「7日飾り」といって、関東では7日までが「松の内」で、11日を「鏡開き」としてますが、
関西地方では20日が「鏡開き」であり、15日までは「松の内」で、その方がオリジナルだったようです。
江戸時代初期までは、松の内の期間は『全国共通で1月15日まで』でした。これは、15日が『小正月(こしょうがつ)』だったゆえです。
しかし、1651年4月20日に徳川家光公が亡くなり、毎月20日が『月命日』となりました。
「月命日に鏡開きというおめでたい行事をするのはよくない」といった理由から、鏡開きの日が11日に変更されます。同時に、松の内の期間も『7日』までずれることになったのです。
で、今まではこの「家光公の命日と重なったので変更」という話を素直に信じてましたが、
もしかしたら意図的に11ポータルを設定したのかもしれませんね〜〜
というのは、幼少の頃から「宇宙人」&「竜さん」とコンタクトしている坂本廣志氏によると、
日本という国は古代より、数秘マジックを含めた宇宙科学を使っていた・・ようでして、
例えば、第73世「竹内睦泰」さんのご先祖様「武内宿禰」という方は、
『日本書紀』では「武内宿禰」、『古事記』では「建内宿禰」、他文献では「建内足尼」とも表記される。「宿禰」は尊称で、名称は「勇猛な、内廷の宿禰」の意とされる。景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる。
浦島太郎伝説の原型で、助けた亀(宇宙船?)に乗って、宇宙人から「これから起きる地球の歴史」を最後まで見せてもらった、タイムトラベラーだったそうです。
つまり、石工組合よりずっ〜〜と古くから、日本に秘密結社がアルのは確かなようですが、
「文書」にしても「口伝」にしても、出してもOKな部分は出すけど、全部「鵜呑み」はNGだと思った方がよさそうです。
いずれにせよ、「譬え話・伝説」程度にとどめておくのは日本人的「生活の知恵」であり、
ロシアに実在する「超人」アナスタシアによれば、宇宙人(神)を崇めることは、「自分自身と神の創造の完全さを信じ切れていないことにある」とのことで、
人間なしには、それに似たことは何も起こすことができない。地球で、人間自体が創造の調和の鎖として最も重要な部分なのだから。
それに太陽の光線も、多くの人々が再生しているエネルギーと気持ちの一部。
現在の人間の意識を考えると、外来者とって人間は怖いものではない。そして今既に、多くの地球人が彼らを助けようとしている。・・
でも、そういった人たちは反逆者ではない。いつの間にか意図しないうちに彼ら(異星人)に手を貸してしまっているの、悪意もなく、故意でもない。主な原因は、自分自身と神の創造の完全さを信じ切れていないことにある」
「それがどういう関係を持つんだ?」
「単純よ。人間が、自分は完全な創造物でないという意識を受け入れるとき、他の惑星の存在たちの方がもっと強力な知性であると想像する瞬間、自らのその思いがそれらに力を与える。・・
異星人たちは、人間の意識と感情によって生み出されるエネルギーを、既にひとつの複合体に集めることができるようになっていて、それを誇っている。」
宗教的な崇拝ではない、日本の「神仏習合」習慣は、けっこうナイスなのかもしれませんネ。
で、神仏研究家の桜井識子さんによると、「年忌」だけは故人のためにもやった方がイイとのことで、
1月13日の日曜日は、95歳超えで大往生した義母の三回忌だったのですが、お墓が大宮にあるので、その後、「氷川神社」そばの「リストランテオガワ」でお食事しました。
大正11年生まれの義母は、結婚前まで三井記念病院の外科室の看護師をしていた方で、
西洋料理のマナーを、看護婦研修で習ったそうです。
そのせいか、外食は和より洋がお好きで、和菓子よりケーキでしたの「リストランテオガワ」をチョイスしたのですが、
このムース、焼いた「白子」が入ってて、なんとも逸品、
イタリアンというより、
「フレンチ」って感じですが、すべて大満足なお味で、
ジビエのパスタもとっても美味で、
久々に兄妹と孫が揃って、義母の想い出話に花が咲きました!
「兄妹は他人の始り」と言いますが、親にとってはどの子も「我が子」ですので、たまには集う・・ことが年忌の意味だと思ってましたが、
桜井識子さんの話では、「お経」を上げてもらうことが、あちらに行ってからの「お役」に立つとのことで、関係者「ひとりで」供養してもイイそうです。
また、坂本氏によると「霊界」とは、アマテラスさんが作った「地球だけの」システムであり、
1〜13段階まであり、7段階以上だと転生可能になる「天国」で、「7日飾り」の7は、やはりラッキー数にちなんだのでしょうか?
「死んだらどうなる」を気にしても仕方がないことではありますが、「備えあれば憂いなし」でもあるようで、
義母はペルーの先生に3回、息子のラムさんにも2回、整体治療をしてもらいましたが、
93歳まで現役で書道教室を営んでいた義母は、最後の最後まで「学び」続けた方で、ボケとは無縁でした。
ペルーの先生に義母を初めて診てもらった際、「しっかりしてるね、全然問題ないね」と言ってましたが、
今思うとその意味は「ちゃんと成仏できるよ・・」という意味だったのかもしれず、そういう場合は年忌が不可欠というわけではないのかもしれませんが、やった方が安全パイではあるようです。
また、桜井識子さんが感知したところでは、霊界での段階を上げるのに、年忌の「お経」が役に立つようで、
出会った頃、まだ50代半ばだったペルーの先生からも「般若心経には本当に力があるよ」と聞きましたが、
晩年の先生は、「60歳過ぎると、般若心経も必要なくなるよ・・」とも言ってましたので、もしかしたら「悟った」人には既に、「霊界が消滅」してるのかもしれませんネ!
いずれにせよ、今、出来ることを「普通に」してるのがイイようで、
15日の「小正月」には、小豆粥を食べるの一考です。
小豆が持つ赤色と稲作民族における呪術が結び付けられて、古くから祭祀の場において小豆が用いられてきた。日本の南北朝時代に書かれた『拾芥抄』には中国の伝説として、蚕の精が正月の半ばに糜(粥)を作って自分を祀れば100倍の蚕が得られるという託宣を残したことに由来するという話が載せられている。
「小正月」に小豆粥の風習はあまり知られてませんが、「水難除けになる」とのことで、砂糖を入れない小豆は腎臓にナイスですので、理にも叶ってます。
坂本氏の話では、あの世からこの世を見ると「虹色に輝いている」とのことですが、
これは義母が亡くなった年の春に行った沖縄の海で、
人は何も持たずに生まれ、何も持たずに去り・・「意識」だけがお持ち帰り可能なのは確かですネ!
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