1万年以上も平和裏に暮らしていたとされる日本の「縄文時代」はシュメール文明より古く、
昨年、連続して見に行った新潟の火焔型土器は、
縄文時代中期の傑作で、
「縄文の美」の代表作を所蔵する割にはフツーの公民館みたいだった十日町博物館は今年、素晴らしい建物となってリュニューアルオープンしましたので、
機会があったら又、会いに行きたいな〜 と思ってますが、
清里のスグご近所さんの「金生遺跡」は、縄文再晩年の遺跡でして、
八ヶ岳が見える、広々としたいい場所でしたが、
ちょっと気になったのが、このオブジェでして、
「金生遺跡」の特徴・シンボル・・ということなんでしょうが、
北杜市には中期後半の土器が多いとのことで、
中期も後半なると、やや勢いがなくなり、
十日町の火焔土器などは「極致」の美です。
そして、縄文時代後半になると簡素で実用的になり、
終盤ではさらに簡素化されつつある中、
縄文最晩年の金生遺跡からは、こんな面白い形の「中空土偶」が出ています。
それとともに、イラン人顔中等種「汚染」の男根崇拝シンボルがあるのを見て、
日本の古代聖地はやはり「乗っ取られ」て来たんだな〜 ってしみじみ感じましたが、
2017年6月諏訪大社で磐長姫の封印を解いたという「まありん」さんは、
「長きにわたる平和な時代」を築いたと言われている縄文人にも「光と闇」があると言います。
まず、「人を信頼し、疑うことをしない」という光に対して、「その人のことをよく理解していないのに、丸ごと信じてしまう」という闇があります。
その闇が、のちに他からの侵略を許し、部族が滅びていく原因にもなるのです。それは時代の大きなうなりの中で、ある部分は仕方のなかったことだったのかもしれません。
渡来人たちは、縄文人が今までの出会ったことのない、テレパシーが通用しない、よくわからない人種だったのでしょう。
それならなおさら、100%信じないで、もっと深く渡来人のことを検証してもよかったのではないでしょうか。「わからない」ものに対して、オープンになりすぎた。つまり根拠なく信頼してしまったのですね。それは人の善我を信じ、光を信じる、という、彼らのいいところでもあるのですが、自分たちの価値観と、他からやってきた人の価値観は違います。
自分たちがそうであるからと言って、その人たちもそうであるかどうかは、わからないのです。あまりよく知らないのに信用して村に入れ、自分たちの大切なものを共有するのは、愛がある対応というよりは、無謀です。
異質な人ともすぐにわかり合える、融合していけると固く信じていたのかもしれません。縄文人どうし、部族が違ってもすぐに分かり合えるから、ほかの人種もそうできると思ってしまったのでしょうか。
それに、縄文時代は、村の長はたいてい女性でした。彼女は長老であったり、シャーマンであったかもしれません。なので、武力で支配するとか、だまし討ちにするとか、力ずくで女性たちや土地を奪うとか、そういうことを平気で行える人たちがいるという発想がもともとなかったでしょう。・・
光だけ見ても、不完全であり不十分なのです。この世は天国ではないのですから。・・知らなかったとはいえ、やはりそこはしっかり見極めるべきでした。
日頃おとなしい動物だって、自分たちの領域に侵入して、子どもをさらおうとする敵には、威嚇して追い払います。時にはものすごく攻撃します。それは憎悪ではなく、本能です。大切な命を守るため、身を挺して抵抗する、本能的な愛です。
特に母親は、子どもに危害を加えようとする人たちを許さないでしょう。いい人には絶対にならないはずです。そこでいい人は、敵にとっていい人にすぎません。
聖地を破壊され、村を焼かれ、大切な人たちを殺されて初めて、縄文人たちは自分たちの過ちに気づきました。でもそれはもう後の祭りです。
同じように武器を持って戦えというのではありません。
もっと思慮深かったら、聖地は守れたはずです。そこを彼らに感知させないようにする方法はあったからです。
