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1958年の「窓ひらく」に学ぶ、戦中・戦後の日本女性のアワ量

「八ヶ岳おろし」とは、八ヶ岳南嶺から甲府盆地にかけて吹く冷たい風のことですが、

12月28日は夜半過ぎから明け方にかけて、突風レベルの「八ヶ岳おろし」が吹いてました。

しかしながら、朝になったら、静かな晴天で、

昨日の、しばれるような寒さもゆるみ、

八ヶ岳も富士山もクッキリの「日本晴れ」でしたが、

午後、町田の実家から連絡があり、鹿児島の祖母が「逝った」と知らされました。

2019年秋、神戸からフェリーに乗って九州旅行に行ったのは、96歳の祖母に会うためでもあり、

霧島神宮〜鹿児島市内〜知覧〜南阿蘇、守りの固い九州の旅

14人も孫がいる祖母は、2年前はすこぶる元気で「ご飯が美味しい」と言ってましたが、

聖域のような「沈壽官窯」に知る白薩摩と「日の丸」が国旗になった由来

一月ほど前から「食べられなくなり」、明らかに老衰なので点滴はしない方がいい・・と、かかりつけの医者も言うので、自宅で「海苔をかけた卵」を食している・・という状態でした。

独身の長男が一緒に住んでいたのが幸いで、3日前には末の息子が訪ねて来て一緒にカステラを食べたとのことで、ほとんど寝たきりではありましたが、頭もハッキリとしていたとのことで、今日の2時過ぎ、長男がちょっと用足しをして戻ったら、息をしてなかったそうです。

人間の場合、自宅で「看取る」が稀な時代ですが、

ウチは2014年、2015年と立て続けに高齢犬・猫を看取りまして・・飼い主がジッと見ているとなかなかイケナイようで、知らぬまにスゥーと息を引き取りましたので、祖母もそうだったのかもしれません。

母の生母は3人の子どもを遺して、戦争が始まる直前に亡くなったので、祖母は姉の代わりに嫁に来て、戦中戦後と7人の子どもを育てた働き者で、よく、手作りの麦味噌や婦人会で作っているという絶品の「焼肉のタレ」「めんつゆ」を送ってくれてました。

昨日、たまたま旦那さんが見つけた「窓ひらく」という記録番組を観て、

祖母、そして母の世代は、こういう時代だったのだな〜 と感慨深い気持ちになっていました。

そして戦後の日本は飛躍的に便利にはなったけど、失われつつあるものも多く、

日本人が大切にしてきた、人と人との暖かい繋がり、気づかいなど、目に見えないモノを感じる感受性の高い人が、祖母世代には多いように感じますが、カタカムナの宇野多美恵さんによると、手作業を惜しまない、昔の女性のアワ量(波動量)が、日本を支えてきたとのことです。

祖母の訃報を聞いた12月28日の夕刻、

赤く染まっていく南アルプスを眺めながら、

物質的に「豊かな日本」を作ってくれた戦中・戦後の日本人の努力に心から感謝で、

2020年は非物質的な面でも「窓開く」になればイイな〜 と思いました。

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