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4月9日「大仏の日」に知る聖武天皇への鎮魂と「新しい世界観」にシフトする方法

4月9日が「大仏の日」となったのは、奈良の大仏様の開眼供養が、

天平勝宝4年(752年)4月9日に行われたことが由来ですが、

聖武天皇が建立した・・とされる奈良の大仏様(東大寺盧舎那仏像)の開眼供養の際、

聖武天皇は既に退位されており、4年後に崩御してます。

<聖武天皇>
在位期間 724年3月3日 – 749年8月19日 崩御 756年6月4日

で、聖武天皇はかなりお気の毒な生い立ちです。

文武天皇の第一皇子として生まれたが、慶雲4年6月15日(707年7月18日)に7歳で父と死別、母の宮子も心的障害に陥ったため、その後は長く会うことはなかった。物心がついて以後の天皇が病気の平癒した母との対面を果たしたのは齢37のときであった。

wikipedia

聖武天皇のお妃様は、藤原不比等の娘でして、聖武天皇が巨大な大仏建立を思い立ったのは、

「行基」という、当時にすれば新興宗教だった仏教のカリスマに影響されたものでした。

聖武天皇の治世の前期、行基を中心とする集団が弾圧されたが、当時の朝廷は仏教は天皇やその周辺の支配層のためのものだという考え方があり、その政策の基調を作ったが天皇の外祖父で光明皇后の実父でもある藤原不比等であった。

ところが、聖武天皇は次第に行基や知識の活動に関心を抱き始め、河内の知識寺訪問や行基との対面を得て、紫香楽宮での大仏建立を決意した。しかし、行基集団や知識の力を借りて民衆を巻き込んだ大仏建立を進める天皇と、国分寺や国分尼寺建立政策などを通じて父・不比等の路線を継承した皇后の間に、次第に仏教観を巡る対立が生まれ、最終的に国分寺の総本山である奈良の東大寺で大仏が建立された。

天皇と皇后の仏教観の対立は、行基亡き後に僧綱の中心にあった行信の配流事件や朝廷の政治的対立にも影響を与え、やがて皇后の甥にあたる藤原仲麻呂が政権を取ったことで皇后側の優位に終わったかと思われた。だが、天皇と皇后の娘であった孝謙天皇(後に称徳天皇)は両親の死後に弓削道鏡の補佐を受けて父・聖武の路線を継ぐことを明確にし、窮地に立った仲麻呂は藤原仲麻呂の乱で滅亡する。

そして、優れた仏教者・菩薩であれば、身分を越えて国王になれるという国家観に辿り着いた称徳天皇は、道鏡を皇位につけるべく宇佐八幡宮神託事件を引き起こしてしまう。その後、桓武天皇が平安遷都による仏教勢力の影響力排除や最澄・空海の庇護、一連の対立に関わった八幡神の神仏習合の推進(八幡大菩薩の誕生)を行うことで、聖武天皇の鎮魂と共に事態の収拾にあたったとする。

wikipedia

聖武天皇の時代、火災や大地震・疫病など社会不安が蔓延し、聖武天皇は仏教に深く帰依した次第ですが、

大仏建立をめぐって、奥さんの実家・藤原氏との対立があったとのことで、

時代が下って平安時代にも、同じような確執が繰り返されてますネ。

梅で繋がる日月神示とマドモアゼル愛さんの「令和」の神秘的考察

奈良・平安時代のあたりから、アナスタシアが言う「オカルト期」に入ったわけですが、

ここ1000年間続いたオカルト期は、今、終焉を迎えてる”時”とのことで、

しかし、まだまだ「古い世界観」に囚われている人がたくさんいる。。のが現状で、

「古い世界観」とは何かというと、「比較・生存競争」に基づいた「分離的な世界観」で、

「新しい世界観」とは、「調和に基づく一体的な世界観」であり、

「新しい世界観」にシフトするためには、ただ「古い世界観」を手離せばいいと、砂見漠氏は述べます、

砂見漠氏の「エネルギーの実体と占星術」と三位一体で起こる本当の治癒

そのため、古い世界観を手離すことさえ出来れば、降り注ぐ新しい世界観を片っ端から吸収していくことが出来るのです。・・

それは、ハウツー的な取り組みによるものではなく、新しい世界観に基づく解釈を自分の中に定着させて行くものであり、人によってはそれを経験の中に落とし込んで行くのに、少し手間取るかもしれません。

