三連休最終日「海の日」の月曜は、関東甲信で「梅雨明け」し、
全国的に35度以上の猛暑日。清里高原も最高気温27度の夏日で、

朝10時頃、ベンガル・ピノちゃんを散歩させたら、10mほど歩いて「もう、帰る!」となり、
すっかり「寒冷地」仕様の猫になってます(笑)。
サンリンソウやサツキが終わって、赤いイヌダテや、


真っ白なノリウツギが咲き出すと、

清里の夏が「盛り」になったサインで、



食用で植えた春菊も、きれいな花を咲かせてます。

昨年より、遅まきながらのガーデニングを始めましたが、
アニスヒソップ・リコリスブルーと同じ系統で、

明るい葉色のアガスタキ・ゴールデンジュビリーも、清里の気候に合ってるようで、一年で大きくなりました。



軒下では、(旦那さんが)近所の空き地から移植したリュウノヒゲがひっそりと咲いていて、

去年も、同じ頃に咲いてましたが、参院選があった2025年が大昔に感じられますネ。
ガーデニングにはさほど興味を示さない旦那さんが、「南の畑側にラベンダーを植えよう!」と言い出したのは、「蚊除け」になるからで、セルフビルドを始めた2010年頃は、ほとんどいなかった蚊が、今はブンブンいます。
で、一昨日、ラベンダーの苗を探すついでに、「道の駅南きよさと」に寄ったら、

ナント、バラの花が10本180円(半額セール)で売ってまして・・
めったに切花は買わないのですが、ゲットしちゃいました〜
さて、23年前のTVドラマ「すいか」を、最近、Amazonプライムで観まして・・
******************
<すいか (テレビドラマ)>
世のしがらみでガンジガラメになり、にっちもさっちもいかなくなり行き詰まっている30代半ばの信用金庫職員が、売れない漫画家、大学教授、大学生の大家など、風変わりな人々が住む”賄い付き下宿”のハピネス三茶での出会いや出来事を通して、本当の自分を発見し成長してゆくドラマ。舞台は世田谷区三軒茶屋。
視聴率はあまりふるわなかったが、主演の小林聡美をはじめ出演者の演技や脚本への評価は高く、第41回ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、第21回ATP賞テレビ記者賞、第22回向田邦子賞(木皿泉)を受賞。シナリオ集が2004年11月に日本テレビ放送網株式会社から刊行された。同書は長らく絶版となっていたが、2013年8月に河出文庫から『すいか1』『すいか2』として刊行される。なお、この『2』には、「オマケ」として、基子たち主要登場人物の10年後が描かれている。また、放送から20年を迎えた2023年7月にはファン有志による記念イベントが早稲田大学の小野記念講堂にて開催された。
******************
「すいか」は、10年ほど前に、YouTubeで観たので2度目なんですが、この話って、今こそ「響くな〜」って再認識しました。
下宿屋「ハピネス三茶」の4人の女性の日常生活と、

信用金庫のOLで「3億円横領」して逃走中のキョンキョンとの対比がベースにあり、

3億円あっても、全然、自由でも楽しくもない・・というだけでなく、
フツーの日常を淡々と生きながら、それぞれのキロン=「傷」を癒していくことが、真に「自由」になるために必需なんだな〜 と感じさせる内容で、
最初に観た時は、家出して「ハピネス三茶」に住み始めた34歳信用金庫OLの母親は、過干渉なチコリ親という印象で、


チコリが効くタイプ:「家族や気にかけてる人に干渉し、ひそかに操作しようとする」「まわりの人間から全面的な支持を得ようとし、意のままにならないと自己憐憫に陥る」「所有欲が強い」
チコリのマイナス感情は、子供や伴侶などを、自分の所有物のようにコントロールしたい・・という気持ちなんですが、
自分が今まで「レールに乗った」人生を歩んできたのは、母親のせいではなく、「自分で決めない」ことで責任を回避する、つまり依存体質だったことに気づき、母親を受け入れつつも、胃ガンになって退院したばかりの母親にキッパリと、「もう家には戻らない」と宣言したら、
母親のチコリ感情がバランスされ「無尽蔵の愛」となり、「ハピネス三茶の皆さんに・・」と、娘に「紅白饅頭」を渡すのですが、その「のし」に記された文字は「独立記念」でした。

