酵素カフェ

2022年夏至に日に学ぶ恒久的な「健康と観念」の法則

シェイクスピアの『真夏の夜の夢』は、夏至前夜の出来事を描いた喜劇で、

ヨーロッパでは夏至の日に「妖精の力」が強まるという伝承があり、『真夏の夜の夢』は妖精のフォローでハッピーエンドで終わります。

アテネ近郊の森に足を踏み入れた貴族や職人、森に住む妖精たちが登場する。人間の男女は結婚に関する問題を抱えており、妖精の王と女王は養子を巡りけんかをしている。しかし、妖精の王の画策や妖精のひとりパックの活躍によって最終的には円満な結末を迎える。

wikipedia

妖精と言えば、ホントに妖精がいるみたい〜と4年前に「記事にした「フェアリーテイルズ」、

清里「フェアリーテイルズ」のワイルドローズと英国で起きているシフトの兆し

一昨日の日曜日、「萌木の村」に寄った際に覗いてみたら、

コロナの影響か・・システムが変わってまして、

薔薇が花盛りのガーデン内では、1組様がお茶を楽しんでいて、

バッチフラワーで使われる花、ハニーサックルが塀越しに咲いてました。

もう夕方でしたが、「萌木の村」全体は結構な人出で、

関西圏からの車も来てました。

「萌木の村」はウチから徒歩8分位なのですが、オルゴール館にも入ったことなく、

いつでも行ける・・と、近いので、最近はご無沙汰だった「萌木の村」ですが、

入り口付近だけでも珍しい花々が沢山で、






さすが、ポール・スミザーさん監修ですネ!

自然治癒力を発動させるレッドチェストナットとポール・スミザーさんの「子離れと親離れが、人を強くする」

2022年6月21日、夏至の日のピノちゃんは何度となく散歩に出たがり、

低い場所も、

高い所も得意なピノちゃんの問題点は、なかなか爪を切らせないことで、

悪気はなくても、じゃれると「痛い!」だったのですが、

昨晩、うとうとしている時に前足全部を切らせてくれたのはバッチ効果でしょうか?
適したバッチフラワーは、人間も動物もリラックス効果があり、余計な警戒心がなくなったりします。

そういえば昨夕、ペルーラムさんとMちゃん3人で、ZOOMをやってみたのですが、

ZOOM最中にピノちゃんが手を噛んだり・・襲って来るので、「チコリ・キャットだ〜」と笑いながら2階に避難したのですが、

旦那さん曰く、ピノちゃんは「ご飯がない!」と要求していただけで、カリカリを入れたら大人しくなりました。

チコリは自己中で「かまって欲しい」というマイナス感情に効くレメディですが、もの言わぬ動物たちの「要求」をちゃんと聞いてあげよう・・と反省です。

さて、ピノちゃんにも処方したビーチは、観察力、分析能力が高い故に、何事も「批判」してしまう人たちのためのバッチフラワーで、

ビーチは、生まれつきの許容範囲がたいへん狭いために、極端に否定的態度や肯定的態度に傾いてしまう人、また逆に、誰の感情も害さないように常に心がけている人、対立する態度をとったり、批判したり拒絶したりする勇気がない人に効果があるので、そういった生まれつきの素質を改善するエッセンスとして使用することができます。
ビーチは、精神面に効果があるばかりでなく、細胞の隅々にまで広がった不寛容な感情の結果として現れたアレルギーにも素晴らしい効果が発揮されます。

