酵素カフェ

OSHOの「いななけない馬」に学ぶ現人類の情況

「実りの秋」という言葉がぴったりな、

稲刈りの時期となり、山梨県北杜市の田んぼに、

太陽光が差し込むと、

みるみる黄金色に輝き、ほんとに美しいです!

あっと言う間に9月最後の土日になり、

標高1200mの清里高原の朝は冷たい空気と、

強い日差しが混じり合い、

今年は咲かないのかな? だった「浅間風露」の花が、

土曜日の朝は10個咲いてました!

自生している菊の花とか、

ここに居ると、小さな「花」を見つけるだけで幸せ気分です〜

さて、土曜日は石積み作業をお休みして、

すぐ近所にあったけど、今まで知らなかった「ホースケア牧場」に行ってみました。

八ヶ岳の麓で、

かなり沢山の馬さんが居まして、

この子のお顔が面白かったで〜す!

馬に乗ってるお子さんもいて、

近所には、牛さんも居まして・・

やっぱり清里は、バッチフラワー修行で行ったウェールズに似てるな〜 と改めて思いました。

ウェールズでは「馬」の授業があり、
IMG_0214 (2)人間の感情を鋭く察知するが故に、ストレス状態になることを学びましたが、

そういう意味で、ここの馬さんはストレスフリーだな〜 と感じるのが「谷口牧場」で、

「毒」にも「薬」にもなるトリカブトと癒しの谷口牧場

昨日も寄ったら、先週、お話した馬主さんはいなかったけど、

赤トンボが居て、

生き生き草を食べる馬さんたちを、

ただ眺めているだけで癒されます!

谷口牧場では、時々「いななく」馬声を聞くときがありますが、

現人類の情況は「いななけない」馬と同じだと、OSHOさんは言います。

***************

偉大なるもの
美しきもの
真実で現実(リアル)なるもの
それらはすべて自在で臨機応変だ
それらは計画することができない
計画した瞬間にすべてがおかしくなる
計画が入り込む瞬間、すべてが非現実的になる

しかし人類にはこれが起こってしまったーー!
あなたがたの愛、誠意、あなたがたの真実・・・・
すべては、計画されたがゆえにおかしくなった
なぜならあなたがたは
自在に臨機応変にはならないように教えられてきたからだ
あなたがたは、自分自身を操作し、コントロールし
管理するように教えこまれ
一つの自然な流れとして在るようには教えられなかった
あなたがたは堅固だ
凍りついている、死んでいるーー!

<生>は計画など知らない
自分自身それだけで充分だ
樹はどのように生長し、どのように成熟し
どのように花をひらかせる計画をするかね?
樹はそれを意識することすらせず、ただ生長するだけだ
そこに自意識はない、分離はない
計画し始めるたびに、あなたは自分を分割する、
あなたは二つになる。コントロールする者とコントロールされる者との二つに・・・
と、葛藤が生じる
こうなったらあなたはけっして平和ではない
コントロールに成功したとしても平和ではない
コントロールすることに成功しなかったとしても
それでもまだ平和はない
最終的にはあなたは自分が失敗したことに気がつく
あなたの失敗は失敗だ
成功もまた失敗だ
何をしようとあなたの生はみじめになる

この分割、分裂ということが醜さを生む
あなたは一体(ひとつ)ではない
美しさは一体性に属するものだ
どんな文化、文明、どんな社会のあなたを醜くする
どんな道徳もあなたを醜くする
なぜならそれらは分割に、コントロールに基づいているからだ

聞いたはなしだがね・・・・
あるときバアム・シュムは三頭立ての美し馬車で旅をしていた
だが彼は旅を始めて三日というものずっと不思議に思っていた。というのも、三頭の馬のうちどの馬も一度としていななくことがなかったからだ

この馬たちはいったいどうしたことだろう・・・?

と、四日目の日、通りがかりの百姓が、手綱をゆるめるようにと彼に向かって大声で叫んだ。彼が手綱をゆるめると突然、三頭の馬たちはいななき始めた、生き返った! 三日間というもの彼らは死ぬ思いをしていたのだ

これがあなたがた全部に、人類全体に起こったことだ
あなたがたはいななけない!
いななけない馬とは死んでいるも同然だ
いななきとは馬が楽しんでいるということ
流れ溢れていることを意味している

しかしあなたはいななけない、あなたは死んでいる
あなたの生はどうみても満ち溢れた歌だとはいえない
ダンスだとはいえない
それはエネルギーがあふれているときに起こる
開花とは常に一種の贅沢だ、それは必需品ではない
樹は花が必要なわけではない
根だけで充分だ
開花とは常に贅沢なもの
花たちは樹があり余っているとき
わかち与えることが必要になっているときにものやってくる

あなたがあり余っているときには
生はダンスとなり祝福となる
しかし社会はあなたが踊り祝うことを許さない
だから社会はあなたがけっして必要以上にエネルギーを
もたないようにと眼をこらす
あなたは餓死寸前の段階で生きることしか許されない
あなたはあり余るということは許されない
なぜならひとたびあり余ったら
社会はあなたをコントロールできなくなるからだ
ところが社会はあなたをコントロールしたい
これはきわめて微妙な支配だーー

