1月15日は小正月で、一年の健康を願って邪気払いの小豆粥を食べるという風習があり、
1月15日の小豆粥は「水難除け」になるという言い伝えもありますが、そんな1月15日の丑三つ時に格安バスーツアーで事故が起き、14名の若者が犠牲なり、
同じ日、廃棄処分の食材がたらい回しにされるという「あきれた」事件が明らかになったりで、
安かろう・・で売る、「猿知恵は去る」になってもらいたい申年ですが、
先日、初めてお参りした諏訪湖近くの諏訪大社には、本宮・前宮・春宮・秋宮という4つの宮それぞれに、
4本の御柱が立てられていて、
これは本宮の3の御柱ですが、3と4の柱は立ち入り禁止内に立ってます。
これは一般的な本宮正門で、
ここから入って1の御柱を拝み、参拝して、お守りGETで普通に帰るとスルーしてしまいそうな、
2の御柱から続く、長い廊下が前宮つながりのパワースポットのようですので、
お見逃しなく・・なんですが、
2の御柱の横には、樹齢100年級のスゴイ欅の大木があり、
かなり樹医さんの手が入っている様子でしたが、正直もう息絶え絶えな感じで、
全体に、諏訪神社の大木は新旧交代の時期を迎えている感がありました。
本宮と前宮の関係は、もともとは前宮が祭司の中心だったのが、
室町・戦国時代にその多くが消失し、諏訪氏の内紛や武田氏との争いで聖域が荒らされたという歴史があります。
今の前宮入り口には、狛犬がしっかり凛座し、
入り口前には、そんな悲しい過去を洗い流すかのような小川、「水眼」が流れ、
かなり地味な構えの前宮を、
江原啓之氏が「日本屈指のスピリチュアル・サンクチュアリ」と評したのは、ご自身の壮絶な過去との呼応があったのかも知れません。
江原啓之
<18歳まで>
1964年(昭和39年)12月22日、東京都墨田区の下町で、薬品会社に勤めるサラリーマンの第2子として誕生。7歳上の姉を持つ。
1968年、4歳のとき、父親を薬害で亡くし、15歳の時、母親を癌で亡くす。中学生時代はギター部に所属していた。技術職に就くことを目指し本郷高等学校デザイン科に進学。放課後はアマチュア合唱団の練習に参加。
1981年、高校2年の時、姉が嫁に行き、一人暮らしを始める。和光大学人文学部芸術学科に入学し、美術を専攻。彫刻や音楽を学ぶ。大学の近くに移住する。「18歳までは守られる」という生前の母の言葉通りに、18歳になった頃から心霊現象に悩まされ19歳で大学を退学する。
<神職の資格を得る>
警備員のアルバイトをする傍ら、心霊現象の解決のため何人もの霊能者を訪ねるも解決できず、 自殺まで考えるほど精神的にも金銭的にも追い詰められた中で、20人目に出会った日本心霊科学協会の講師・寺坂多枝子に信頼を置く。
人格や波長を高く保ち善きカルマを積めば、低級霊は寄って来ないとアドバイスを受け、自分の力をコントロールするため修験道(真言密教系)の修業を始める。1年間寺で修業した後、高尾山での 2年間の滝行により憑依体質を克服。「日本心霊科学協会」の「精神統一協会」や寺坂の主催する「清玲会」に通い、瞑想や心霊科学を学ぶ。
滝行で知り合った男にプロの霊能者になる誘いを受ける。心霊相談の部屋を提供されるも、お金を一切もらえず、極貧の生活に追い込まれる。一攫千金を狙うための商品にされていることに気づき、夜逃げ同然に逃げ出す。
「社会的に信頼されるようにきちんとした職業を持つべき」という寺坂の勧めに従い、22歳の時、神職の資格を得るため國學院大學の夜間部に入学。1987年(23歳)、 北沢八幡宮に実習生として勤める。経済的に苦しかったため、夜間の授業を終えた後、深夜に心霊相談を行うという過酷な生活を送る。 國學院大學別科神道専修II類を修了し、神職の資格を得る。
心霊相談で知り合った人たちや昔からの友人たちによって、東京、横浜に計3ヶ所スピリチュアリズムを学ぶサークルが作られ、毎月、講師として研修を行う。後に計3ヶ所合同の研修会(これが後に「江原啓之のスピリチュアリズム講座」となる)を北沢八幡神社の広間で開催する。