花粉症などのアレルギーに効いたりするのは、アレルギーとは「受け入れたくない」という拒否の姿勢だからですが、

典型的なビーチタイプだったが故に、短命になってしまった隣人ジョーンさんのことを、セスをチャネルしたジェーンさんは作家の視点で暖かく描写しており、

感情の元となる「観念」が批判的だと、健康のみならず、幸福を遠ざけてしまう事例を示してくれています。

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健康と観念

以下、「健康」というタイトルの章から抜粋した文章です。ジェーン・ロバーツの解説で始まります(文中の「…」は原文どおり)。

 数週間前、わたしたちは、かつての隣人が亡くなったことを知りました。一年ほどでしょうか、ジョーンという、その女性はわたしたちと同じアパートの、廊下を隔ててちょうど向かい側に住んでいたことがあります。痩せ型で赤毛で、気性の激しい女性でした。彼女はわたしの知っているなかで最も機知に富んだ人の一人だったと思います。ものまねの達人でした。でも、彼女は持ち前のウィットをよく、まるで剣(つるぎ)のように使ったのです。それは残酷なユーモアでした。その剣を彼女自身に向けた時でさえも ── 実際、それはよくあったのですが ── 同じことでした。

 彼女は三十代前半で、いい仕事に就いていたものの、同僚たち全員を見下(みくだ)していました。ここへ引っ越してくる前に結婚生活も離婚に終わり、いつも再婚の話をしてはいましたが、彼女の男性不信は大変なものでした。男性を本当に憎んでいたと思います。女性たちに関しても、それほどましだと思っていたわけではありません。でも、時には、とても心優しくなれる人だったのです。ロブ(ロバーツの夫、ロバート・バッツの愛称。妻の姓「ロバーツ」は旧姓かつペンネームで、本名は「ジェーン・バッツ」またはダブルネームで「ジェーン・ロバーツ=バッツ」)とわたしのことは気に入っていて、彼女とわたしはよく、わたしが今、この本を書いている、このテーブルについてすわり、おしゃべりをしたものです。

 彼女のおしゃべりはいつも決まって、知り合いの誰かのことを、どうしようもないくらいおかしく辛辣(しんらつ)に描写する話で始まりました。人々の弱点を察知してそれを慰みものにするということに関して彼女は怖ろしいほどの才能がありました。そうした点はあっても、病気の時以外はバイタリティーにあふれ、切れのいい、生まれつきの賢さを備えた彼女でした。わたしたちは一種のゲームをしていました。それは、こんなものです。わたしは彼女が好きでしたが、たとえ、どんなにおもしろおかしく演じられたとしても、否定的な考えや悲観主義を延々と1時間も矢のように浴びせられ続けるのはまっぴらでした。彼女もそれを知っていました。始末の悪いことに、彼女の話は本当におかしいので、笑ってはいけないとわかっていても、笑わずにいるのは並大抵の苦労ではありません。それも彼女にはちゃんとわかっていました。そこで、彼女はよく、話をどこまで持っていったらわたしがそれをとがめてお説教を始めるか試そうとしたのです。わたしは、他の人たちに対する彼女の姿勢こそが、彼女の抱えた難題の最たる要因なのだと指摘したものです。

 その難題とは病気です。それもまあ、よくもこれだけいろいろと大変な病気にかかるものだというほどでした。彼女自身でも、どの年にどの病気で悩んだのか数え直すこともできなかっただろうと思います。かかった病気のいくつかは深刻なもので、何度も手術を受けていました。世間で流行(はや)っている病気には、ことごとく感染し、流行っていないものにまで感染したのです。医者から医者へ転々と渡り歩き、いつもはっきりした身体的な兆候があり、見ていて怖いくらいの症状もしょっちゅうでした。彼女に対する食事療法は、かなりの制限があるものでしたが、それでも彼女の病気はどんどんひどいものになり始めました。

 感情の面で、彼女は極端に昂揚(こうよう)している時と極端に沈んでいる時の間を行ったり来たりしていました。自分の年齢のことで心をわずらわせていました。「四十に手が届くころには人生も終わったようなもの」だと確信していました。彼女にとって、それは数年後のことでした。それでも、わたしたちは彼女が亡くなったという知らせを受けて驚きました。わたしたちは彼女が「病は気から」というとおり、自分で自分を病気にしていることに気づいてはいましたが、命を落とすほどの病気にまでなるとは全く思っていなかったのです。

