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「日本語」だけは譲れない理由と中村哲医師が認識した「一番重要なこと」

日本は古代レムリア時代から「龍に守られてる国」だと信じられていたそうですが、

バッチ博士の故郷、ウェールズの国旗は「赤いドラゴン」で、

先日行った、榛名神社にも「赤いドラゴン」がいました!

で、明治の日本に12年ほど滞在したマクレオド氏は、ウェールズ(ケルト民族)と日本神道の共通点を発見してます。

イギリス人においても、龍神様は御神体なのだ。

かつて160年ほど前、古代イスラエルの失われた10支族の追跡ブームがあったらしい。スコットランドのマクレオドが本に書いた。

その中で、マクレオドは、最初イギリス人が西の果てに渡った支族として10支族の1支族ではないかと疑われたとある。それがそうではないということになり、今度は東の果てに渡った支族として同じ島国の日本人が疑われたというのだ。

それで、マクレオドは日本へやってきた。そしてついにさまざまの証拠を発見した。というのが、上の本だった。

ケルト民族は、例の「カナ」「カラ」「キリ」「キル」「クレ」「クル」「クロ」「ケル」「コク」「ンゴ」。。。の系統の民族であった。心霊信仰、万物信仰、森林信仰、日本の神道と同じである。

後の支配者になったアングロサクソン系ノルマン人のウェールズは被支配者のケルトのその伝統を残しているのかも知れないというわけだ。

ひょっとしたら、この「カナ」「カラ」「キリ」「キル」「クレ」「クル」「クロ」「ケル」「コク」「ンゴ」。。。の系統の民族が、「縄文人」であった。要するに、倭人。大和民族。日本人。この系統だった可能性が高い。

となると、縄文人は自然信仰かつ龍神を祀っていたわけだから、浅川さんの言葉では「龍蛇族」ということになる。

我が国では、龍蛇で蛇が入るとかなりおどろおどろしく感じるが、そういう存在ではないらしい。日本人の、いや地球人の、守護神なのであるという。

https://quasimoto3.exblog.jp/239836109/

浅川嘉富さんは八ヶ岳在住ですが、元大会社の重役さんで、

「アセンション情報」取り扱いについての、重要な助言をしています。

浅川嘉富氏に学ぶアセンションの5か条と若い世代が結婚しない理由

で、結局のところ、明治時代にマクレオド氏が看破したように、日本人は大いなる「雑種」ですが、

「日ユ同祖論」とは、文字通りには、日本人とユダヤ人(イスラエル人)は同じ先祖から来ているという説である。
 だが、これは必ずしもそれだけの意味ではない。日本人が混血民族であるのは明らかである。日本人の中には北方系民族、南方系民族、また朝鮮半島からやって来た民族など、様々な血が混ざっている。しかしそれら様々な民族の中に、古代イスラエル人もいて、彼らもまた日本人を形成する民族の一つとなった、という説がある。
そして彼ら古代イスラエル人は、単に日本に来たというだけでなく、また日本人の血の中に混ざったというだけでなく、じつは日本の文化・伝統の根幹を形成したとも言われている。この考えもまた、「日ユ同祖論」と呼ばれている。

古代イスラエル人が渡日した以前に、縄文文化が世界中に散っていた可能性・・にも注意が必要です。

矢作直樹氏の「縄文はレムリアからきた」とバシャールの土偶情報

いずれにせよ日本人が日本人たる所以は、「48字」からなる「日本語」にあり、終戦後、日本語が守られたのは大いなる幸いでしたが、最近では「日本語の危機」を感じる人が増えてるようです。

【日本が他言語によって駆逐されているかもしれない件】
 
11月末の奈良と京都は秋の観光シーズンと連休が重なって、どこに行ってもひとだらけでした。
しかしそこかしこから聞こえてくるのは、圧倒的に中国語で後は英語かスペイン語…日本人はいるにはいるんですけど、他言語の煩さに負けてる。同行者が「いっそ鎖国に!」と言うのもわからないでもありません。とにかく人波の多さより、他言語の響きでアタマがかき乱されて、その煩さにわたしは確かに不快さを感じていました。

母音を基調とした日本語の響きは、母音によって“場を空洞化”し、良い意味で緊張を「中抜け」し「鎮め」させる特性を持つと思います。  
つまり日本人は母音を発して、周囲に最小振動周波数を響かせ、微細な反射感覚で空間を捉え認識するのです。
ですから意識を前に強く押し出さず、一歩後ろに身を引いて対象との間を広く空けて、そこを母音(=意識)の微細な振動で満たすのが、日本人の立ち居振る舞いや在り方の原点なのかもしれません。
 
それに比べ他言語は子音が中心ですし、鋭い振動周波数でスキマを埋め尽くす空間認識の感覚には、隙を見せず作らずの緊張を強いているように思えます。
このブログ記事によれば、日本語と他言語には「共通のところ」がほとんどないと言います。確かに外国人でごった返す奈良京都は日本であって、もはや日本ではなくなろうとしているのかもしれません。
 
個人的に伊勢と出雲にあと一回くらい行ってはみたいのだけれど、どうにも気が重くなるのは以上のような理由で仕方ありません。

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鹿児島在住の音楽家で「アレクサンダーテクニーク」を習得した方ですが、

