「振り子の法則」が顕著に出ている社会現象は「政治や芸能の世界」で、
ヒトラーもナポレオンも「振り子の寵児」でした。
優れた霊能者だった宜保愛子さんの霊視では、
ナポレオンは容姿コンプレックスが強い・・ほんとは「寂しい」方だったとのことで、肖像画は修正だらけのようでして、
アドラー心理学でいう「劣等感コンプレックス」が強いと、振り子に狙われやすくなりますので、
ナポレオンさんにもっとユーモアがあれば、歴史は変わっていたかもしれません・・
群衆はペンギンの群であり、滑稽な格好で転がったり、せっかちに歩き回ったり、うごめいたりしている。では、あなたは誰だろう?あなたもやはりペンギンなのだ。こんなふうに頭を切り替えられると、群衆に対してはいらだちよりもむしろ親近感や興味さえいだくようになってくる。・・
バンパイヤが独自の麻酔を用いるのと同じように、振り子は刺激に対してネガティブに反応する人間の習慣を利用する。・・
しかし、思い出すという習慣をあなたが身につけようと心掛けたら、そのうちに、振り子からの挑発に対する免疫ができてくる。
次のことに注意を喚起したい。あなたが腹立たしい状況に出くわし、怒りや不満などネガティブな感情で反応した時には、そうしたネガティブな気分の状況が持続したり、一層悪化したり、または更なる不快な状況が新たに出現するはずである。こうしたことによって振り子は揺れ動く。振り子を揺すっているのは、あなた自身である。
そこで、まったく正反対にふるまってみよう。無反応でいるというのでもよいし、またはその場にふさわしくない反応をするというのでもよい。例えば、不快なことにわざとらしい情熱を示してもよいし、愚かとも思えるほどの歓喜で迎えることもできる。こうすれば振り子は消える。不快事はこれ以上続かないことを納得するだろう。
「皆もペンギン、我もペンギン・・」という境地は、
「分離」ではなく、よーするに「全ては一つ」であることを実感してる状態ですので、
「トランサーフィン・振り子の法則」は一見、いわゆる「幸運引き寄せ本」ではありますが、
ベースになってるところは「ラー文書」と同じで、ハッキリ言ってムズカシイです。
で、こちらの過去記事のコメントで質問を頂きまして、
一番目の質問には前回お応えしましたが、
二番目の質問はさらに複雑・・かつ重要なポイントです。
また、本の中で、悪習を良い習慣に変える、という事について、「習慣は非常に根深いものだから、習慣を変えようという思いすら忘れている自分にきづくだろう、しかし、固い決意をもって臨めば、目標が達成できるし、振り子も最後には放っておいてくれるようになる。」と書いてありました。
しかし、この「固い決意」というものこそ、過剰ポテンシャルを生んでしまうと私は思うのです。
実際に、私が過去に固い決意を持ち、それが目標達成という結果になったためしが一度もないのです。この、ヴァシム・ゼランドさんの、最後には結局、決意や努力、という点に、それ以外の書いてある事が素晴らしい事もあり、すごく違和感を覚え、納得ができません。
それについて、どう解釈したらよいのでしょうか。
この「固い決意」というのは、「振り子に思考エネルギーを乗っ取られない」ことを意味してるのだと思われますが、
質問者さんの、「実際に、私が過去に固い決意を持ち、それが目標達成という結果になったためしが一度もないのです」というのは、
例えば、大人になってからも、強力な「振り子」として君臨する親に「⤵️」しちゃうパターンってよくありますが、
もう二度と、親との会話で「⤵️」しないと「固い決意」をしても、「目標達成という結果になったためしが一度もない」ということでしょうか?
