日本列島は梅雨があるからこそ、水が豊か・・ではありますが、
このところの局地的集中豪雨はすさまじく、
「いぐさの生産日本一」の熊本県、八代市では7月4日、「短時間で一気に水が」押し寄せ、多大な犠牲を出してしまいました。
正体不明な「コロナウィルス」対策より、予測可能な水害に対するインフラ整備が大切なんではないかと思われますが、
「王の帰還」ワークの木盛龍彦氏は、7月4日、
『暇な時間を見つける度に 地球へ意識を向けよう🌏人の意識は地球のバイタルだから 皆が少しずつでも心を手向けて日々を生きてれば 何が出来るか?を得る前にとても良いことなのです💖』
と、facebookで投げかけてました。
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豪雨や河川の氾濫を心配する時には
水の開運と幸せを祈ることが良く🌈
戦争や家事や事故の無くなることを願う時は
火の開運と幸せを祈ることが良い☀️
のですね。
水にも火にもお世話になって生きて暮らしている
普段からの感謝が最も力強く 働いてくれます🙏💖🌈
そして真にこころ込めて祈る。
全てがより良く 喜びに導かれますように❣️
facebook
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祖母の住む鹿児島・日置市でも土砂災害警戒情報が出ていましたが、
坂本廣志氏情報によると、阪神淡路や3.11は人工ではなく、
むしろ、いつ大地震が起きてもおかしくない状態を、宇宙人さんたちが抑えてくれてるそうですが、人工台風というのは実際にアルそうです。
そして、人工台風を起こす理由は「除染」とのことで、3.11以降、大雨が頻繁なのはそのせいでしょうか?
それはともかく、不平不満で過ごすより、小さな事柄でも解決策にフォーカスして、「祈り」の気持ちでいる方がイイのは確かですネ。
さて、標高1200m超えの清里高原では、7月4日、薪ストーブを焚くほどの「寒い」夏でしたが、
3度目の正直で、やっと新しいスピーカーが「鳴り」ました〜
1度目は古いCDプレーヤーのせいで「雑音がする」のだと思い、
2度目では、CDプレーヤーのせいだけでなく、古いアンプもダメなってることが分かり、
おかげさまで、最新オーディオ事情をちょっとだけ学習しましたが、
3度目、CDプレーヤーもアンプもおニューにしたら、
ウォールナット無垢材のスピーカーは繊細かつ、一つ一つの音が鮮明で、
八王子の小型DALIでは今イチ迫力不足だった、
チェリビダッケの交響曲が、すご〜くイイ感じに「響き」ました!
OSHOと同じく、晩年は「禅」に帰依したチェリビダッケは、
ルーマニア王国のローマン(英語版)に生まれ、第一次世界大戦中にヤシに転居、21歳頃まで同地で過ごす。6歳頃からピアノを学びはじめるが、これが直接音楽家を目指す契機にはならなかったようで、27歳になるまで天職を決めかねていたと告白している。父親は彼を政治家にしたがっていたという。ユダヤ文化の中心地であったヤシで育ちユダヤ人と深く交流したため、イディッシュ語も堪能であったばかりでなく、多くの言語に精通したポリグロットであった。また晩年には仏教に改宗し、日本でも多く参禅を行なっている。
完璧主義者で、生前はレコーディングを許可しなかったことで有名です。
https://www.hmv.co.jp/news/article/1207230054/
チェリビダッケの死後、「遺族らが、(日本を中心に)音質劣悪な海賊盤が氾濫する現状を憂えている」と称して、未発表の演奏会の録音をドイツ・グラモフォン、EMIからCD化したが、その音源の選定については、膨大な中からのわずかな数に過ぎず、本当に最善の演奏であるかについては意見が分かれた。特にEMIの録音は年代によってもテンポの設定が若干異なるため、チェリビダッケの演奏の全貌を網羅しているというわけではない。
録音を許可しなかった理由は、音楽とは一回きりの「リアルな体験」で再現不可能いう信念があったからでです。
