「悩みのるつぼ」という朝日新聞の「人生相談コーナー」に、
「仮想的有能感」の息子に悩む母親の記事が出てました。
<近所の小学生や犬猫にまで悪口を 20歳の息子に悩む母>
2018年10月9日05時00分悩みのるつぼ 相談者
50代女性です。20歳の息子がおります。中学の時に不登校になりましたが、高校、専門学校で立ち直り、このたび就職も自分で決めてきました。
不登校になった時は私自身がカウンセリングを受け、自分の過保護過干渉、勝手な子育てが原因と反省しました。以来、学校に行けない息子を受け入れ、成果を認め、何ごとも息子の選択と判断にまかせるようにしてきました。
とはいえ取り返しのつかないことをしたという思いが消えることはありませんでした。そして先日、ある記事を読み愕然(がくぜん)としました。「仮想的有能感」についてです。過保護過干渉、否定されて育ってきた若者に、自分勝手で人をおとしめさげすむことで自分を持ち上げ、失敗は人のせいにする傾向があるというもの。人に助けを求めない代わりに人を助けることもしないそうです。息子そのものです。
息子は友人や兄、近所の小学生、果ては犬猫のことまで、家で私に対してぐちぐちと悪口を言うのです。口の悪い未熟者程度に思っていましたが、違ったのです。やり直したと思ってもやり直せなかったのです。
あと半年で息子は家から出ていきます。その間に私にできることは何でしょうか。愛している、あなたはあなたでよかったのだと、わかってもらうことはできるでしょうか。
ウチは、尻尾のアル子どもしか育てことがありませんが、
20数年前、初めての愛犬を事故のような形で亡くしてしまい、
この本の取材にも協力しました・・
その頃、まだ30代半ばでしたが、
「こんなことが起きるのは、自分には何かしらトラウマがあるのではないか・・」
と思い、大学に入り直し、教育学部心理学科を卒業しました。
しかし、「仮想的有能感」って初耳なお言葉で、最近になって出てきたようです・・
心理学でよく言われるのは「学習性無力感」でして、
<学習性無力感>
長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。他の訳語に学習性絶望感、獲得された無力感、学習性無気力がある。
なぜ罰されるのか分からない(つまり非随伴的な)刺激が与えられる環境によって、「何をやっても無駄だ」という認知を形成した場合に、学習に基づく無力感が生じ、それはうつ病に類似した症状を呈する。1967年にマーティン・セリグマンらのオペラント条件づけによる動物実験での観察に基づいて提唱され、1980年代にはうつ病の無力感モデルを形成した。
この「学習性無力感」に適するバッチフラワーはワイルドローズで、
2005年、イギリスのバッチセンターを訪問した際、
ワイルド・ローズの花が満開で迎えてくれましたが、
渡英する前に、ペルーの先生のキネシオロジーでワイルドローズがヒットし、
先生の奥様はしきりに、「そういうタイプじゃないのね〜」と不思議がってましたが、
ワイルドローズは子ども時代のトラウマに関係するレメディであり、
自分の場合、4歳の時に母親が「余命半年のガン」になったことが、大きく影響しているようです。
幸い、結果としては、ごく普通の家庭だったわけですが、
子どもというのは、家の事情をすべて「わかって」しまうものであり、
「深い悲しみが、心の底にある」
「自分の置かれている状況を当然のことと受けとめ、不満を口にしない」
といったワイルドローズ状態は、個人のみならず、
地球の進化、シフトの妨げになってると思われます。
さて、このワイルドローズ=「学習性無力感」と、一見、真逆に見える「仮想的有能感」ですが、
下記の11項目を「よく思う」人は、「仮想的有能感」を強く持ってるそうです。
「仮想的有能感」度をチェック!
