満月の日は「浄化」にイイ・・と言われてますが、
月ミステリーをいろいろ調べていくうちに、
「月光浴」ってNGかもしれない・・と思うようになりました。
しかしながら、まん丸お月様が美しいのは確かで、
昨日、5月5日の夜11時過ぎ、吹き抜けの窓から満月直前の月が覗き、
夜中の2時半過ぎに「半影月食」になるんだな〜 と、しばらく眺めてましたが、
2時前にトイレで起きた際、窓から見えくなっていたので、「う〜〜ん、外に出る気はしないな・・」と寝ちゃいました(笑)。
で、昨夜、ふと思いついて、4096hz音叉に付いていた、
マダガスカル産の「天然水晶」と、ブラジル産の「浄化用天然水晶さざれ」を、満月パワーで浄化することにしました。
このプチ水晶、ペルーラムさんにキネ・チェックしてもらったらOKでしたが、その際「時々、塩で浄化するとイイ」とアドバイスされましたので・・
ついでに、大きな紫水晶にも塩をふり、一晩、水につけて、太陽に当てておきました。
で、今朝、ベンガル・ピノちゃんが、紫水晶をつけておいたシンクの洗い桶の水をガンガン飲んでまして・・
ピノちゃんが台所のシンクに侵入したのは初めてで、いつも自分の「水入れ」飲んでいたので、「アレッ?」って感じで、
この紫水晶は、2018年に他界した義母の家にあったもので、義母の姉がブラジルから贈ってくれたモノですが、
フラワーエッセンスと同じく、「鉱物エッセンス」って効くのかもしれませんね〜
昨日の朝はまったりとしていたピノちゃん、今朝は元気はつらつで、
お隣さんのお庭でダッシュした後、八ヶ岳の草原に行き・・またまた全速力で走ってました。
午後は旦那さんと日向ぼっこ・・
すっかり甘えん坊になったピノちゃんです。
昨年の7月7日、よりによって「新たなポータルが開いた日」に、
ピノちゃん、近所のオス猫に襲われ、しばらくその「問題」でハラハラしてましたが、
信頼するヒーラーであるY姉さんいわく「ピノちゃんは、投影だから・・」とのことで、
最初の愛犬でしくじった体験があるので、過剰に「心配になる」自分を感じましたが、
個々の問題が解決しても、根本にある問題への気づきがないと、次々と同じような問題がくり返され、
根本問題は心(マインド)にアルけど、私たちが「心」と思っているものは「想念」であり、しかも、意識的でないと「自分の想念」ですらなく、「<群集>のようなものなのだ」と、OSHOさんは伝えます。
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あらゆる問題の根本となる問題は心(マインド)そのものだ。そこで最初に理解されるべきことは、この心とは一体何か。それはどういうものでできているのか。いったいそれは実在なのか、それともただのプロセスなのか。それは実体を持っているのか、それともただの夢のようなものにすぎないのか、と言うことだ。
その心(マインド)の本性がわからない限り、あなたは人生のどんな問題を解決することもできまい。たとえ必死にがんばってみたところで、もしあなたがひとつひとつ個々の問題を解決しようとしたら、それは失敗に終わらざるを得ない。それは絶対に確実だ!・・・
もし、よくよく目を凝らしてみれば、あなたは決して<心>(マインド)というような実態には出くわすまい。それはものじゃない。それはただのプロセスなのだ。それは<群集>のようなものなのだ。独立した<想念>は存在する。ところが、それらがあまりにも速く動くので、あなたにはその間の切れ目が見えない。その間隔が見えない。それは、あなたがあまり醒めても気を配ってもいないところから来る。あなたはもっと深い洞察を必要とする。あなたの眼がもっと深いところに届くようになった時、突然、ひとつの想念、もうひとつの想念、また、もうひとつの想いと言うように、ひとつひとつの思考がわかるようになる。しかし、そこに<心>(マインド)などというものはない。
寄り集まった想念。何百万と言う想念の群があなたに、あたかも<心>(マインド)と言うものが存在しているかのような幻覚を与える。それはちょうど<群集>のようなものなのだ。何百万という人たちが群れ集まって立っている。だが、いったい<群集>などというものはあるのだろうか?<群集>というようなものを見つけることができるのだろうか?そこの立っている個人個人よりほかに?ーーところがどうして、いっしょになって立っている彼らのその集団性が、あたかも<群集>というようなものが存在するかのような錯覚を与える。ただ、単独の個のみが存在する。
