酵素カフェ

OSHOの「気づき」4ステップと神社に狛犬が居る理由

日照時間日本一の山梨県北杜市では、このところ最高気温27度で、

標高1200mの清里高原でも20度超えの快適さの中、

例年より早いけど、4月13日「ジャガイモ」植えちゃいました!

昨日12日は、今日以上の「暖かさ」で、ピノちゃんと朝散歩に出かけたら、

ピノちゃん、さっさと八ヶ岳の草原に向かい、蝶々を追いかけたり、

草原に飛びかう、いろいろな種類の鳥のさえずりに耳を澄ましながら、どんどん歩いて行きましたが、

途中で急に「お座り」ポーズになり、何をしてるのかな〜 と見ていたら、

ナント、八ヶ岳を眺めながら、野ションしてました〜〜〜

で、ゲージ育ちのピノちゃん、初めての野ションが爽快だったのか、終わった後、まるでチーターのように駆け出しまして・・「野生」が目覚めたのでしょうか? 幸いにも、スグ戻って来ましたが、

今度はしっかりリードを握って、どんどん八ヶ岳に近づき、

一番、見晴らしいのイイ場所まで行き着き、

ハイ、ポーズ!

ピノちゃん、この場所が気に入ったようで、しばらく休んでましたが、

さあ、もう帰るよ〜 と促すと、

不思議なことに、一度も来たことないのに、私の通常コースを知っているかのように、

林の中を抜ける「帰り道」を、

間違わずに、ちゃんと選んで進むのでビックリしました!

そして、家の前の道に出たら、今度は「伏せ」のポーズでフリーズしちゃいまして、
道路が暖かくて気持ちイイのでしょうか?

40分以上歩いてますので、疲れたのかも・・と、抱っこして家に戻ったら、

「耕し」中の脇を進み、

ピノちゃん、またまた「伏せ」ダウン状態となり、ホントに疲れたようで、
(猫にしては)長〜い散歩だったのですネ。

そういえば、草原でも「伏せ」をするので、
ハンティングポーズかな? と思いましたが、休んでいたのカモ?

なんでも、猫の散歩距離は1日たった60mとのことで、

野良猫の移動距離を調べた研究結果によると、およその移動距離は、

 ・オス … 65m

 ・メス … 30m

ほどしかありませんでした。また、

 ・去勢したオス … 35m

 ・避妊したメス … 33m

と違いが生じ、オスのほうが縄張り意識が強いことがわかります。かりに1時間かかったとしても毎分1m程度、秒速1.8センチの超スローモーションです。途中でなにかを調べたり休憩しているのでしょうが、これでは運動になるのかビミョウですね。

https://news.livedoor.com/article/detail/10918707/

ピノちゃんは33mでOKなのに、すごい距離を歩かせちゃったようで・・お疲れ様でした!

しかしながら、お外はやはり気持ちイイようでして・・


また、一緒に歩きましょうネ!

全身全霊で周囲の状況をキャッチしているピノちゃんとの散歩は新鮮ですが、

「日本は、外に対して深く関心をもつ国だ」と言うOSHOさんは、

OSHOの「禅の歴史」に学ぶコロナ騒ぎ「英国→米国」規制緩和の流れ

ホントの<気づき>になるためには、まず、肉体を注意深く「見守る」ことが重要だ・・と申してます。

****************

見守ること、観照することが瞑想だ。何を見守るかは問題ではない。木を見守ってもよい。河を見守ってもよい。雲を見守ってもよい。子どもたちが遊ぶのを見守ってもよい。見守ることが瞑想なのだ。何を見守るかは要点ではない。対象は問題ではない。観察の質、気づき、油断なく醒めているという質ーーこれが瞑想だ。

いいかね。瞑想とは、醒めて気づくことだ。気づきながらすることは何であれ瞑想だ。・・油断なく醒めて歩けば瞑想となる。油断なく醒めて坐れば、坐ることが瞑想となる。<気づき>をもって聴けば、鳥のさえずりを聴くことが瞑想となる。

油断なく醒め、注意深ければ、心の内なる騒音を聴くことが瞑想となる。そのポイントのすべては、「眠りのなかで動くべきではない」ということだ。そうなれば、何をしようと瞑想となる。

<気づき>の第一歩は、肉体に注意することだ。徐々に、それぞれの仕草、それぞれの動作に油断なく醒めてくる。そして気づくにつれて、奇跡が起こりはじめる。以前していた多くのことが単純に消え失せる。体は一層くつろぎ、ますます調和してくる。深い平和が体のなかにひろがりはじめる。妙なる音楽が体のなかで脈打つようになる。

