酵素カフェ

「ザ・スクエア 思いやりの聖域」に学ぶ、この世に戦争がなくならない理由

季節の変わり目は「温暖の差」が激しいものですが、

3月28日の清里高原は、この時期らしい陽気で、

ピノちゃんは外に出たそうな様子で、

旦那さんは「薪割り」に励んでますが、

12年前に始めた「週末セルフビルド」生活が、
画像 048

昨年11月から急遽、「たまには八王子に戻る」生活に移行しましたので、時間はたっぷりアリますね。

八王子宅の住宅ローンが2022年6月まであり、旦那さんはローンの返済のために、大手住宅メーカーに管理建築士として「勤務」している状態だったのですが、

2021年10月に突然、八王子宅の買い手がつき、しかし買い手のフランス人さんのローン審査がなかなか通らず、結局「売る」話は立ち消えになったのですが、おかげ様で「勤務」は辞めることになり、予定より一足早く「清里暮らし」に移行した次第で、

12年かけて、十分「馴れた」場所なので、移行自体は問題ナイですが、
仕事を辞める・・というのは、なかなか「機会」がないと踏ん切りがつかないもので、フランス人さんに感謝です。

さて、コロナ渦の折、2021年秋から八王子で急遽「レジリオンス」を始めましたが、

11月3日「レジリオンス」八王子#2のお知らせ

こちらの記事で以前、

OSHOの『奴隷は友人になりえない』と吉丸房江さんの「つながる」

こんなコメントを頂いた、福祉関係の管理職をしている方は、

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昨年8月のリアルカフェ参加させて頂いた者です。
機会があればまた参加したいと思っていました。
私は富士宮と永山に拠点があるので、八王子も南部町も近くて、楽しみにしています。
困窮者の相談業務をしており、コロナが長引き未だに相談業務多忙です。次々に打ち出される助成金や無利子貸付ですが、それに依存して真剣に働かなくなる方たちも多く、福祉ってなんだろうと考えさせられます。
では、またお会いできる時を楽しみにしております。

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生年月日がほとんど同じで、結婚後に大学の通信課程で心理学を学んだ点も同じでした。

「レジリオンス」座談会はお互いの話を聞き、じっくり語り合う場なのですが、この方は「ほとほと疲れてしまい、辞めたい・・」とおっしゃり、そうしたらY姉さんすかさず「うん、辞めた方がいいわね」と言っちゃったのです!

オイオイ、そう簡単に辞められますか・・って感じですが、

その方、言葉に出したことで気持ちが決まったのか、先日メールが来て、

「なんと、4月から新しい仕事に転職します😀」

とのことで、

転職先は市役所での「子どもの虐待の相談」で、

「虐待もディープな問題で、また別のハードさがあると思います。でも、この年で転職でき、チャンスを頂いたことを感謝してやっていきます」

とのことで、やりたい仕事にシフト出来てヨカッタですネ〜

同い年でもあり、年齢にかかわらず、いつでも「変われる」チャンスはあると思い知り、2022年はどなた様も躍進のチャンスだと思います!

さて、「依存して真剣に働かなくなる方たち」を増やしている日本の福祉に対して、

福祉先進国のスゥエーデンですが、先進国でもやはり「欺瞞」に満ちてる面を描いた「ザ・スクエア 思いやりの聖域」というスウェーデン映画は、

<ザ・スクエア 思いやりの聖域>

2017年のスウェーデンの風刺ドラマ映画。監督・脚本はリューベン・オストルンド、出演はクレス・バングとエリザベス・モスなど。現代美術館のキュレーターとして周囲から尊敬されている男の身に降り掛かる不条理な悲喜劇を描いている。
第70回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、最高賞であるパルム・ドールを獲得した。

wikipedia

これらのレビュー通り、「自我の弱い」日本人向きの映画ではないかもしれませんが、

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●要注意:日本の映画ではないということ

●普通の映画だと思って見ると、かなりの変化球に戸惑うかもしれません。
私はあまりに心をかき乱されて、途中停止して休んだほど。
頭にガツンと刺激を与えたい方にはおすすめ。平和な作品を見たい方はやめた方が無難。

●現代アート的な読み解きが楽しめる作品です。
現代アートの真髄(自分自身を振り返させる事)をうまく取り入れた作品であり、作品自体が現代アート的とも言えます。
2時間半の長編ですが、長さを感じさせない映像展開です。

本作は、移民の受入や、子連れ同伴出勤、マイノリティーや弱者に対して寛容だとされるスウェーデンでのお話です。

しかし実際には、受入を容認した移民に手助けを差し伸べた時、相手から想定以上のリクエストをされた時の受け入れ難い戸惑いや、泣き叫ぶ乳幼児を連れ立って会議にのぞむ仕事仲間への物言えぬ気まずさ、障害者の立場を思うばかりに必然的に我慢や忍耐を強いられるシーンなど、理想と現実の隙間に生じる声高に叫べない真実やその周辺に潜む心理的な合戦が随所に散りばめられています。

本作品の制作は2017年。
未だコロナウイルスの脅威が未知のものであった時期であり、社会全体が『信頼と思いやり』で構築されることを受容しそのスローガンが正論であった時代です。
しかし、コロナウイルスが蔓延し益々経済格差が生まれ、国単位での需要と供給に余裕が無くなってきた今日において、これまで通りに『信頼と思いやり』だけで社会を回していくことは現実的に可能なのだろうか?と考えてしまいます。

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ゴダールやフェリーニの芸術的「わけのわからなさ」ではなく、非常にわかりやすい論理的な映画でした。

