梅雨時前の6月、晴れている時の清里高原は快適で、
昨日6月4日は、雲はあるけど、南アルプスがクッキリで、
今日6月5日は、雲一つない青空だけど、ちょっと霞んでいて、
両日とも、外気温23度の爽やか気候で、お隣さんのお庭では、
百合が咲く準備をしています。
我が家の庭先では、マムシグサが咲き、
マーガレットが満開の中、
ウチでもやっと、昨日、草刈りが出来たのは、
旦那さんの坐骨神経痛が、だいぶ良くなってきたからですが、
やはり、あまり長い時間は立ってられない・・とのことで、
休み休み・・ですが、それでも、機械の力ってスゴイな〜 で、
花壇の雑草は、私が鎌で刈ってますが、広範囲はキツいです。
夏場は木陰になったちゃう南側でも、マーガレットが咲き出し、
今朝はベンガル・ピノちゃんと草原広場まで散歩したら、
ビューんと走り回ったピノちゃんの姿が見えなくなるほど、伸びている草が、
風で揺れて、まるで緑の海みたいでした〜
さてさて、今年になってからますます、世界情勢の変化が著しいですが、
そんな中、プーチンさんに会いに行き、異例の歓待を受けた安倍昭恵さんと、
つい最近、原口議員は会談し、ワクチンや「深田萌絵さんの件」について、昭恵さんは原口氏と同意見だったそうです。
【超速報】原口一博「安倍昭恵さんに、深田萌絵さんと旧安倍派 萩生田光一の事件をお話ししました。昭恵さんの反応は・・・」覚悟して聞いてください
う〜〜ん個人的は、日本女性のほとんどは、高等生命体DNAを持っている・・という、故坂本氏情報を思い出しましたが、
それはともかく、深田萌絵さんの行動は「メチャ勇気あるな〜」で、今後ますます、意識レベル200(勇気)越えの人が増えそうな予感です。
で、覚醒した精神科医・ホーキンズ博士が実施した意識レベル調査は2004年なので、
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■1~1000の意識レベルの表
700-1000・・・悟り
600・・・平和、1000万人に1人(世界で700人)
540・・・喜び、250人に1人(世界で2800万人)
500・・・愛、25人に1人
400・・・理性
350・・・受容
310・・・意欲
250・・・中立
200・・・勇気、5~7人に1人(15%~22%)
175・・・プライド
150・・・怒り
125・・・欲望
100・・・恐怖
75・・・深い悲しみ
50・・・無感動
30・・・罪悪感
20・・・恥
(1増えるとパワーは10倍になる。)
http://gorich777.blog18.fc2.com/blog-entry-250.html
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「2009年9月に92歳で生涯を終えた」ラメッシ・バルセカールは当時、87歳で在名だった次第ですが、
その意識レベルは、師(ニサルガダッタ・マハラジ)を超え、760に達してました。
ラメッシ・バルセカールの「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」がとても良かったので、
今は「誰がかまうもんか?!」を読んでいるのですが、
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誰がかまうもんか?! ―ラメッシ・バルセカールのユニークな教え
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🔸最初読んだときは「そんなことがあってたまるか?!」が第一印象でした。
数カ月おきに読みたくなり都度読んでいましたが、
最近は「確かにその通りかもしれない」となりつつあります。
理解を深める為にマハラジ本も読んでみましたが、
量子論やコンピュータなどに絡めて解説してくれるラメッシの本の方が
”なんちゃってエンジニア”だった自分には理解しやすい気がしてます。
何度も読み返しています。・・
Amazonレビューより抜粋
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ラメッシによれば、「基本ーー神の意志でないかぎり、何ごとも起らないーー」とのことで、
旦那さんが2025年3月13日にギックリ腰になったり、自分が「今」のタイミングでこの本を読むことは、あらかじめ「決められいる」ことであり、
初めての愛犬が、30年前の3月13日に変な動物病院に連れて行かれて不慮の死となったのも、
リアルに知ってる覚醒者、故ペルーの先生が61歳になる直前に「悟り」、67歳の誕生日から7日後に宇宙に帰還しちゃったことも、あらかじめ「決められいる」次第で・・・う〜〜ん確かに、そんな感じはアリアリです。
ペルーの先生はよく、「普通にしてればイイ」「瞑想とか修行は必要ない」と申してましたが、
ラメッシが勧める唯一の修行は、『行為を分析する』ことで、この練習によって、
『エゴは何もしていないーーエゴは何もすることができないーー行為はただ起こるのだ、という個人的な体験からの理解がますます大きくなるにつれて、エゴはますます弱まります。そして、最後には死ぬのです』
とのことで、生きてる限り「名前と形の自己同一化」は避けれませんが、問題は「私が」やった! という信念なのです。
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名前と形の自己同一化は、それ自体は無害なものですが、それがどうして、あなたが神であることへのそれほど巨大な障害となりうるのでしょうか?
