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「朗報」と「悲報」、逆転した多数派に必要なキリストの心眼(ヴィジョン)

2023年11月7日、東京都心で27.5度まで気温が上昇し、しかも、

まだ7日しか経ってないのに、11月に「夏日(25度超え)が3日」って、ちょっと驚きです。

標高1200m以上ある清里高原では7日の朝、本格的な雨&強い風で、

ウチの紅葉は一段と進みましたが、

長い間「赤く」染まっていた、お隣さんの「もみじ」はかなり散ってしまいました。

紅葉して「散る」サイクルは同じですが、まだ咲いてる花もあり、

風は強いけど暖かい南風で、午後、晴れてきたら、

外気温18度、清里にしたら異常な暖かさです。

家の前の草原からは、八ヶ岳だけでなく、

久しぶりに富士山もクッキリ見え、雨が降ると空気が澄むようです。

ご近所さんでは、まだまだ紅葉も残ってますが、

ウチの南側は、カラマツの葉が落ちると眺望がよくなり、今の時期は家の中から、紅葉と甲斐駒ケ岳のコラボが拝めます。

清里の11月は薪ストーブ必須で、昨年の今頃はフツーに寒かった・・ように記憶してますが、

社会現象としての、今年と昨年の大きな違いは、

1年前はまだ、少数派だった「打たない派」が、

「民間救急ドライバー」が推すシェディング対策4選とナオミ・ウルフ氏の「私はあなたを許します」

今では、多数派になったようで、これはまあ、喜ばしい変化・・「朗報」ではあります。

故ペルーの先生と出会ったばかりの20年前、両親の話をちょっとしたら、「あなたとは違っている人達なんだね・・」と言われましたが、

確かに、MY両親(弟も含め)は常に多数派のポジションで、長女だけ「違っている」変わりモノです(笑)。

だから、2021年にワクチン接種が始まった際、言っても無駄・・だとは思ってましたが、

謎の「カユカユ」現象に見舞われ、ヒートテックかぶれかな〜? だった時、

コロナ渦を機会に「極上・国産肌着」にシフトしました〜

効果抜群だったオウバク入り日野百草クリームと予防薬「百草丸」

ちょっと自分の気持ちを自省してみたら、「ワクチンの危険性」を両親にちゃんと説明してないことを「気にしている」ことに気づき、あとあと「後悔」しないように、父の方にもきちんと説明しておきました。

母には折につけ、「打たない方がいいよ。何があっても知らないよ!」とは言っていたのですが、母は父の言いなりだし、多数派でいたい・・傾向は、父より母の方が強いです。

で、父は一応、聞くだけは聞き、「要するに免疫力がなくなるんだな、よし分かった。自分の考えで決める・・」と言ってました。

結局、両親とも5回接種し、母の具合がすこぶる悪くなったので、6回目でやっとヤメた次第ですが、87歳と91歳、超高齢者の間では「5回接種」は多数派です。

で、社会性に自信がないので「父の言いなり」であっても、「奇跡講座」で言うところの、

OSHOの「二つの姿勢」とホントの聖書「奇跡講座」

「自我の抵抗の激しさ」は、母の方が強いのかな〜 と最近しみじみで、

全く異なる「ウクライナ情報」とフロイトの自我と『奇跡講座』の自我の違い

物理的なハンディキャップもあり、母は最近、心身の落ち込みが激しくなり、

「打っても」元気な人の特徴と医師らが5G導入に反対する理由

母にヒットしたバッチフラワーには、バインとパイン、そしてホワイトチェストナットも出てましたが、

実例:速攻効果だったバッチフラワーと壊れモノが心身に与える影響

母は今、頭の中が「罪悪感=パイン」の「ホワイトチェストナット」状態のようで、

「思考の力」の反作用、強迫性睡眠障害に効くホワイトチェストナット

「罪悪感を正視することの難しさ」からすると、

戦争〜腰痛まで影響する「罪悪感を正視することの難しさ」

今まで抑圧してきた「罪悪感=パイン」が急激に浮上しているので、時々「パニック状態」になるのも頷けます。

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私たちは自分が一生かけて(あるいは数多くの人生をかけて)逃れようとしてきた罪悪感と恐れにだんだん近づくにつれ、本当にパニック状態に陥ります。この罪悪感は、この世界において最も衝撃的で、私たちを震え上がらせるようなものです。だからこそ、このプロセスは時間をかけてゆっくり取り組むべきものであり、そこを進んで行くときには忍耐強くあることが必要なのです。進み方が早すぎれば、いずれ私たちを襲うことになる罪悪感からの猛攻撃に対し、私たちは準備を整えることができません。・・・