折しも、長い間「ハピネス三茶」で暮らしていた教授は、大学という「囲い」から独立して、自身の研究のためにイタリアに旅立ち、

その結果、教授を母代わりに育った大家さんも、「親離れ」して独立。

そして、他者との関わりを避けてきた「キズナ」は、自分がどれだけ素直に感情を表現することに飢えていたかに気づき、
早逝した双子の姉への幻影、コンプレックスから独立しました。
この「キズナ」という名は、真の「絆」を築くためには、同情やもたれ合いではなく、一人ひとりが「傷」を癒して独立する・・を、示唆しているように感じられましたが、
ドラマの舞台が、1999年のハルマゲドン危機を過ぎた2003年というのも「今」的で、
「今」こそハルマゲドン危機だという説もありますが、実際、米国では、非日常が日常になってるそうです。
「戒厳令の布告のない戒厳令的生活」その社会を招いたのは私たち自身であるかもしれない
**********************
<結論>
この記事の取材を終えて数か月後、私は近所の薬局の外で列に並んでいた。それはまったく記憶に残らない午後だった。親たちは子どもたちを急いで駐車場の車へと連れて行き、配達員たちは荷物をバンに積み込んでいた。警備員は丁寧ながらも無関心な態度で客に挨拶をしていた。
頭上では交通カメラが交差点を監視し、遠くでは小型ドローンが旋回し、数ブロック先で発生した事故に対応する消防士たちを支援していた。誰も驚いた様子はなく、立ち止まって見物する人もいなかった。ただ、日常は続いていった。
そこに立って、私は目の前の光景が、1990年代後半からタイムスリップしてきた人にとっては、何一つとして平凡に映らないだろうと気づいた。それは、その光景が劇的だったからではなく、むしろ劇的ではなかったからだ。
非日常的なものが、いつの間にか日常になっていた。
カメラはもはや特別な出来事を象徴するものではなく、デジタル記録はもはや意識的な努力を必要としなかった。武装警備員はもはや差し迫った危険を意味していなかった。
テクノロジーは日常生活の背景にあまりにも深く溶け込んでいたため、それに気づくには意識的な努力が必要だった。おそらく、あらゆる大きな社会変革は、最終的にこのようにして成功するのだろう。注目を集めることによってではなく、あまりにも身近になりすぎて、もはや注目されなくなることによって。
こうした変化を認識する目的は、過去を美化したり、避けられないディストピア的な未来を予測したりすることではない。現代の監視システムは、犯罪の解決、行方不明児童の救出、災害対応の調整、重要インフラの保護、そして公共の安全の無数の側面の改善に貢献してきた。これらの成果は称賛に値する。
同時に、どの世代も、自らが構築したシステムが拡大するにつれて、公共の利益に引き続き貢献しているかどうかを問い続ける責任を負っている。安全と自由は、決して相反する絶対的なものではない。これらは、社会の進化に伴い、常に調整を必要とする生きた原則なのだ。
真の意味での備えとは、決して物資を蓄えたり、大惨事を予測したりすることではない。それは観察から始まる。つまり、変化が恒久的な現実となる前に、ゆっくりとした変化に気づこうとする姿勢だ。不確実な時代をうまく乗り切る可能性が最も高いのは、声高に主張したり、最も多くの装備を揃えている家族ではない。それは好奇心を持ち続け、判断力を失わずに適応し、回復力は資源だけでなく、意識の高さにも大きく左右されることを理解している家族だ。
歴史は、新たな章に入ったことを自ら宣言することはめったにない。多くの場合、それは何気ない日常の中に静かに忍び寄り、ある朝、 人々がふと周囲を見回し、いつから世界が変わったのか思い出そうと苦心するまで続く。その頃には、監視カメラはすでに設置され、ドローンは背景の雑音となり、セキュリティチェックポイントは日常的なものに感じられる。