エゴとは、私がその観念を使うときは、単なる名前と形との自己同一化ではなく、分離した存在、各自の行為を行う分離した行為者としての名前と形との自己同一化です。それが本当の障害です。つまり、単なる名前と形との自己同一化ではなく、分離した個々の行為者、すなわち他の個々の行為者から分離した個々の行為者としての名前と形との自己同一化こそが障害なのです。わかりますか?その行為者としての分離が問題なのです。
それなら、どうすれば自分がこの肉体精神機構を通じて起こる行為をおこなっている者である、という考えを取り除くことができるでしょうか? 私の考えによれば、答えは、まず最初に自分は、分離した行為をしている他者から分離している個人ではないことを、知性で理解しなければなりません。それから、個人的な体験によって、その必然的結論を無条件に受け入れるようにすべきです。
最初に、自分は分離した行為者ではないという知的理解がやってきます。それから、個人的体験から、この関連が非常に深く染み込み、無条件で完全に受け入れられる理解となります。さて、どうやってそのことは可能になるのでしょうか?
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エゴとは「影」のようなもで、
エゴは「アル」けど、家に戻ると消えちゃう・・存在しないモノだと、体験から「直観的理解」に達するために、
『人は、行為を分析する練習をすることができる』
というのが、ラメッシのアンサーです。
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1日の終わりに分析して、自分はコントロールできなかったという結論に達するのです。思考が起こった、あるいは、あなたは提案とか何かを聞いた、何かを見た。脳は、見られたり、聞かれたり、考えられたりしたことに反応したのです。あなたはこの分析を、自分のどんな行為にも使うことができます。そして1日の終わりに、自分の個人的な体験から、それは「自分の」行為ではなかったことを見いだすのです。どんな行為であれ、その行為を分析することが、私が思うに、あなたがする必要のある唯一のサーダナ、なすなわち修行です。それが私の考えです。やれるだけ、このサーダナをやってくださいーー そしてこのことも、神の意志と、その肉体精神機構の運命によるのです、ですから、あなたがそのサーダナをやれるだけやっていくと、どんな行為も本当は「自分の」行為ではないという結論に至ります。そして、もしこのことが 来る日も来る日も起これば、ある時点でーーやはり、それが神の意志とその肉体精神機構の運命であれば、「もしゲーリーが何もしていないとすれば、ゲーリーとは誰か?」という問いが、自分の存在のまさに深みからわき起こってきます。ブッダは言いました。 「そこに行為者はいない」。 これが、あなたの個人的な体験から到達する結論です・・・
「私とは誰か?」 これはラマナ・マハルシの問いです。これを問いかけてるのは知性ではないと理解することが、最も重要です。 知性が尋ねると、知性が答えを提供します。そして、知性が提供した答えに対して、またもや知性 が質問します。堂々巡りが続くわけです。
でも、源泉から問いがわき起こるとき、源泉の意志とその肉体精神機構の運命であれば、そのとき、知性からではなく、源泉から答えがやってきます。ある肉体精神機構に与えられた名前以外に、決してゲーリーがいたことはなかったのです。ですから、どんな行為者もいたことがありません。ゲーリーとそのエゴは存在していません。もしゲーリーが存在していないとすれば、何が存在しているのか? ただ、源泉だけです。源泉だけが存在するすべてなのです。
