ソ連邦が崩壊するまでは、量子物理学の研究者だったというヴァジム・ゼランド氏は、トランサーフィンの理論体系を、
誰からか教わったわけでも、本で読んだわけでも、宇宙人や霊と交信したのでもなく、
ある日、夢の中に現れた「監視員の老人」から、大量の情報がダウンロードされたのですが、それ以前のヴァジム・ゼランド氏は、愚にもつかないことをさんざんしでかし、限界状態だったそうです。
昔の私は、言うなればアンチ・トランサーフィンを地で行っていたようなもので、つまりあらゆることを見事に正反対にやっていたのです。賢者は他人の過ちから学びますが、愚人は自分の過ちから学びます。その意味で、私は間違いなく愚人でした。
けれども、自分の過ちと他人の過ちとで、どちらがよりよい教訓となるでしょうか?・・
賢人と違い、愚人は時分のたんこぶ一つひとつのお陰で、自分が犯した失敗の本質そのもを骨身にしみて理解してます。つまり本物の知識を身につけていることになるのです。きっと愚人だけが太古の知への道案内人になれるのでしょう。
ヴァジム・ゼランド氏の言う通り、知識が叡智となるには「体験から学ぶ」しかなく、
さらに、「本当の自分の望みは何なのか?」を感じ取れないと、
トランサーフィンだけでなく、あらゆる「幸福引き寄せ本」は猫に小判で、
猫が小判を欲しないように、本来「大量な紙幣」が人間を幸せにするモノではなく、
だから、紙幣の山をイメージしても「魂」は全然喜ばず、
「魂と理性」が一致する、幸福な状態を感じることが大切です。
毎日、ケーキを食べても太らないとか・・
ワンニャンに囲まれた暮らしとか・・
何が、真に自分を幸せにするのかを、イメージ出来るか否かがポイントなんですが、頭でっかちの情報人間にはソコが中々難しい・・
自らを悲観論者だとするヴァジム・ゼランド氏は、トランサーフィンは、ごく普通の人が自分の現実を操縦するための単純且つ効果的な技法で、単なるポジティブ・シンキングではない、としてます。
トランサーフィンはありふれた楽観論ではなく、リアリティを意図的に操縦するための技法です。もしあなたが人一倍の楽観主義者で精神状態が正常であろうとも、心の快活さをいかなる状況でも保てるというわけではありません。
楽観論者はすべてがうまくいくことをただ望んでいるだけですが、それが生まれついての性格のため、無意識にそう望むのです。しかし、もし私が悲観論者ならば、私はどうすればよいのでしょうか?
「すべてはうまくいくだろう」という陳腐なフレーズで、果たして私を納得させることができるでしょうか?それだけでは私には不十分です。なぜうまくいくと思えるのでしょうか?
そんなわけで、私個人を例に取ると、悲観論者です。現実への自分の接し方によって意識的にリアリティを操縦し始めるようになるまで、私のこの性格は人生を台無しにしてきました。
でも、今の私に忌々しい出来事が起こると、「愉快、愉快」とうそぶき、意識的にすべてをひっくり返してやります。
こうしたふるまいは100パーセント効果を発揮し、結局、すべては成功裏に終わるのです。なぜなら、こうした接し方をすれば、出来事の展開は常に成功が待っている人生ラインへと向かうからです。今の私はリアリティを操縦しているのであって、リアリティが私を操縦しているのではありません。
悲観的になりやすい人は、
がっかりしやすい落ち込み程度なら、ゲンチアナとか、
かなり憂鬱なメランコリーに陥った際は、マスタードとか、
心配性には、レッドチェストナットとか、
バッチフラワーも大いに助けになりますが、
このロシア版「引き寄せの法則」の真髄は、
あなたの世界は、あなたが世界について思っているとおりで、世界は鏡のように世界に対するあなたの接し方を反射させてきます
という所にあり、つまり、量子力学者だけあって、
宇宙は目に見えない「織り込まれた秩序」と、具現化した「開かれた秩序」が同時に存在するというホログラフィック宇宙論がベースになってます。
鏡を見るのは人間だけだと言われますが、
フロイト派の精神分析家の岸田秀氏は、人間と動物を隔てる特徴は、人間は自我を持ったことにより、現実認識に脳の幻想が入り込むことを指摘してます。
しかし、ヴァジム・ゼランド氏によると、幻想でもいいから鏡を覗く時は「ニッコリ」がイイようです。
自分に見とれる傾向のある者たちは美しく育っていくが、まさにここに秘密がある。彼らは「もし自分で自分を気に入ってると、気に入る理由がますますたくさん現れる」という決まりに従っているのだ。
形(イメージ)が自分の反映に対して「なんだか私は太ったわ。痩せなくちゃ!」と言うと、まったく話が違ってくる。鏡はそれに対して無表情にこう返事をする。
「ええ、あなたは太ってますから、痩せなくてはいけません」。・・
リアリティは、聞いたことを請け合いながら、こだまのように応対する。
で、ゲリー・ボーネルさんは、人間とは二つの要素から成り立っている存在だとして、
①トライアード(三位一体)
非物理的形体 基本的第一次存在・・魂(ソウル)のこと
創造された最初の瞬間から全体であり、完成された存在
②ダイアード(二元性存在)
物理的形体 基本的進化存在・・肉体(エネルギーをベースにした物質)のこと
こう申してます・・
アセンションについての混乱があります。アセンションは魂に起きるものではありません。魂は初めから純粋なエネルギーの状態です。アセンションというのは物理的肉体の方に起きる現象です。それは実際に魂から肉体に与えられるギフトです。
「魂から肉体に与えられるギフト」を、トランサーフィン流に言うと、トライアード(魂)と理性であるダイアード(肉体感覚意識)が一致する願望は必ず叶う・・ということで、
頭でっかちで、既成社会が押しつけてくる多種多様な「振り子」に振られて、「望んでもない事を望むフリ」さえ止めればイイとする、
ロシア版「引き寄せの法則」は、単なる願望実現だけでなくて、ゲリー・ボーネルさんのいう「個人的なシフト」にも使えそーな気もします。
COMMENT ON FACEBOOK