1.自分の周りには気のきかない人が多い。
2.他の人の仕事を見ていると、手際が悪いと感じる。
3.話し合いの場で、無意味な発言をする人が多い。
4.知識や教養がないのに偉そうにしている人が多い。
5.他の人に対して、なぜこんな簡単なことがわからないのだろうと感じる。
6.自分の代わりに大切な役目をまかせられるような有能な人は、私の周りに少ない。
7.他の人を見ていて「ダメな人だ」と思うことが多い。
8.私の意見が聞き入れてもらえなかった時、相手の理解力が足りないと感じる。
9.今の日本を動かしている人の多くは、たいした人間ではない。
10.世の中には、努力しなくても偉くなる人が少なくない。
11.世の中には常識のない人が多すぎる。
コレって、口に出さなくとも、誰もが少なからず感じてそーなことではありますが、
「仮想的有能感」の特徴は、
「共感力」のなさ・・です。
彼らは自分の身近なことや、直接自己評価に関係してくることには敏感で、激しく感情的に反応しますが、それ以外のことには無関心です。そこには「悲しみ」に共感できない心性があるのです。「外国での悲惨な内戦が報じられても、遠い国の出来事として眺めるだけ」なのです。「共感力」のなさは、「自分に関係がないと思われる人たちの気持ちや感情を推し量ろうとする構えすらない」のです。
彼らは自分のプライド、それも根拠の薄いものを守ろうとして、他者へ攻撃的な視線・行動を向けます。それは、経験に裏打ちされた「自尊感情」とは似て非なるものです。自尊というよりも、根拠のない自己至上というほうが似つかわしいかもしれません。
以前、記事にした、
「逆パワハラ」の「オバカ」な30代は、まさにこの「仮想的有能感」という感じで、
トラウマがある・・とか以前に、
「人の気持ちはどうでもいい、自分だけ・・」というのが特徴で、
ネット時代になって、クリック一つで何でも分ったような氣になってしまうのも、
「仮想的・・」に拍車をかけてるようです。
で、なぜ「共感力」が弱いかというと、
「しっかりと心の奥で悲しみとして受けとめることができる」
ような、深い感情のやり取りを「学習」してこなかったからです。
──人間相互の感情のぬくもり、人間間の体温そのものが、いやなことについてすぐに吐き出すようなかたちで怒るのでなく、しっかりと心の奥で悲しみとして受けとめることができる源泉である。
そして、その体温は何よりも生きる意欲に繋がるのである。──
つまり、「感情」を伴う交流が希薄だったわけで、
これはかなりコワイことで、「クローン化が急増中」という警告もありましたネ。
すでに日本の若者たちの中には、クローン化している人もいます。彼らの思考形態、行動形態は、いわゆる普通の人とは異なっています。
悲しみ、喜び、感動、失望など普通の人の感情を持つことができなくなっています。・・
彼らは、今世界で何が起きているか、把握できません。ケータイの世界に飲み込まれて生きているからです。なぜなら、ケータイは彼らにとって生きていくためのベストな物質、メンタル、感情、霊的条件を提供してくれるからです。
ちょっと信じ難い話ですが、心理学の定義が変わってきたということは、人間が変わってきた・・ということだと思われ、
どんなに普通に見える家庭でも、色々な事情があることは今も昔も変わりませんが、
人間の感情が、だんだん希薄になってきた感はあり、
家庭とは、否応なしに深い感情のやり取りを「学習」する場ですが、
親の感情が希薄だったり、トラブルを怖れ、感情のやり取りを避けていると、
子どもは心から、
「自分は必要とされていると感じること」
が出来ず、
それを補償する形で、「仮想的有能感」を形成し、ひいてはクローン化する危険性も無視できません。
しかしながら人間とは、素晴らしく「可塑的」な存在であり、
いつでも、どこでも、本人がその氣になれば、変化することは可能です。
そして、聴くだけて意識が全開になる「ルン・ル」の植原紘治氏は、
「心の傷は、ただ気づいているだけでいい・・」と言ってますので、
「学習性無力感」の人も、「仮想的有能感」の人も、
「深い悲しみが、心の底にある」
ことに気づくだけで「OK」ですネ!
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