音に敏感な方にとって、日本の観光地はちょっとした「試練」になっているようです。

そういえば清里の家のご近所さんに上品な「ご夫妻」がいて、

奥様と初めてお話しした際、イントネーションが変なので「日本人?」って思ったら、奈良県から移住して来たとのことで、

関西のイントネーションでした〜

で、その方のお子さん達は奈良にいるのですが、お子さん達に「もう、お母さんの知ってる奈良じゃないよ」と言われるそうで、中国人だらけだと言ってました。

外国との交流は、自国のアイデンティティーを保った上なら大いに結構ですが、

日本人的アイデンティティーが「危機的状況」にあることが、中村哲医師襲撃事件に象徴されてるのかもしれません。

もっと具体例を出せば、世界中のどこの国へ行っても、その国の貧民や農村部の貧困層に学校を作ったり、農地を開梱したり、そういう手助けを行っているのは、日本人だけだ。

特に興味深いのは、インカの末裔に学校を作ってあげたという浅川嘉富さんもそうだが、民間人が私有財産を使ってまでして、他国の貧困層を助けるのは日本人しかいない。

白人はドライ。自分が損しそうなことに手を染めない。白人が行うときは、ギブアンドテイク。かならず自分がやったことに対するそれ以上の得がある場合だけ。

一方、タルムードユダヤ人がやるのは、その地へ銀行を作り、借金させる目的の場合だけ。だから、ほぼ全世界の中央銀行はこのタルムードユダヤ人の代表格の欧州ロスチャイルドと北米ロックフェラーの金融機関である。

彼らタルムードユダヤ人は現地人を家畜だとみなすから、自分で手を汚すことはしない。ましてや日本人のようにいっしょに活動することもしない。ただ、借金させ、その見返りにその現地人の資源や土地所有を得るだけだ。

この手法を米人富豪層は、「金持ち父さん」のやり方と称賛する。一方、我々日本人の身を粉にして現地人と一緒になって現地に水路を作るとか、農園を作るとか、道路を作るとか、学校を作るとか、こういうことすることを「貧乏父さん」と呼んで蔑む。

しかしながら、本当に世界を豊かにし、世界の平和に貢献しているのは、日本人のやり方である。」

「基本的に日本人には利他的に動く素質がある。外人には利己的に動く素質がある。

つまり、日本人は損得で計算して「自分のために」動いているわけではなく、「その人のために」動いているのである。

相手が、南米の貧乏なインカの末裔であろうが、オランダの貧乏青年であろうが、その人が「望むこと」があるのなら、それを自分ができる範囲で助けてやろう、こういう精神がある。」

まさに、中村哲先生はこういった海外で現地の貧困層を助けようと出ていった日本人の1人である。

https://quasimoto3.exblog.jp/239841072/

海外経験が豊富な人は必ず、『差別なき日本社会の特殊性』を心痛しますが、

中村哲医師は「灌漑事業=公共事業」を行うことが、戦争なき社会を創ることに気づいた方だそうです。

ところで、私が一番この中村哲医師の行ったことで一番重要だったと思うのは、彼が

貧困と戦争との関係

を正しく認識したことだ。

どうして貧困と戦争が結びつくのか?

というと、

戦争で国が荒廃すると男たちの働く場がなくなる。
すると、男たちは家族を養うために出稼ぎに出ることになる。
出稼ぎは他国へ移住するか、あるいは、自国内の紛争地で戦争に加わるかいずれかになる。
つまり、戦争が貧困を生み、その貧困がまた戦争を生む。

だったら、

だとしたら、仕事を作ればよろしい。
故郷に仕事があれば、男たちは農園で働け、戦地に赴くことは必要なくなる。

だから、

水路を引き、農地を作る。

中村医師はこう考えたわけだ。

この考え方はかなりユニバーサルである。どの民族、どの国家、どの地方でも成り立つ。当然、我が国にもそのアナロジーは成り立つ。

我が国では、いまのところ、いわゆる戦争の銃撃や爆撃を行う戦地はない。しかしグローバル経済戦争の戦地はある。それが東京や大阪などの大都市だ。

地方には若者が働く場がない。だから、若者は大学へ行って経済戦争のための訓練をする。そして、首都圏や大都市に出稼ぎに行く。

地方の若者が東京へ行くのは、出稼ぎ以外の何物でもないのだ。

地方という国家から東京や大阪という経済大国への出稼ぎにすぎないのだ。

だとすれば、地方が若者を自分の市町村、あるいは、県内に就職してほしいとすれば、一番簡単なことは、地方自治体が農業を育成することなのだ。そのための灌漑事業が必要になる。

ダムの建設、道路やトンネルの復旧。用水路や水道事業の改善。農地の開梱。山の修復。

つまり、普通の言葉、これまでの言い方で言えば、

公共事業

これを復活させること。

https://quasimoto3.exblog.jp/239841072/

確かに・・このところ大雨の被害も増えてますし、「桜を見る会」とかやる余裕があるなら、

ちゃんとした「公共事業」を行うのはイイですが、そのために外国人を雇わなきゃ・・になるとやぶ蛇で、

日本人の素晴らしさは、同じ人間である他者を「使役」するのは下賤なことだ・・という感覚がある点ですが、

しかしキツイ仕事もなんですから、日本人は優れたAIオペレーターになる資質があるのではないでしょうか?

いずれにせよ、感受性豊かで器用、機械にも強い!・・といった日本人的感覚は「母音を基調とした日本語の響き」で養われたきたわけで、

日本とは「日本語」だけでOKという、不思議な先進国なのですが、このシバちゃんが態度で示している通り、

「日本語」だけは・・譲れませんね〜

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