前にお話ししたことですが、わたしたちは自分たちの中にある観念の複製として物質的な現実を形作っているということ(身の回りにある世界はわたしたちの観念がそっくりそのまま形になったものであるということ)を思い出してください。これは、セス資料の中でもメインとなるメッセージです。ジョーンはわずかな例外を除いて、人という人をことごとく嫌っていました。さらに、自分が嫌われている、好かれるわけがないと固く信じていました。自分が虐(しいた)げられていると感じ、人々はきっと、自分が背を向けたとたんに自分の悪口を言っているものだと思っていました。それはまさに彼女自身がそうしていたからです。毎日の生活の中で、彼女は自分に対するあらゆる種類の脅迫を感じ、神経は常に一定のストレスにさらされている状態でした。免疫力は低下する一方です。彼女は途絶えることのない戦いに疲れてしまいました。その「戦争」の多くは一方的で正当性のないものだということに決して気がつきませんでした。彼女は現実というものに対する自分の観念を外に向けて投影していたのです。そして、それが文字どおり彼女を破滅へと導いたのでした。

 でも、彼女は警告を受けていたのです。亡くなる2年前、彼女は定例のセス・セッションに加わりたいと言ってきました。その時のセスは、かなり真剣で、いつものように陽気なところがなく、わたしは彼女に対するセスの態度が少し、きつすぎるのではないかと思ったほどです。今となってはセスが、彼女の姿勢や人々に対する反応の仕方を変える必要があることを彼女に何とかわからせようとしていたのだとわかります。彼は健康に関する考えをできるだけはっきりと率直に述べ、その実践的な応用の仕方を示しました。わたしには、ジョーンがセッションの前、すぐそこに脚を組んですわっていた様子が今でもありありと目に浮かびます。彼女がセスのアドバイスに従うことができていたら、きっと今日も生きていて、元気でいただろうとわたしは確信しています。また、健康に関するセスの話を理解して実践すれば、読者のみなさんも健康状態がきっと大きく改善されることでしょう。

 セスはこう話しました。

 「君達は自分が想像力を使って描く絵をよく観なくてはいけない。というのも、想像力が勝手なまねをすることを君達が放任しすぎるからだ。私達のファイルの最初の方を読めばわかることだが、いかなる時点でも、君達の環境や生活状態は君達自身の中にある期待から直接生じたものだ。君達は、そういった自分自身の心の中にある現実から物質化された世界を形作っている。

 悲惨な状況、病気になった様子、どうしようもない孤独などを想像すれば、それは自動的に物質化されることになる。それはそうした考え自体が物理的な意味で自らを現実化する条件を引き寄せるからだ。健康になりたいのであれば、その健康な状態をできるだけ生き生きと想像しなくてはいけない。ちょうど、不安な時、健康とは逆の状態をありありと想像してしまうのと同じようにだ。

 君達の抱えている問題は君達自身が作る。これは君達一人一人に言えることだ。内側の心理的な状態は外側に向けて投影され、物理的な性質を帯びるようになる。これは心理状態の内容とは無関係に起こる。…こうした原則は誰にでも当てはまる。これらがどういうことなのかを理解すれば、君達はそれを自分に役立つように使って自身の状況を変えることができるのだ。

 自分自身の心構えから逃れることはできない。君達が見る物事の内容は君達の心構えに従って形作られるからだ。君達は全く文字どおり、自分が見たいものを見ている。そして、自分自身の考えと感情的な姿勢が物理的な形として物質化されたものを見ている。変化が起こるべきであれば、それはまず、心の変化、心理的な変化でなくてはならない。そうすれば、それは君達の環境に反映されるだろう。否定的であったり、不信や不安に満ちた態度、あるいは見下すような姿勢は、どんな人に向けられたものであっても、自分自身に対して作用することになる

