「ゆるんだとき、人は、最高の能力を発揮する」のに、現代人のほとんどは、
「とんでもない強い力で、自分で自分を縛りつけている」と、
デルタ波速読法「ルン・ル」を開発した植原紘治氏は指摘します。
そして「呼吸」に意識を向けることが、「縛り」を解くための鍵です。
植原:息を吸って、吐くときに余分な力をハーッと解き放つ。その解き放した状態でまた吸う。そして、また息を吐きながら力を解き放していく。また、少しゆるみますから、ゆるんだら、その状態でまた息を吸う。
それを繰り返していくと、さまざまなことが起こります。
例えば、「ああ、体のここの部分が硬くなっているな」とか「ここが緊張しているな」という肉体的なことにも気づきますし、自分が気づかぬうちにため込んでいる思い、とらわれているいろいろなことに気づいていきます。
それも自分の中にため込んでいる力ですから、それに気づいたら、それに対して何の評価もしないで、「ああ、そうか、そういうことが自分の中にあったな。このことにとらわれていたんだな」と、それだけでいいです。
「ああ、こんなことにとらわれている自分はいけない」とか、「こんなささいなことにとらわれる自分はなんて情けないんだろう」なんて思う必要はありません。・・
ただ、とらわれていることに気づけば、あとは何もする必要ないんです。
「自分である」ということが、どれほどのかせになっているかということをわたしたちはわからない。そのくらい強い力で、実は、いま、自分で自分を縛りつけているんです。・・
そこでわたしたちが普段何気なくしている呼吸にちょっと注意を向けてみる。
呼吸は、それこそ息をしているんですから、生きるという作業をしているわけです。
生命を維持する活動の第一番です。
と、同時に、呼吸をすることによって、わたしたちは自分の中にある何らかのエネルギーを出し入れしている。息を吸うことによって何かを吸い込んで、吐くことによって何かを吐き出している、といえます。
その典型がこうやって話をすること。「話す」は「放す」ことです。
「話す」は「放す」で、息の合う「会話」はゆるむためにナイスだけど、
気詰まりな「会話」では、かえって息が詰まってしまいますネ。
ところで「龍体文字」なんですが、
理由はよくわからないけど、相変わらず効果を実感していて、
今さっきも、ソファーで昼寝したら首が痛い・・という旦那さん、
「健康になりたい=きに」を首に貼ったら、速攻で楽になったとのことです。
で、こういった「言霊」効果について、植原紘治氏はこう述べています。
言霊はいわゆる言葉じゃないんですよ。言葉にも力があるんでしょうけど、でも、人それぞれで、同じ言葉を言っても、人によって違いますよね。
それは何かといったら、その人の持っている肉体的あるいは精神的なすべてのものがその言葉に出てくるから。
お釈迦さまとわたしたちでは、当然違ってきます。それはその人の中にあるものが言葉に乗るからです。
音霊(おとだま)と言う方もいますが、音でもない。音として聞こえないし、響きとしかわたしはほかに表現の仕方を知らないんですが。
「言霊」とは、全身全霊から発せられれる「響き」とのことですが、
そういえば以前、呼吸法キネシオロジーが得意なペルーラムさんに、
「波動ってなんだと思う?」と尋ねたら、
「響きでしょうね・・」とのアンサーでしたので、
言葉とは、波動を乗せるツールなのかもしれません。
いずれにせよ、波動のイイ人というのは、頭のイイ物知りとかではなく、
一緒にいて呼吸が楽になるような、生命力が高まる人だと思われます。
さて、標高1200m清里高原、9月最初の連休はあいにくの雨ですが、
雨降る庭にキノコ発見!
カラマツダケという食べれるキノコだと思いますが、リスクは避けましょう!
これは清里高原食堂の前の無人販売所でGETした「山しめじ」で、
こんなにたくさんで200円!