実際の演奏に関しては、楽曲の徹底した構造分析と、モチーフによる構成の統一、時には極端なテンポ・音程の改変が採用されている。その意味では、彼と対照的にレコーディングのみの音楽活動を行うようになったグレン・グールドと奇妙な関連性が見られる。
チェリビダッケは、あのベルリン・フィルを袖にした指揮者としても有名です。
こうした雰囲気に嫌気がさしたチェリビダッケはベルリン・フィルと距離を置き、ロンドンでの客演活動を始め、さらにヨーロッパ全域から中南米にいたるまで客演の範囲を拡大していった。チェリビダッケとフルトヴェングラーとの友情も失われ、1952年にフルトヴェングラーが「終身首席指揮者」に復帰すると、事態はより決定的となった。この時期、チェリビダッケとベルリン・フィル周辺の関係は破綻していたが、一方でベルリン・フィルでの指揮活動は聴衆や批評家から圧倒的な支持を受けており、1953年にベルリン市の「音楽芸術賞」、1954年には功労十字大勲章を、1955年にはドイツ批評家協会賞を受賞している。
聴衆や批評家はチェリビダッケに熱狂し、オーケストラの団員や幹部は反発を強めるという状況のなか、フルトヴェングラーが肺炎で倒れ、事態は急展開する。1954年11月、フルトヴェングラーが死の病に伏しているさなか、チェリビダッケは『ドイツ・レクイエム』のリハーサルで大衝突を起こし、それから38年後の1992年3月31日に時の大統領ヴァイツゼッカーに請われて最初で最後の復帰を果たすまで、ベルリン・フィルを指揮することはなかった。
既成の権威に追従しない、完璧主義な「芸術家魂」は、チェリビダッケとは逆に、コンサートをしなくなってしまったグレン・グールドも同じで、
グレン・グールドは「突出した才能、特定の人との交流を好む」アスペちゃんだったかも?
グールドには、生涯を通して従姉妹にあたる女性と親交があったこと、深夜に親しく長電話をする友人がいたことなど、決して完全な孤独者ではなかったことがわかっている。また、ユーディ・メニューインなどの共演者からの評判も良かった。アルトゥール・ルービンシュタインとも生涯を通して仲が良かった。また、グールドは、動物をとても愛したことが知られており、愛犬への手紙も多数残されている。グールドの死後、その遺産の半分は、動物愛護協会に寄付されている。
グールドはよく聴いてますが、愛犬家だったのですね〜
50歳、脳卒中で夭折したグールドの演奏は「トランス状態」であることが、録音からもはっきりとわかり、
「バッハ命」のグールドは、ベートーヴェンを「軽く」引き飛ばしていてスゴいですぅ〜〜
オーケストラの指揮者と自己完結型のピアニストという違いはあっても、お二人とも「リアル」にこだわった繊細な完璧主義者だと感じます。
というわけで、オーディオ問題が解決してウレシい限りですが、
ウレシいことに、庭の謎の植物の名も、
コメント情報のおかげで「ムサシアブミ」だと分かりました〜
サトイモ科テンナンショウ属の多年草。別称「由跋(ユハツ)」、古くは「加岐都波奈(かきつばな)とも呼ばれていた。
そして、長年の謎だった、清里で時々見かけるこの赤い植物は、
「ムサシアブミの実」だということも判明して、超スッキリです!
ホント、読者さんとは有難いもので、デジタルな形態でも「リアル」は可能だと思う今日この頃ですが、
10年以上、八ヶ岳の麓に通っていて、全然飽きないのは、
リアルな自然は、一回一回、微妙に違っているからで、
全く同じ自然現象は2度と起きない・・のと同じく、
人と人とが直接対面する「リアル」なセッションは、いつも芸術的な「体験」であり、
先日、概要をお伝えした、7月15日(水曜日)「リアル酵素カフェ・個人セッション編」の申し込みサイトを、
明日、七夕にちなんで朝7時にアップしますので、777な出会いを楽しみにしてま〜す!
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