そして、議論の焦点はもはや何が変わったかではなく、そもそも世界が変わったことを覚えている人がいるのかどうか、ということになる。
https://indeep.jp/society-under-undeclared-martial-law/
**********************
で、この論客によると、「今」の時代に「最も多くの選択肢を確保できる」のは、目立たない、フツーの人々だそうです。
**********************
<7. 目立たないことの利点>
経験豊富な緊急事態対策担当者の間では、専門家以外の人々の間では驚くほど注目されていない古い原則がある。
それは、不必要な注目を最も集めない人物こそが、最も多くの選択肢を確保できるというものだ。この概念は、秘密主義や社会への不信感とは何の関係もない。むしろ、可視性は期待を生み出し、匿名性は柔軟性を保つという実践的な理解を反映している。
平穏な時期には、この違いは取るに足らないように見えるかもしれない。しかし、不確実な時期には、この違いは非常に重要な意味を持つようになる。
大衆文化は、備えを非常に目立つアイデンティティへと変貌させた。ソーシャルメディアは、戦術装備のレビュー、倉庫のような食料貯蔵庫の見学、サバイバルをテーマにしたデカール (※ 車体などにデザインや文字を転写するためのシート)で覆われたカスタム車両、そして最悪のシナリオについての果てしない議論であふれている。
こうしたコンテンツの多くは教育的あるいは娯楽的である一方で、備えが自宅で静かに実践するのではなく、人前で披露されるものへと変化しつつあることも示している。皮肉なことに、備えを誇示したいという欲求は、時に個人が達成しようとするレジリエンスそのものを損なうことがある。
かつて、災害対策のロジスティクスに何十年も携わってきた男性に、なぜ彼の備えがこれほどまでに平凡に見えるのかと尋ねたことがある。
彼は即座にこう答えた。「普通の人はめったに記憶に残らないからだ」。
彼は目立たない車を運転し、ごく普通の家に住み、物資を長年にわたって少しずつ買い集めていた。彼の外見からは、災害への備えについて相当な時間を費やしてきたとは到底思えなかった。しかし、それはまったく意図的なものだと彼は説明した。「平凡に見えることは、偽っているわけではない。 人々の注目は無駄にしてはならない資源だと理解しているということだ」。
おそらく、この哲学はこれまで以上に重要性を増しているだろう。デジタル記録、監視システム、そしてオンラインでの可視性が絶えず交錯する時代において、レジリエンス(回復力)は、個人が何を持っているかだけでなく、いかに予測可能な形で自らを世間に示せるかにも左右される。静かな能力はめったに注目を集めないが、歴史は繰り返し、派手なパフォーマンスが消え去った後も、静かな能力は長く生き残ることを示唆している。
https://indeep.jp/society-under-undeclared-martial-law/
**********************
と言うわけで、21世紀のハルマゲドン危機的にも、「すいか」で描かれた、淡々とした日本の日常生活の重要さ、
そして「依存」ではない「絆」で結ばれた共働体制の大切さを、今こそ「認識」したいな〜 と思いました!
バッチの花療法: その理論と実際
https://amzn.to/4bLeLj7
アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話
https://amzn.to/3IoTmSZ
意識は語る―ラメッシ・バルセカールとの対話
https://amzn.to/4pIW7PI
<わたし> ―真実と主観性
https://amzn.to/3GaKjUp
ぽぽ Extra
https://amzn.to/3QeMUic
四季彩々和風だし食塩無添加
https://amzn.to/48huJQ5
|
|

COMMENT ON FACEBOOK