子どもはすべて溢れて生まれてくる
となると、私たちはそのエネルギーの源泉を切ってしまわなければならない。私たちは子どもをここあそこと刈り込んで、コントロールし易いようにしなければならない
どんなコントロールも
その根拠は子どもを二つに分割することにある
分割されたらもう心配はいらない
彼は自分で自分をコントロールし始める
そうなったらもう心配することはない
彼は自分自身を己をの敵にする
だから子どもにこう言えばいい
「それはまちがっている。してはいけない!」
と突然、子どもは分割される・・
そして彼の頭(ヘッド)が管理人になる
分割を通じて、理知が管理人に、主人になってしまった
もし分割していなかったら、あなたは頭を持たなくなる
頭が消えてしまうということではない・・
あなたはただ頭志向でなくなるということだ
あなたの存在全体があなたとして在るということだ
今現在はあなたがたは頭だけの人間だ
肉体の他の部分はただその頭を支えるためにだけある
頭(ヘッド)が搾取者に独裁者になっている
これは葛藤を通じて生じるもの、あなたがたの内部に葛藤をつくりだすことを通じて生じるものだ

あなたがたはこれは善いがこれは悪いと教えられきた
理知はそれを学習する
それから今度はあなたを咎め批難しつづける
憶えておきなさい
もし自分を咎めるとしたら
あなたはあらゆる人を咎めることになるのだと
あなたは<全体>を咎めることになる
自分を咎める人は愛することができない
自分を咎める人は祈ることができない
自分を咎める人
その人にとって<神>はない、在り得ない
批難するマインドはけっして神の寺院には入れない
あなたが踊るとき、歓喜にあふれているとき
何も咎めることなく、座ってコントロールする者も管理する者もなく
あり余り溢れているとき
そのときのみ<生>は解き放たれる
それは形式的なものではない、自然なものだ
そうなったらあなたは入る
そうなったらあらゆるところがドアになる
あなたはどこからでも寺院に到ることができるーー

しかし今あるままのあなたは精神分裂症だ!・・
社会が精神分裂をつくりだす
分割とは精神のことだ
あなたは一体ではないのだ!・・

溢れ流れるエネルギーは反逆をもたらす
溢れ流れるエネルギーはきまって反逆的だ
溢れ流れるエネルギーは常に革命のなかにある
それは洪水になった河のようーー
それは堤など信じない
規則や法律など信じない
それはただ海に向かって溢れ流れてゆく
それは一つの目的(ゴール)しか知らない
いかにして海になるか、いかにして無限となるかーー
溢れ流れるエネルギーは常に<神>に向かって動く
ところが<神>は私たちの社会では欠如している
これは科学のためでも無神論のためでもなく
いわゆる宗教的な人々のためだ
彼らがあなたがたをあまりに分割してきたために
河は今や自分自身を闘っている始末だ・・

老子、荘子の、<道(タオ)>の基本的な法則の一つ
それは、もしあなたが臨機応変に自在であったら
それこそが最高の祈り、というものだ
そのときにはあなたは<神>を見逃し得ない
何をしようともあなたは<神>に達する
だから荘子はけっして<神>については語らない
語ることは適当でない、必要でないのだ
彼は
どのようにして内部に全一性をもたらすかを語る
神聖なるものを語ることは適していない
あなたが全一になったとき、あなたは神聖になる・・

自在さ、全一なるものとして生きること・・・
もしあなたが一つの”全体”として生きたかったら
計画などできるものではない
誰が計画するね?
あなた今ここにしか生きられない
誰が決めるね?
もしあなたが決めるとしたら、その決定が入りこみ
そのときにはあなたが操作することになる
誰が計画するかね?
未来は未知だ
未知のものをどうやって計画できる?
未知を計画するとしたら、その計画は過去に基づくものとなる。ということは、死んだものが生きているものを統制(コントロール)するという意味だ
過去は死んでいる
その過去が未来をコントロールしつづける・・
あなたが退屈するのも不思議ではない
それは当然だ、起こるべくして起こることだ
倦怠は過去からやってくる
過去は死んでいるからだ
その過去が未来をコントロールしようというのだ

未来とは常に冒険だ!
だがあなたはそれが冒険になることを許さない
あなたは前もってそれを計画する
ひとたび計画されたら、その生は線路の上を走ってゆく
それは河でなくなる
線路の上を走るときは、あなたはどこへ向かっているか
何が起こっているかわかっている
すべてはただのくり返しだ
誰が計画するのだね?
もし頭(マインド)が計画するとしたら頭とは常に過去のものだ
<生>を計画することはできない
計画を通じてあなたは自殺しようとしている!
<生>は無計画でしかあり得ない
瞬間から瞬間へと、未知の内に動いてゆくこと・・・
いったい何が怖い?
あなたはそこに在ってただ対応すればいい
情況がどんなものであっても
あなたがただそこに在って対応すればいい
何を怖れている? なぜ計画などする?
怖れが生じるのはあなたに確信がないからだ
自分が果たして生きて在るかどうか確かでないからだ
あなたはあまりに無意識でいる
それは不安となる
あなたは敏感になっていない

***************

人間と動物の違いは、動物は死を恐れないことにあり、

死を恐れないからこそ、いつでも、どこでも、精一杯「生きる」方向に向いてますが、

人間は死を恐れるあまり、未知な未来を「確実に・・」とコントロールしようとし、

いわゆる「計画経済」とか、予防の「ワクチン」とか、コントロール社会の賜物で、

その結果、人間は「いななけない馬とは死んでいるも同然だ」となり、

生き生きとしたホントの感情は抑圧され、人としての「全一性」が失われてるのですネ。

先週、谷口牧場で触れ合った老馬さんは、

谷口牧場に来てから「とても穏やかになった」と馬主さんは言ってましたが、

その老馬さんが、お姉さんを軽く蹴ったのを「目撃」しました〜

子どもの頃から付き合いならではの「生き生き」コミュニケーションで、
とても美しいものを見た・・と感動しましたが、

人間同士のあいだでも、リアルな本音でコミュニケーションすることが、何よりの「美」ですネ!

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