そうなったら、思考に気づきはじめなさい。同じことが思考にも為されなければならない。それは肉体より微妙で、もちろん、より危険でもある。思考に気づくようになれば、自分の内部で起きていることに驚くだろう。・・内側に狂ったマインド(思考、想念)を見るだろう。私たちが気づいていないため、この狂気全体が潮流のように流れつづける。それは、何をしていようと影響を及ぼす。何もしていなくても影響を及ぼす。それは、あらゆることに影響を及ぼす。

その総計があなたの人生だ。だから、この狂人が変容されなければならない。そして<気づき>の奇跡とは、ただ気づくこと以外には何もいらないというところにある。

まさに「見守る」という現象が、それを変える。徐々に狂人は消え、ゆっくりと、思考が一定の型のなかに落ち着きはじめる。もはや混沌はない。それは秩序あるものとなる。そうなれば、再び、より深い平安に包まれる。そして体と心がくつろいでいるとき、人はそれらが協調しあっていることを知る。そこには橋がある。いまや、体と心は別方向に走っていない。それらは別々な馬に乗ってはいない。そうして、はじめて、そこには調和がある。そして、この調和は計り知れないほど第三ステップへの働きかけを助ける。それは、自分の感覚、感情、気分に気づくようになることだ。

それはもっとも微妙な層で、もっとも困難だ。だが思考に気づけるようになれば、もう一歩だ。もう少し強烈な<気づき>がいる。そうなれば、自分の気分、感情、感覚を反映しはじめる。ひとたびこの三つすべてに気づけば、それらはすべてひとつの現象のなかに凍結される。そして、この三つが全体としてひとつであるときーー完璧に共に機能し、共にハミングしていれば、この三つすべての音楽が感じられる。それはオーケストラとなる。そのとき「第四のもの」が起こる。あなたが為すことはできない。それは、ひとりでに起こる。それは全体からの贈り物であり、この三つを済ませた者に対する恩恵だ。「第四のもの」とは、人を覚醒させる究極の<気づき>だ。人は<気づき>に対して気づくようになる。それが<第四のもの>だ。それは人をブッダーー覚者ーーにする。その覚醒のなかでのみ、人は至福のなんたるかを知ることになる。

肉体は快感を知り、マインドは幸福を知り、ハートは喜びを知り、「第四のもの」は至福を知る。至福がサニヤスーー探求者たることーーの目的地であり、<気づき>がそこに至る道だ。

注意深く、見守ることを忘れない。見守って・・見守って・・見守っていることが大切なのだ。しだいに、「見守る者」がより固定し、定着し、不動になり、そして変容が起こる。見守っていたものごとが消え失せる。

そのときはじめて、「見守る者」自身が見られるものとなる。観察者自身が観察されるものとなる。あなたは、我が家に辿り着いたのだ。

****************

現代人はカラダを忘れ、頭デッカチになっているとよく言われますが、

①肉体

②思考

③感情(感覚)

の三つが調和してこそ、第四の究極の<気づき>が来るとのことで、

この三つを「見守る」ことは、とても大切なんですネ。

昨日、長坂への買い物帰りに八獄神社に寄ってみたら、

桜咲く、木漏れ日の境内で子どもたちが遊んでいて、


日の丸掲げた神社って、ちょっと珍しいな〜 ですが、

山梨県には推奨委員会があるようです。

昔は祝祭日に国旗掲揚がフツーだったのでしょうが、今も昔も神社に付き物な狛犬さん、

明らかに、「見守って」ますね〜

もちろん狛犬さんが居ない神社もありますが、

「エゴの思考体系」を「聖霊の思考体系」に完全に置き換える体験談を綴った、

ゲイリー・R・レナード氏の「継続する肉体意識」のほんとうの「目覚め」

ゲイリー・R・レナード氏のマスターは、古来からの日本の神社システムは、「悟り」に至る道筋の第一歩である「半二元」であり、

順序としては「感情に先立つ思考」ではあるけど、感情を「見守る」ことも同じくらい大切だと言ってます。

パーサ:思考を監視すべきだ、というのはいろいろな教えで幾度となく聞いてきたわね。葛藤、悲観、判断、非難をしていないか自分の思考を見張るべきなのは確かだけど、ほとんどの教師も気づいていないのは、感情を監視することも同じくらい大切だということ。なぜって?あなたたちは何よりも感情に従って行動しがちだからだよ。