で、少しだけアルミホイルで包み、蒔ストーブに入れ、
「丸中醤油」をたらして食べたら美味しかったです!
年のせいか、凝った料理よりシンプルがお好みになってますが、
料理をするときも呼吸を意識して、観察するとイイようです。
ルン・ルのときに申し上げているように、いつでも、どこでも、どんな姿勢でも、何度でもかまわないから、吐く息と一緒に余分な力を解き放していく。
それによって起こる変化を自分が観ておけばいい。どういうことが起こったからいいとか、悪いとかじゃなくて、変化が起こっていく。その変化を自分で観ていく。
観ていくというのは、わたしたちが「風景を見る」の「見る」ではなくて、観察の「観」、観音様の「観」です。
自分の呼吸、吸って吐いて、そのときに自分の中に起こってくる変化をじっくり観察するんです。本当にさまざまな変化が一息ごとに起こってくるのが手にとるようにわかってくるはずです。
自分は不器用なんで、料理中、思わぬ失敗でムカッとすることがよくあったのですが、
あるとき、この「ムカッ」の源泉に気づいたら、同じ失敗をしても氣にならなくなり、
シンプル料理法になったせいもあり、失敗も大幅に減ったのですが、
植原紘治氏は「気づき」さえあれば、それを分析したり解決しようとしなくてイイと言います。
心の傷が解決しなくてもいい。
ただ気づいているだけでいい。ひすい:吐く息とともに余分な力を解き放つのは、体の場合は力を抜いていくわけですけど、心の面というのをもう少し教えていただけませんか。
植原:小さいときから自分の周りで起こったいろいろなこと。両親に叱られたこととか、友達同士の軋轢とか、さまざまなものが自分の中にあります。
例えば、自分のは何の落ち度もないのに、なんでお父さんやお母さんはああいうふうに怒るんだろうかと。親というのは本当に残酷だなと思いますが、子どもに向かって、「なんであなたはそうなの?そんなふうに育てた覚えはない。そんな子なんていらない」とか、「産むんじゃなかった」とまで言ってしまう親御さんがけっこういるんです。それは子どもにとってはものすごいストレスになります。
「わたしは生まれてこなかったほうがよかったんだろうか。親にとっては邪魔な存在なんだろうか」と成人してからも、自分が親になってからも、ずっと引きずっている。
あるいは、自分で気づかないで心の中にためてしまっているものがある。なんだかわからないけど、ストレスや心の傷といえばいいもの。それらを吐く息と一緒に解き放していくんです。すると、「アッ、なんだろう。自分の中に湧き上がってくるこの感情は!」というようなものに気づいていきます。
自分で忘れていると思っていたのに、そういうことが湧き上がってきてびっくり仰天することもあります。そうなれば、もうそれでいい。そのことに対して解決しようとか、なんとかしようという気持ちは必要ありません。
そういうものが自分の中にあるということだけを認めていおけば、何の解決もしなくてもいいんです。今まで知らずにいたものに自分で気づけば、自分にとっての負担からずいぶん解放されていきます。
ひすい:気づいたら、あとは何もしなくていいと思うと、たしかに気がラクになるし、心が軽くなっていきますね。
17年前、はじめてバッチフラワーを飲んだとき、
何だか「呼吸」が楽になって、自然にリラックスしはじめ、
「ゆるむ」→「気づく」→「手放す」
というプロセスは、バッチフラワーのおかげで実感してます。
バッチフラワーは、「気づく準備の出来ている感情」のみに作用するので安全・・と言われてますが、
植原紘治氏の「自分にとっての負担からずいぶん解放されていきます」
という言い方は、そんな点も似ています。
結局のところ、どこまで「縛り」を解きたいかは本人次第なんですが、いずれにせよ、
「とんでもない強い力で、自分で自分を縛りつけている」
ことに気づいて、
「ゆるんだ人からうまくいく。」は、紛れもなく本当だと思いますよ〜
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