酵素カフェ

「目覚めへの最初のステップ」かもしれない「不服従」な展開

ロックフェラー系は石油などのエネルギー産業と医療産業を牛耳ってるそうですが、

そのロックフェラー財団が、今回の「パンデミック」を11年前に予測していたことを、6月8日、米国のFOXニュースが取り上げました。

「予測されていた」こと自体は、ビル・ゲイツさんとか色々出てましたので目新しくありませんが、

一般大衆に影響力の大きい、一般メディアが取り上げた・・というのは朗報で、

ネガティヴな「予言・予想」は、知る人が多ければ多いほど「起きなくなる」比率が高く、

オランダの議会で、議員さんから正式に、

「パンデミックで、政府に従う訓練を受けているのだ」

という発言がなされ、「イベルメクチン」のことと言い、先行きが楽しみな展開です。

コロナの特効薬「イベルメクチン」を発見したのは日本人だった!

先行きが楽しみ・・と言えば、昨年、ペルーラムさん達が清里に来た際、

Mちゃんから「花の種」を頂きまして・・清里の一角に植えておいたら、

沢山、芽が出てきました!

どんな花なのかな〜〜? 花の名を聞いたハズだけども忘れてしまい、

まあ、咲いてからの「お楽しみ」という面もありますネ〜

さて、1953年3月21日、21歳で「光明を得た」OSHOが語るウパニシャッドを、
最近、やっと完読出来まして・・

通常、ゲットした本はスグに読んじゃうのですが、これは「今」こそ・・な、重厚な内容でした。

東京五輪是非に学ぶOSHOの「ポー」という新しい言葉

OSHOさんは自ら、どんな宗教でも「組織」になると、問題が出ちゃう「見本」を示した方ですが、

<バグワン・シュリ・ラジニーシ(Osho)>

1931年12月11日~1990年1月19日

ラジニーシは21歳の時に悟りに至ったという。彼は第二次世界大戦後、独立した20世紀インドにおいて、最も論争の的になった人物である。スピリチュアリティの本質を統合する哲学を雄弁に語り、世界の諸宗教の神秘主義的伝統を紹介し、広く称賛された。世界中からやってきた弟子や求道者たちに対して語られた彼の講話は650冊以上も出版され、翻訳は32カ国語以上にものぼる。

ラジニーシによれば、人間の究極的な目的は光明(enlightenment)を得ることである。それが人々の真の個性を全面的に開花させ、自己が宇宙全体から分離していない意識状態をもたらすのだという。

光明を得るための最大の障害となるのが人間の自我(ego)であり、これが人々を「本来の自分」から分離させてしまう虚偽の実存であるとラジニーシは捉える。自我は、社会的条件付けによって増進していく。ラジニーシは、親の教育や学校教育、また道徳的、宗教的な教えなどすべての社会化を痛烈に批判する。なぜなら、いわゆる教育が特定の信念体系や社会的役割を教え込み、人間を鋳型にはめこんでしまうと考えるからである。

ラジニーシはなかでも、組織宗教やその指導者を痛烈に攻撃した。というのも、第1に、従来の組織宗教の多くが彼岸での目的達成を掲げるため、人々が世俗的生活をトータルに亭受し、それをスピリチュアルな成長のための機会とすることを妨げてしまう。第2に、伝統的な宗教的指導者が、本来なら自己変容の機会となるべき性的エネルギーを否定し、性に関わるタブーを生み出した。そして第3には、組織宗教という権威主義的な制度によって、内的体験のうちで見いだされるはずの宗教的エッセンスを見失わせてしまっていることである。つまり、ラジニーシは組織宗教を社会的条件づけの最たるものの1つと捉える。

自我を落とすために必要となるのは、いかなる価値判断もせずに自己の信念や思想、感情のパターンを見守り続けていくことであるといい、過去や未来に煩わされることなく「いま、ここ」で完全に覚醒するあことを強調した。

wikipedia

別に宗教を否定していたわけではなく、「宗教の関心事のすべて」は「自己」を開花させることだと言ってます。

***************

花を、意識を表すシンボルとして使うことには多次元的な意味がある。ただの象徴ではないー
意識は真実、人間の内なる花だからだ。

人間が花咲き、自己の頂点に達した時
突然パッと花が咲き始めるーその花は意識の象徴だ。

だが、人間は今あるがままではただの種だ。
彼は意識的になっていない。彼は意識的ではない。

そのことは受け入れがたく、実に屈辱的なことだ。
我々は自分達のことを
意識的になっていると思っているからだ。

そして、それが最も致命的な信仰だ。

それは危険で、有害だ。
なぜなら、すでに自分の意識は目覚めていると思っていたら、意識が花開く可能性はなくなるからだ。
もし種は自分はすでに一本の木であり、花開いていると思っているなら、その種が生長する可能性はない。種は完全に自らを欺いている。

グルジェフ曰く「あなた方は檻の中にいる。だが、自分は檻の中にいるのではないーそれは自分の家だーと信じるようになる」

あなたは自分の檻を、自分の家だと思い始めるようなやり方で飾れる。また、それを自慢することができ、それを誇りに思うことができ、あなたが繋がれている鎖は装飾品にもなる。

それはあなた次第だ。そんな風にも解釈できる。
そしてそう解釈することは
ある意味でエゴを非常に満足させる。
そうすれば、その拘束と闘う必要がなくなるからだ。
そうしたらあなたは楽になる。それは非常に都合がいい。
人間の信仰心全てが便利にできている。
だが、それは危険だ。

