「3秒でハッピーになる 名言セラピー」など、
数多くの著書があるコピーライターのひすいこたろう氏は、
植原紘治氏のことを、「もう人間じゃない」レベルだと言ってます。
ありがたいことに
さまざな業界のいわゆる“すごい人”と
お会いさせていただく機会が多いのですが、
時に、「この人はもう人間じゃない」
と思うことがあります。
そのヤバすぎる先生の一人が
『ゆるんだ人からうまくいく』
を一緒に書かせてもらった
植原紘治先生です。
そして、そんな植原先生の第3弾がこの度、発売になりました。
それがこちら。
天才になるとは、何かを新たに身につけていくことではないのです。
むしろ自分がこれまで着ていた鎧を脱ぎ、裸になっていくことです。
鎧を脱ぐために必要なのは、ただ、ゆるむこと。
そして、ゆるむためには、まず体の目覚めが必要になるのです。
この本は、体の目覚めを促すための健康についての話を、
植原先生が初めてたっぷり語られたものです。
で、植原氏の「ルン・ル」というCDを聞いてみたくて、
「ゆるんだ人からうまくいく。」をGETしたんですが、
「売り切れ中」なんで中古でGETしたらCDがハズされてまして・・・うーん、残念!
しかし、本の内容が想像以上にヨカッタので、CD2枚付きのコチラを注文しました!
本に1万円って、覚悟がいりますが、
CD聞くだけで「デルタ波」が出るなら安いものです!
1940年生まれの植原氏は、あの関英男博士と共に1988年加速学園を設立した方で、
80歳近くですがお若く、
「ゆるむためには、まず体の目覚めが必要になる」
というのはビンゴで、
同じくビンゴなのは、ゆるむと「浄化がはじまる・・」という流れです。
<嫌なことばっかり湧き上がってきたら、しめたもの>
ひすい:吐く息とともに余分な力を解き放っていくと、さらにそのあとはどうなっていくんでしょうか?
植原:先ほど伝えたとおり、最初は気持ちよくなりますが、続けていくと、自分の中から嫌なことばっかり湧き上がってくる段階があります。
ひすい:嫌なことばっかりになっちゃうんですか?
植原:そうです。それが際限もなく続いてきますから、本当にすごい疑問が湧いてきます。でも、「植原のおっさんが言ったんだから、何かあるかもしれない」と思ってぜひ続けてください。それがひとつの峠を超えると和らいでいきます。
そうすと今度は、また最初と同じようにいろいろなことが浮き上がってきますが、
それに対してあまり感覚的にも感情的にも振り回されないで続けていくような状態が続きます。
そして、またしばらくたつと、今度は今まで経験したことがないようなことが起こってきます。生まれてこの方、経験したことがないような恐怖感、気分の悪さ、肉体的な倦怠感が来ます。
ひすい:嫌悪感がカムバック!?(笑)
植原:でも、そこが正念場です。それは自分の中にある、自分の「根本的な存在」が脅かされるからなんです。というのは、人間には絶対的な生存欲があります。
生存ということに体する欲望は想像を絶する以上に強いものがあるので、肉体的にも精神的にも生存を脅かされる状態になってくると、絶対それをやめさせるという状態が起こるのです。
「自我の抵抗」が起きるんです。
ひすい:それでは、嫌悪感が出ていたら、かなりいいところまで来ているってことですね。・・「我」が抜け落ちていく過程というのは、恐怖が伴うってことなんですね。
植原:そうです。人間としてわたしたちが形づくられているのは「力が働いている」からです。人間として肉体をまとめるための力というのは「生命力」ですよ。それを超えて力が解き放たれようとしてるわけですから、肉体を維持している働きが抵抗するわけです。
それは絶対的な抵抗だから、普通は逆らえません。それを超えようとすると、ものすごい力で我々を攻撃してきます。そんなことは絶対にするなと。
これはお釈迦さまが修行なさっていたときに、最後にささやく声が聞こえる場面があります。
「そんなことをしなくてもいいじゃないか。こんなつらいことしなくても、もっと楽しいことがある。世の中には楽しいことがある」という悪魔の声が聞こえてくるのです。あれと同じことが起きます。わたしは、お釈迦さまにささやきかけた悪魔の声というのはそれじゃないかと思っています。
イイこと書いてある本は一杯ありますが、
現実に即した、「参考になる」本は案外と少なく、
太陽にまで、意識を「ピューン」と飛ばせる「植原のおっさん」はホンネトークで、
「自我の抵抗」から来る「嫌悪感」を乗り越えると、「平安」になると言ってます。
ひすい:なんともいえない嫌悪感を乗り越えると、最後はどうなるのでしょうか?