だとすると、ヴァシム・ゼランドさんは「感情」の癒し方については、あえて言及してないことに注目です。
ねだり屋は自分の罪のポテンシャルを産み出し、自発的に人形遣いの手に自らを委ねる。・・怒りん坊は不満のポテンシャルを産み出し、平衡力が自分に対抗して働くようにし、自分で自分の運命をどんどん悪くする。
さて、闘うことを選んだ無鉄砲者は、ずっと生産的な立場にあるはずだが、その人生は苦難に満ち、多大な努力を消費するものとなる。どんなに抵抗しても、蜘蛛の巣にがんじがらめにされるだけとなる。本人は自分の運命のために闘っていると思ってるが、実際はエネルギーを消費しているだけである。時には勝利を手にすることもある。しかし、どれほどの犠牲をはらったことか!・・
実は、世論は、振り子によって作り上げられる。重要性のポテンシャルが発生しているところでは、振り子は旨い汁を吸うことができる。
先日逝去されたジャニーさん騒動は、「世論は、振り子によって作り上げられる」の典型であり、
しかし、訃報に縛りをかけるというやり方は聞いたことがない。故人を悼む気持ちは別として、そうした情報統制は非常に気持ち悪い
— \江戸西/ (@edonowest) July 9, 2019
ジャニー喜多川氏の扱いで、マスコミが報道の自由やジャーナリズムの使命という言葉を、いかに都合よく使っているかが証明されました。
— 猫組長 (@nekokumicho) July 9, 2019
SNSの普及で、テレビという「振り子」は下降線をたどる一方で、しかしテレビだろうがネットだろうが、「感情」を餌に「思考エネルギーを乗っ取る」という常套手段は同じであることに留意が必要です。
「他人は自分を観る鏡」だとよく言われますが、芸能人や政治家など、直接知らない相手なら「客観視」出来ても、
身近な人にはついイラ立っりしちゃいますが、ゼランド氏はそういった「悪習を良い習慣に変える」ことを推奨しており、
しかし、それは感情を「我慢」「抑制」するのではなく、
一度決意したら、どんなに時間がかかろうと必ず「悪習を良い習慣に変える」ことは可能であるということです。
バッチフラワーは過剰ポテンシャルをバランスさせる強力なツールなんですが、
マイナス感情には、フワッと消えちゃうパターンとなかなか消えないパターンがあって、
その違いは「量と質」にあると、浅見政資氏は言います。
自分のマイナス感情とのつき合い方について、考えてみます。マイナス感情の多い少ないは別にすると、マイナス感情をまったく持ってない人はいません。
しかし、マイナス感情の多い大変な性格の人と、マイナス感情の少ない穏やかな性格の人が、世の中にはいます。どうしてこのような違いが、生じてくるのでしょうか。
前世でやり残していることの多さに応じて、このような違いが生じています。私たちのマイナス感情には、私たちが前世で充分に成長しきれていない部分をすべて刷り込まれています。
今回の人生のために設定されたマイナス感情を、楽しい出来事やつらい出来事を通してさまざまな経験を積みながら癒し、少なくしていくために、私たちはこの世に生まれて来ています。そしてこのことが、前世のつらい体験をも癒し、私たちの魂を成熟させていくことにつながっています。
マイナス感情を癒していく場合には、現実には量の多さだけでなく質の重さが重要な鍵を握っています。
マイナス感情の量がいくら多くても、その量があまり大変ではない場合には、マイナス感情を癒していく過程自体は、最初からその人の長年の苦しみからの解放を意味し、喜び以外の何物でもないものとなります。
しかし、その質が大変な場合には、状況が変わってきます。マイナス感情の量が癒され少なくなっても、その感情を癒す過程で生じる苦痛は、今世で経験したつらい体験がよみがえるだけでなく、前世の苛酷な体験の残像とともに、生々しく続きます。
しかし、どんなにつらく大変でもマイナス感情を癒し続けていくと、状況は大きく変化していきます。その質が大きく癒されたその瞬間、すべては変わります。それまでの苦痛は嘘のように消え去ります。マイナス感情が少なくなっていく過程自体を、楽しみそのものとして受けとめられるようになります。
悲観論者だったというヴァシム・ゼランド氏は「その質が大きく癒されたその瞬間、すべては変わります」を体験した方で、それ以前のゼランド氏は、人類への怒りさえあったのだと思われます。
たとえば、仏教たちは、たとえ小道を通るときでも、うっかり昆虫などを潰さないよう、また、いたずらに草を踏まないよう、常に足元に気を配る。
すべての生き物に敬いの気持を十二分にいだくべきであり、この世界ではどの生き物も等しい権利を持っている。もし人間がこうした考えを持たないのであれば、人間そのものにどんな価値があるというのか。
つまり順番としては多分、「ある程度のマイナス感情の浄化→トランサーフィン情報のキャッチ」だと思われ、
トランサーフィン理論は、「自分で考えたことではない・・」とゼランド氏は述べてます。
ラー文書では、ガンや戦争などは「感情を癒す」触媒となってることを伝えてますが、
ラー:私はラー。増加しています。そしてその影響で思考の物質化が起きはじめています。たとえば怒りの思考が物質的身体の複合体の制御不能な細胞に転じ、あなたがたがガンと呼ぶものになるのもその例です。
質問者:こうした振動の増加は20年から30年くらい前から始まったように思うのですが、それは正しいですか?
