2020年は、7月いっぱいまで梅雨時で、8月に入った途端に猛暑続きとなり、
9月16日の清里高原では、まだ半袖でOKの気候でしたが、
そろそろ寒くなるのかな〜 の予感で、恒例の煙突掃除をしました。
長〜い煙突を掃除する専用の道具があり、
金属の棒を段階的に伸ばして、上の方まで煤を払います。
やはり、一番「煤」が多いのは下の方で、
建築現場用の大きな掃除機で、
入り口部分も掃除して、
2020年度の薪ストーブのお掃除、完了です。
昨年は8月31日にやってますが、
お掃除してないと「詰まって」しまうのは、感情の法則と同じで、
マイナス感情が詰まっている状態で、いくらポジティブ思考を目指しても、
ちゃんと燃えることなく、不完全燃焼のままです。
そういえば、山梨在住の友人が、一之宮浅間神社の記事を見て、
「夏越の大祓」をお薦めされてましたが、
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毎年6月30日に行われる「夏越の大祓」に参列することをお薦めします。皇室をはじめとして全国8万社で一斉に行われる大昔からの神事です。午後6時からです。初穂料を払うと神事のキットがもらえます。それを使って一同祝詞を奏上し、自分が過去1年に犯した罪を形代に擦り付け、それを神主が集めて川に流します。甲斐一之宮浅間神社の夏越の大祓がロケーション的にお薦めです。
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先日の4連休に諏訪大社に行き、
来年は、厄年であることに気づきました〜〜
男女とも、還暦の時は本厄なんですね。
そういえば9歳上の旦那さんが還暦の年、ペルーの先生がポックリ逝き「実の父親が死んだ時よりショックだな・・」と言ってましたが、確かに仕事面でも変化の年でしたネ。
還暦が「厄年」とは知りませんでしたが、だからこそ「赤い」チャンチャンコなのでしょうか?
9月21日の諏訪大社・秋宮は大賑わいで、
ご祈祷をお願いする方も多かったようですが、
2020年は、突如として現れた「新型コロナウィルス」対策で祭事をしなかったから、台風が少ないのではないか・・と言ってる人がいると、読者さんから教えていただきました。
おそらく日本の夏と言うのは
祭事によってムー大陸のカルマを浮上させる事で
太平洋高気圧を作り出していたのではないかと思われるのです
今年を見てみると日本の祭事は中止か縮小しています
そしてムー大陸のカルマは無くなりました
その結果太平洋高気圧は無くなり台風も発生しなくなる
梅雨も明けないで雨は降り続く
まあ、個人的な仮説ですが
そういうことではないかなぁと思っています
台風無くなるのはいいことですね
実際どうなるのか楽しみです
なかなか面白い見方ですが、個人的には神社を含め、騒々しい団体「観光客」が少なくなったのはイイことだと感じてます。
で、この方は、日本の祭祀も「契約」の一形態だとも言ってますが、
このような基本的な事を知らない人が儀式や祭祀や神事をしているのです
その結果どうなっているかというと
悪魔の思うがままの世界が作られてしまっているのです
祭祀や儀式はするのだけれど悪魔が見えないから
悪魔からしたらやりたい放題になりますよね
もちろん悪魔もそんな人たちの願い事を聞いたりなんかしません
野放し状態です
一般人はまずこのような儀式や祭祀や神事はやらない方が
自分のためだと思います
みずから悪魔を作り出して引き寄せている結果になっています
このままだとこの世界に幸せは訪れません
「契約」というのは等価交換で成り立ってますので、「供物」は交換の手段ということです。
ところがですね〜〜
神社は「契約」じゃないハズです。
なぜなら、神社の神様(といわれている方々)は「バチを当てない」のですよ〜
お賽銭や「供物」は、よーするに「気持ち」ですね。
このことは人間同士でも「わかる」ハズのことで、
誰かに贈り物をする時は、
①賄賂のように「見返り」を求めて贈り物をする場合と、
②心からの「感謝」の気持ちで贈り物をする場合が、ありますが、
日本社会の「お中元・お歳暮」の習慣は、ちょっと曖昧な感じです。
建築士の旦那さんが三井不動産の分譲住宅の企画を手がけていた頃、業者さんからお中元・お歳暮が来てましたが、ビールとかサラダ油のセットとか・・今思うと、カラダに悪いものばかりだったかも?
それはともかく、仕事上では特に、①と②が曖昧な場合が多いですが、あきらかに①の場合は、人間でも「ハッキリ」わかるハズで、
例えば、たまたま旦那さんが家にいた時に「10万円分の商品券」が届いたのですが、その場で「受け取り拒否」しちゃいました!
宅急便のお兄さんも面食らっていたようですが、旦那さんいわく「使いたくない業者」とのことで、正解だったようです。
このように、人間でも①であることが「ハッキリ」してる場合はイヤ感があるように、
すべてお見通しの神社の神様は、①は間違いなく「受け取り拒否」でスルーするでしょう!
だいたいにおいて、モロ①で神社に行く人って、いるのでしょうか?
「家内安全」や「健康」を願うことと、「差し出したのだから、見返りを求める」は、全然別の「精神性」であり、
荒れ果てた神社などは別にして、一般に神社は「場が整っている」ので、厄年でもあるし、一度は「ご祈祷」を体験してみようかな〜 と思っていたところに、
「一般人はまずこのような儀式や祭祀や神事はやらない方が自分のため」
の記事を目にしたので、さっきペルーラムさんと電話してた際、ついでに聞いてみたら、
「ブログネタとして、経験してみるのもいいんじゃないですか〜」とのことで、御利益はともかく、別に問題ナイようで、
そういえば、ラムさんが数年前に突然、熊野〜伊勢に行ったことを思い出し、「どうして行ったの?」と聞いたら、
「ただ、何となく・・」とのことで、神社は行きたいと思った時が吉時のようです。
米国は、先住民であるインディアンの精神性を乗っ取ってしまいましたが、
インディアンの中でもいろいろな種族があり、その中で「戦わないことを」選択したシアトルのインディアンの精神性は、「万物に神を見る」日本の精神性に近いものがあると、
植物と会話する大学教授、板野肯三氏は言ってます。
1948年岡山生まれ。東京大学理学部物理学科卒。理学博士。専門はコンピュータ工学。筑波大学システム情報工学研究科長、学術情報メディアセンター長、評議員、 学長特別補佐等を歴任。現在、筑波大学名誉教授。専門外のことにも幅広く関心を持って活動し、研究室で一粒の種から500本以上の茎を出す稲を育てたこともある。ソロー学会の会員。
坂本廣志氏情報によると、「高等生命体」宇宙人の足跡である神社が健在な日本では、
戦争では米国に負けたものの、その精神性を保ち続けることが出来るかどうか・・の瀬戸際に「今」あり、
板野肯三氏は、
『今、日本人として存在する、日本人としての部分が大切なのではなくて、その奥にある魂部分の本質的な「あり方」を見ないと、本当に物事は解決しないのではないか』
と、おっしゃってますが、米国でコロナが多い理由は、それこそ他民族の「精神性」を乗っ取ってきたカルマなのかもしれませんネ。
坂本氏のおかげで、今まで曖昧模糊だった「神社とは何ぞや?」がハッキリしてきましたが、
さざれ石は、どこから来た民族でも「キレイな心」で集まれば、
すごいパワーになることの「象徴」とも言え、神社に行く際はただひたすら万物を敬う、
シアトルのインディアン酋長さんの言う「自然そのものが神聖」だと、素直に感じられることが大切なんでしょうね〜
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