酵素カフェ

OSHOの「あらゆる問題の根本」心(マインド)への第二の洞察

大きな地震の後には「雨」が降る・・場合が多いですが、

5月5日、蠍座満月直前に石川県で震度6強が起き、

「半影月食」満月直前に起きた「石川震度6強」は2021年から急に活発化した100年来の地震だった!

5月7日は朝から本降りの雨で、

2023年清里高原のGWは、最初と最後の日が雨降り・・となりましたが、

この季節、雨の日があるからこそ、植物がどんどん成長しますので、

せっかく来た観光客にはお気の毒ですが、雨の日が悪い・・ということではなく、

そんな「お天気」と同じく、私たちが抱く「想念」にも良い悪いはなく、

問題は、一過性である「想念」に同一化しちゃって、本性である「永遠なるもの」を忘れてしまうことだと、OSHOさんは言います。

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心は一個の実在として存在しはしない。これがまずひとつ。ただ想念が存在するだけだ。

ふたつめは、その想念というものがあなたと離れて存在するということ。それはあなたの本性とひとつではない。彼らは行き来する。が、あなたはとどまる。あなたは持続する。あなたは空のようなものーー決して来たらず、また去りもしない。それはつねにそこにある。

雲たちは来ては、また去って行く。それはみな一時的な現象だ。彼らは永遠じゃない。たとえもしひとつの想いにしがみつこうとしても、あなたはそれを長いこと抱え込んでいられるものじゃない。それは去らないわけにはいかないのだ。それはそれ自身の生と死を持っている。想念はあなたのものじゃない。彼らはあなたに属するものじゃない。彼らは訪問客として訪れる。ゲストだ。しかし彼らはあるじじゃない。・・・

あなたが<家>のあるじなのだ!その<家>はあなたのものなのだ!それなのに、お客が主人になってしまった。彼らを受け容れ、面倒を見るのはいい。でも、彼らといっしょくたになってしまっては駄目だ。さもなければ、彼らのほうが主人になってしまうだろう。

心が難問となるのは、あなたが想念というものをあまりにも内面深く取り込んでしまい、彼ら訪問者であって、来てもまた去るのだという、その距離を完全に忘れてしまっているからだ。つねにとどまるもののほうを心にとどめていなさい。それが、あなたの本性であり、あなたの道(TAO)なのだ。つねに、決して来たらず、決して去りもしないもの、それのほうに注意を注いでいなさい。ちょうど空のようなそのものにーーゲシュタルトを転じるのだ!

訪問者のほうに焦点を合わせないこと。あるじに根をおろしているのだ。訪問者は、来てもまた去っていくだろう。もちろん、性の悪い訪問者も、良い訪問者もいる。しかし、あなたがそれを気に病むことはない。良いあるじというものはあらゆる客を同じようにもてなすものだ。どんな差別もせずにーー

良いあるじというものはただ良いあるじなのだ。悪い考えがやってくるーー彼は悪い考えも、良い考えを扱うのと同じように扱う。その想念が良いか悪いかなど彼の関与するところじゃない。というのも、いったんあなたが、この考えは良くてこの考えは悪いという区別をつけたりすれば、そのとき自分が何をやっているかを考えてごらん。あなたは良い考えを自分のほうに引き寄せ、悪い考えは遠くのほうに押しやっている。

おそかれ早かれ、あなたはその良い考えとやらに同化されてしまうことだろう。その良い考えがあるじになるだろう。だが、どんな想念でありそれがあるじとなったときには、不幸を生み出さずにはおかないものだ。なぜなら、それは間違っても真理なんかじゃないのだからーー。

想念というものは面かむりだ。それをなんと、あなたはその面かむりといっしょになる。いっしょくたんになってしまうことーーつまり同一化と言うのは病だ!グルジェフはつねに、必要なのはただひとつ、来てもまた去ってしまうものと同化しないことだけだ、と言っていた。

朝が来る。昼、そして夕暮れーーそれはみな去っていくものだ。夜が来て、再び朝が来る。が、あなたはとどまる。それもあなたが考えるようなあなたとしてではなくーー。なぜなら、それもひとつの想いだからだ。そうではなく、純粋な意識としてのあなた。あなたの名前でもない。なぜなら、それもひとつの想念にすぎないからだ。あなたの姿でもない。なぜなら、それもひとつの想念にすぎないからだ。あなたというからだでもない。なぜなら、いつかあなたは、それもまたひとつの想念であることに気づくだろうからーー。

そうではない、ただ純粋な意識。どんな名前も、どんな形を持たないただの純粋性。ただの無形性と無名性。ただ醒めてあるという。まさにその現象そのもの。ただそれだけが踏みとどまる。

もし同化されてしまえば、あなたは心(マインド)となる。もし同化されてしまえば、あなたはからだとなる。もし同化されてしまえば、あなたは名前や形となってしまう。ヒンドゥー教徒たちが、ナーマ、ルーパと呼ぶもの。名辞と形象。

そうしたら、あるじは失われる。そうしてあなたを永遠なるものを忘れ、束の間なるものの方が重要となる。束の間なるものーーそれが世間だ。永遠なるものーーそれが神だ

これが達せられるべき第二の洞察だ。あなたがあるじであり、想念は客であるということーー。

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第一の洞察は、心(マインド)とは「ただのプロセス」であることを認識することで、

OSHOの「あらゆる問題の根本」心(マインド)への第一の洞察

第二の洞察は、「あなたがあるじであり、想念は客」なんですネ!

「あなたはプラシーボ」に掲載されているセルフ瞑想用の文面には「あなたはからだではない・・」とあり、

この瞑想文は実際に(やけどをした時)効果があり、「痛み」と同一化してる状態から速やかに離れることが出来ました。

「訪問者」である想念を差別してはいけない・・というのはナルホドで、

バッチフラワーを使うと、今まで「遠くのほうに押しやっていた」マイナス感情に気づきやすくなりますが、

気づいて、かつレメディを飲んでると、気にならなくなる・・感じです。

ウォールナットは、周囲の影響を受けやすい人に使うレメディで、

他者からのモノでも「想念は客」であるのは同じで、

影響をとどめてしまうのは「あなたが<家>のあるじ」であることを忘れているからです。

宗教とか「団体」になるとリスキーなのは、<家>を留守にして、「良い考えとやらに同化されてしまう」からで、

赤い花と白い花、どっちが好き? という好みがアルのはOKですが、

赤い花が嫌いだからといって、隣の敷地に行って伐採することは出来ず、

どんな花も美しいのと同じく、感情(想念)に「良い悪い」はなく、

感情を「抑圧してるかor気づいているか」の違いだけです。

そして、気づいているなら、「手放す」か「とどめる」かは自分次第であり、

世間様=「束の間なるものの方が重要」だと、なかなか手放せないのかもしれませんネ!

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