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4度目の「木曽馬の里」に学ぶリアルな桃太郎伝説

桃太郎伝説の発祥は岡山県・・というのは、昭和生まれの「創作」で、

ホントは山梨県・・という説が出てまして、
↑明治23年(1890)に菱川春宣によって描かれた桃太郎の錦絵。背景に富士山がはっきりと描き込まれている

昨年末(2021/12/3)震度5が起きた大月近辺に沢山の「足跡」が残ってるそうで、

また、大月という地理を考えたときに、気になるのは「富士王朝」のことだ。超古代史文献『宮下文書』によれば、神武天皇よりもはるか昔の時代、富士山北麓の「高天原」(現在の富士吉田市付近)を拠点として、超古代王朝が繁栄したといわれる。大月はその「高天原」に比定される地点から桂川沿いに20キロメートルほど北東へくだった場所にあたり、富士山の眺めが日本一美しいともいわれる土地でもある。

https://www.sankei.com/article/20211203-4VQXZVEFYJC6LKBP6W7UAHO2SM/

そういえば、都留(つる)という地名は、「都が留まる」という意味だという説もありましたが・・

大月の猿橋は、八王子〜清里間で、しょっちゅう通りますので、そのうち寄ってみましょう!

「鬼退治」伝説はともかく、今、「リアル」なことは、「おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」な生活は、ほぼ皆無ということですネ。

1月26日の清里は、午後の気温が8度にもなる好天気で、

毎日焚いているので、薪も少なくなってきたことだし、

旦那さん、家の周囲で倒れている雑木を「しば刈り」したら、

日中は「しば刈り」の薪で賄うことが出来ました〜

昔の農村部では頻繁に「しば刈り」していたので、森林環境が上手く「循環」していたのですネ。

さて、昨日は「木曽馬の里」に行こう〜 と急に思いつき、4度目の訪問をしたのは、

リベンジ「木曽馬の里」は仔馬の親子もいてパラダイスでした〜

雪景色と木曽馬さんのコラボを見たかったからで、

「本州でも5本の指に入る寒さといわれる開田高原」は、予想通りの「銀世界」で、

圧雪されてないブースには木曽馬さん居ませんでしたが、

「乗馬センター」手前のブースには「親子かな〜?」と思われる4頭が居て、

雪の中、じゃれて遊んだり、

干し草を食べたり、活発に動いてました。

奥のブースには、大人の牝馬たちが放牧されていて、

御嶽山をバックに、

まるで「絵画」のような美しい風景です。

冬は「訪問客」が珍しいのか、牝馬さんたちスグに寄ってきて、

皆さん、美人揃いで、

毛づくろいし合ったり、

仲良く暮らす「女の園」の対面には、一頭だけで居る雄馬さんが居まして、

とても優しい目をした、

ハンサムさんです!

大人の雄馬(種馬)は全て、一頭づつの隔離で、

こちらのハンサムさんは、入り口のブースに居ましたが、

かなりお腹が出ているので「ロートル」?

「女の園」前のハンサムさんは、血気盛んな「若馬」っぽく、

お腹も締まってまして・・

どこ子がいいかな〜 と相性を見て、繁殖の準備なのかもしれませんね。

短足で顔デカ・・「粗食に耐え強健」な木曽馬は、農耕用の需要がない今、

こうした「保護」がないと絶滅しちゃいますので、

対策すればするほど、やぶ蛇だったコロナなんかよりも「予算」をつけて欲しいものですが、

こうした取り組みは、多くの人の「認知」がないと、予算が削られてしまいますので、

テレビ出演も、イイことだと思います。

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ダイワハウススペシャル
ネイチャー&ヒューマンスペシャルシリーズ11
木曽馬と生きる
~風わたる里 開田高原~
2022年1月27日(木)よる7:00~7:54

https://www.bs-asahi.co.jp/nh-special11/
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それにしても「木曽馬の里」は広々とした素晴らしいところで、

この日は思ったほど「寒く」なく、

まさに「桃源郷」のような美しさでした〜

桃太郎が「鬼退治」出来たのは、動物たちを仲間に出来たからで、

機械化は確かに有難いものですが、「粗食に耐え強健」な昔ながらの日本を大事にしていくことが、
リアルな「守り」になるか思った、4度目の「木曽馬の里」でした!

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