美智子妃殿下が皇室に上られた昭和昭和34年4月10日の成婚パレードの際はナント、
「沿道には53万人もの市民が集まった」とのことで、
自分はまだ産まれてませんが、当時、6歳だった旦那さんは日の丸の旗を振って「見た」ことを覚えているそうです。
これは6歳の美智子妃殿下で、
うーん、やっぱり子どもの頃から品格ありますね〜
皇室に上られて、一筋縄ではいかない御苦労をされたと思われますが、
陛下ともども、最後まで公務をまっとうされて、ほんとうに御苦労様でした!
いや別に、皇室ファンとかじゃ全然ないのですが、
日本の代表が「コレ」じゃチョット。。な現状もありますし、
戦後、いっきに価値観が変わってしまった日本人にとって、美智子様は「希望」のような存在だったのではないかと。
実際、精神科医の片田珠美さんは、『ミッチー・ロス』現象を懸念してます。
昨日、八王子駅ビル広場で「天皇皇后両陛下報道写真展」をやってましたが、
それが・・列を並ばないと見れないほどの盛況ぶりでして、
ちょっと「見たい」とも思ったのですが、並んでる方々がパーフェクトにミッチー世代でして・・遠慮しておきました。
八王子には昭和天皇の御陵がありますので、
4月23日、その時間帯に居合わせた旦那さんから、旗を持った人がたくさん出ていたことを聞きましたが、
「ああやって、いつもニコニコしてるのも大変だろうねぇ」と言ってる人もいたそうで、同感です。
さて、戦前にはなかった言葉に「アダルト・チルドレン」というのがありますが、
「アダルト・チルドレン」が増えたのは、戦後教育が関係しているという考察があり、
介護のために親と同居したことで、親への溜め込んだ「怒り」が爆発し、
めでたく「ホリー」状態になり、
*臨床的には「ホリー」は硬直化した状態を打破するレメディです
ご自身の「アダルト・チルドレン」に気づいたという、そのブロガーさんの、
「親と仲良くやる実家暮らしのコツ☆十のおきて」は、なかなかコレクトだと思います。
一、親が何度同じ話をしても、とりあえず聞いてあげる。但し、「その話、三回目だよ。」とか、ツッコミを入れる事を忘れずに。
二、親の好きな事を尊重する。(例えば、うちの母親は「大変だ」というのが口癖なのですが、この人は「大変だ」が好きなんだなぁと、暖かい目でその「大変だ」を見守る。)
三、「手伝って」と言われるまでは、手伝わない。但し、パニッくっていることがあからさまな時は、ささっと手伝う。
四、とにかく「ありがとう」を口癖にしておく。
五、良いところを見つけたら、すぐに褒める。
六、自分が生きてる事が、親孝行であると、割り切る。(自分が勝手に妄想しがちな親の過度な期待を自ら断ち切る。)
七、朝起きたら、「今日も一日家族と楽しく過ごせますように」と、おまじないをかける。
八、昨日と今日は別の日だと割り切る。昨日の喧嘩を今日に持ち越さない。
九、定期的に親の肌に触れる。
十、自分自身が笑顔でいられる環境づくりをする事を目指す。
ウチは同居してませんが、電話で母親が何度も同じ話をすると、その度にイラっとしてたのですが、
案外自分もそーでして、「その話聞いたよ」と、旦那さんによくツッコミを入れられます。
そー言う旦那さんも、けっこう同じ話をくり返してますので、
この「十のおきて」は、あらゆる同居関係に適応できるかと思われます。
で、この方の「アダルトチルドレンは国民病 ?!」を読んでて、
「えー、そうなんだ!!」と、びっくりしたのが、
この方の世代では(団塊ジュニア?)、
「日本は悪〜い侵略国家」といった教育を刷り込まれた・・と言ってることです。
自分の頃は、
「西洋諸国から日本はイジメられ、このままではつぶされる・・ので、仕方なく戦争した」
と、親からも学校からも聞いた記憶があり、
いわゆる「自虐史観」ってピンとこなかったのですが、若者世代には大きな影響力があったようです。
それにしても電子書籍まで出してるこのブロガーさん、
15年間「大手企業の商品開発・プロモーション・マーケティングを数多く担当」とのことで、
かなりキッチリやるタイプのようで、けっこう辛口です。
<Happy提唱の引き寄せは、ただのダメ人間製造所>
私は随分前から、スピリチュアルな人たちが全力で提唱している
「ワクワクすることだけをしよう」とか「自由意志の選択」とかは排他主義を形成するだけで、不幸になるはずだと提唱してきました。
Happyさんが提唱している引き寄せの法則も、法則としてはあるにはあるけれど、彼女のブログを見る限り、これはでっち上げだなと思ってました。
Happyさんは思っただけで、ガンガン引き寄せされちゃってこんなに幸せ!