それらのせいで、進化していく可能性がまったくなくなり、完全に否定されている。
囚人は、自分は囚人ではなく、もうすでに自由であると思う。
そうなると、そこに煩いがないからだ。
だがそうしたら、囚人は決して自由になれない。
だからグルジェフはこう言った。「自由のために必要な第一歩は、今の自分は囚人だという屈辱的な事実を認識することだーそうして初めて、成長が可能だ」と。・・

それが目覚めへの最初のステップだ。
あなた方の意識は全然目覚めていない。
あなた方は無意識の生を生きている。
あなたの行為は何であれ、ロボットのように機械的だ。・・

一瞬の間、我々は引力から抜け出す。・・

ある危険が迫っている状況の中で
あなたは意識的になる。
誰かがあなたを殺しにやって来るとする。
すると、突然あなたは意識的になるーその殺し屋だけではなく、殺される者、自分自身に対しても。
その時、意識は二本の矢のように
二つの方向に向けられている。
だがそれは一瞬だけで、また地上に舞い戻ってしまう。・・

通常、我々は一種の機械として生きている。
実際、機械として生きることは便利だと感じている。
機械として生きることは、とても心地いい。
機械的に一つのことをしていると
より効果的にそれができるようになる。
あなたは心配する必要がない。自分の身体、自分のマインドが、一つの機械として働いてくれる。

それは可能だ。意識しないでいい、ということは便利だ。
というのも、意識するということは、自分の周りにごくごく敏感になることであり、それは痛みをもたらすからだ。だから覚者であることは、ただ至福だけではない。

ブッダ自身に関する限り、覚者であることは幸福だ。
彼は至福の絶頂を体験するに至った。
だがそれと同時に、非常に高い犠牲を払わねばならない。・・

あなたが一人の乞食に出会うとする。
あなたは無意識に彼の横を通り過ぎる。
そこに何も問題はない。
そういう時、鈍感であるのはとても都合がいい。
もしあなたが意識的であれば
そんなに都合良くはいかない。
そういう状況に遭遇すれば、あなたは自分も乞食が社会の中に存在することに加担しているのだと、覺るに違いない。

あなたはこの醜い社会の一部だ。
この世界に存在する全て、ベトナム戦争であろうと、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間の暴動であろうと、貧困であろうと、この世界に存在する物事は何であれ、あなたに責任がある。・・それが、意識的になった人間が払うべき代価だ。・・

ブッダは、彼自身は、平和と至福に生きている。
彼は余りに意識的になったがゆえに
その至福という境地に至った。
が同時に、余りに意識的になったがゆえに、彼の周りで起こり続ける全てに感じやすくなったーそのために彼は苦しんだ。

だから無意識なる存在として生きることは都合がいい。
我々はそのまま生き続けている。
我々は意識的になるのを引き延ばし、しゃきっとせずに生きている。それは一種の夢遊病だ。

我々は歩き続け、深い眠りの中で物事をし続ける。
何一つ我々を感動させない。
我々はまったく鈍感になってしまった。
感受性は意識による。
あなたが意識的になればなるほど、より繊細になる。
だから繊細であることは危険であり
鈍感であることは快適だー
そうすれば、あなたは命を持たないブロックにように生きられるし、何も気にする必要はない。
その都合の良さのせいで、我々は種のままだ。・・

だが一度その過程が始まれば、種ははじけて草となり
やがて一輪の花になるーそしてある日、花が咲く。
その花が宗教の関心事だ。
人間を一輪の花にすること。
それが宗教の関心事のすべてだ。

***************

人間も動物も「機械的」であることは同じで、

例えば、すっかり我が家に馴染んだ6歳ベンガルのピノちゃん、

ガブ癖はかなり収まりましたが、今でも「蹴りぐるみ」を与えると、条件反射的にガブする時が多いです。

そして最初の頃は、「カリカリ」を食べ過ぎなほどよく食べていたのに、一度、ツナ缶をあげたら「カリカリ」をあまり食べなくなくなり、昨日も「ねだって」ましたが、

「カリカリ」を食べないでいると、もっと美味しいものが「出てくる」と学習しちゃっただけですから、無視していたら、ちゃんと「カリカリ」を食べて、スヤスヤ寝てました〜

ピノちゃん自体はごく自然に・・機械的に振る舞っているだけですが、

知らず知らずに愛するペットに支配されちゃってる状態って結構あり、

「ウチの子、これしか食べないんです〜」と、ペットの奴隷状態を楽しんでたりするのは、別に「屈辱的」とは感じないからでしょうが、

今回、ピノちゃんに「服従」しなかったことで、ゴハン問題が素早く解決しましたので、

そういう意味では「不服従」であることは、自分にとっても相手にとってもナイスであり、

米大統領選のトリックをいち早く見抜いた藤原直哉氏は、

3.11から10年「緩んでる」東京電力と貴族に印籠を渡した「院政」

この「パンデミック騒ぎ」状況下でも、一定数の「不服従」がいることに希望を見出してます。

OSHOさん曰く、

”ある危険が迫っている状況の中で
あなたは意識的になる”

とのことですが、

「コロナ騒ぎ」は、世界規模の「目覚めへの最初のステップ」を促進したのかもしれず、
覚醒した先人達が蒔いてきた「種」は、着々と発芽中なのかもしれませんね〜

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