そうした過程が、スムーズに進むかどうかということは、「古い世界観を完全に手離せているかどうか」ということが深く関わってきます。パラダイムシフトを起こす上での最大の難関になるということです。

私たちが、これまで受けてきた教育は、「知識を詰め込む」ことに限定されており、「それを現実に落とし込む」という肝心な過程が抜け落ちていました。・・こうした傾向は、スピリチュアル的な学びに対する私たちの姿勢にも、同じように表れてます。

本やインターネット、あるいはセミナー等によって情報をかき集めて頭の中に詰め込んでいくのですが、そうして得た「知識・情報の量」に満足してしまう傾向があるのです。

あるいは、その「知識」が日常の中に反映されない事に疑問を感じながらも、そこから先をどの様に進んだら良いのか見当がつかず、「知識・情報収拾の繰り返し」から抜け出し、次の一歩へと進んでいくことが出来ないのです。

まず、「思考の領域において知識を吸収する」ということは、自らを成長(覚醒)させる過程において、単なる一歩であると言う事を自覚しなければなりません。

4月9日は、故ペルーの先生の誕生日でもあるのですが、

東京電力に「待った!」する山田征さんの摩訶不思議な4と9のマチュピチュ紀行

ペルーの先生がよく言っていたのが「考えない、考えない」でして、

経験することが全て・・ということを身をもって教えていただきましたが、

砂見氏は、「経験」が変わっていくには、「信念を取り替える」ことが大切で、

そのためにはまず、自分の「思考の癖」を見ていく必要があるとします。

「経験というには、これまでも書いてきた様に、「出来事→信念→感情→思考→行動」という一連の流れによって生み出されています。

私たちが、自らの経験を変えようとする通常の取り組みは、「感情→思考→行動」の領域において起こっています。

つまり、「思考」を中心とした、その前後の表れを何とかしようと格闘し、それらの源となる「信念」の領域にまで踏み込む事が出来ていないのです。そのため、対処療法的効果に留まり、根本的な解決に至りません。

信念とは、「考えるまでもなく常識として染み付いた世界観」の領域であり、現実世界を生きながら、そこまで深く踏み込んでいくことはなかなか出来る事ではないのです。

そのため、多くの場合においては、「信念を取り替える」という視点に気づくことさえありません。そして、「思考」の領域において、同じ様な知識の吸収を繰り返すに留まり、そこから先に進むことが出来てないのです。・・

(しかし)いきなり「信念」の取り替えを行う事は不可能であり、経験創造の流れに逆らって「信念←感情←思考」という順に外堀から埋めて行く必要があるのです。

つまり、物事の順序として、まず、「思考」の領域に、今ある「分離的な信念」に対する問題点を積み上げていく必要があります。

「分離的な世界観」という信念から生じた「競争社会を肯定する」思考に対して、その矛盾に向き合うことから始めなければならないのです。

この「信念←感情←思考」という逆矢印の流れは、

カタカムナの正式継承者・故宇野多美恵氏の「逆序のサトリ」と全く同じであり、

丸山修寛医師の「魔法みたいな奇跡の言葉 カタカムナ」と「カタカムナの継承者の特徴」

「逆序」によって、現代人の「眠れる脳」は覚醒可能だと宇野氏は指南してます。

各種のスピリチュアルなグッズやパワースポットが「対処療法的効果」というのは本当で、

これはバッチフラワーを使う際にも言えることで、

単に感情的な慰めを得るためだけだと、なかなか「信念」までは浸透しません。

しかし、使ってるうちに、まるで玉ねぎの皮を一枚一枚はがすように、
核心に根付いている「分離的な信念」が見えてきます。

「感情」が大切なことは誰でも気づいてますが、

「感情→思考→行動」の順序でヤルと、

どうしても「好みに耽る」ことになり、同じ間違いを繰り返すことになります。

ですので、バッチフラワーに限らず、どんなセラピーでも大元の目的は、

オカルト期以来、私たちに刷り込まれてきた、

「比較・生存競争」に基づいた「分離的な世界観」

から解放されることであり、

世界に稀にみる、仏教と神道が和合した宗教観を持つ日本人は、案外、やりやすいのかもしれませんネ!

「電磁波防御 cmcbioペンダント」の副次作用と「脳の血流量が低下」に影響するもう一つの要素

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