ラー:私はラー。最初の兆候は、あなたがたの年の単位でいうおよそ45年前です。そして、いわゆるあなたがたの量子飛躍と呼ぶであろうものによる、振動性物質の最終的な変化に先行する40年間を通して、エネルギーはさらに強烈に振動しているのです。
質問者:それでは45年前から始まって、私たちがこの密度の変化でこれから体験すると見られる振動の増加の全貌をふまえた場合、現在の私たちはだいたいどのへんにいるのでしょうか?
ラー:私はラー。あなたがたの環境の振動的性質は真の緑色ですが、現時点ではこれにオレンジ色光線が度を超えて大量に織り込まれています。しかし、量子の性質ゆえに、境界線上の動きにおいては振動レベルごとに別々の配置がなされます。
質問者:いま怒りの思考がガンを起こしているとおっしゃいました。それが触媒あるいはその完全な目的として作用するとして、そのメカニズムを説明していただけるでしょうか?
ラー:私はラー。第四密度は、情報が明らかになる密度の一つであるため、そこでは自己が、自己や他の自己から隠されるようなことはありません。それゆえ有害なアンバランスやゆがみがより明白で理解しやすい方法で表面化しますから、心/身体/霊複合体の乗りものは、自己を明らかにするために教えをもたらす情報資源としての役割を果たします。
ガンのような病氣は、ひとたび個人が有害な影響のメカニズムを理解すれば、それに応じるかたちで自己治癒がたいへん起こりやすいものであるといえます。
質問者:それでは、ガンは思考によってきわめて容易に癒すことができ、教育面でもよいツールになる。なぜかというと、思考で簡単に治せるし、存在者が腹を立てている他の自己を許せばすぐに消えてしまうからという見方は正しいでしょうか。
ラー:私はラー。正しい部分もあります。さらに。治癒には自分自身を許すことや、自分自身をもっと尊重してあげることが関わる部分があります。手近なところでは、食事に気を配ることもそうした姿勢のあらわれですが、じつはこれが治癒や赦しのプロセスの一部をなすことがかなりひんぱんに起きてくるのです。あなたの基本的な前提は正しいです。
質問者:食事に関してですが、身体の複合体を最大限に気づかうには一般的にどんな食べものを除外すればよいでしょうか?
ラー:私はラー。まず、ここで特に強調しておきたいのは、この情報は額面どおりではなく、身体と心と霊のための心理的なリンクとして、または、そっと背中を押すような合図として理解していただきたいということです。すでに述べたように、そこで本当に重要になるのは自己への配慮と敬意です。そうした見地から、以前に述べた、この媒体にふさわしい食事内容の基本的な情報を繰り返します。
野菜、くだもの、穀類、そして個人の代謝に必要な範囲の動物性食品です。これらは自己への配慮をあらわす物質です。さらに、この媒体が浄化を必要としなかったため特に言及していなかったのですが、有害な想念や感情複合体を自己から除去する必要がある存在者の場合は、慎重を期した断食のプログラムを実行するとよいでしょう。それによって身体の乗りものから過剰物質を除去することの副次的効果であるように、有害な想念が除去されるからです。あなたここでもまた、身体複合体ではなく心と霊のためのリンクとして使われるものに価値を見出します。自己は自己をこんなふうに自己に打ち明けるのです。
質問者:ありがとうございました。とても重要な概念だと思います。
乳がんは「父(乳)への怒り」という説を聞いたことがりますが、それはともかく、感情が関与してるのは確かで、
なぜ、これほど「食」がダメなのか・・という問題も、
「そこで本当に重要になるのは自己への配慮と敬意です」が関係しており。
結局のところ、この世にいろいろな不都合がアルのは「癒されたい感情」があるからで、
「感情を制する人は(自分の)世界を制する」というのが実感ですが、
「トランサーフィン」シリーズを見つけた時、
ペルーの先生から「皆さんはよく本を読まれますがね・・」とか言われたのは、
一番大切なことは、「体験からしか学べないよ」って教えてくれたんでしょうねぇ。
さて、只今オカベ師匠が申し込みサイトを制作中の、
7月25日(木曜日)の「リアル酵素カフェ」では、本格的な「バッチフラワー個人セッション」を行います。
バッチ博士が「対話によるセッション」を重視したのは、やはり「体験」を重視したからだと思われますが、
体験的には、キネシオロジーで出るレメディも、対話で選ばれるレメディも両方とも大切で、両方併用すると自分への理解が高まります。
しかしながら対話で選ぶ場合はお時間を要しますので、7月25日の「リアル酵素カフェ」は4名様定員となりますが、今回は「申し込みサイトをアップする日」をあらかじめお伝えしますので、ご興味のある方はご利用ください!
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