植原:それはね、ぜひ自分で試していただきたい。
ひすい:そうくると思ったのですが(笑)。読者のために、もうちょっと手がかりを話していただけませんか?
植原:生命、いわゆるわたしたちが思っている、生きているとか、死ぬとかということから解放された生命を得るようになるんだと思います。
そういう状態になるから、生きているとか死んでいるとかも気にならなくなるし、心がすごく平安になります。死んだら怖いとか、生きるためにはどうしたらいいとか、そういう煩わしいことにあまりとらわれなくなります。
まあ、やってみてくださいとか言いようがないんですけど、本当にやった人はわかる。やらない人にはわからない。それしか言えないんですよ。
スキーでもサーフィンでも「体感」するのが一番楽しく、
「もう人間じゃない」レベルに共通するのは「安心感あるユーモア」で、
「植原のおっさん」もそんな感じです。
植原:そういう体験は一度でいいんです。一度しかしちゃダメです。繰り返すと、それに「乗じてくる存在」に乗っ取られます。
神様もそうでしょう。最初に神様と触れ合う。次に同じ存在が来たら、わたしは「蹴飛ばせ」と言っています。
神様は一度しか来ない。一度しか声を出さない繰り返し繰り返し来て、ましてやおいしいことを言うような神様は、絶対信用してはいけません。
神様がわたしたちにしてくれることは何もありません。こちらがしてあげなければダメなんです。してあげると、神様が自分でやるのではなくて、そういうふうになる世の中をつくってくれる。だから、一度だけでいいんです。
ひすい:「乗じてくる存在」に乗っ取られるというのは、どういうことなんですか?
植原:わたしは関先生とのご縁があったので、多くの霊能者にお会いしました。本当にすごいパワーを持っていらっしゃる方もいます。現生利益に関するパワーがすごくて、望みが何でもかなうんですよ。
あるとき関先生に「すごい人がいるから、植原さん、行きますか?」と誘われて訪ねて行ったら、たっぷりとしたかわいらしいおばあさんでした。
「きょうは関先生と植原先生がおいでくださるというので、朝から滝行をして身を清めてお待ちしておりました。後ろでわたしのやることをご覧ください」と言うから、関先生とおばあさんの後ろで見ていたら、アレっ、あれは何だと。
おばあさんのお尻の下から尻尾が出ている。ぶっとくて、やわらかそうな尻尾(笑)。そんなもんですよ。そんな方ばっかり。
ひすい:何かに憑依されているってことなんですね。
ペルーの先生も、「普通にしてればイイ」と言ってましたが、
そういえば、昨日観たアル・パチーノの「ブロークン 過去に囚われた男」では、
「後悔」に囚われている主人公が、
まさに「自分の中から嫌なことばっかり湧き上がってくる」状態続きの中、
愛猫が小さな「鍵」を飲み込み、
成功率95%の摘出手術が成功して、
そんなに心配していたわけでもなさそうだったに、
家に戻って、愛猫がパクパク餌を食べてる姿を見た時、
突然「光」が差し込み、
「神に感謝します!」と、過去をブロークンします。
過去に囚われている状態に使うバッチフラワーはハニーサックルで、
「後悔、自責の念」にはパインが、
「自己嫌悪」にはクラブアップルがよく使われますが、
感受性の強い人ほど、「我が抜け落ちていく過程というのは、恐怖が伴う」
というのは、世界共通のようでして、
結局のところ、自分を縛っているのは悪い宇宙人でも悪霊でもなく、
「自我の抵抗」なのかもしれませんネ!
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