これが心(マインド)への第一の洞察だ。よく見てごらん。そうすれば、あなたが見いだすのは<想念>であって、決して<心>に出くわすことはあるまい。・・
心(マインド)を見つめなさい。それがどこにあるのか。それが何であるのかを見てごらん。あなたは想念が漂っているのを感ずるだろう。そうするとその間には間隔があるだろう。長い間目を凝らしていれば、その切れ目のほうが想念よりも長いのもわかるだろう。なぜなら、それぞれの想念はお互いの他の想念と分かれているはずだからだ。事実、言語の場合でも、それぞれの単語は他の単語と分かれていなくてはならない。深く進めば進むほど、その切れ目がどんどん増えていくのを発見するだろう。その切れ目はどんどんと大きくなるだろう。。ひとつの想いがよぎるーーすると次には、どんな想念も存在しない切れ目が来る。そして新しい想いが来る、また別な切れ目が続くーー。
もしあなたの無意識なら、その切れ目は見えない。ひとつの想念から別の想念へと跳んでしまう。決してその切れ目を見ることはない。だがもしあなたが目を覚ませば、どんどんとたくさんの切れ目がわかるようになるだろう。まして、完璧に目まして完璧に目覚めたら、その時は、何里もの切れ目があなたの前に姿を現す。そして、そうした切れ目の中で<さとり>は起こる。そうした切れ目の中で真理があなたの扉を叩く。そうした切れ目の中で訪問者がやって来る。そうした切れ目の中で神が実現される。あるいは、あなた次第でほかのどんな表現でもよかろう。
そうして覚醒が絶対的であるとき、そこにはただ<無>という巨大な切れ目があるばかりだ。それはちょうど曇り空みたいなものだ。雲が動く。雲はそのうしろに隠された空が見えなくなるほど厚くもなれる。空の巨きな青さが失われ、あなたは雲に覆われる。そんなときでも、じっと見守り続けてごらん。ひとつの雲が動く。そしてほかの雲はまだ視界に入ってこないーーすると突然、巨大な空の青さがのぞく。
同じことが内側でも起こる。あなたは空のその巨きな青さだ。そして想念はちょうど雲のように、あなたのまわりを徘徊し、あなたをいっぱいにする。だが切れ目は存在する。空はまぎれもなく存在する。その空を一瞥することを<さとり>と言う。そしてその空になりきってしまうのが<サマーディ>だ。<さとり>から<サマーディ>まで。そのプロセスの一切は心(マインド)への深い内観ーーそれに尽きる。
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マインドコントロールという言葉がよく使われますが、
実際、<群集>として雑踏にまみれている方が落ち着く・・という人もいます。
バッチフラワーのシステムは、エッセンス自体が「効く」ということ以上に、
自分の「(マイナス)想念」を観照し始めると、想念と想念の間の「切れ目」が大きくなるな〜 という感じです。
不快な想念が「壊れたレコード」のように繰り返されて、「切れ目」が全然見えなってる状態に使われるレメディはホワイトチェストナットで、
「たまに眠れなくなる(完徹)」問題のために、ホワイトチェストナットを中心にしたトリートメントボトルを飲み始めたら、ずっ〜と順調だったのですが、
3日前(5月3日)、妙に目が冴えちゃって全然眠くなく・・で、上述のOSHOさんのお言葉をやってみたら、
「ひとつの想いがよぎるーーすると次には、どんな想念も存在しない切れ目が来る。そして新しい想いが来る、また別な切れ目が続くーー」
今までは、「草木も眠る丑三つ時」を過ぎると「完徹」だったのですが、3時頃からスヤスヤ寝ちゃいました!
よーするに、自分の中に「また、完徹かも?」という予感が出てくると、その通りになっていたのですが(思考の現実化)、
「想念が漂っているのを感ずる」をしていると、グチャグチャだった「想い」が落ち着いて来て、本を読んでいるうちに寝ちゃいました。
5月6日、満月直後の清里高原は、雲は多いけど青空で、
子どもの頃から「雲の流れ」を追うのが好きだったのですが・・
「想念」も雲と同じで、自然に「切れて」なくなりますので、怖がる必要はなく、
明日の西〜東日本は「雨」予報ですが、その奥にある「空」を感じてみましょう!
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