ジョーンは神経質そうに貧乏ゆすりをしていました。気の利いた返答はありません。そのころ、彼女はある男性とつきあっていたのですが、それはお酒を飲んでばかりいる人でした。彼女は言ったものです。「あの人があんなに飲むからわたしは神経過敏になって怒るの。わたしの問題は彼。彼のせいでイライラするの」

 ロブは笑いました。というのも、彼女があまりに、自分は彼の犠牲者であって、自分はどこも悪くないという口ぶりだったからです。

 セスは言いました。「他にも理解しなくてはいけないことがある。テレパシーは絶えず働いている。一人の人間に特定の行動をずっと期待し続けると、それはその人間に対して、そうするようにとテレパシーで絶え間なく暗示を送っていることになる。個人個人は誰でも暗示に対して反応する。その時々に特有な条件に従って、こうした個人は程度の差こそあれ、感知する総体的な暗示に沿った行動をとる。

 こうした総体的な暗示とは、言葉やテレパシーによって他の人々から与えられたものだけを含むわけではない。起きている間や夢を見ている間に本人が自分自身に与えたものも含まれる。ある人が精神的に落ち込んだ状態にある場合、それは、その人がすでに自らの、または他の人々の否定的な暗示の犠牲になったことを意味する。さて、君がそんな彼を目の当たりにして、彼がみじめに見えたとしたら ── ジョーンを鋭く見つめながら ── あるいは、どうしようもない飲んだくれだと思ったら、君がそれを一言も口にしなくても、彼は潜在意識のレベルでその暗示を捉える。そして、ただでさえ弱っているその状態で、彼はそれを受け入れ、それに基づいて行動をとることになる。

 これに対して、同じ状況でも君がもし、それを止(や)め、自分に向かってやさしくこう言ったとしよう。『今から彼はだんだん楽になる』あるいは『彼が飲んでいるのは一時的なこと。これでも本当に望みはある』。すると、君は彼を助けたことになる。それは、その暗示が、落ち込んだ状態と懸命に戦っている彼がその状態を撃退できるよう、テレパシーで彼に小さな弾薬を与えたことになるからだ。

 自分の希望に合わせて状況を作り上げていったり、自分自身や他人の否定的な暗示から自らを護(まも)ったりする方法は明らかにいくつもある。君は否定的な想念やイメージを消すことを覚えなくてはいけない。それは、それらを正反対のもので置き換えることだ。

「セス資料」第 13 章「健康」より

https://www.sethnetworkjapan.org/seth-guide/1-2

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ジョーンとジェーン、似た名前で混同しちゃいますが、ジェーンさん自身も頑固な性格だったとのことで、隣人とはいえ、親しく話すようになったのは、ジェーンさんにとって必要な「学び」だったかもで、ジェーンさんが2歳の時、両親は離婚してますので、子ども時代に寂しい・・思いをしたのかもしれません。

飲んだくれの彼氏を愚痴っていたジョーンさんにはチコリの面もあるようで、自己憐憫から注目を引きたがるために(かまって欲しくて)病気になるチコリタイプの病人が、子どもでも大人でも結構います。

ピノちゃんにビーチとチコリを選んだのは、自分にもそういう面があるからかもしれず・・程度の差はあっても、時々には、誰にでもあり得る感情状態です。

ピノちゃんはワンコのような習性が見受けられ、猫としてはちょっと変わってますが、

ピノちゃんはピノちゃんで・・ナイスです!

人間でもペットでも、「投影」ナシにありのままの相手を「見る」ことは、自分にも相手にも最高のプレゼントですが、先のジョーンさんの例にように、本人がそれを受け入れるか否かは自由意思で、

「長生き」しようが、「早逝」しようが、この世は束の間の「舞台」であることをシェイクスピアをはじめ、古今東西の賢人たちは知ってたようですネ!

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