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「エゴの思考体系」をチェンジさせる「赦し」の三つの段階

現・人類が、科学的研究対象として「無意識」を発見したのはつい最近であり、

19世紀末、オイゲン・ブロイラーが精神分裂病(統合失調症)を発見(命名)したことが大きな転機となり、ジャネ、フロイト、ユング、アドラーなどの「無意識の発見」につながりました。

19世紀末はクリムトやエゴンシーレなどの官能的な芸術作品が花開いた時であり、

この頃の西欧社会は「性の抑圧」が強かったわけで、「性の抑圧」にフォーカスしたのがフロイトで、「集合意識」に着目したのがユングです。

いずれにせよ「精神を病んだ」人々を真摯な心でキチンと観察すると、「無意識」というものが、いかに「人を動かして」いるかを精神科医たちは発見した次第で、この一歩は大きく、

覚醒した精神科医、ホーキンズ博士は「無意識」から何が出てきてもビックリしない訓練を、早いうちにしておいた方がいいと推奨します。

人間の歴史の”影の部分”は命脈を保っており、無意識の中に隠されています。ですから、自己探求をするなかで、気が動転するようなネガティブ性を発見することがあるということを早いうちに認識しておかなければなりません。その際の反応をやわらげるために、それは本当の自分ではない、けれども消滅させるために日の光を浴びなければならないのだと認識する必要があります。自分の根っこを調べると、それがきわめて自己中心的で、完全に倫理原則を欠いていることがわかります。

有名な禅の十牛図にあるように、気の荒い野牛を安全に乗りこなすには、はじめに飼いならさなければなりません。いつどんな時でも、本物のあなたは自我でないということに気づいていましょう。決して自我と同一化してはいけません。この気づきを養うために、テレビを見ているときも、新聞を読んでいるときも、映画を鑑賞そいているときも、訓練してみましょう。

社会は、誰もが見ることの出来る自我の実演の舞台にすぎないとして観察することです。このような教育的な見方が、無執着に導きます。必ずしも自我を鎮圧する必要はありません。ただ同一化をやめればよいのです。自我の深部に敵を殺したいという欲望があったとしても、それは本当のあなたではなく、受け継がれた動物性であり、人間の脳や集合意識にとどまっているものなのです。

自分は子どもの頃から「無意識」に興味がある・・変わった子どもでしたが、

本格的に、自分の「無意識」を探求したい・・と感じたのは、はじめての愛犬を、あっけなく「無くして」しまった時で、その理不尽な事件は「本」にもなってますが、

傘をささない欧米文化と河野十全氏の「気の幸福論」

理不尽なことが起きた「外側の原因」をいくら究明しても、「心の平穏」は得られないことを体験して学びました。

当時、30代半ばで、既に「色々な体験」はしてましたが、これほどまでに「気の荒い野牛」が自分の中にいることを持続的に感じたのは初めてで、

大学に編入して心理学を学んだりしましたが、正直なところ、いくら心理学を勉強しても「気の荒い野牛」はますます大きくなるだけ・・だったように思われます。

そんな時に巡り会ったのが、ペルーの先生とバッチフラワーで、

どちらも「気の荒い野牛」は幻だった・・と、気づかせてくれる強力な「助っ人」ですが、肝心なことはコツコツと「自分でやるしかない」というのが正解です。

これは、アサマフウロと一緒に飢えた「オオロベリアソウ」で、

北アメリカ東部原産とのことですが、

清里の地と合ったようで、今年もしっかり咲いてて、

朝日を浴びた「朝露」が輝いてました。

ただの水である「バッチフラワー」が感情に作用する理由は、このところ科学的に解明されつつあるようですが、

その作用は穏やかで、エゴが「許可」した分だけに作用するので侵略的でないところが気に入ってます。

故ペルーの先生もそんな感じで、そんな先生の波動に最も近いと感じた「本」が、ホーキンズ博士の「真実と主観性」で、

読んでるだけで周波数が上がるのは・・ホントだと思います。

しかしながら、山奥に隠遁して瞑想三昧していても、

街中に戻るとその惨状に「気の荒い野牛」がムクムクするのと同じく、

読んでるだけでは(安全ですので)エゴはビクともず、「エゴの解体」は体験してヤルしかない・・ことにフォーカスして、

ご自身の経験を豊富に語っている米国人のゲイリー・R・レナード氏は、スペインのワークショップで受け取った報酬「1300ドル」が飛行機の手荷物で預けたバックから「無くなって」しまった経験を例に、

「気の荒い野牛」がムクムクしてきた時のスルーの仕方、「三つの段階」をこう語ってます。

ぼくはたいていすぐに赦せるが、そのときはしばらくかかった。誰も助けてくれないことにも余計に腹が立ち、一度にいくつもの赦しのレッスンをする羽目になったが、赦しの力学はどんなときでも同じだ。

パーサ:もっと説明してくれない?

ゲイリー:えっと、まず最初の段階として、イライラしてたから自分がエゴで考えていると気づいたよ。感情はある時点で持っていた思考の結果だ。エゴはいちばん負の影響がありそうな不愉快でびっくりするようなことが大好きだし、そういうことがあると思考が働いて無意識の感情が表に出てくる。そうなったら赤信号だ。心の平和を乱すものに警戒しなくちゃいけない。エゴで考えている自分に気づかないとだめだ。何かを非難してそれを実在させているなら、それはエゴだ。

エゴは巧みにぼくらを丸め込むから、そうなっているのに気づいたら、立ち止まること。エゴと一緒に考えるのをやめるんだ。それには練習と自制心が必要だよ。実際その最初の一歩がいちばん難しいかもしれない。

