酵素カフェ

6度目の「木曽馬の里」に思う「めぐり」よりも善徳貯金が多い日本国

神無月の10月は、最初と最後では大きく違うな〜 という感じで、

これは10月4日の清里高原で、

この頃は、今年はトンボが多いな〜とか思ってましたが、今は見かけません。

今日10月18日、ピノちゃんと朝サンポに出たら、急に紅葉が進んでいて、

昨日まではオレンジっぽかった葉が、

真っ赤になっていました。

微妙な差ですが、明らかに色調が深まっており、今週末くらいは紅葉の見頃かも?

朝の外気温は10度ちょっとなんですが、ペットショップで25度管理だったベンガル・ピノちゃん、寒くないの?

今日のピノちゃんは妙にハイテンションで、今までジャンプしたことない(抱っこして乗せてあげていた)薪棚に、ピョーンと飛び乗り、

降りる時も、ちゃんと自分で降りて来ました〜

昨年春、始めて外に出した時は、風の音にもビビって、スグ家に入りたがっていたピノちゃん、

今ではすっかり「散歩好き」なネコになっちゃいました〜〜

そしてその頃、自分はカユカユ現象に見舞われていたことも、まるで嘘みたいです!

「ヒートテック症候群」に抗酸化な「痛快」とCimicuriさんの「墨染め」

まあ、今もヒートテックはやめてますが、今となってはホントにヒートテックのせいなのか? ワカリマセン。

いずれにせよ何事も結果オーライであり、ちょっとした不調や損失は「生きているうちにめぐりを返す」チャンスだというのはホントその通りで、

「めぐり」とは、いつかは必ず返さなければ生けない自分の借金

これからは、武力で搾取しまくっていた国の「めぐり」はキツくなるけど、

「日本国は、「めぐり」よりも善徳貯金、騙し盗られたカネが多いから、大丈夫です」

は、心強いお言葉ですネ。

これは10月14日、奥飛騨の帰りに寄った「木曽馬の里」近くからの御嶽山で、

今思うと、2014年の御嶽山噴火は象徴的で、あの頃は観光ブームで乱開発が止まらない状態でした。

御嶽山の噴火は7年ぶりで、長野県西部地震は震度7だったかもしれない

コロナ渦が終わるのはイイけど、あの頃に戻るのもナンだな〜 な今日この頃ですが、

営利事業ではない「木曽馬の里」は、いつ来てもホッとするパラダイスで、

ウレシいことに、6月に行った時の仔馬さんがスグに寄って来まして、

5度目の「木曽馬の里」で知った「まだ終わってないコロナ」ドン引き話

この仔は4月5日生まれの鈴谷の子「清明」君で、

この仔は5月29日生まれで、その時はまだ名前が付いてなかったけど・・「若草」ちゃんに決まったそうです。
兄貴分の清明君よりガッつきで、清明君にあげようとすると、横取りします。

そしてそして・・若草ちゃんの母親「雪姫」もガッつきで、まだ小さかった時は、注意深く守っていたのに、今は我が仔を押しのけて、ガッつきしてました〜

やはり遺伝子かな〜 ですが、ガッつきは生命力の現れでもあり、ガッつき合戦に刺激されたのか、
奥の方で大人しくしていた、白髪混じりの老馬さんも草を食べに来ました〜

「木曽馬の里」で一匹でいるのは繁殖用の雄馬なんですが

この雄っこは、ちょっとボォ〜としていて、気立てが良さそうで、

気立てのイイ遺伝子を、沢山遺してくださいネ!

なんでもその昔、日本に来たフランス人画家は、こんな日記を書いてるそうで・・・

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レガメ「日本素描紀行」(1876年)より

フェリックス・レガメの書いた浅草の射的屋。

私は、午後三時から始めた貧しい人々の住む地域の散策から戻って来た。魚屋や八百屋の店先は、夕食のため、たいへん賑わっている。この時刻の盛んな活気は、やがて人気のない街の静けさに移っていくのだろう。

私は、深く感動して、頭をかしげて戻る。たった今見たすべてのことに、心の奥底まで動かされ、あの誠実な人たちと、手まねでしか話せなかったことが、たいへんもどかしい。

勇気があって機嫌よくというのが、陽気で仕事熱心なこのすばらしい人々のモットーであるらしい。

女性たちは慎ましく優しく、子供たちは楽しげで、皮肉のかげりのない健康な笑い声をあげ、必要なときには注意深い。すべての人が、日中は、家の中でと同じように通りでも生活をしている。

彼らは、私がどんなに彼らが好きであるのか、おそらく知るまい。また、自分たちに、どんなに愛される資格があるのかも知らない。

https://indeep.jp/eppo-still-didnt-say-anything/

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一般庶民が「勇気があって機嫌よく」というのが、欧州の階級社会では珍しいことだったのですね・・そして、それだけで「愛される資格がある」というお言葉に、搾取文明の悲しさを感じます。

あ〜、それなのに、西洋の真似をし始めたら、こういった「日本人の特殊性」が後景に隠れてしまった感がありますが、生命ある限り、失ったわけではありません。

安曇野の穂高神社では、木曽馬さんを御神馬として祀ってましたが、

昔から、心ある日本人にとって動物は「仲間」であり、搾取の対象となったのは近代化が激しくなってからです。

ガッつき合っても、「仲間」だからこそ・・であり、

「清明」とは、万物が春の陽光を受け、清らかで生き生きとした様子を表す言葉・・とのことですが、
横取りされても気にしない・・清明君に、日本人の「愛される資格」を垣間見た、6度目の「木曽馬の里」訪問でした〜

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