ネット時代の恩恵は、何か「知りたい」と思うと、
数秒であらゆる情報が出てくることですが、
どれがホントなのか・・は個々の判断次第となります。
しかしながら、日本人の源泉に「縄文がある・・」というのは、
わりと皆さん、共通した見解のようです。
7世紀から平安時代にかけて日本で勢力を伸ばした「藤原氏」は、『日本書記』の編纂において、自分たちの都合のいいように歴史を書き換えました。そして彼らもかつて中東地域を出発し、東へ東へと流れて渡って来たユダヤ人だったのです。彼らが東を目指したのは、東にユートピアがあるという伝承を信じていたからなのです。
それがいわゆるユダヤの失われた十支族やその子孫であり、彼らにはユーラシア大陸を徒歩で移動した者たちと、船で海に漕ぎ出した者たちがいましたが、やがて流れ流れて日本にたどり着いたのでした。船で渡ってきたユダヤ人たちは、四国の徳島などにたどり着いており、徳島には船盡(ふなはて)神社と呼ばれる神社もあります。また日本海側の富山に着いたユダヤ人たちは、川を伝い、山を越えて長野県の安曇野に入った人たちもいます。富士川を遡って山梨に入った人たちも多いようです。
ただし安曇野や山梨に入った人たちは、ユダヤ由来ではありますが、ユーラシアで騎馬民族となり高句麗経由で入った人たちであり、天皇家の流れとはまったく違う人たちです。ちなみに山梨で財を成して関西に出向き、宝塚や阪急グループをつくった小林一三さんや、東武鉄道や南海鉄道の創設者である根津嘉一郎さんたちもユダヤの子孫です。ご家族や子孫の人々はこういうことを知ると驚かれるでしょう。つまり彼らは優れた商才を引き継いでいるのです。商才がDNAに刻み込まれているわけで、そのほか日本の財閥と言われた家はほとんどがユダヤの子孫です。そして彼らは天皇家にも入っています。
しかし注意しなければならないことは、先にも触れましたが、日本の歴史は渡来人であるユダヤ人によって始められたのではありません。
日本の土地にはもっと古くから先住民族として住んでいた人々の文明があるのです。しかし「日本人=ユダヤ」という説に偏り過ぎている人たちがおり、そうした人々は短絡的に「ユダヤが日本をつくった」と言いますがそうではありません。あくまでも縄文時代から続く自然に密着した文明の上に、渡来して来たユダヤの文化と血が融合したのです。
年代からみても、
<縄文時代の時期区分>
草創期(約1万5,000 – 1万2,000年前)
早期(約1万2,000 – 7,000年前)
前期(約7,000 – 5,500年前)
中期(約5,500 – 4,500年前)
後期(約4,500 – 3,300年前)
晩期(約3,300 – 2,800年前)
縄文時代は、アナスタシアが言うところの、
ヴェド期という、人類が(宗教を通してではなく)、
神を直接に「知っていた」、
桃源郷だった頃の文明を引き継いでると思われ、
また、ラー文書の年表によれば、
ムー・レムリア時代はヴェド期にあたり、
アトランティス時代の後半でヴェド期が終わり、
「9600年前-アトランティスの沈没」
イメージ期を経て、
「8500年前-ラー・グループが思念体の形の中でエジプトを訪れ、ピラミッド建設の為の考察を行う」
1000年間のオカルト期に突入するわけですが、
日本では、縄文時代のほとんどにあたるイメージ期においても、
縄文人はヴェド期的、あるいはレムリア的な、
自然と調和した、自由で平等な社会を継続していた・・という特殊性があるようです。
アニミズムだったとされる縄文時代ですが、
いわゆる「引き寄せの法則」はオカルトではなく、
「宇宙の法則」だと思われ、
しかし、それで願望成就するには、お釈迦様のように、
「純粋」で、顕在意識と潜在意識が一致してないと難しい・・と、
デルタ脳波速読術「ルン・ル」の植原氏は言います。
引き寄せの法則には、願望を紙に書くとか、宇宙にオーダーするとか、いろいろな方法があるようです。しかし、大切なのは、何が自分の幸せにつながる願いなのか見極めること。これが難しいのです。・・
人間はつい目先のものばかりを欲しがってしまいますが、わたしたちのほんとうの願いとは、そういうものではないと思うのです。
簡単に思いつくような願いをかけてしまうのは、ときに危険です。
自分の願いが「心の底から本当に望んでいることなのか」どうかなど、分る人はいません。
顕在意識で求めたものが、自分の人生を大局的に見たときに本当に必要なものかどうかなんて、怪しいものです。
人間の顕在意識というものは、ごくごく狭い範囲でしかありません。
お釈迦様には、顕在意識などありませんでした。
潜在意識も顕在意識もなく、ただ意識があるのです。
意識の働きかけが狭い人にとっては、自分の認識が及ばない範囲があまりに広いので、そこを潜在意識と呼んで区別するようになったのでしょう。
肉体がきちんとバランスよく働くようになれば、自分の言ったことがそのまま現実になります。だからお釈迦様は「真のことを言え」とおっしゃっていました。
真言です。言葉が本当になるということです。
今でも言われますよね、「思考は現実化する」と。
しかし、思っただけでは実現しません。言葉に出して言わなければダメですよ。
そのためには、全意識でそう思っていなければ、その上で言葉にしなければ実現しません。
ですから、顕在意識だ、潜在意識だ、なんて言っているうちは難しいのです。
顕在意識も潜在意識もなく、ただ意識がある状態になっていたら、自分の中にある「本当の願い」がはっきり分ります。
それが言葉になって、つまり、真言となって現れるから、実現するのです。
実は、そうなると、神も仏もいらなくなってしまいます。
わたしたちのように意識の働きかけの狭い者にとっては、それ以上の働きをするものは神様としか言いようがありませんね。
ところが、その「神様」と呼ばれる方々も、残念ながら自分では何もできないのです。神様は、自分から直接行動を起こすことはしません。
この人間なら自分が言ったことをきちんと実行してくれるだろう、と見極められた人に寄りつきます。
神様に寄りつかれた人は、自分が思うことと神様の思うことが一致しています。
ですから、願いが次々と叶っていくように見えるのです。
しかし、なかなかこの境地に至ることはできません。
ですから、願望の狙い撃ちなど諦めて、日々をニコニコ笑って過ごしましょう。
「この人のそばに行きたいな」と思えるような相手は、しかめっ面をしてる人ではありませんよね。元気でニコニコしている人がいい。
健康を保ち、いつもニコニコほがらかでいれば、たまに神様がやって来て、願ってもみなかった幸福が舞い込んでくるようになります。
「引き寄せの法則」を使うためには、まず、ホンネで生きることが大切なようですが、
今という時代は、ホンネがわかりにくい情報化社会であり、
いずれにせよ、
「願望の狙い撃ちなど諦めて、日々をニコニコ笑って過ごしましょう」
って、縄文的でイイですネ!
自分自身が調和されていると、
そこからじゅわ〜っと広がっていくのかもしれませんね!
<自分自身が調和されている>
ホント、これにつきますね〜