ」は、
2019年5月、ペルーラムさんの誕生日前日に開催し、
楽しかったので続けてましたが、まさかのコロナになっちゃって、
それでも2020年中はけっこうやり、10月21日の11回目を最後にしばらく休止してました。
で、今後の「リアル酵素カフェ」は、南部町での農業体験や味噌作りなどで展開していきたいな〜 と話してますが、
それとは別に、以前やっていた「レジリオンス」的な集まりをしようかな〜 と、
9月23日、八王子駅前にセミナールームを確保しました。
先週、「リアル酵素カフェ」常連さんがわざわざ清里までお越しいただき、
やはり、直接「会って」会話するのは大切だな〜 としみじみ感じ、
そして、自由になったようで、全然自由でない「女性(性)の解放」こそが、
『医学、宗教、政治、教育、経済等の方向がすべて狂っているがため、限界がきているのです』
を、打ち破る「鍵」カモで、
「レジリオンス」とは再生、復活の意味ですのでピッタリです。
「コスモポート」健康道場を主催している吉丸房江さんは最近、こんな発信をし、
今、私達にとって大事な事は「つながり」を大切に生きることではないでしょうか。ひとりぼっちは淋しいね!ひとりぼっちじゃないんだよ!現代の「つながり」と言えば、SNS、スマホ・・・世界の果てまでも、瞬時につながります。話しも出来る、文章も読める、映像も見られます。もの凄い事です。しかしこれでみんな幸福でしょうか?スマホを見ている人は、家の中でも、歩いていても、みんなうつむいています。本当のつながりとは何でしょう。手と手、目と目、言葉と言葉、心と心がつながることです。これが出来れば、心が豊かになり、笑顔が出ます。笑顔が出れば、免疫力が全身に湧き上がります。うつむいていては、大空も虹も見えません。
吉丸さんはまた、「言葉には霊力があるのです」とも言ってますが、
現代人は「情報産業の奴隷」とも言え、全存在的な「つながり」がないと、人はどんどん弱っていくものです。
ですので今こそ、へんな「コロナ騒ぎ」で分断されることなく、
どなた様もご自分で、
肉体(物質的側面)
心(感情的側面)
霊(精神的側面)
の「三位一体」を起こすことが大切であり、そのためのサポートが出来たらな〜 と思ってますので、
9月23日、お時間のある方は「レジリオンス」八王子編で集まりましょう!
*詳細・募集要領は、9月になったらブログります!
すばらしい記事をありがとうございます。
ピノちゃんの前のネコちゃんが、画像を送りたいくらいウチのツナにそっくりな上、他界前にネコは寒いところを居場所にする話が目からウロコで、悲しいながらも実体験。
以来、毎日ブログを楽しみにしています。昨年末から春にかけて、相次いでネコが他界しへこたれそうななとき、図書館で目にしたのは「びのちゃんとさむさむネコ」という絵本。今回も個人的ではありますがタイムリーな符号が満載で、これはコメントしたいと思いました!いつも、ありがとうございます。
izmimaさん コメントありがとうございます。
そうですか・・生身のお別れは辛いものですが、いつも一緒だと、時間が経てば経つほど感じてます。
それにしても「びのちゃんとさむさむネコ」!! なんかウレシいで〜す。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
イルカさんこんにちは!
昨年8月のリアルカフェ参加させて頂いた者です。
機会があればまた参加したいと思っていました。
私は富士宮と永山に拠点があるので、八王子も南部町も近くて、楽しみにしています。
困窮者の相談業務をしており、コロナが長引き未だに相談業務多忙です。次々に打ち出される助成金や無利子貸付ですが、それに依存して真剣に働かなくなる方たちも多く、福祉ってなんだろうと考えさせられます。
では、またお会いできる時を楽しみにしております。
八王子の暑さに負けずご活躍ください。
サリーさん、その節はありがとうございました。よく覚えてますよ〜〜
ホント「福祉ってなんだろう」って、今、とても大切なことだと思います。
こちらこそ、また、お話できる機会を楽しみにしています!