権威ある国立現代美術館のキュレーター、責任者のクリスティアンは、

ある日、道端で「助けて!」と男性の虐待から逃げてる風の女性と出くわし、

助けたつもりが「スリ」茶番で、スマホと財布を取られてしまいます。

しかし、さすがハイテク社会、部下の協力(GPS)でスグ、スマホのある貧窮者向けアパートは特定出来たので、「脅迫状」を作り、アパート全宅に配ったら、

「コンビニに届けろ・・さもなければ・・」という脅迫が上手くいき、スマホも財布も返ってくるのですが、

クリスティアンとしては、それらが惜しいわけではなく、「自分のモノが取られた」というのが屈辱で、やり返せたことに満足します。

しかしながら今度は、「お前の脅迫文のせいで、家人から盗人呼ばわりされた。お前の生活をめちゃくちゃにしてやる・・」といった脅迫に悩まされ、

そして、この事件にかまけていたので「思いやりの聖域」アートの広告チェックを怠り、

ホームレスの金髪少女が「思いやりの聖域」にインしたら、
「思いやりの聖域」が爆発して、少女が吹き飛ぶ・・という、ヒドイ動画が拡散されてしまいます。

広告クリエーター的には「話題作り」に成功・・と喜んでますが、クリスティアンは責任を問われる立場となり、

失意状態でのその晩のパーティーには、「呼び物」アートの「オレグ・クリーク」が登場し、

<オレグ・クリーク>

ウクライナ生まれのロシアのパフォーマンスアーティスト、彫刻家、写真家、キュレーターです。彼は犬のように振る舞った彼の論争の的である芸術的なパフォーマンスで最もよく知られています。

wikipedia

映画では「猿」で、オレグ・クリーク本人ではありませんが、オレグ張りに「猿」はホンキで人を襲い、最初は毅然としていたセレブな賓客も最後はホンキで「殺せ!」と集団で「猿」に襲いかかります。

そんな散々なパーティーの後、高級アパートの螺旋階段を重たい足を引きずり登ってると、「お前の生活をめちゃくちゃにしてやる・・」の少年が登場し、「謝れ!」としつこく食いつき、追い返したものの、「助けて」という少年の声(幻聴)が鳴り響き、ノイローゼ状態となり、

アパートのゴミ置場にもぐって、少年の連絡先メモを探し「謝罪」のメッセージを送ります。

世界の富の50%を所有する50人の一人と友達で、いくらセレブな生活をしていても、心の中はゴミだらけ・・を象徴するようなシーンでしたが、

映画の最後では、イヤミな自己中男の典型みたいなクリスティアンのシングルファーザーとしての面が描かれており、

責任者を辞めたクリスティアンは娘達を連れて、貧窮者のアパートに少年を訪ねますが、少年家族は引っ越していた・・で終わります。

見ようによっては、ただの「セレブの失楽園」ストーリーですが、

「奇跡講座」をわかりやすく解説してくれるケネス・ワプニックは、

「自我の思考体系」も「聖霊の思考体系」も論理的であり、聖霊の思考体系は「赦し」とイコールだと言います。

『奇跡講座』を学ぶには、<間違った心の状態>と<正しい心の状態>という二つの思考体系を理解することが決定的に重要です。

すでに述べたように<間違った心の状態>というのは、自我と同じものです。<正しい心の状態>とは、聖霊の思考体系のことで、これは赦しと同じものと見なすことができます。

自我の思考体系はあまり愉快なものではありません。・・自我の思考体系も聖霊の思考体系も、それぞれの枠組みの中では、非の打ちどころのない論理的一貫性をもっています。さらに、両者はどちらも同時に真実であることは不可能で、一方が真実であれば、他方は真実ではありえない、という関係にあります。

けれども、自我の思考体系が非常に論理的であるからこそ、その論理を厳密に理解しておくことは、大いに役立ちます。いったん、その論理展開の順序をしっかり頭に入れておけば「テキスト」を普通に読むなら不可能と思えるようなことの多くが、非常に明確になってきます。

ですので、クリスティアンが最後に、少年に「赦し」を求めたことはとても重要なターニングポイントで、今後「変われる」可能性を示唆しています。

映画の冒頭、偶然スリに出くわしたせいで、散々な目に遭うクリスティアンですが、

そういえば2005年、バッチフラワー修行で英国に行った際、ロンドンで「カード入りのお財布」を無くしましたが、

ペルーの先生いわく「天使が通ったんだよ・・」とのことで、今、思えば確かに、あの「ドン底」体験が一番の収穫でした。

オレグ・クリークの過激パフォーマンスは、よーするに「ドン底」体験を人為的に強いるわけで、

生身の感情を体験しないと、人は概して「自我の思考体系=間違った心の状態」を変えようとはせず、

どんなに福祉が発達しても、この世に戦争がなくならないのは、

世間的な成功をもたらす「自我の思考体系」は、

職場でも家庭でも「やった、やられた」の自我の戦闘状態を繰り返すからで、

しかしながら「間違った心の状態」では、どんなに成功しても心の平穏は得られず、

バッチフラワーを使うと、フッと楽になって「イイ方向に向く」場合が多いのは、

マイナス感情=「間違った心の状態」が、すっーと遠のくからで、

しかしそれで安心して再び「自我の思考体系」に戻るか、

「聖霊の思考体系」の方向に行くかは、人それぞれのタイミング次第で、強制は出来ません。

という点からは、クリスティアンがスリに出くわしたのは、まさに「天使のいたずら」だったのかも?

と思える、非常に「教育的」で、かつ現代アート満載な、秀作スウェーデン映画でした!

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