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感情の浄化が起きる順序と東田直樹氏の「自らを戒める」

「喜怒哀楽はすべて浄化作用」であり、感情の浄化が起きる際、一番最初に出てくる「気持ち」は「怒り」だと、

「ルン・ル」の植原紘治氏は言います。

植原紘治氏の「ルン・ル」に知る「左脳」にあった覚醒への「鍵」

笑って泣く、それはものすごい浄化作用になるんです。・・笑いよりも、もっと大事なのが怒りです。怒りは誰でも持っているはずなのに、怒っちゃいけないとみんな思っている。

でも、その怒りをちゃんと表現しなければ、私たちは問題を解決できないんです。

心の中にずっと凝り固まっているものが残ってしまっている。だから怒りそのもになって、怒り狂って、大声を出して暴れ回る。そうすると、自分の中にずっと奥深くしまい込まれたものが噴き出してきます。徹底的にそれを出し尽くして、自分の中にあった怒りがなくなってしまうと、今度はその虚脱感から悲しくなるのです。

そして、自分の存在意義、こんな自分なんか生きていてもしようがない、死んだほうがましだと泣きわめくようになります。泣きわめいて転げ回るような感じで大暴れしているうちに、ふと「自分はなにをやっているんだろう。バカみたい」と思わずクスッと笑えてくるんです。・・

だから一番最初は、ほんとうは「怒」なんです。怒りをまず発散して、次に「哀」、哀しくなって泣いて、そのあとに、ちょっと楽しいというか、クスっと笑う感じがして、その後、大笑い、なにを自分はバカなことしていたんだろうかという感じで笑い転げてしまう。全部、死ぬほど苦しいです。でも、そうすれば、一気に人生が変わってしまいます。

今まで自分がとらわれていたものはなんだっただろうと、あんなことに自分は悩んで、何年も何年もずっと苦しんできた、それが一気に解消されるんです。

『「話す」は「放す」ことです』と言う植原氏の「ルン・ル」CDをゲットしたのは「2018/9/9」ですが、とてもイイので継続して聞いてます。

植原氏が瞑想の脳波「デルタ波」を出していても、聞き手もそうなるとは限らないと思われますが、

ジャスムヒーンの脳波パターンと相関する不食の5段階&消火のバイオシード

いわゆる「誘導瞑想」に伴う危うさは全くなく、ただひたすら「ゆるみ」ます。

緊張を解き放つことは、人間もワンニャンも大切で、

そういえば、今朝、読者さんから頂いた「シリウスCD」をかけていたら、

ピノちゃん、気持ち良さそうにウトウトし始めまして・・

その直前まで「いたずらっ子」モードでしたので、リラックス効果抜群ですネ!

「シリウスCD」は音も素敵ですが、ソフトタッチな絵が素晴らしく、

只今、六本木の東京ミッドタウンにて、原画を描いた沙羅さんの木版画展「花のゆく道」が開催されてるとのことで、

一般社団法人シンクネイチャー・アーツ&デザイン

なんか、春を感じる・・催しですネ!

音楽や絵画、そしてダンスなどは非言語の「表現」ですが、

人間とは自由に「表現」が出来ないと、すごいストレスとなり、

「怒」「哀」「笑う」の浄化の大切さを、

重度の自閉症でありながら、秀逸した文章力を持つ東田直樹氏の数々の作品で知りました。

13歳の頃のみずみずしい感性もイイですが、

25歳になっての「考察」は、まさに「マノスベ」にかなっています。

<自らを戒める>

春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」だ。

「たたえる」は、優れているとほめるとい意味、そして「いつくしむ」は、かわいがって大事にするという意味である。

自然が僕たちに与えてくれている恩恵は、言葉では言い尽くせないものだと思う。

人間も自然の一部だという考え方があるが、まさにその通りだ。この地球上においては、決して特別な存在ではない。この世に誕生し寿命が尽きれば、やがて土に還る。他の生物たちと、何ら変わりはないのである。

人は自然の脅威におびえ、無力さを感じた時、おのずと首(こうべ)を垂れる。人の存在の小ささを知ると共に、自然という、とてつもなく強大な森羅万象に尊敬のまなざしを向ける。

災害が起きれば、自然を活用できる人間こそが地球の支配者であるという思い込みを反省する。人間も、地球に生かされている動物に過ぎないと改心するのだが、すぐに忘れ同じ過ちを犯す。

愚かな自分たちを戒めるための日が、春分の日なのかもしれない。

哀しくなるくらいの灰色がかった雲の下、万物の命が途切れることのないよう僕は手を合わせる。山も鳥も虫たちも、懸命に生きている。その姿を見ているだけで、畏敬の念が胸に込み上げてくる。

このまま穏やかな毎日が続きますように。

かながね、人類が自然に対する「畏敬の念」を持たなくなったら、

人類はおしまいだと感じてましたので、まさに的を得た文章です。

東田氏は子どもの頃から「しゃべる」ことが出来ず、その豊かな感受性を表現するスベが「書く」ことでした。

アスぺな吉濱ツトムさんの自伝を読んだ時、

アスペルガーな吉濱ツトム氏の「コロナ後アセンションが加速する」理由

フツーのことがフツーに出来ない・・という共通点を感じ、

「自分もアスぺかもしれない」と、Mちゃんとペルーラムさんに言ったら、お二人とも口を揃えて「絶対に違います!」と大合唱されちゃいました。

また、先日、20代の頃からのお付き合いの翻訳家の友人から、

「あなたは、生まれて来たのが早過ぎましたね」と言われましたが、

若い頃の自分は「水がサラサラ流れる」ように喋っていたそうで、今ならユーチューバーで・・という意味でした。

つまり「話す」ことが得意な人はアスぺではない・・ということなんでしょうが、東田氏の自伝を読み、ますます親近感を感じました。

「話す」も「書く」も言語能力ではありますが、

「話す」と「書く」では、脳の使う部位が違う・・と、実際に両方やってみて実感してます。

当然ながらスピード的には、「書く」方がまどろっこしいわけで、

自分の気持ちを「話す=放す」で、伝えることが出来なかった東田氏の子ども時代の苦悩は計り知れなく、

「書く」という手段を得て、表現出来るようになったことは、人類全体にとっても大きな「恵み」ですネ!

人間も動物も「気持ちをわかってもらえない」と、キレちゃうのは同じであり、

6歳から引き取ったピノちゃんは、今までのワンニャンと違って「わかりにくな〜」なところがアルのですが、

時間の経過とともに、通じ合えるところが多くなり、

昨夜のピノちゃんは、旦那さんのお膝で、

斜め垂直な、こんな変な格好で、

すっかりくつろいでましたので、だいぶ慣れて来たようです。

ピノちゃん、今朝は外を見てたら、

急に首が伸びたのは、
前の空き地に、鳥が歩いていたのを見つけからで、目ざといですネ!

動物たちは五感をフルに使って周囲を「感受」し、そこに「妄想」の歪みが入り込む余地は少なく、

彼らのボディランゲージを読み解くのはそんなに難しいことではありませんが、

大きな脳を持ってしまった人間は、感受したものを自由に「表現」することが大切だと、

世界中が突如「マスク」だらけになったタイミングで知った東田直樹氏の素直な感性に、改めて思い知りました!

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COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. イルカさん、展示のご紹介ありがとうございます!
    ペットシェルターの方などにも「シリウス」差し上げたいので、ご縁があればぜひ、よろしくお願いします!

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