もちろん、ほとんどの人は、そうした感情が長いあいだ繰り返し考えていることの結果として生まれているとは気づいていないわ。最初に思考があって、それが感情を作るの。サカとヒロシは本来の自分たちを見失わずに、それに気づいたの。彼らは友人として、長い時間話して多くのことに気づいたのよ。・・

アーテン:そうだ。サカとヒロシがほかの人と大きく違った点は、彼らは二元的な道を歩んでいても、人生というものの妥当性をすでに疑っていたことだ。彼らは人生が幻想だとすでに感じていたんだ。二人ともそれについては、次の生で出会うまでは深く追求しなかったが、動物とのコミュニケーション法など、ほかにもいろんな発見をしていた。

ゲイリー:彼らは動物と話したの?

アーテン:いいや。動物は言葉を使って考えない。もちろん、少しの言葉なら何度も繰り返せば理解はするだろうが、それは動物の思考の仕方ではない。彼らはイメージを思い浮かべて考えるんだ。だから動物と話したいなら、心(マインド)のなかで彼らにイメージを送る練習をしなくてはならない。練習してうまくなれば、驚くことになるかもしれないぞ。心がつながっているのはきみも「コース」で知っているだろう。動物同士のあいだでも、動物と人間のあいだでもそれは変わらない。たった一つの心があるだけだからだよ。だからこそ、動物の言語であるイメージで動物にメッセージを送るといい。

サカとヒロシは、日本に居た頃のイエスとブッダで、二人とも天皇に仕えていましたが、

彼らが野生動物と話したときの内容は「秘密」とのことで、

神社に狛犬さんが居るのは「秘密」と関係しているのかもしれませんね〜

それはともかく、バッチフラワーの臨床的には、思考と感情は相互に関連していて、(自分を害する)狂った「思考」をしていることを教えてくれるのが「感情」ですので、感情に敏感なのはイイことですが、

「狂った思考」である「エゴの思考体系」を看破するのはなかなか難儀で、何度でも同じことを繰り返します。

その点、「狂った思考」ナッシングで、心の力(イメージ)の送受信が得意なのが動物さんたちで、

だからピノちゃんは、初めての道でも、私の散歩コースが「読めた」わけで、

「肉体」への気づきも鋭敏だから、疲れたらバタンと休みますし、

カラダを視る人だった、故ペルーの先生が「ワンちゃん、猫ちゃんが先生だよ」と言っていたのもナルホドです!

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COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
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  1. イルカさん、おめでとうこざいます♪(*’▽’*)

    長年のセルフビルドが結実してとうとう移られるんですね!

    長年と言っても自分の8年前10年前を振り返るとアレっ?てくらい最近ですが‥年齢ですね。でも気付くと世間は色々な事が凄く変わっていて驚きです。

    いつも変わらずお綺麗で自然を愛でるイルカさんに安心します。髪も艶々で健康的ですね。
    美しい山と自然に囲まれて暮らせることが羨ましいといつも思いますが、これもご人徳。素敵なものを見つけるセンス、そして何より見つけたものを活かせる才能が素晴らしいです。

    春の息吹を堪能しようと私も蕗の薹でサラダを作ったのですがちょっと野性味過ぎて、ブログを拝見して蕗味噌にすれば良かったとしみじみ思いました(笑)
    何でも使い手次第というのをいつも勉強させていただいてます。

    ピノちゃんの八ヶ岳ショットいいですね♡
    リードがなかったらヒマラヤかどこかの野生に見えます。
    野ションて言葉知らなかったのですが(爆)ゲージからのブレイクスルーを感じます!
    猫の1日行動範囲が意外に狭くてびっくり。これも勉強になりました。

    今までのお住まいも素敵で海外の方が購入検討するってやはりお洒落です。どこか懐かしさを感じる、写真集に載っていそうなお部屋でした。住んでる方がいいからかもしれません。

    最近こそニュースとか色々見ますが、唯一ずっと拝見してるイルカさんのblogはいつでもネットを開くときの拠り所でした。私にとっては行きつけのカフェそのものです。心地良い空間をいつもありがとうございます。

    どうぞ良い日でありますように。

    • わかえさん

      毎年のように、何よりのプレゼント、身に余る優しいお言葉をありがとうございます。
      見守ってくれる方々がいるので、ここまで続いてる次第で、こちらこそ本当に感謝しており、
      いろいろ大変なご時世ですが、どうぞこれからも宜しくお願いしま〜す!

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