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プチ修行だった彌彦神社「奥宮」と弥彦の神様が語る「恐竜の話」

戦後の日本がどんどん復旧しはじめた1956年、

新潟の彌彦神社では、ちょっと信じられないような「事件」が起きたそうですが、

<彌彦神社事件>

1956年(昭和31年)1月1日午前0時過ぎ、新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社(弥彦神社)拝殿前で初詣客が新年の餅撒きに殺到、玉垣が崩れて将棋倒しになった事故並びに事件。群集事故の一つである。

wikipedia

その反省を踏まえてか、ここ2年で3度も参拝した彌彦神社は、

清らかな雰囲気の神社という印象で、「4拍手」というのも気に入りました。

神仏研究家の桜井識子さんによると、弥彦の神様は通常、山の上にいて、裾野には分身の神様がいるそうです。

本殿には、裾野の神様がいます。奈良の大神神社、京都の下鴨神社と同じシステムです。弥彦の神様は時々、この神社に降りてきますが、普段は裾野の神様方に神社を任せています。裾野の神様とは弥彦の神様の分身のような存在で、小さくて、性質が柔らかく、ほんわかと優しいです。人間を慈しむ気持ちが強いので、せっせと頑張って人間のお世話をしています。その裾野の神様がたくさんいます。・・

弥彦神社には裾野の神様だけじゃなくて、この肌色天狗もいて、参拝者のお世話をしてくれています。神様は通常、山々の上にいますが、拝殿で呼ぶと来てくれますから、神様にお願いしたい場合は呼ぶといいです。

で、識子さん曰く、弥彦山の「奥宮」は、行くこと自体が「プチ修行」とのことで、一度は行ってみたいな〜 と思ってました。

10月28日、5度目の新潟・嵐渓荘の朝は、

前夜からの激しい雨も上がり、時折、日が差す好天気なので、

美味しい朝ご飯を頂いた後、

iPadのヤフー・カーナビを「弥彦神社 奥の院」にセットして、出発しました〜

しかし途中で、「やっぱり本殿にお参りしてから”奥宮”に行くのが順序かな・・」と思い、

カーナビを「弥彦神社」にセットし直したら、途中の風景が過去3回と違うし、やけに遠いなあ〜 と思い、

旦那さんから「違う弥彦なんじゃないか?」と言われ、

ええっ・・って焦って確認したら、新潟・柏崎にも「弥彦神社」があり、そっちに誘導されてたのでした。

で、時間をロスちゃったので、やっぱり先に「奥の院」に行くことにし、

お昼前頃、弥彦スカイラインを走ったら、ちょうど晴れてきて、

広大な日本海の先には、

うっすら、佐渡ヶ島も見えました〜

が、肝心の「奥宮」への行き方が、さっぱり分からず、

弥彦スカイラインに無料駐車所があり、そこから「奥宮」は徒歩で行けるとネット調べてましたが、

行けばわかる・・という感じではなく(案内板がない)、

しかも「繋がり」が極めて悪くて、ネットで調べようとしても見られません!

で、ウロウロした挙句、エレベーターみたいな短距離ゴンドラ(クライミングカー)に乗りまして、

ゴンドラの着いた先は、ロープウェイの降り場とほぼ同じで、

無料駐車場はスグ下にありますので、

後でネットで調べたら、駐車場前のこの階段を上がれば、
ロープウェイの降り場に出たのでした〜

短距離ゴンドラは一人往復380円ですが、かなり老朽化してましたので、「車→徒歩」コースの方は、この階段を使うのがオススメです。

で、しょっぱなから「迷い」続きだった「奥宮」参りが「プチ修行」なのは、

けっこうキツイ階段・・というだけでなく、
ナント、周囲は電波塔だらけなんです〜〜

わりと敏感体質な旦那さん、息切れがして、気持ち悪い・・とのことで、

「電磁波がどうのこうの言ってて、お前、感じないの?」と、「先に行け」と言われちゃいましたが、

こういう時に限って彼は、電磁波除けネックレスもトルマリン・ブレスレットも付けてないのです!

ブラックトルマリンの発信能力と「とおりゃんせ」の超絶テクニック

自分はトルマリン・ブレスレットも電磁波除けネックレスもしていたせいか、全然OKで、

まあ、電波塔にはガックリだけども、

弥彦山の上には確かに、

電磁波なんて目じゃない、大きな大きな神様がいるような気がしました〜



今の弥彦山は東京スカイツリーと同じ高さですが、

まだ人間が出現する前の超古代は大きな山で、恐竜の進化もみていたそうです。

現代のこの山はそんなに高くありませんが、どうやら人間が出現する以前はものすごく高い山だったようです。弥彦の神様は、弥彦山ひとつにいる神様ではなく、連なった山々の上のいる神様です。非常に大きくて強く、神格も高いのです。

「神様は地球ができた頃から、この土地をつぶさに見てこられたのですよね?」
「うむ」
ということは、植物だらけだった時代から、いろいろな生物が出てきて徐々に進化していく様子も見てこられたわけです。
「恐竜全盛期ももちろん見ていたのですね?」
「そうだ」・・

当時は恐竜という生き物の体に、私たちと同じ魂が乗って人生を送っていました。心もあったそうなので、ちゃんと修行はできていたのです。・・しかし、本能が強烈なので、突進して相手を倒し、肉に食らいつくわけです。この本能を抑えて我慢する・・これがすごい修行だったらしいです。・・

ですから早い時代の人は、恐竜をどれだけやってもなかなか魂が成長しませんでした。本能に負けてしまうので、なかなか慈悲だの慈愛だのの高度なところまでいかなかったのです。ですから、それはもう、すごい回数を生まれ変わったのに、どうにもうまく進化できないため、人間のほうにシフトしたみたいです。

ちなみに恐竜をやった魂の人は、現在人間に転生はしていないということです。では、その人たちは今どこに? 今なにをしているのだろうということは、下山してしばらくたってから疑問に思いました。ですので、そこは質問しておりません。

「恐竜にも信仰心はあったのでしょうか?」
「なかった」

それは恐竜が下等だからとか、そういうことではなくて、社会が単純だったからだそうです。・・現代の社会はとても複雑です。人間関係はややこしくて、SNSというものができてからはさらに難しくなり、いじめも深刻ですし、大人の世界でもいじめがあります。・・現代を心身ともに健やかに生きるということは、もしかしたら歴史上で一番難しいのかもしれません。

願掛けは「金運」でも神様はお給料が上がることだけをサポートしているわけではないのです。

複雑になった人間の脳には「爬虫類脳」があり、

怒りや苛立ちなどの短絡的な感情は「爬虫類脳」から来ていて、

何でもスグにわかる「ネットに頼る」性向は、かえって”我慢が出来ない”「爬虫類脳」を増長させてるかもしれないと、

「カーナビ」&「下調べ」トラブルでつくづく思い、夫婦関係はまさしく「爬虫類脳」沈静化の修行ですネ(笑)。

で、4拍手でお参りをして、

広大な眺めを堪能して、

短距離ゴンドラに乗って帰りましたが、

今回は「彌彦神社」には参拝せず、鳥居そばの「かめや」さんの、

美味しい「おまんじゅう」をゲットして東京に戻りました〜

平日なのに、「彌彦神社」駐車場はほぼ満車の賑わいで、考えてみれば「事件」も「電波塔」も人災であり、

そんな人間の愚かしさを含めて、「見守り」続けてくれている弥彦の神様に感謝です!

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