自分の思考体系の要塞に近づくにつれ、私たちはそこに埋められている罪悪感をますます恐れるようになります。私たちは、自分と共に歩み、手をとってくれる存在、自分以外の誰かで、自分を愛してくれている存在がいると知っていなければ、そのステップを踏みだすことはできません。

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身体症状は「気づき」のサインでもあり、(なかなか治らない)母の発疹は、ワクチンの解毒であるにせよ、「罪悪感=パイン」を感じる機会になってるようで、「見た目」に出る症状は気になるので、ごまかせなかったりします。

心理学者でもあるケネス・ワプニック氏の、「投影」の説明はわかりやすく、

「投影」が一切なくなると、『キリストの心眼(ヴィジョン)』になります。

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<キリストの心眼(ヴィジョン)>

赦しというのは、私があなたの攻撃という闇を超えたところを見て、それを、愛を求める呼びかけとして捉えるということです。それがキリストの心眼(ヴィジョン)です。そして『奇跡講座』の到達目標は、私たちが、例外なくあらゆる状況やあらゆる人々に、その心眼(ヴィジョン)を持って臨むのを助けることです。

たった1つでも例外を設けることは、罪悪感の闇の中に隠しておきたい分、つまり絶対に光によって解放されたくない部分が、自分の中にある、と言っているのと全く同じことです。罪悪感を闇に包んだままにしておく方法は、それを相手の上に投影し、その一点の闇を相手の中に見ることです。・・・

以上のことが、私たちが人生を生きる上で何を意味するかといえば、私たちは生活の中で遭遇する出来事の一つ一つを、聖霊が私たちを助けるために使える機会と見なすことができる、ということです。つまり、生まれてから死ぬまで、また、毎日、朝起きてから夜寝るまでの間に起こるすべてのことが、私たちが自分自身を罪悪感のない者として見られるように聖霊に助けてもらう機会となり得るのです。

自分の人生において出会う人々を見るときの見方は、自分自身を見るときの見方と同じです。したがって、最も扱いにくく、最も問題のある人々が、私たちにとって最大の贈り物となります。というのは、私たちがそういう人々との関わりを癒すことができるなら、その時は、実は、私たちは自分と神との関わりを癒していることになるからです。

私たちが他人の中に見て、自分の人生からは除外しておきたいと思うような問題の一つ一つが、実際には、私たちの罪悪感のうちの何らかの部分を手放さずにいられるように、自分からは除外しておきたいという密かな願望を表しています。これが、自我は罪悪感に惹かれている、ということです。自分の罪悪感にしがみついているための最高の方法は、誰かの頭をぶん殴ることです。私たちがそうした誘惑にかられるときはいつでも、私たちの肩に手を置き、「兄弟よ、もう一度選び直しなさい」と言ってくれる誰かが私たちと共にいるのだと。『講座(コース)』私たちに教えてくれます。

そして、その選択は常に、赦すべきか、赦さずにおくべきか、という選択です。私たちが他人を赦すことを選ぶという選択は、自分自身を赦すという選択と同じものです。内と外に違いはありません。すべてが、私たちが内で感じているものの投影です。私たちが自分の中で罪悪感を感じているなら、罪悪感を外に投影します。神の愛を内に感じていれば、私たちは神の愛を外に延長させていくことになります。生活の中の人々や状況のすべてが、自分の心という映写機の中にあるものを自分で見ることのできる機会を、私たちに与えてくれます。そのすべてが、私たちが別の選択をする機会です。

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罪悪感を感じるのはヒジョーに辛いので、「忘れたり」ごまかしていても、あの世では「投影」が追いかけてきます。

だからこそ、この世にいる時に、苦手な人や事柄を「赦す」機会が何度も訪れる次第で、「悲報」に対しても無関心ではなく、ちゃんと関心を持った上で「赦す」人が多数派になると、政治状況も改善されるかもしれませんね〜

個人的には、両親(特に母)とのやり取りで、「自我の抵抗の激しさ」を感じることが多いですが、何事も焦らず、「ゆっくり取り組む」のがナイスですネ!

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COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. コレ↓なかなか興味深かったですヨ。
    https://www.youtube.com/watch?v=Szf-838_hQA

    • 27さん お久しぶり〜

      「死=悪い」という、西側の幻想にNGした、井戸を使わないマサイ族の話、ヨカッタです!

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