酵素カフェ

戦争〜腰痛まで影響する「罪悪感を正視することの難しさ」

2022年の秋は、先行き不明な世界情勢と同じく、

なんかハッキリとしないなぁ〜という感じで、

5日前、10月19日に清里を出た時は、帰って来た時は「見頃が終わっているかな〜」な勢いで、急に紅葉っぽくなってましたが、昨日、八王子から戻ったら、あまり紅葉が進んでおず、コレカラが見頃ですネ!

しかしながら室温は13度なので、薪ストーブを焚き、

ベンガル・ピノちゃん、ストーブの前で妙にくつろいでました。

今朝10月24日は朝方、一時的に雨が降ってましたが、日差しも出て、

今回は八王子から、冬物衣類や額類など、コンソールテーブルも運びまして、

普通なら、引っ越し屋さんに頼むのでしょうが、ウチは引っ越しもセルフで、少しずつやってます。

お昼前、ピノちゃんに「散歩行く?」と聞いたら、「行く」という意志だったので、ちょっと外に出たら、

もう長らく来てない、お隣さんのお庭は草刈りでスッキリしていて、

直射日光が当たるのでポカポカ暖かく、

まだ、トンボもいて、

アナベル(西洋アジサイ)の花が、白からピンクに、

移行している最中でした。

2020年の夏以来、お隣さんにはお会いしてませんが、お元気でしょうか?
ウチの両親と同年代なので、何があってもオカシクない年齢ではありますが、ご主人が認知症になり、介護疲れで奥様の方がダウンしていたと聞きました。

ウチの母親もこのところダウン気味なので、9月9日、横浜の神山三津夫氏の所に連れて行ったのですが、

「中秋の名月」を前に神山三津夫氏の膜宇宙療法を体験してきました〜

10月20日、町田の実家に行ったら、ホントに元気になっていて驚きました!

父いわく、ろくろく歩けず「もう死にかけていた」状態だったのが、9月9日以来、神山先生の所で購入した、「主症状を早期に解消するようなアート」下敷きを胸に当てたり、腰に当てたり、とにかく「やって」いたら、歩いても「腰が痛くならなくなった」とのことで、

両親共々、「何でコレで治るのか不思議だ〜他人には言えない・・」とか言ってましたが、全然信じてなくても「やる」と効果があるのはペルーの先生の治療と同じです。

ペルーの先生が在命中、父は海外旅行(ドイツ)の後、ひどい急性腰痛になり、藁をもすがる感じでペルーの先生の整体治療を受けたのですが、一度の治療でピタッと治ってしまい、「あれは魔術師か?」といたく感銘してました。

全然信じてなくても、不思議系が効く家系なのかもしれませんが、どんなに凄腕の魔術師でも「性格を治す」のはムリなようで、元気が出た母はあいかわらず「お父さんは一日中テレビ見ているだけで、何にもしないのよ〜」と怒ってましたが、

神山先生いわく、馬鹿野郎〜という想いは、我慢しないで「出しちった方がいい」とのことで、

「奇跡講座入門」でも「性格を治す」のではなく、「自分が怒っているという事実をどうしても正当化しなければならない」をヤメることを推奨しています。

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<敵をもつ必要>

自我が罪悪感から身を守るための主な防衛方法の一つは、他人を攻撃することです。そして、私たちの怒りが常に行っているのが、まさにそれであると言えます。つまり、自分が罪悪感を他人に投影することを、怒りが正当化しています。ここで認識することが極めて重要なのは、この世界(そして、世界の一部である私たち全員)が抱いている、「自分が怒っているという事実をどうしても正当化しなければならない」という思いがどれほど強いものであるのかということ、そして、その理由は、私たちは皆、敵をもつ必要があるからだ、ということです。この世界に生きる人で、何らかのレベルで、善悪という性質を世界に付与していない人はいません。そして私たちは世界を分割して、ある人々を「善」の範疇に入れ、別の人々を「悪」の範疇に分類します。

その目的は、私たちが自分の罪を投影できる相手をもたなければならないという、途方もなく大きな必要を満たすことです。私たちは少なくとも一人、または一つの概念、または一つのグループを「悪」としてしまうこと、つまり。スケープゴートにしてしまうことを必要としています。これが、すべての偏見と差別の根源です。それは通常は無意識のものですが、私たちがもっている巨大な必要です。自分自身の罪悪感の重荷から逃れられるように、スケープゴートにできる誰かを見つけなければならないという必要です。これが、有史時代の初めからずっと続いてきたことです。主要な思考体系のどれについても同じことが言えますし、この世界に存在してきたことのある生存形態のどれについても言えます。それは常に、善人と悪人がいるという前提の上に立ってます。

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この世に戦争が無くならないのも、自分の中の怒りを我慢(抑圧)して外に投影するからで、

そういえば神山氏の治療の後、しばらくして、母がマンモス菌を作ったら(いつもは父がやっている)、

コロナ「誤報」じゃ済まない「COCOA」アプリとマンモス菌の注意点

怪我とか家具の損傷はなかったけど、ナント、ガラス瓶が爆発した・・とのことで、「お父さんはアレ飲んでるから、また持ってきてね」と連絡ありましたが、「怒りの爆発」で瓶が爆発して、スッキリしたのかもしれませんネ〜

