2020年のGWは前代未聞の「コロナ自粛」でしたが、
知人が一昨日、九頭龍の「箱根神社」に行ったら、
お天気良くてとても気持ち良かったです。
平日なのに、外国人も見かけないのに、なのに参拝客が多くて驚きでした‼️
かなりの賑わいだったようで、そーいえば、
横浜で小さな不動産屋を営んでるバツイチ独身の義姉は箱根が好きで、強羅にセカンドハウスを持っているのですが、
一時は「売っちゃおうかな〜」とか言っていたのに、最近になって電子レンジや洗濯機を買い込んだとのことですから、そろそろ引退して(息子に会社を任せて)横浜から移る気でしょうか?
一昨日、久しぶりに八王子駅まで出たら、皆がマスクしている以外は、ほぼ通常通りでしたが、
ペルーラムさんの話では、田舎ではまだまだコロナモードで、都会からの出入りを警戒してるとのことで、
日本的ムラ社会では、万が一、身内からコロナが出たら・・という恐怖心が強いようです。
「村八分」や人目を気にする傾向は日本社会に顕著ですが、
恐怖や不安のおおもとには「劣等感や優越感」がアルと、福岡で健康道場を営む吉丸房江さんは言ってます。
今、私たちは宇宙につながる寸前にまできています。その気になれば、地上天国を実現できるところまできているのです。それなのに、なぜその気になれないのでしょうか?それは私たちの心の中に恐怖があるからです。恐怖と、そして不安があるのです。それはどんな恐怖でしょう?
物がなくなったらどうしようという「物理的恐怖」があります。
みんなが私のことを嫌いになったらどうしようという「感情的恐怖」があります。
私だけが何もわからない、何も知らないという「知的恐怖」があります。
社会的に見放されたらどうしようという「社会的恐怖」もあります。
無宗教だと救いを得られないかもしれないという「宗教的恐怖」もあります。
人間がどのレベルにいても、それぞれのレベルに見合った恐怖があるのです。
恐怖心が心の中にあるから、誰でも家に鍵を掛けるようになるのです。・・脱税をする人は、お金がなくなる不安があるから隠そうとするのです。・・恐怖心をいっぱい持ってこの世を去った人は、うらみの波動をこの世に置いていきます。今、うらみ、ねたみ、そねみ、不平不満、イライラ、くよくよ、セカセカが世の中に渦巻いています。それだけマイナスのエネルギー、ブラックのエネルギーを持って生きていた人が多かったということです。
太古の時代にはプラスのエネルギー、喜びのエネルギーしかありませんでした。なぜなら、私たちの心の中に感謝だけしかなかったからです。最初は「ありがとう、うれしい、楽しい。うれしい、楽しい」という言葉だけしかなかったのです。だから、この世には喜びのエネルギーしか存在していませんでした。
世の中がだんだんと複雑になるにつれて、人間は、いろいろなことを我慢しなくてはならなくなりました。そうやって耐えてるうちに、劣等感や優越感が生まれてきました。劣等感と優越感は十円銅貨の表と裏で、同じものです。優越感はやがて劣等感になり、劣等感はやがて優越感になっていきます。どちらもブラックエネルギーを生み出すおおもとになります。
たとえていえば、上級生にいじめられてきた下級生が、自分が上級生になったときに新しい下級生をいじめるようなものです。いじめられて嫌だったら、自分が上級生になったときにやめればいいのに、されたことを同じように繰り返します。そうすることで、何かバランスがとれたように感じるのです。・・劣等感と優越感は同じもの、というのはこういう意味です。
それが繰り返されているうちに、度を越したのが今の子どものいじめです。昔は「おい、コラ」ですんでいたことが、今は陰湿になって、陽性ではなくなっています。でも、そもそもの原因は昔からあったのです。
今、繰り広げられているマイナスのエネルギーが爆発した結果なのです。頭を押さえつけられて、耐えて耐えて、ようやくはいあがってきたのだから、今度は自分がいい目を見ないと計算は合いません。・・
そういう人を前にして、えらい人が宗教的な言葉で人間の生き方を説いたとしましょう。そういう話を聞けば、「ああ、そうだったな」と、そのときは確かにそう思うでしょう。でも、それは頭で理解しただけであって、ポンと臍の下に入るところまではなかなかいきません。だから、「でも」「そういうわけにはいくか」という思いがすぐに湧いてくるのです。腹の底から納得することができないから、同じことを繰り返すのです。
病気を作るのも、不安と恐怖です。この心を持てば、自動的に恐怖ホルモンが全細胞に行き渡って、心臓も、腎臓も、肝臓もおかしくなってしまいます。顔を青ざめ、体に異常が出てきます。薬を飲んでも治ってはいかないのです。それどころか薬害という、体が一番嫌がることになるのです。
劣等感や優越感が恐怖や不安のおおもとにあります。だから、恐怖や不安を取り去るためには、劣等感や優越感には何の意味がないということを腹の底から納得しなければいけません。そのためには、どうしたらいいかを考えなければいけません。猫がネズミをとります。猫の首に鈴をつければ、猫がやってくるのがわかります。では、猫の首に鈴をつけるのは誰なのか、それが大きな問題なのです。