この頃、名古屋の医師の紹介で、北海道の浦河町に建てた別荘の心霊現象に悩んでいた小説家、佐藤愛子の相談に乗る。
『シルバーバーチの霊訓』と出会い、これを読んだ江原は、つぎのような感想を述べている。「自分が見出した真理が正しかったことが裏付けられ、これまでの自身の経験の意味を改めて理解でき、感動した」。江原が、この本を読んだのは、寺坂が江原の両親を招霊した時期に近い。
自殺まで考えるほど追いつめられていた江原さんですが、先日ご紹介したインドの聖者ヨガナンダさんは、
現代の若者が置かれた状況を的確に描写しています。
<精神的原理を教える教育こそ急務>
肉体の病氣は、症状が明らかで痛みや不快感を伴うため、人はすぐにそれを治そうとして、薬を飲んだり、食事に気をつけたり、運動をしたりして治療に取りかかりますが、心の病氣は、人生のあらゆる苦悩の根源であるにもかかわらず、予防も治療もせずに放置するため、ついには人生を破滅にまで追い込んでしまいます。
真の意味で文明を進歩させるためには、教育者、文化人、聖職者、改革家、医師、法律家などが、どうすれば人間の性質と生活とをあらゆる面で調和させながら育成し、向上させることができるか、ということについてまず自らが学び、そのうえで人々に教えなければなりません。これこそ、今、世界中で求められている教育であり、調和ある人間文化です。・・・
近頃の大学卒業者たちの多くは、書物から得た知識で頭でっかちになった反面、意志と自己制御の両足が、ほとんど使われないために麻痺してしまい、人生の道をまっすぐに歩くことができません。
そして、すぐつまずいて、間違った結婚、性の乱用、金儲け主義、事業の挫折などの穴に真っ逆さまに落ちてしまいます。多くの若者たちはまるで、結局は自分を苦しめ自分の損になるような事ばかりを好んで、それに熱中しているように見えます。
・・・・
今生の地球留年の最終試験の結果は、その人がこの一生の間に色々な形で獲得した精神的、霊的賞状と業績によって決まります。この重大な最終私権に合格した人は、聖なる充実感と、自由と喜びに満ちた良心と、永遠の祝福とが彫り込まれた魂の卒業証書を受け取ることになります。
江原さんを世に出した佐藤愛子さんの実話は、
江原さんとは知らずに読んだことがあり、
江原さんが感動したという『シルバーバーチの霊訓』は、
初めて読んだスピリチュアル系の本ですが、印象的な話として、
人間に一番近い動物は犬であり、次は猫で、猿は進化の過程で「ずる賢く」なり猫に追い抜かれたというのがありました。
問:「犬の次に進化している動物は何ですか。猫ですか猿ですか」
シルバー・バーチ:「猫です」
問:「なぜ猿ではないのでしょう。人間と非常によく似ていると思うのですが」
シルバー・バーチ:「前にも述べましたが、進化というのは一本道ではありません。かならず優等生と劣等生とがいます。人間は確かに猿から進化しましたが、その猿を犬が抜き去ったのです。その大きな理由は人間が犬を可愛がったからです・・
それからこの問題にはもう一つの側面があるのですが、ちょっと説明できません。長い長い進化の過程において、猿はいわば足をすべらして後退し、残忍にはならなかったのですが、ケンカっぽく、そして怠けっぽくなって歩みを止めてしまい、結局類魂全体の進化が遅れたのです。」
問:「猿の種族が法則を犯したのでしょうか」
シルバー・バーチ:「法則を犯したというのではなく、当然しなければならないことをしなかったということです。」
シルバー・バーチは、ヨガナンダと同じく1920年頃の方なので、
猫を飼う人の数が犬を追い抜いた現代では、首位争いは微妙な感もありますが、
猿という種が、
「残忍にはならなかったのですが、ケンカっぽく、そして怠けっぽくなって歩みを止めてしまった」というのは、
何だか人間にもあてはまるような気がした小正月の日本の「悲しい事故」と「あきれた事件」でした。
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