ゲーリー、私の基本的な考えは、あらゆる人間は、源泉が使うプログラムされた道具やコンピューターであるというものです。そして、一人一人の人間コンピューターはユニークです。 1人として同じ人間はいません。 それはDNA (遺伝子)と、一人一人が受け取る条件づけが違うからです。そして、人間はその条件づけに対して、何のコントロールもできません。遺伝子と条件づけが、私がプログラミングと呼んでいるものです。そして源泉は、源泉が望む行為をもたらすために何をするのでしょうか?インプット(入力)です。 インプットとは何でしょうか? 源泉があなたに思考を送ると、脳はその思考に反応し、プログラミングに従ってアウトプット(出力)します。ゲーリーは、この出力は「自分の」行為だと言います。 でも、1つ1つの行為を分析すると、あなたはどんな行為も、「自分の」行為ではないという結論に至ります。・・・
幸福と不幸が存在するのは、エゴのせいです。ですから、ハートにおける最後の直観的理解と受け入れは、エゴは存在しないーーエゴは決して存在したことがない、というものです。幸福と不幸は単にエゴが創造した何かです。影が実際には決して存在したことがないようにーーあなたが家に入ると、影はどこにあるのでしょうか?ーーエゴも本当は決して存在していません。
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ラメッシはまた、『エゴと戦わずに、エゴを受け入れなさい』と、申していて、「行為を分析する」のはエゴですが、次第に「観照」になっていきます。
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何かをしているときに自分の行為を分析するようにと、私は言っているのではありません。あなたにはそれはできません。あなたが何かをするときは、まるで自由意志があるかのようにそれをやるべきです。 あなたはただそれをやります。もしあなたが何かを決断しなければならないとしたら、まるで自由意志があるかのようにあなたは決断します。そこが肝心なところです。その後で1日の終わりに、あなたは座って自分のいくつかをの行為を分析します。でも間違いないでください。自分の行為を分析するのは、まだエゴです。 1日の終わりに、エゴに行為を分析させ、「誰」の行為か見出させてください。それらは「あなた」の行為でしたか?それとも、それらは「あなた」が何のコントロールもできない、何かから始まったのでしょうか? 脳は、あなたが何のコントロールもできないことに反応し、それから出来事が起きましたーー あなたはそれを、「あなたの」行為と呼びます。
その瞬間には、まるで自分が自由意志を持っているかのように、まるでそれが自分の判断であるかのように、事実と起こりうる結果に基づいて、あなたは決断します。夜になってから、あなたは自分の行為とそれがどのように起こったかを分析します。
行為者がいないということは観念であり、理論です。それは、あなたがそれを現実的に体験した時だけ、真実になることができます。ですからあなたは、それが「あなたの」行為なのか、それがただ起こっただけなのか、試してみて、自分自身の経験から分析しなければなりません。 さもなければ、それは理論のままで終わります。そういうわけで、 理論が実際の経験になるためには、自分で見出さなければなりません。そして次第に何が起こるかと言えば、1日の終わりごとに自分の行為を分析するにつれ、行為が起こっているときに、それらがただ起こっていることを観照しているのを、あなたは見いだすでしょう。
しばらくすると、何かをしている最中に、何であれ何もやっていないということに、あなたはたまたま気づくでしょう。というのは、あれこれの物事はただ起こるからです。これは最初からは起こりません。でも、これが起こりはじめると、そのときは、エゴが非常に弱まっているという段階です。
でも、そのことは忘れてください。 これもまた、ただ起こるだけです。もしあなたがそれを心に留めていて、それを期待していれば、それが妨害となります。 覚えておこうとするあらゆる努力の中に、エゴが存在します。 理解が覚えておくことをひき起こすときだけ、エゴは不在です。