「人間がどのレベルにいても、それぞれのレベルに見合った恐怖があるのです」
とありますが、霊的な優越感が強い人ほど「恐怖」感も強いようです。
また、「腹の底から納得することができないから、同じことを繰り返す」
というのも鋭いお言葉で、
「同じ間違いを繰り返す」人に使われるバッチフラワーは、チェストナットバッドですが、
チェストナットバッドの前段階は、優越感のウォーターバイオレットだったりするので、
彼らが繰り返し同じ失敗を犯すという事実だけをみても、人生の課題を回避しているということは明らかです。そして、本人が自分の間違いを認め、そこから学ぶ心構えがない場合は、ディコンペンゼーションフラワーの段階へと移行することになります。そこでは、周囲と新しい接し方をするようになるわけですが、今度は間違いを人の中に見いだすことになるのです。
まさに、「優越感」と「劣等感」は表裏一体ですネ。
そして、最終的には、「今度は間違いを人の中に見いだす」ビーチ状態(ジャッジ・優越感)に陥る・・という流れです。
劣等感という感情に、直接的に対応するレメディーはラーチですが、
ある意味、バッチフラワーの39種類の全部が、それぞれの個性に応じた「劣等感や優越感」で凝り固まってしまった心をほぐしてくれると言え、
恒常的な変化を起こすには、自分をよーく観察して、「腑に落ちる」「腹の底から納得する」という認識作用が必要です。
しかしまあ、とりあえず、まず飲んでもOKで、自分にとってバッチフラワーを飲むことは、吉丸さんの「大丈夫ョ」とイコールです。
私は、劣等感と優越感という猫の首につける鈴をずっと探していました。それが見つかれば、地上天国は実現するからです。劣等感と優越感がなくなれば、恐怖や不安がなくなります。恐怖や不安がない世界では、喜びしか生まれません。誰もが喜びだけを抱いて生きていくことができるのです。そんな世界にするための鈴は何かなと、探していました。
そうして見つけのが「大丈夫」という言葉です。恐怖にかられたとき、不安な気持ちでいっぱいになったとき、「大丈夫」とつぶやいてみると、フッと恐怖や不安が和らぐことに気づきました。
そんなに焦らなくても大丈夫ョ。
そんなに無理して自分の立場を作らなくても大丈夫ョ。
病気になっても治るんだから大丈夫ョ。
お金がなくても大丈夫ョ。
「大丈夫ョ、大丈夫」と繰り返していると、不思議と肩から力が抜けて、本来の自分に戻れたのです。
私たちが小さいときから聞いてきた言葉で、一番多いのはどんな言葉でしょう。それは「ダメョ」「グスね」「早くしなさい」などでしょう。私たちは、マイナスエネルギーを持った言葉をふるかけられて育つのです。でも、気づいてください。子どもは言葉を聞いているのではないのです。食べているのです。それを「すりこみ」といいます。
何かにつけて「〜してはいけません」「〜しなさい」といわれたり、「ホラ、ダメでしょう!!」「変な子ね」「ちっともおりこうさんじゃない」「何度いったらわかるの」といった言葉をすりこまれて、私たちは劣等感の塊となったり、その反対の優越感を持つようになったのです。そして他人と比べては恐怖心にとらわれています。
劣等感は、うらみ、ねたみ、うらやみ、不平不満のマイナスエネルギーです。優越感は、おごり、たかぶり、傲慢のマイナスエネルギーで、どちらもブラックエネルギーの塊りです。・・
世の中には劣等感をエネルギーにして頑張る人もいることでしょう。でも、大事なのは動機です。劣等感を克服する動機で物事をおこなえば、それを達成したときに得られるのは、やっぱり劣等感です。心の愛の根っこは育っていません。なぜなら、そこで得られた達成感は、次にはほんのちょっと負けただけで劣等感に変わるからです。
いつまでもこの繰り返すをつづけるつもりでしょうか?・・
私たちの魂はすべて神様の分け御霊(みたま)です。心の中にはキラキラと光る花園があります。でも、そこに鉄のカーテンがかかっていたのです。だから本物が出てこなかったのです。これから先は本物の時代といわれてますが、本物とは何かをよく考えてみなければなりません。手作りなら本物でしょうか? 無農薬茶なら本物でしょうか? 田舎に住めば本物でしょうか? 本物を簡単にすり替えてはいけません。手で作るよりも機械を使うほうが便利ならば、機械を使えばいいのです。都会のスーパーで売っているものは偽物だと決めつけてもいけません。「本物とは何か?」をもう一度深く考えてみる必要があります。
地球は愛を学ぶ星なのですから、物の動機は全部愛から出発しなければなりません。そして終着駅も愛です。動機が愛であることが、本物の条件です。
もう既に、何をするにしても、動機が「愛」なのか「恐怖」なのかで、結果が大きく違ってくる時代に突入してますが、
「キラキラと光る花園」を遮る「鉄のカーテン」という比喩が素敵ですネ〜
そういえば、八王子でのバッチフラワー個人セッションの際、「無印良品のカーテン売り場」で待ち合わせするパターンが多いのですが、バッチフラワーはまさに「心の花園」にアクセスするツールです。
さて、これは先週、北杜市の「ひまわり市場」でゲットしたケーキですが、
バタークリームが美味しくて、「本物」ケーキでした!