実際、抑圧された感情は、個人レベルでは事故や病気で表現される場合が多く、このところますます「感情が動く」スピードが速まっているようです。

バッチフラワーの38種類のマイナス感情はすべて、
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「罪悪感と恐れ」から来ている次第で、ある人は「興奮しやすい=バーベイン」という感情でソレを表現し、ある人は「自信がない=ラーチ」で表現しますが、根っこは同じで、いずれにせよ ”何で私ばっかり!” という想いを持ち続けると、人は病気になります。

妖怪遺伝子”何で私ばっかり!”の対処法と問題の外在化の効用

そして ”何で私ばっかり!” モードから抜け出すには、『「お〜!、世の中ってこうなってるんだ!」と感動する』ことが大切で、母も「それにしても不思議だねぇ・・この絵からなんか出ているのかね〜」とはしゃいでましたので、素直に感動はしているようです。

さて、よく心理学の世界では、自立するための最良の方法は「親孝行」で最悪は「家出」・・とか言われてますが、遺伝子的に近い親は自分を見る「鏡」であり、親の罪悪感はよく見えるけど、「自分の罪悪感を正視する」は、そう簡単には出来ないことを認識する必要があります。

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<罪悪感を正視することの難しさ>

このコースにを初めて手にしたときに誤解しやすい点は、これがまったく楽にできることだと思ってしまうことです。・・つまり、私たちが自分の罪悪感に取り組もうとして上記のステップを進み始めたときに生じてくる、不快感、抵抗、葛藤といったものについて書かれている部分を忘れてしまうのです。

自分の罪悪感と恐れに取り組むことなく自我を手放すことができる人はいません。なぜなら、罪悪感と恐れこそが自我そのものだからです。・・自分の十字架を背負うというのは、自我を乗り越えて、自分自身の罪悪感や恐れに取り組むということです。このプロセスを困難と苦痛なしに通過することはできません。

けれども私たちが困難と苦痛を味わうことが神の意志だということではありません。これは私たち自身の意志です。罪悪感をつくりだしたのは私たちなのですから、私たちは罪悪感を手放せるようになる前に、まずそれを正視しなければなりません。そして罪悪感を正視するということは、非常に苦しいものになることがあります。・・この神に対する恐れとは、平安に到達する前の最後の障壁であり、そこに私たちの罪悪感が最も深く埋められています。

ですから、第二ステップは、自分の罪悪感を正視して、それは自分がでっち上げた作り事であると自ら進んで認めようとする意欲をもつことです。この罪悪感は神から私たちに授けられたものではなく、私たち自身が、自分を神が創造した存在とは違うものとして見ると決断したことによってもたらされているのです。それは、私たちが自分自身を、神の子としてではなく、罪悪感を抱いている自我の子として見る、という決断でした。

『講座(コース)』が実にはっきりと強調していることは、罪悪感をつくりだしたのは私たちなのだから、それを取り消すことができるのは私たち自身ではない、という点です。罪悪感を取り消すには、自我の外側からくる助けが必要です。この助けが聖霊です。ですから、私たちにとっての唯一の選択肢は、聖霊を招き入れて、自我の思考体系の誤りを正してもらい、私たちから罪悪感を取り除いてもらうことです。こうして聖霊が私たちの罪悪感を取り除くのが、第三ステップです。

第二ステップは、事実上、聖霊に向かって。「私は、もはや、自分自身を罪悪感にさいなまれた者として見ることを望みません。どうか、これを私から取り去ってください」と求めることです。第三ステップは聖霊の役目であり、聖霊はただ罪悪感を取り去るだけです。というのも、実際には、聖霊はすでにそれを取り去っているからです。私たちがそれを受け入れるかどうかという点だけが問題なのです。

以上の三つのステップを繰り返しますと、第一ステップは、「問題は自分の外にあるのではない。自分の中にある」と認めることによって、投影されている怒りを取り消します。第二ステップは、自分の中にある問題とは自分でつくり出したものであり、もはや、自分では望まなくなっているものであると認めることです。そして、そのあと、私たちがその問題を聖霊に預けて、聖霊がそれを私たちから取り去ることで、第三ステップが達成されます。

これらのステップは非常にシンプルなもののように聞こえますが、一生かけて成し遂げられれば運が良い方だ、と言えるくらいむずかしいことです。一朝一夕で達成できるようなものだと思ってはいけません。・・私たちには忍耐が必要です。罪悪感から一晩で逃れられるような人は一人もいません。自分は自我を超越したと自称しているような人々は、実際にそうである可能性は薄いでしょう。もし本当の自我を超越して人がいたなら、その人はそんなことを他人に触れ回ることはしないでしょう。そういうレベルのことは超越しているはずです。

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自分にとって「母の愚痴を聞かされる」は、”何で私ばっかり!” とムカつく第一要因だったのですが、Y姉さんいわく、私が自分自身の「罪悪感を正視する」をスレば、聞かないでも済んだり、聞いても気にならなくなる・・とのことで、確かにその通りで、神山氏のところに母を連れて行ってから、母のことがあまり気にならなくなりました。

と言うわけで、不思議なアート図形と数字を使った不思議マッサージ師の神山三津夫氏には、親子ともども感謝です!

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COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
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  1. こんばんは、いつも有難うございます。
    先日、神山さんに診て頂きました。
    まだ半信半疑ではありますが、地道にやっていこうと思います。
    今日の記事も大変参考になりました。
    重ねて御礼申し上げます。

    • k さん

      そうですか、身内話が参考になってヨカッタです。
      そして、こちらこそご拝読ありがとうございま〜す!

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