ですから、ラマナ・マハルシは、真我の覚醒は最も簡単なことだと言っているのです。それから彼は、たくさん修行しなければならない、とも言っています。 何を修行するのでしょうか? 自分自身に、「私とは誰か?」を問うことです。 私が言いたいのは、「私とは誰か?」という問いは、この分析のサーダナから生じるということです。 あなたが来る日も来る日も、繰り返し、何事も「自分の」行為ではないという核心に戻るなら、そのとき、その質問がただわき起こります。「あなた」、エゴが、その質問をするのではありません。質問は、自分の存在の深みからやってきますーーもし「私」がおこなう行為が何もないとすれば、この「自分」とは誰だろうか? そのようにラマナ・マハリシの質問は、理論が実践になり、行為が「自分の」行為でないとあなたが気づくときにだけわき起こるのです。
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このように、ラメッシが推奨する唯一の「悟り」の修行=サーダナは、「行為についての分析」で、「私」が瞑想を20年間やってもムダな理由を端的に語ってます。
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私がたいていのサーダナについて思うのはただ、常に意識しているエゴがあるということですーー「私」はこのサーダナをやっている。「私」はこの努力をしている。「私」は報酬を得なければならないというように。ですから、20年のサーダナ終わりに、正直な探求者は「私は20年間瞑想をやったが、何も得るものはなかった。このサーダナは役に立たない。私は別のサーダナを求めなければならない。私は別のアシュラムに行かなければならない。私は別の師(グル)のもとへ行かなければならない」と言うのです。
私が言いたいのは、たいていのサーダナは、個人的行為者、探求者、何かを得る期待をもって何かをしているエゴにもとづいているということです。それゆえ、瞑想することが求められるわけです。 確かに、そうですね。でも、瞑想から何かを得ることを期待している「瞑想者」がいる限り、 私の考えでは、その瞑想は役に立ちません。 本当の瞑想は、神の恩寵とその個人の運命によって、しだいに「瞑想者」が瞑想の中へ消え、瞑想の終わりには、期待をもって瞑想しているどんなエゴの残存もないというものです。そのとき、瞑想はまったく違ったふうに起こります。私の考えでは、それだけが本当の瞑想であり、そこには、瞑想から何かを得ようと期待するどんな個人の瞑想者もいません。私が推薦するこのたいていのサーダナの目的をひっくるめて言えば、エゴを取り除くことです。不幸なことに、大抵の瞑想修行で、瞑想者は、「自分」が何かを得るだろうと考えるように信じこまされます。エゴを、何かを得ることを期待させられるのです。これは残念なことです。
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と言うわけで、意識レベル760のラメッシ・バルセカールによると、深田萌絵さんが八王子で集会したり、安倍昭恵さんがトランプさんやプーチンさん、そして原口議員に会いに行ったり・・そして、世界中で「コロナ騒動」が起きたことも、あらかじめ「決められいる」次第なんですが、
意識レベル500(愛)の存在一人は、ナント75万人の「200(勇気)」以下の人々をバランスさせる・・という情報もありますので、
一個人レベル=200以下の人に対応するおよその人数
意識レベル700の1人=7000万人の 200以下の人々
意識レベル600の1人=1000万人の 200以下の人々 (1千万人に1人)
意識レベル500の1人=75万人の 200以下の人々 (全人類の4%)
意識レベル400の1人=40万人の 200以下の人々
意識レベル300の1人=9万人の 200以下の人々
別に「悟り」とか興味なく、人生を快適・平和に過ごしたいフツーの方々にこそ、
ラメッシ・バルセカールの「誰がかまうもんか?! 」は、オススメですよ〜
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