ブッダは、人間の意識とは、
「感覚」「感情」「思考」「意欲」
の4つで構成されていて、意識のスポットライトを”切り替える”ことで、
「感覚」「感情」「思考」「意欲」のいずれかで生じた「不快な反応」がリセット出来ると言ってます。
つまり、感情や思考がもやもやしてる時は「感覚」を喜ばせてあげるのが一番で、
周波数調整であるバッチフラワーは感覚的にフッと楽になり、「大丈夫ョ」のお言葉とともに、美味しいものをいただくと「猫の鈴」効果倍増ですネ!
先週、清里の庭でお初のインパチェンスを見つけましたが、
バッチフラワーのインパチェンスは、「速くやらないと・・イラッとする」方々に適応するレメディーで、
「せっかち」な人は、生来の性格もあるのでしょうが、
子どもの頃に「ダメョ」「グスね」「早くしなさい」という、母親の言葉(感情エネルギー)を食べてしまい、お腹の中に消化不良で溜まっていると、
速く出来ない時に劣等感を感じたり、遅い人にイライラして優越感を感じたりするのかもしれません。
「感情」は、それが生じた時に、スグ消化すればイイも悪いもないのですが、イヤな感情を感じないように溜め込むからスッキリしないわけで、
インボーに詳しい玉蔵さんのアンチ「怒りの抑圧」は、感情の問題のポイントを押さえていると思います。
************
自分を責めて落ち込んでしまう人。
ワタスも時々そういう時がありますが。
道徳とか社会規範とか。
支配者層が人々を縛るために作った枠に過ぎない。
そんな幻想を信じて自分を取り締まって、
気分を落ち込ませてたら、それこそ術中にはまってる。
ほんとは単純に波動を落とすのが狙いなのです。
いつでも人に優しく親切に。
そんな聖人君子のような人がいる訳がない。
子供のような人になろう。
本当は、見た目はいつも怒らず冷静な大人な人。
でも実は心の中では十分引きずってる人。
そっちは、実は重い。
実はそちらは、自分も他人も許せない重い波動なのですね。
清く正しく生きましょう。
と、いつも正義で生きてる人は、自由気ままに生きてる人を見ると攻撃したくなる。
自分の中に癒えない自分がいると人も許せない。
人は生まれた時に完璧でその自然のままの存在で神の一部だった。
でも、生きてくうちにどんどん不純物に塗れて重くなった。
要は気分が良くなる考え方を選択すれば良い。
そう思って、ワタスは自分を許して軽くなろうと思ってます。
本当にありがとうございますた。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-how-to-ride-fun-train.html
************
リアル玉蔵さんって、けっこう親にガツンとやられたタイプのようにお見受けしましたが、「子ども心」満載な楽しい方でした!
玉蔵さんイベントに参加したおかげで、「マンモス菌」を知れてラッキーでしたが、
正直なところ、「コロナウィルス自体が怖い」より、皆がいっせいにマスクしている状況の方がシュールでして、そういう自分も「つけてください」となってる所ではつけてますが、気づかいも「愛」の一種です。
で、今、何やら「起きて」いるのは明白で、何が起きるのか謎ではありますが、
清里に落ちていた栗さんのように、外側はイガイガ痛いけど、
中身は案外、美味しいモノなのかもしれませんね〜
また、「コロナ騒動」によって、個々の抑圧された「不安・恐怖」が浮上し、その結果、浄化が進んでいる面もあると思われます。
いずれにせよ、「自分の中に癒えない自分がいると人も許せない」というのは、ホントにコレクトですので、
「すりこみ」による「劣等感=優越感」をガチで手放し、まずはリラックスして感覚的に楽しみましょう!
COMMENT ON FACEBOOK