水脈も、鉱脈も、神々が降りる聖地も、簡単に教えてしまいました。
でも、ここで、彼らの名誉のために言っておきますが、渡来人が大挙してやってくる前にも、違う人種との交流はありました。彼らは海の民でもありましたから、いろんなところに行って貿易のようなことをしていたのです。また、日本にもいろいろな人種が訪れていました。その時は友好的に平和裏に交流できていましたから、その時の感覚が、異種人に対するオープンさの根底にあるのかもしれません。
その後、長きにわたり、残酷なやり方で多くの仲間を殺され、聖地を破壊され、土地を奪われていきました。権力に迎合しないと殺されるので、あえて従う者たちも出てきました。その人々は、奴隷のように扱われ、男も女も劣悪な環境で働かされ続けました。彼らの誇りはどんどん失われていきました。
平和で豊かな生活から一変して、支配者に隷属する、貧しい生活へと転落しました。その苦しみと悲しみはいかほどだったでしょう。誇り高き自由人だった縄文人が、支配者の奴隷になるのです。
土地を奪われ、家族を殺された縄文人の後悔と嘆きは大変なものでした。それは負のエネルギーとして地に蓄積されていきました。のちに祟り神とか鬼とか恐れられたのは、その負のエネルギーの濃さのせいでもあります。
貶めるために支配者があえてそう表現したのはもちろんですが、光が大きいほど闇も大きいので、縄文人の被害者意識の闇は濃かったのです。そしてその闇はやがて闘争意識を生み出し、復讐のため、自衛のために自分たちも武装して戦うようになっていきます。やらないとやられてしまうという意識は芽生えました。テレパシーやチャランケ(平和的話し合い)でわかり合えた、古き良き時代は終わったのです。・・
「縄文人の嘆き」という本を書けるくらい、彼らの嘆きは深く、長いものでした。その長い嘆きの歴史を、ともに封印され、不自由を強いられた、精霊の磐長姫が受け止めました。彼女は、縄文人の嘆きを共有しました。それを引き受け、地球神に手渡しました。そして地球神の磐長姫が、その闇をまるごと受け止め、光に変え続けたのです。
そのおかげで、ようやく野蛮人のように思われていた縄文人の素晴らしにスポットが当たる時代になり、ついに式年遷宮で天津神と国津神の和合も成されました。徐々に、封印されていたものが解かれ始めてきています。
縄文ブームは、やたらと「イイ」部分だけが強調されてる感がありますが、日本のトラウマ=「闇」の源流かもしれず、
『「わからない」ものに対して、オープンになりすぎた』って、個人的なイタイ出来事を思い返すとその通りです。
バッチフラワーの臨床で、よくなる人は必ず最初の段階で、被害者意識のウィローや怒りのホリーを放出する場合が多いのですが、
縄文の「負のエネルギーとして地に蓄積された」集合的トラウマが投影され、病気や災難などの恨みがましい「事柄」が起きてるのかもしれず、
ウィローはトラウマ解除のスター・オブ・ベツレヘムと一緒に使うと効果的だったりします。
それにしても、こういった可愛らしいお人形さん・顔を造形したのは、
渡来人の襲撃前は、異人種とも「友好的に平和裏に交流」していた証のように感じます。
いろいろな顔がある・・のが面白かったのでしょうね〜
「縄文」に興味を感じ始めたのは2015年秋で、旧い友人が茅野まで案内してくれましたが、
茅野の尖石縄文考古館にいらっしゃる
縄文中期の「縄文ビーナス」は1986年に、
後期前半とされる「仮面の女神」は2000年に発掘されましたが、
鉱物は「記憶装置」ということからしても、
「徐々に、封印されていたものが解かれ始めてきています」な、ご時世であるのは確かで、
近年、いたるところで「縄文」への関心が高まってきたことと、磐長姫の封印解除は無関係ではなさそうで、
日本という国は今後ますます、個人でも集合的にも、闇を直視して光にしていく作業が進みそうな予感です!
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