次の段階は聖霊(ホーリースピリット)に切り替えること。エゴと聖霊の両方と同時に考えるなんてできない。気づいていようがいまいが、ぼくらはいつもどちらかを選んでいる。だったら聖霊を選ぶに越したことはない。・・

ここまでできれば、三つ目の段階に進める。聖霊(ホーリースピリット)と一緒に物事を見ようといったん決めれば、あとはぼくらじゃなくて聖霊の仕事だ。・・Jはあらゆるところで罪のなさを見たんだ。彼は外見にだまされなかった。彼は肉体を見すごし、一見、個々に見えるものを一つのもの(ワンネス)としてとらえた。彼はいたるところで彼自身を見た。例外をつくらなかった。例外をつくったら、完全なものではなくなる。

だからぼくはこの三つ目の段階で、現金を盗んだ人のことを有罪ではなく、神とまったく同じ、いまもこれからも罪のない完全な聖霊(ホーリースピリット)だと考えるようにした。だって、ほんとうにそうなんだから。そして、そこに残るのは真の現実(リアリティ)だけだ。

秘訣は思い出すことだと思うよ。やり方と思い出し方がわかれば、それを習慣にできるしね。それが心の訓練だ。でも、これはちょっとした無私無欲な利己主義だと認めなちゃならないな。だって、すでに「コース」で物事をそう考えるなら、そのとおりに経験できると学んでいるからね。結果は瞬時に起きなきても、積み重なっていく。赦せば、必ず何らかの癒しが起こるから、基本はこの三つの段階を進むことだな。

Jというのは「イエス」のことですが、

外国から招待されて、ワークショップを行うような人が「1300ドル」=約14万円で「赦せない」エゴが噴出するなんて・・という向きもあるでしょうが、

実のところ、波動が細かくなればなるほど「ちょっとしたこと」で大きく乱れる「時期」があります。

そして「悟り」とは、「何となく」な感覚的なものではなく、思考体系(脳)がまったく違うものになる不可逆的なイベントであり、

何としてでも「生き残ろう」とするエゴから来る「思考体系」を、聖霊(ホーリースピリット)の思考体系に「完全にチェンジ」することだとゲイリーさんは言ってます。

この「悟り」への道を実践し、完全に「認識」したのが「イエスやブッダ」で、

ホーキンズ博士のキネシオロジー調査でも、このお二人は「1000」」です(アインシュタイン・フロイト・ニュートン・デカルトは499)。

■1~1000の意識レベルの表
700-1000・・・悟り
600・・・平和、1000万人に1人(世界で700人)
540・・・喜び、250人に1人(世界で2800万人)
500・・・愛、25人に1人
400・・・理性
350・・・受容
310・・・意欲
250・・・中立
200・・・勇気、5~7人に1人(15%~22%)
175・・・プライド
150・・・怒り
125・・・欲望
100・・・恐怖
75・・・深い悲しみ
50・・・無感動
30・・・罪悪感
20・・・恥

ホーキンズ博士によると、オギャーと生まれた瞬間から意識レベルは人それぞれであり、1ポイント増えると「パワーは10倍」になり、2004年の調査当時においては、500の意識レベルに達している人は「25人に1人」でしたが、今はもっと増えてるのかもしれません。

しかしながら「好奇心の罠」に陥ると、時間をムダにしてしまうようで、

覚醒するには自我と好奇心の罠を知ることが大切らしい

悟りへの道は「競争」ではありませんから、早ければイイというものではありませんが、高慢になるのは避けたいです。

わたしたちは自我を”それ”として受け継ぎました。そして、実際に”それ”は非個人的なものです。あなたはそれが自分だと想い、同一化したときにはじめて問題が生じます。”それ”という自我の構造は、それほどユニークでも特徴的なものでもありません。多少のカルマ的な違いがあるだけで、比較的誰でも似たような”それ”を持っているのです。

本当に人によって違いが出てくるのは、そのプログラムにどこまで隷属的に従っているかの程度です。つまり、自我の大小は、どこまで当人がそれと同一化しているかによります。自我は本来何のパワーも持っていませせん。あなたが霊的に成長するにしたがって、自我のプログラムの影響を減少させるパワーが劇的に増加していきます。これが「意識のスケール」の本当の意味です。

自我のプログラムにすっかりはまっているとき、気づきや洞察なくしては、自分自身を助けることはできません。そういう人を見るとわたしたちは、あの人は欲、あるいは憎しみ、怖れ、中毒、プライドによって”動かされている”言います。こういうときに仮説や道徳の立ち位置を持ち出して、”あの人はこうすべきだ”と指摘するのは誤りです。実際にそれは、まったくの筋違いです。

なぜなら、エゴの思考体系にどっぷりな『人間の心(マインド)は真偽を見分けることができない』ので、

「これが正しい。。これは間違っている。。」で争うのはムダなことで、

また、イヤなことが起きた時に、ゲイリーさんのように「気づき」&「赦し」の機会にするか否かも個々の選択次第で、よき教師ほど、余計なお節介をしなくなるようです。

ゲイリーさんの高次元教師たち(アテーンとパーサ)は、「普通でいなさい」と何度も繰り返してますが、これもホントにその通りでして、

普通にしていれば、「1ポイント」上げる学び=浄化は自然と近寄って来るもので、

ちなみにゲイリーさんの教師たちによると、ゲイリーさんは「1300ドル」奪った人に、他の時空間でキッチリ同じことをしたそうで、自分にも散々、「理不尽なことをしてきた」アスペクトがあるのかもしれませんね〜

「電磁波防御 cmcbioペンダント」の副次作用と「脳の血流量が低下」に影響するもう一つの要素

引き寄せを超える「最適化の法則」ゼロポイントフィールドにつながる方法

環境汚染を最小にする「ベビーマグちゃん」を使ってみました!

 

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