と言いまくってましたが、
ある程度、広告やマーケティングの知識がある人が当時のブログを見たら、
この人「めっちゃネットマーケティング駆使してアクセス上げて、引き寄せって(苦笑い)」って思ったと思います。
「Happyさん」って何だか全然わからないのですが、
このブロガーさん、
「先に言っておくと、スピリチュアルな事に目覚める前の私は、そして初心者だった頃の私は、「人間は特別である」という勘違いをしていました」
と、正直にコクっているのが印象的で、
「親の期待に応える良い子」だったとのことですが、優秀な良い子ほど「アダルト・チルドレン」になりやすい・・の見本のような体験記です。
で、この方は、昔の日本人は我慢強かったのではなく、アダルト・チルドレンや児童虐待が生じる土壌がなかった・・と考察してますが、
現代の日本では、幼児虐待や児童虐待が大きな問題となっていますが、今から百五十年ほど前の日本においては、そのような事が起こり得そうもない日常が繰り広げられ、子供たちは自由に生き、外国人の目には、まさにこれこそが「子供の天国」と言わしせしめるほどの環境がありました。
もしも、このような環境に私たちも生きることができていたのなら、親の悪口を言ってせいせいするような現代の当たり前は、到底起こり得ようもなかったのではないのでしょうか。
だからこそ、先人たちの伝記は、素直に親に感謝する言葉に溢れていたのではないのでしょうか。
先人たちは、決して無理して我慢していたのではなく、我慢と思うほどのことも実はなかったのではないのでしょうか。
だからこそ、明治の世となってから現代となるこの百五十年の間に、どのように日本人は変化してしまったのかを、まずは認識する必要性があると私は考えています。
太宰治は「人間失格」でアダルト・チルドレンを描写してますし、
ADHDとか適応障害とか・・昔からあったことでも、
名前を付けられることによって市民権を得て、増えてしまったような気がします。
いかがわしい宗教もどきも、昔からあったわけですが、
「振り子の法則」的には、批判でも中傷でも、そこに注目すればするほど、
「振り子」はどんどん大きくなりますので、
この世には、人間の感情を操る、色々な「振り子」があるそうです・・
「アダルト・チルドレン」や「適応障害」といった言葉は、あまり使わないほうがイイのかもしれません。
誰にとっても「親」は究極の「振り子」であり、
「振り子」から自由でいるには、過剰ポテンシャル(依存的関係にある期待や愛情・ネガティブな感情など)と縁を切るのが重要ですので、
「親の悪口を言ってせいせいするような現代の当たり前」がNGなのは確かで、「十のおきて」はその具体的なテクニックという感じです。
新皇后となる雅子様のご体調については心配もされてますが、
優秀なキャリアウーマンだった雅子様、「適応障害」と発表されてから、ますます御隠れになった印象で、
美智子様と比較されることに、プレッシャーを感じるであろうことは容易に想像できますが、
雅子様には、人それぞれに「違ってイイ」ことを象徴する役割があるのかもしれず、
新しい皇后様を、過剰ポテンシャルなしに、ニュートラルな目で見守りましょう!
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